若気の至りとも言いますが…その4
俺は座り心地のいいソファーにふんぞり返るようにして座っていた。
「あの・・・ロクサーヌくん。その座り方はどうかと・・・私、一応、学園長なんだけど・・・そんな私の前で、その座り方はないんじゃないかな・・・」
俺の真向かいにちょこんと座り、何やらぶつぶつ言っている学園長を俺は無視すると、学園長専用の部屋を見渡して、
「学園長の部屋って、豪勢ですよねー。大した仕事なんかしてないのに、勿体なくないですか?寄付金をたくさん出している我がカーライル家からしてみれば、もっと意義のあることに使って欲しいものですねー」
「う・・・」
そんな俺の嫌みに学園長は目を泳がせた。
「で、私に何の用ですか?」
たかが学園長くせに俺を呼び出すとはいい度胸をしているよな。
「あ、ああ。そうなんだ。ちょっと聞きたいことがあって・・・。そ、その、何かねえ・・・最近、医務室に怪我をした生徒が良く来るらしいんだ」
「へえ・・・あ。そういうことは続くらしいですよ」
「で、でも、皆、揃いも揃って、腕の骨を折ってるんだよねえ・・・おかしくないかなあ?」
俺はにっこり笑って、
「そんなこと私に言われても、困りますよ」
すると、学園長は顔を引き攣らせた。・・・ん?
おかしいな。最近、俺が笑ったら、皆、ゾッとしたような顔をするんだよなあ。
ハンサムな俺が笑顔を見せてやっているのに、恐がるなんて、おかしいよな。有り得ないだろう。
学園長は自分の膝と俺の顔を交互に見つめていたが、
「そ、その、君が・・・やったわけじゃないよね?」
「はあ・・・?」
俺は学園長を睨んで、「今、何て言いました?」
「ひぃっ!」
学園長は背もたれにへばり付くようにして、「な、何てね!私はそんなことは思ってないよ!全く思ってない!そうだよね!ロクサーヌくんがそんなことするわけがないよ!」
俺はゆっくりと頷くと、
「そうですよ。カーライル公爵家次期当主であるこの私がそんな野蛮なことをするわけがないでしょう。誰かが私にやられたなんて言ったんですか?」
だとしたら、本当にこの世に生まれたことを後悔させてやる。
「いや、誰も・・・皆、階段から落ちたとか、ぶつけたとか・・・」
「なら、そういうことなんでしょう。ですが、今度からは足を折る生徒が増えるかもしれませんね」
そう言って、俺がまたにっこり笑うと、学園長は今度はサッと青ざめ、しばらく固まっていたが、
「や、やだなあ。ロクサーヌくん。そんな冗談言ってー。お、面白いなー。あはははは」
「あはははは」
「あっ、あはは、ははっ」
「あはははは」
「あはっ、げほっ、ごほっ」
「学園長。大丈夫ですか?・・・よろしければ、背中をさすって差し上げますよ?」
と、言いながら、俺が腰を浮かせると、
「ひぃっ!」
学園長は飛び上がって、「背骨はやめて!」
「・・・」
・・・いや、さすがに背骨は折りませんよ。
「だ、大丈夫!ちょっと、喉が渇いちゃって、声が掠れただけだから。あ、お茶を淹れようかなあ」
「あ、私もお願いします」
「はい!喜んで!」
学園長は慌てて、部屋から出て行った。
「太っているわりに、なかなか身軽だな」
俺は一人、感心したのだった。
その後、俺は学園長が淹れてくれたお茶をのんびり飲んでから、学園長室を出た。
そして、歩きながら、タバコでも吸いに行こうかなと考えていると、
「アンドレアス様」
背後から声がした。俺は振り返らずに、
「・・・気配を消すなよ。驚くだろう」
小さく笑う声がして、
「気付いていたくせに驚くも何もないでしょう」
「・・・何かあったのか?」
「いえ。たまにはお話をしたいなと思いまして」
俺は眉を寄せたが、
「どういう風の吹き回しだよ」
と、言って、振り返ると、整った顔立ちであるにもかかわらず、どこか影の薄い男が立っていた。
俺はいつものたまり場ではないベランダに来ていた。
俺はタバコに火を点けながら、
「ラングトリー。お前も吸うか?」
「結構です。長生きしたいですから」
セントクロフト伯爵家の嫡男であるチャールズ・ラングトリーは澄ました顔で言った。
俺は鼻で笑うと、
「若いうちから何を言ってるんだか」
「これでも、貴方より、2つ年上ですけどね」
