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カーライル公爵が守りたいもの。その3

『エレンに近付かないで!』


 怒りで色合いの濃くなった紫色の瞳を見つめながら、

『え?そっち?』

 ・・・俺はそれくらいにしか思わなかった。


 誰に喧嘩を吹っ掛けられようが、俺はもう二度と喧嘩はしないと決めていたから、ついでに賭けも止めることにした。

 放課後。その日は雨が強く降っていたから、ベランダではなく、空き教室でポールと話をしていた。

「賭けのことだが、降りることにするよ」

「降りる!?何で!?やっぱり、ロクサーヌでもマリアンナ・ヒルグレーヴは落とせなかったのか?ロクサーヌの負けってこと?」

 何て言われると、違うと言いたくなるのが男の馬鹿なところで・・・。

「いや、そういうことじゃない。考えたんだが、俺はエレン・スターリングを妻にしたいんだ。なのに、その親友であるマリアンナ・ヒルグレーヴとキスをしてみろ。必ずばれるだろう?いくらただの賭けで本気じゃなかったとしても、エレン・スターリングが親友とキスした男と結婚したいなんて、思うか?」

「お、思わない。考えただけでも恐ろしい・・・」

「だろ?」

「じゃあ、ロクサーヌは本気でエレン・スターリングを妻にするつもりなんだなー。けど、ロクサーヌの好みじゃないよな?」

「別にいいよ。エレン・スターリングがどんなに不器量だろうが、どんなに痩せぎすだろうが、子供を産むことが出来る体であれば、何でもいいよ。幸い、不器量でも痩せぎすでもないし、何とかその気にはなるだろ。それで、二人くらい子を産ませたら、後は別居すればいいだけのことだ。俺は王都にある別宅に愛人を囲うつもりでいるし・・・」

 俺がそこまで話したところで、俺たちがいる空き教室の戸がいきなり『バアン!』と、大袈裟な音を立てながら開いた。

 ポールはその音に飛び上がったが、俺はそれくらいで驚くことはないから、のんびりと振り返ってみると、戸口にマリアンナ・ヒルグレーヴが立っていて・・・。

「おやまあ」

 と、俺は呟いていた。

 しかし、命を狙われたばかりの俺はやはりそれ程驚かなかった。


 マリアンナ・ヒルグレーヴは俺を怒りで燃える目で睨んでいたが、ポールに向かって、

「そちらの方、どなたか存じませんけど、とっとと消えて下さらない?」

 と、冷たく言い放った。これには、少し驚いた。

 ポールは震え上がると、

「はいっ!」

 一目散に逃げ出した。


 教室には俺とマリアンナ・ヒルグレーヴだけになった。

「僕とこんなところで、二人きりになるのは賢明じゃないと思いますが?」

 すると、マリアンナ・ヒルグレーヴは鼻を鳴らして、

「僕?思いますが?先程のようにお話になったらどうですか?私と二人きりになりたくないのですか?結婚しなくてはいけなくなるから?」

 俺はにっこり笑って見せると、

「例え、僕がこの場で貴女の純潔を奪ったとしても、結婚なんかしませんよ」

 マリアンナ・ヒルグレーヴは顔を真っ赤にして、

「貴方、最低よ!人として、おかしいわ!ろくでなし!」

「わざわざ言われなくても、その自覚は既にありますよ。・・・それで?貴女は何故ここへ?あ、僕の本性を探っていたとか?どうしてでしょうか?したくもないデートをして、好青年に見せたつもりだったのに。ああ。クロエから、僕に愛人がいるって聞いたからですか?参ったな。僕は計算違いをしたようですね。貴女の性格を読み違えていたようだ。賭けから降りなくても、結局、負けてたってことか。それで、僕に謝って欲しいんですか?」

「違うわ!エレンに近付かないで!」

「え?そっち?」

 ・・・この女、騙されていたのに、女友達の心配か?