そう言って笑ったラングトリーの灰色の瞳は銀色に輝いた。
セントクロフト伯爵家は五大公爵家を支える貴族家の中の一つだ。
魔法だけの公爵家などと呼ばれ、他の貴族家から疎まれている五大公爵家に対して、固く忠誠を誓ってくれている貴重で非常に有り難い存在だ。
現生徒の中にも数人、俺やグラントの協力者がいるが、チャールズ・ラングトリーは俺と関わることが特に多い。
「学園長に呼ばれたそうですが、大丈夫でしたか?」
「ラングトリー。俺を誰だと思ってるんだ?」
「もちろん、分かってますけどね」
ラングトリーは苦笑いして、「あの学園長は貴方には、一生、頭が上がらないでしょうね」
俺はにやりと口の端を上げて笑うと、
「いい情報をくれたラングトリーには感謝しているよ」
ラングトリーは溜め息をつくと、
「少し後悔しています。あの女教師を追い出すことには賛成でしたが、あんな手を使うとは思ってもいませんでした」
「しょうがないだろう。間接証拠ばかりで確実にあの女を落とせる証拠はなかっただろ?だから、俺が近付くしかなかった。油断させる、つまり、心を開いてもらうためには、まず足を開かせることから始める。・・・と、良く言うだろう?」
ラングトリーは眉をしかめて、
「品のないことを言わないで下さい」
俺は声を立てて笑うと、
「ま、俺は多少なりとも、いい思いをしたし、何より、学園長の弱みを握れたんだ。これ以上のことはない」
「貴方はもう『裏の学園長』と言っても、過言ではありませんね」
「ははっ。ラングトリー。上手いことを言うな」
ラングトリーは自分の方に漂って来たタバコの煙を手で払うと、
「・・・そうだとしても、貴方の評判を落とすだけですから、あんなやり方は二度となさらないで下さい」
「俺の評判なんかあってないようなものだ。気にする必要などない」
「ですが、本当に好きな女性が現れた時に後悔をしますよ」
「はあ?」
俺はぽかんとすると、「ラングトリー。一体、どうしたんだ?らしくないことを言うな」
ラングトリーは目の下をうっすら赤くさせると、
「学園を卒業したら、求婚したいと思っている女性がいるんです」
俺は思ってもいなかった言葉にびっくりしたが、
「それはおめでとう」
ラングトリーは苦笑いすると、
「まだ求婚すらしていませんよ」
俺はタバコの火を消してから、ラングトリーに近付き、その肩を叩くと、
「俺には遠く及ばないが、お前はまあまあいい男だ。そんなお前の求婚を断る女性などいるものか」
ラングトリーは珍しく声を立てて笑うと、
「それはそれは、ありがとうございます」
「どんな女だ?」
ラングトリーは遠くを見るように目を細めると、
「自分は幸せになってはいけない。幸せになれない。・・・そんな風に思っている女性です」
俺は鼻を鳴らすと、
「そんな女などいるものか」
「・・・ですよね。でも、いたりするんですよ」
ラングトリーはそう言って、どこか悲しげに微笑んだ。
学園時代、俺が心から信頼出来る人間はほんの数人しかいなかった。
チャールズ・ラングトリーはその数人の中の一人だった。
だが、そんなチャールズ・ラングトリーは愛する妻と娘を残して、逝ってしまうことになる・・・。
「こんにちは」
俺は爽やかな笑み(多分)を浮かべながら、マリアンナ・ヒルグレーヴに声を掛けた。
マリアンナ・ヒルグレーヴは笑みを浮かべて、
「ロクサーヌ様。こんにちは」
そして、俺は何事もなかったかのように通り過ぎる。
マリアンナ・ヒルグレーヴが足を止め、俺の背を見ていることにはもちろん気付いている。
特に急いでいる訳ではないから、礼儀正しい挨拶を交わすことから俺は始めてみた。
俺はろくでなしだが、それでも女子生徒からの人気は一番だったりする。そんな女子生徒たちは誰か一人だけが俺と親しくするのを良しとしない。
急速に距離を縮めると、女子生徒たちに睨まれて、マリアンナ・ヒルグレーヴが逃げ出す可能性がある。だから、慎重にならないといけない。
それにしても、女が集団になると、面倒臭いし、厄介だなあ。
ちなみに真面目な信奉者が多いのはグラントの方だ。グラントはいつもにこやかで誰に対しても親切だし、それに俺の評判の悪さからしてみたら、当然の結果だろう。
王子?