「エレンは貴女の妻になんかなりません。そもそもエレンは貴方のことを悪魔のような男だと言っていましたから、エレンは貴方なんかに騙されません」

 俺は声を上げて笑うと、

「悪魔!上手いことを言うなあ!エレン・スターリングとは上手くやっていけそうですよ。早速、口説きにかかることにしようかな」

 マリアンナ・ヒルグレーヴは口をぱくぱくとさせていたが、

「で、ですから、エレンは貴方なんかとは結婚なんかしません!」

「何故?僕ほど好ましい結婚相手はいないはずですよ?」

「好ましい!?女性を子供を産む道具としか思っていない貴方が!?ふざけたことを言わないで!」

「ふざけてなどいませんよ。だいたい僕のような考えを持つ人間はこの世に溢れていると言ってもいい。特にこの国では優秀な子を得る必要があるから、それが顕著だ。貴女も伯爵家の人間ならそれくらい分かるでしょう。エレン・スターリングは血筋は優れているし、頭もいい。貴女のように見苦しく感情を表に出すこともない。彼女なら、カーライル公爵夫人として、これ以上ない程、上手くやってくれるはずだ。僕はそれも見込んで、貴女のお友達を妻にしたいと思ってるんですよ。まあ、安心して下さい。僕は血迷っても、貴女を妻になんかしませんから。何故なら、何の得もない」

「ー・・・!」

 マリアンナ・ヒルグレーヴはサッと青ざめた。

「では、ごきげんよう」

 俺は構わず、教室から出て行こうとしたが、

「待ちなさい!」

 マリアンナ・ヒルグレーヴは俺の前に立ちはだかって、「エレンには大きな目標があるの!そのために毎日頑張っているの!だから、邪魔しないで!」

「ああ。魔術師か。エレン・スターリングには無理ですよ。そんな実力はこれっぽっちもありません」

「え・・・」

「ですから、無駄な努力は止めて、俺の妻になった方が賢明だと勧めてくれませんか?」

「か、勝手に無理だと決め付けないで!貴方にエレンの何が分かるの!」

「では、聞きますが、エレン・スターリングが、何故、魔術師になりたいか知ってますか?」

「それはこの国のために・・・」

 俺は鼻で笑うと、

「国のため?笑わせるな。・・・貴女のお友達は幼い頃から父親に爵位を継ぐことのない娘だからと言う理由で見向きすらされなかった。だから、魔術師となることで父親を見返したい。父親に存在を認めてもらいたい。ただそれだけなんですよ。何の志もない。何の覚悟もない。魔術師の職務を舐めているとしか思えない。・・・まあ、試験官となる五大公爵もそんな人間を選ぶ程愚かではないから、何を努力しようが、魔術師になどなれるわけがない。俺の子を産む方がよっぽどこの国の為になる」

「・・・」

 マリアンナ・ヒルグーヴは言葉を失っている。

「おやまあ。お友達なのに、そんなことも知らなかったんですか?・・・まあ、貴女に打ち明けても、何の助けにもなりませんからね。やはり、エレン・スターリングは賢明だ」

「・・・」

 マリアンナ・ヒルグレーヴの目が潤んできた。


 泣かれても何とも思わないが、うるさいのは敵わないから、俺はマリアンナ・ヒルグレーヴを避けて、出て行こうとしたが、またマリアンナ・ヒルグレーヴは俺の前に立ちはだかった。

 俺は舌打ちをすると、

「いい加減に・・・」

「エレンには本当に好きな人と一緒になって欲しいの!エレンを本当に愛してくれる人と一緒になって欲しいの!それは貴方じゃない!貴方ではダメなの!お願いだから、エレンには近付かないで!」