王子は婚約者がいるし、どことなく冷たく、近寄り難い空気を出しているから、それほど人気はない。
昔とは違い、親しみやすさも王族に必要な要素になって来たと思うが、頭でっかちな王子はそれを良しとはしない人間だ。
しかし、親しみやすさなら、いつもにこにこしているフェリシアがいるから良しとしよう。十分、補ってくれている。
王子はいい妹がいることを感謝した方がいいと思う。
「いい気になるなよ!ロクサーヌ!」
その鋭い声の後、俺は拳で殴られ、口の中に血の味が広がった。
殴られた頬はそれほど痛くないが、歯で口の中を傷つけたのはちょっとした誤算だった。
俺を殴った男子生徒は忙しなく、自分の拳と俺の顔を交互に見て、
「えっ、えっ?」
自分の拳が当たったことに驚いているようだ。
それもそのはずだ。俺はこの学園に入ってからと言うもの、幾度となく喧嘩をしてきたが、相手の攻撃が当たったことは一度もなかった。
「な、何で」
男子生徒は次の攻撃を繰り出すこともなく、そう口走った。
俺はにっこり笑って、
「理由はともかく、これで遠慮なく、仕返しせていただきますよ」
「ひっ」
その男子生徒だけでなく、周りにいた男子生徒たちも震え上がった。
だから、何だって、俺が笑ったら、怯えるんだよ!?
数分後・・・。
唸り声を上げながら倒れている男子生徒たちを背にして、俺はその場を後にしたが、少し歩いたところで・・・
「ロクサーヌくん・・・」
か細い声がして、俺は足を止めた。
一人の男子生徒が現れ、俺がやって来た方向に目をやりながら、
「だ、助けてくれて、ありがとうございました。あの、大丈夫でしたか・・・?」
「大丈夫?誰に言ってんだよ」
「でも・・・あれ!?」
平民のトマスはようやく俺の少し腫れて、赤くなった頬に気付くと、「どうしたんですか!?」
「どうしたも何も殴られたんだよ」
「そ、そんな・・・ロクサーヌくんが殴られるなんて・・・」
「俺のことはいいよ。お前さあ、しょっちゅういじめられてるけど、やられっぱなしで悔しくないわけ?」
トマスは平民ながら全属性持ちで能力も高い。それを妬む貴族家の生徒からいじめられている。
「で、でも、僕、弱いから・・・しょうがないです・・・」
「しょうがないか・・・。じゃあ、このままずっといじめられるか?まあ、俺はどうでもいいが」
と、俺が言うと、トマスは唇を噛み締めたが、
「ロクサーヌくんには分かりません・・・いじめられる側の気持ちなんて・・・」
「・・・」
「ロクサーヌくんは強いから・・・僕なんかとは違います」
俺は舌打ちしてから、素早く手を伸ばして、トマスの襟を掴むと、
「強くなる努力すらしないお前とそりゃ違うに決まってるだろうが!甘えるなよ!俺がいつまでも助けると思ってんのか!?」
「うあっ!」
トマスは殴られると思ったのか両手で顔を覆うようにして、「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」
と、何度も謝った。
俺はまた舌打ちすると、襟から手を離して、
「お前なんか、殴る価値もねえよ」
「ごめんなさい・・・」
トマスは顔を覆ったままだったが、顎に涙が伝ったのが見えた。
「・・・ばあか。泣くなよ。俺がいじめてるみたいじゃねえか」
「ご、ごめんなさい・・・ぼ、僕だって、いじめられるの嫌だけど、ど、どうしていいのか分からなくて・・・」
俺は髪を荒々しく掻き上げながら、
「お前さあ。自分が恵まれてるって、分かってる?俺だって、属性が3つしかないし、闇の力に苦しんでいる奴だっている。この世界には魔法が使えない人間だって、たくさんいるんだぞ。そんな人間に比べて、自分がどれだけ恵まれているのか分からないか?」
」
「・・・」
トマスは無言だが、首を振った。
「トマス。顔を隠すな」
俺はトマスの両腕を掴んで、下ろした。
トマスの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
俺はハンカチを出して、トマスの顔を乱暴に拭くと、
「お前、やられたところ、自分で治したよな?その力、勿体なくないか?お前は魔法で人を救いたいんだろ?なのに、自分がいじめられて出来た怪我ばっかり治して、馬鹿らしくないか?情けなくないか?お前はいじめられていい人間なんかじゃない。あいつらが間違ってるんだ。あんな奴らに負けるなよ。あいつらに負けたら、お前が間違っていることになる。お前を助けた俺が間違ってることになる。・・・俺は間違ってるか?」
トマスは何度も首を振って、
「う、ううん!間違ってない!ロクサーヌくんは間違ってないです!」
「そうだ。俺は常に正しい。だから、自分が間違ってるなんて、我慢ならないんだ。俺に恥をかかせるな」
「常に正しい・・・」
トマスはぽかんとした。
俺はそんなトマスを睨みつけると、
「俺、何か間違ってるか?」
「い、いいえ!常に正しいです!」
「よし」
俺は満足げに頷くと、「魔術師になりたいんだよな?」
「は、はい」
「だったら、強くなれ。いじめなんかするような馬鹿共に負けるな」
「はい!」
トマスの平凡な茶色の瞳は涙のせいではなく、希望に輝いていた。「僕、魔術師になって、五大公爵になるロクサーヌくんを支えます!」
「はあ?」
「ロクサーヌくんに恩返ししたいんです!」
「はあ。俺はお前なんかに支えられなくても、平気だけどな」
「え、えー・・・」
俺は笑ってしまうと、
「気持ちだけ受け取っておくよ。・・・男なんだから、もう二度と泣くなよ。涙は合格の時まで取っておけ」
お前の実力なら、努力次第で、必ず、王室付きの魔術師になれる。とは、言わないことにした。
こういう奴は調子に乗ると駄目になるからな。
「じゃあな。トマス。かっこいい俺に惚れるなよ」
と、俺が行こうとして、
「ロクサーヌくん!その頬、僕が治します!」
と、トマスは張り切って言ったが、俺は舌を出すと、
「男に治してもらっても嬉しくないんだよ」
トマスはぽかんとして、
「え・・・誰に治してもらうんですか?」
俺はにやりと笑って、
「内緒」
「は、はあ・・・」
・・・トマス。阿呆面すんな。
俺はぼんやりと窓の外を眺めていた。
「まあ!ロクサーヌ様!」
その声を聞いた俺がゆっくり振り返ると、マリアンナ・ヒルグレーヴが立っていた。
俺の腫れた頬に目が釘付けになっている。
俺は頬を撫でながら、
「ちょっと、上級生に絡まれてしまって・・・」
「それで殴られたんですか!?何て酷いことを!」
マリアンナ・ヒルグレーヴの薄い紫色の瞳は怒りのせいか、色合いが濃くなっている。
「・・・僕、嫌われてるんで仕方ないですよ」
俺は眉を下げながら言った。・・・落ち込んでいる様に見えるよな?
「そんな・・・嫌われているなんて、そんなことありません」
俺は爽やかな笑顔(しつこいようだが、多分)を浮かべて、
「貴女は優しいんですね」
と、言うと、マリアンナ・ヒルグレーヴは頬を赤らめて、
「そんなこと・・・ないです」
「これから、医務室に行って来ます。・・・心配をかけて、申し訳ありませんでした。失礼します」
俺は頭を下げると、医務室のある方向に行こうとしたが、
「ロクサーヌ様。待って下さい」
「はい?」
「私、治癒魔法が使えますから、私が今すぐに治します。ですから、わざわざ医務室に行く必要はありません」
と、マリアンナ・ヒルグレーヴは正義感や義務感に溢れる表情を浮かべながら、きっぱりと言った。
・・・うん。知ってるよ。
だから、殴られたんだよね。
だから、君が一人でいる時間帯を狙って、廊下なんかでぼーっとしてたんだよね。
だから、治してくれないと困るよ。