 と、マリアンナ・ヒルグレーヴは必死に訴えて来た。・・・良くやるよな。


 俺は感心しつつも、

「ああ。俺の担任か」

「は?」

「は?修道女みたいなエレン・スターリングもあの教師の前でだけは、ただの女になってるじゃないか」

「え?」

「え?」

「・・・」

「・・・」

「ええええぇぇーっ!!」

 絶叫した後、マリアンナ・ヒルグレーヴは腰を抜かした。おいおい。


 俺は呆れながら、

「腰を抜かす程のことか?あんたさ、色々と大袈裟なんだよ」

 ・・・見てて、飽きないけどな。こんな面白い女、初めてだ。

 マリアンナ・ヒルグレーヴは立ち上がろうとしたが、上手く力が入らないようだ。

 仕方なく、俺は手を差し出したが、

「結構です!」

 マリアンナ・ヒルグレーヴは噛み付くように言った。

「あ、そう」

「そんなことより、エレンの好きな人を知っていたくせに、それでも妻にするって言うの!?人の気持ちを無視していいと思ってるの!?」

「・・・」

「何よ!?反論しないの!?ようやく私が正しいと分かったの!?」

「ぶっ」

 俺は吹き出して、「そんな格好じゃあ、全く説得力ないよ」

 マリアンナ・ヒルグレーヴはこれ以上ない程、真っ赤になって、

「普通、紳士なら助け起こすでしょう!」

「・・・」

 結構です!って、言ったのはあんただろ。「・・・俺、紳士じゃないから」

「ああ!そうでしたわね!紳士じゃなくて、悪魔でしたわね!私、貴方のような悪魔からエレンを守ってみせますから!貴方の企みなんか全て阻止してみせますからね!覚悟なさい!」

 腰を抜かしているくせに、威勢だけはいい。俺はそんなマリアンナ・ヒルグレーヴを唖然として、見下ろしていたが、また可笑しくなって、吹き出した。

「人が真面目に話しているのに、笑わないでちょうだい!」

「いや、あんた、面白いから」

 と、俺は言うと、マリアンナ・ヒルグレーヴの背後に周り、両肘を掴んで、立ち上がらせた。

 すると、微かに石鹸の香りがした。愛人とは全く違う。柔らかくて・・・。清らかで・・・。

 俺は両肘を掴んだまま、すぐには離さなかった。


 だが、マリアンナ・ヒルグレーヴは身を捩ると、

「な、何をしているの!離してちょうだい!」

 俺はそれで我に返った。・・・同世代の女なんか興味なんかないのに、何をやってるんだ。

 俺は自分の反応に恥じ入りながら、後ろに下がると、

「はいはい。申し訳ございません。悪魔のような男に触られて、さぞお嫌だったでしょうね」

「・・・」

「じゃあ、俺はこれで」

「あ、あの」

 マリアンナ・ヒルグレーヴは振り返って、「お、起こして下さって、ありがとうございます」

「・・・」

 俺は目を見張った。

 マリアンナ・ヒルグレーヴは顔を赤らめて、

「礼を言ったくらいで、そんなに驚くことはないでしょう!私は貴方と違って、まともな人間ですからっ!常識がありますから!」

 俺はまた吹き出してから、

「あんた、可愛いな」

 ・・・そんな言葉が思わず口から出てしまっていた。

 自分でも驚いたが、マリアンナ・ヒルグレーヴの驚きの方が更に大きかったようで、こぼれ落ちそうなくらい目をまんまるにさせた。

「では、ごきげんよう」

 俺は気恥ずかしさもあって、半ば固まっている状態のマリアンナ・ヒルグレーヴを置いて、逃げるようにその場を後にした。

 それにしても、あの女は面白過ぎる。

「・・・しばらく、退屈しないな」


 何故か心は浮き立っていた。



 その後、俺とマリアンナ・ヒルグレーヴはエレン・スターリングを巡っての攻防戦を繰り広げることとなった。

 俺がエレン・スターリングに接近を試みようとする度、マリアンナ・ヒルグレーヴはことごとく邪魔をした。この俺がここまで苦戦するとは思わなかったが、何と敵はエレン・スターリングが思いを寄せている教師を味方につけたのだ。俺は知らなかったが、教師はエレン・スターリングの幼なじみだったらしい。

 俺は敵を甘く見ていたようだ。


 最初は顔を合わせれば、口喧嘩ばかりしていた俺とマリアンナ・ヒルグレーヴだったが、しばらく経った頃から、どういうわけか世間話をするようになり、俺はマリアンナ・ヒルグレーヴから、おかしな姉や妹たちの話を聞くことが楽しみになっていた。

 マリアンナ・ヒルグレーヴと一緒にいると、次期五大公爵の重圧や間近に迫る父の死の恐怖を束の間忘れることが出来た。

 そして、いつしか、マリアンナ・ヒルグレーヴの前で心から笑うようになっていた。

 すると、マリアンナ・ヒルグレーヴは度々、気を失うようになった。

 おかしな病気になったのではと心配していたら、『貴方の笑顔が素敵過ぎるからよ!私の前でみだりに笑わないでちょうだい!』と、腹立ち紛れに言われ、唖然とした。


 その頃から俺はどの愛人とも会わなくなっていた。

 愛人と会うよりもマリアンナ・ヒルグレーヴと口喧嘩したり、くだらない話をしている方が楽しくなったからだ。

 それが恋だと言うことにグラントとフェリシアに指摘されるまで気付かなかった。


 だが、気付いてからの俺の行動は早かった。

 マリアンナに結婚を申し込む許可を得るためにブローソン伯爵家の屋敷に行ったのだ。

 そしたら、何故か結婚して家を出たはずの姉2人までいた。

 マリアンナの姉2人と妹は俺を見るなり、『きゃー!来たー!』、『初の100点満点出たー』と大騒ぎし始めた。

 マリアンナの話は本当だったのだと、ある意味、俺は感激した。

 しかし、騒ぎようがあまりに滑稽で、堪え切れなくなった俺は笑ってしまった。

 すると、姉たちだけでなく、ブローソン伯爵夫人まで気を失った。

 フェリシアやクロエのように他にちゃんと好きな男がいる女性は俺の笑顔を見ても何ともないはずなのに・・・。

 だが、そこはあまり深く考えない方がいいだろう。うん。


 ブローソン伯爵から許可を貰い、俺は自信満々で卒業記念の舞踏会で全校生徒の前でマリアンナにプロポーズした。

 だが、答えは何と『お断りします』だった。

 その時の会場の空気と言ったら、背筋が震えるくらい寒かった。

 そして、世界は俺一人だけになったかのように静かだった・・・。


 普通、断るか!?


 その一部始終を聞いたスタンディッシュには大爆笑され、クロエからは『自業自得よ!』と、言われた。

 だが、グリフィンは泣いてくれた。鬱陶しかったし、気持ち悪かったが、ありがとうと言った。


 もちろん、さすがの俺も落ち込むには落ち込んだが、簡単に諦めるわけにはいかず、『何故、断ったんだ?』と、詰め寄ると、マリアンナは『何故!?よくもそんなことが聞けるわね!貴方に永遠の愛を誓うなんて言われたって、信じられるわけがないでしょう!これまでの行いをよっく思い返してみなさいよ!』と、言ったのだった。

 ・・・プロポーズをした時、嬉しそうな顔をしていたくせに。女は良く分からん。


 それでも、父が亡くなった時はマリアンナが俺の支えになってくれた。

 『仕方ないから、結婚してあげるわ』と、あのプロポーズから4年も経った21歳の時に念願叶いマリアンナと結婚することが出来た。

 結婚初夜の日から数えると、少々どころか、全く計算が合わないが、翌年には双子の父親になった。

 双子が誕生した際、『マリ。俺を世界で一番幸福な男にしてくれて、ありがとう』・・・そんな台詞が自然と口から出た時は自分でもびっくりした。


 双子の姉にはもちろん『カサンドラ』と名付け、弟には『リバー』と、名付けた。

 『リバー』は愛称が必要ないくらい短い名前がいいと俺が言い張り、響きがいいんじゃないか?やっぱりそんな意味の分からない理由で決まった。・・・リバー。何かごめん。

 双子はすくすくと育った。本当に美しく愛らしい双子で、まるで天使のようだった。いや、まさしく天使だ。

 マリアンナの姉たちは、『キャスとリバーは千点満点よ!』と、喜んだ。

 普段ならおおよそ理解出来ないおかしな義理の姉たちの言う事ではあったが、それには俺も同意した。


 だが、3歳の時にキャスが突然倒れたと聞いた時はゾッとした。

 原因は不明ながらも、その後は何の不調を訴えることもなく、安心していたのだが、キャスは独り言を良く言うようになったり、空に向かって叫んだりとおかしな行動をするようになった。

 それから、キャスは高い高いをしようとしたら、異常なくらい嫌がり、両頬にキスすると真っ赤になった。多分、羞恥心から来る反応ではないかと結論付けたが、たった3歳でここまで羞恥心があるものなのだろうか?

 リバーは高い高いをしてあげたら、狂ったように喜ぶのに・・・いや。もしかしたら、リバーの方は演技ではないだろうか?確かにリバーの笑顔は嘘くさ・・・いやいや。何を馬鹿なことを。可愛い息子の笑顔が嘘臭いなんて、親としてけして考えてはいけないことだ。忘れよう。うん。気のせいだ。うん。


 双子と言えば、絵が破滅的に下手、い、いや、非常に個性的だ。

 リバーはまだ気付いていないようだが、キャスは『こ、こりゃは、違うのでしっ!この手が悪いのでしっ!頭の中では上手なのでしっ!』と、訳の分からない言い訳をしていた。

 加えて、音楽の才能にも双子は恵まれていなかった。

 マリアンナのピアノに合わせて、何やら鼻歌を歌うことがあったが、微妙に・・・いや、とんでもなく外れてしまっているのだ。これはキャスも気付いていなかった。

 5歳になる頃には二人とも気付いて、音楽室には寄り付かなくなった。

 まあ、いい。芸術的才能がなくったって、俺の自慢の双子であることには変わりない。


 ちなみに俺は双子の絵だけを見て、下手、いや、個性的だと判断したわけではない。

 グリフィンの娘のサラの絵を見せてもらったことがあったが、それと比べるとあまりに酷・・・違ったからだ。

 サラ嬢は何をさせても上手で、大人しいが気立てが良く、それに何より美しい娘だ。グリフィンには何もかも全く似ていない。良かった。良かった。

 そんなサラ嬢にジャスティン殿下が一目惚れしてしまった。・・・しかし、まあ、当然のことかもしれない。

 ジャスティン殿下は口をぽかんと開けたまま固まっていた。けして、王子が見せてはいけない面白い顔をしていた。俺は笑いを堪えるので必死だった。


 双子がもうすぐ5歳の誕生日を迎えようとしていたある日、何を思ったかスタンディッシュがカーライル公爵家にふらりと遊びに来た。

 久しぶりの休みだったのに、家族の団欒を邪魔するなと文句を言う俺を無視して、

「ラムズフォード公爵家サミュエル・スタンディッシュです。カサンドラちゃんにリバー君だったね。始めまして」

 と、スタンディッシュは挨拶した。

 すると、

「スタンディッシュ様。始めまして。カーライル公爵家リバー・ロクサーヌです。お会い出来て、光栄です」

 リバーは堂々と挨拶した。素晴らしいぞ!


 一方、極度の人見知りであがり症のキャスはリバーにしがみついている。

 しかし、スタンディッシュは急かすようなことはしなかったし、にこやかな表情を保っていた。

 キャスはそれに励まされたのか、リバーから少し離れると、

「し、しゃみぇりゅ、したんでぃっしゅしゃま。はじゅみまちて。か、カサンドラ・ロクサーヌと申しましゅ・・・ぎゃあっ!う、上手く言えじゅ、申し訳なかとでしっ!」

 ・・・キャスは『ども噛み病』(キャス自ら名付ける)を発症していた。

 上手く挨拶出来なかったキャスはスタンディッシュに何度も頭を下げながら謝った。

「キャス。大丈夫、大丈夫だよ。もう少し大きくなったら、ちゃんとご挨拶出来るようになるよ。だから、大丈夫」

 と、リバーがキャスを励ました。素敵な姉弟愛に父様は感動したぞ。


 ・・・それよりもだ!


「おい!」

 俺はスタンディッシュを指差すと、「あんたの名前が無駄に長いせいで、キャスが落ち込むことになったじゃないか!今すぐ改名しろ!」

「改名!?馬鹿なことを言うな!」

「でなければ、一生、キャスの前に姿を見せるな!」

 スタンディッシュは顔を引き攣らせて、

「む、無茶なことを、酷い親馬鹿だな・・・あ、そうだ!いい事を思い付いた!カサンドラちゃん、『サムお兄さん』って、呼んでごらんよ。これなら、簡単じゃないかな?」

 おいおい。お兄さんって、年か?まあ、顔だけは若いが・・・。


 俺は甚だ疑問だったが、キャスの方はそれを聞いた途端、ぱあっと笑顔になると、

「はい!サムお兄しゃん!」

 ・・・あれ?

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「申し訳ありましぇん!」

 キャスはまた頭を下げた。・・・別にいいのに。

「いいよ、いいよ。それにしても、バーニーから聞いてたけど、カサンドラちゃんは『お父しゃま』って、言うんだよね?可愛いじゃないか。癒されるんじゃない?」

「スタンディッシュ!分かるか!?」

 キャスは俺の心の癒しなんだ!

「ああ!うちの子にも言って欲しかったくらいだ!」

 と、俺とスタンディッシュは盛り上がりそうになったが、

「お父様!スタンディッシュ様!」

 リバーが遮るように声を上げた。「キャスは落ち込んでるんです。喜ばないで下さい」

「「す、すみません」」

 リバーは阿呆な大人たちに呆れたような視線を送っていたが、キャスの頭を撫でて、

「キャス。そんな泣きそうな顔をしちゃダメだよ。せっかくの美人さんが台なしになっちゃうよ?」

「うぅ・・・リバー、ダメなお姉しゃんで、ごめんなしゃい・・・」

「キャスはダメなお姉さんじゃないよ。僕の自慢のお姉さんだよ」

「リバー!優しいいい子でしね!リバーも私の自慢の弟でしよ!」

 リバーはにっこり笑って、

「じゃあ、キャスは自慢の弟である僕の側に一生いてくれるよね?誰かのお嫁さんになんかなっちゃダメだよ?」

 キャスもにっこり笑うと、

「分かった!私、おーるどみしゅになりましよ!」

 スタンディッシュはまた顔を引き攣らせて、

「ねえ、リバー君、今、何気に怖いことを言ったよね?カサンドラちゃんはちゃんと分かってて、返事してるの?」

「さすが俺の息子だ」

「いや、おかしいから。それに、リバー君って、笑顔が怖くない?」

「・・・それには触れないでくれ。俺も気付かない振りをしているんだ」

「わ、分かった・・・」

 俺とスタンディッシュはリバーの笑顔を何とも複雑な思いを抱えながら見ていた。


 その後、庭にやって来た蝶を追いかけるリバーと、そんなリバーを『リバー!可哀相でしから、止めるでし!』と、追いかけるキャス、更にそんなキャスを『キャス!転ぶわよ!止めなさい!ちょっと、リバー!もう蝶々なんか追いかけていないじゃないの!お姉さんをからかうのは止めなさい!』と、追いかけるマリアンナ・・・そんな3人を微笑ましく思いながら、俺が見つめていると、

「聞いたよ。セントクロフト伯爵家のチャールズ・ラングトリーが亡くなったんだって?」

 俺はスタンディッシュに顔を向けると、

「そうか。それで心配して、わざわざ来たわけか」

 スタンディッシュは微笑むと、

「本来なら、こういう役目はバーニーなんだけど、父君、ワイルブリッジ公爵の具合がだいぶ悪いらしいからね。何かと忙しいようだ」

 ・・・ワイルブリッジ公爵は半年前から体調を崩している。


「俺はいつまでもあんたらの弟扱いだなあ。これでも立派なカーライル公爵になったつもりなんだが?」

「だからこそ、心配なんだろう?カーライル公爵は弱音なんか吐けないだろう?」

 俺は目を細めると、

「ラングトリーと俺は表向きは何の関係もないことになってるから、葬儀にも出られなかったし、まだ墓参りにも行けていない。・・・彼にはずいぶん世話になったのに、何もしてやれなかった。ラングトリーの妻からの手紙には眠るような最後で、一切、苦しまずに死を迎えことが唯一の救いだったと書いてあった」

 スタンディッシュは溜め息をついて、

「病に罹ったら、諦めるしかないとしても・・・まだ29歳だったよね?あまりに早過ぎるよ。確か、娘が一人いたんだっけ?無念だったろうね」

「ああ・・・」

 俺は疲れ果てた様子で、芝生に座り込んでいるキャスを見て、笑ってしまったが、「ラングトリーの娘は双子と同じ年だ。・・・家なんか関係なく、友達になってくれたらいいのにな。って、ラングトリーと話したこともあったな」

「きっと、そうなるさ」

「ああ。・・・だが、キャスの人見知りがもう少しましにならないと無理かもしれないなあ」

「そんなのどうってことないさ!君のようなろくでもない男でも、チャールズ・ラングトリーのようないい友人が出来たんだから、大丈夫だよ」

 俺は声を上げて笑ってしまうと、

「まったくだな!」

 ・・・本当は良き友を失ったことを改めて思い知るのが嫌で、墓参りに行けずにいたが、近いうちに行くことにしよう。

 ラングトリー。・・・話したいことがたくさんあるんだ。だから、会いに行くよ。必ず。


「あ、そうそう。マシューとフェリシア様はしばらく家族水入らずで過ごすためにアンバー公爵家の屋敷を離れると言っていたよ。屋敷は何だかんだで人が多いからね」

 俺はつい唸ってしまったが、

「そうか。それがいいかもな。シュナイダー君には可哀相なことをしてしまった。親同士の確執の犠牲になったようなものだから」

「だが、あれはアナスタシア殿下が・・・」

「フェリシアはシュナイダー君がレオンハルト殿下やアナスタシア殿下と親しくすることでその親であるグラントと国王陛下がお互い歩み寄れるようになれば・・・と、期待していたようだ。フェリシアは自分のせいだと責めていたよ」

 シュナイダー君も幼いながらもそんな母親の思いを感じ取っていたから、アナスタシア殿下の我が儘にも我慢して付き合ってあげていたのだろう。

 元々、感情を表に出すことが苦手な子だったが、ほとんど笑うことがなくなってしまったらしい。

 俺は楽しそうに笑っている双子を見て、余計シュナイダー君を可哀相に思った。


「しかし、アナスタシア殿下は急に人が変わったように我が儘になってしまった。訳が分からない」

 と、俺が首を振りながら言うと、スタンディッシュは眉を寄せて、

「急に?操られているとか?黒魔術なら有り得ることだろう」

「いや。魔力は感じなかった」

「君がそう言うなら、魔術ではないな・・・」

 五大公爵ともなれば、有害無害問わず、僅かな魔力でも感じ取れる。

 一目見て、その人間が何の属性持ちかやそれぞれの属性の力の強さを知ることも出来るが、それと仕組みは同じだ。


「アナスタシア殿下はレオンハルト殿下とシュナイダー君が自分を嫌うから悪いだの何だの・・・だから、自分は悪くないと言い張るばかりで話にならない」

「レオンハルト殿下とシュナイダー君がアナスタシア殿下を除け者にしたとか?」

「それは有り得ない。二人とも、私の息子のように分かりやすく好意を示すことはないが、彼らなりに妹を、従姉妹を可愛がっていた。それが分からないアナスタシア殿下ではないはずなんだが・・・」

「まあ、シュナイダー君と会えなくなったら、アナスタシア殿下の我が儘も落ち着くかもしれないよ。我が儘を言っていい相手がいなくなったわけだしね」

「・・・」

「どうしたの?まだ何か心配事があるの?」

 気付けば眉間にシワを寄せていた。俺はそれを指で解すように揉んだ後、

「なあ、スタンディッシュ。次期五大公爵としてではなく、一人の父親として、考えを聞かせて欲しいんだが・・・」



『おい。カーライル!待て!』

『レオンハルト殿下。私を飼い犬のように呼ぶのは止めて下さいませんか?』

『飼い犬?犬は可愛いがカーライルは可愛くないぞ?』

『・・・貴方も全く可愛くないですよ。何故、私だけ、公爵を付けないんだろうかと不思議で仕方ないですよ』

『おい。カーライル。何をぶつぶつ言っているんだ?』

『・・・いえ。何かご用ですか?』

『用がないと声を掛けてはいけないのか?』

『おやまあ。レオンハルト殿下は私のことをずいぶん気に入って下さっているのですね!』

『ち、違う!嫌われ者のカーライルを可哀相に思ったからだ!』

『そうですか。なら、嫌われ者の私の散歩に付き合って下さいますか?』

『散歩か?カーライルは暇なのか?まあ、どうしてもと言うのなら、付き合ってやってもいいぞ』

『そうですか。では、手を』

『手?』

『手を繋ぐんですよ』

『な、何故だ!何故、私がカーライルと手を繋がねばならない!』

『私は自分の子供たちと散歩する時は必ず手を繋ぐんですよ。まあ、嫌ならいいのですが』

『・・・』

『じゃあ、行きましょうか』

『ま、待て!カーライルがどうしてもと言うのなら、手を繋いでやる!』

『・・・可愛いなあ』

『何だ!?』

『いえ。では、手を』

『うむ』

 何だかんだで嬉しそうに手を繋いでくれたレオンハルト殿下・・・。笑いたくなるのを俺は堪えた。笑ったら、二度と繋いでくれなくなる。


『なあ。カーライル。手を繋ぐのは普通のことなのか?私は両親と手を繋いだことはないぞ。だが、当然だな。私の両親は国王と王妃で、普通の親ではないのだからな。私たちは普通の家族にはなれないよな?』

『手を繋がないからと言って、普通の親ではないとか、普通の家族ではないとかなんてことはありません。ただ、レオンハルト殿下が親となった時、もし、そうしてやりたいと思ったら、迷わず手を繋いであげて下さい。人がそれぞれ違うように、親も違います。何が正解か不正解かなんて、誰にも分かりません。自分が必要だと思えば、どんどんしてあげればいいのです』

『親・・・私が親になるなんて、想像も出来ないが、私は子と手を繋いでやりたいと思うぞ!』

 レオンハルト殿下はそう言って、俺の手を握る力を強めた。・・・双子には敵わないが、素直な殿下はなかなか可愛い。


 レオンハルト殿下は親である両陛下に甘えてはいけないと思い、早くから自立したいと気を張っているようだった。

 だが、俺はもう少し子供らしくして欲しいと思っていた。

 素直に甘えることは悪いことではないと教えてあげたかった。

 人と人が触れ合うことの大切さも教えてあげたかった。


 ・・・そう。教えてあげたかったんだ。五大公爵の責務ではなく、アンドレアス・ロクサーヌ個人として。同じ年の子を持つ一人の父親として。


 だからって、キャスに・・・くっ。

 このマセガキ!灰にしてやるぞ!と、何度も心の中で叫んでいたことは、俺だけの秘密である。





 『灰にしてやるぞ』は口癖のようなものなので、許してあげて下さい。

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