カーライル公爵が守りたいもの。その2
『殺せ』
いやだ。
『殺せ』
いやだっ!
「はっ」
目を開けると、見慣れない天井がまず目に入って来た。
いや。あの竜は・・・。
「起きたか」
声がした方に目をやると、濃い顔をした大男がいた。・・・うわー。起きぬけに見たくねー。
「おっさん」
と、俺はやや掠れた声で言った。
「私はおっさんではない」
と、渋い顔になって言ったのは、バーナード・コールター。ワイルブリッジ公爵家の嫡男だ。
俺より15も年上であるし、元々、老け顔だったから、俺は『おっさん』と、ずっと呼んでいる。
『公爵家の人間がおっさんなどと呼ぶとはけしからん』
と、言いながらも、呼ぶなとは言わない。まあ、言われても止めないが。
「アンドレアス。大丈夫か?痛むところはないか?」
おっさんは酷く心配そうな顔をしている。
「奇跡的に無傷だった。・・・そうだろう?」
「ああ」
「・・・だから、大丈夫だ」
「・・・そうか」
俺は首を左右に振って、
「ここ、ワイルブリッジ家だよな?今日、晩餐会じゃなかったのか?」
おっさんは苦笑いして、
「それどころじゃないだろう」
「だよな・・・スタンディッシュは?」
「サムも寝てるよ」
「だよな・・・」
スタンディッシュは俺に注意を払いながらも、敵を次々と斬り倒していった。殆ど一撃で仕留めていた。
俺は付いて行くので精一杯だった。
足手まといにだけにはなりたくない。その一心だった。
無我夢中でスタンディッシュが目指すよう言っていた広場に向かった。
だが、スタンディッシュの風の術でバラバラに切り刻まれた何十体もの死体を見た後の記憶がない。と、言うことは、その時に力尽きたようだ。
「私が駆け付けた時はアンドレアスはまだ立っていたよ。『おっさん』って、呼んでくれたよ」
「全く覚えてない・・・」
何て事だ。俺って、こんなに情けない奴だったか?「俺、スタンディッシュがいなかったら、死んでたな・・・俺、もっと出来る人間だと思ってたのに・・・そんなことなかったんだな・・・」
すると、おっさんが手を伸ばして、俺の頭の上に置いた。
おっさんは俺の頭を大きな手でやや乱暴に撫でながら、
「運に恵まれたんだな。だが、それも実力のうちだ。良く言うだろう?だから、卑屈になることはない。あれ程の人数は初めてだったらしいが、サムは実戦経験が何度もあった。・・・アンドレアスは初めてだったんだ。仕方ない」
「死んでたら、初めてだったとか関係ないだろう。仕方ないじゃ、済まないだろう」
「だが、アンドレアスは生きているじゃないか」
そう言って、おっさんは立ち上がると、グラスに水を注いで、「水分を取った方がいい。声が掠れているぞ」
俺は体を起こして、グラスを受け取った。
ゆっくり水を飲む俺を見ていたおっさんだったが、
「アンドレアス。お前は生きている。お前はあれ程の数の人間に襲われたのに、理不尽とも言っていい状況だったのに、ちゃんと生きているだろう。それも無傷でだ。それが揺るぎの無い事実だろう。お前は良くやった。本当はこんなことを言うべきではないかもしれないが、本当に良くやった」
俺は何とか笑みを浮かべると、
「・・・おっさんに褒められたの初めてだな」
おっさんも初めて笑みを見せて、
「当たり前だ。アンドレアスはこれまで褒められるようなことなどしたためしがないだろう」
・・・あ。そうだった。
その日の夜はワイルブリッジ家に泊まった。
遅めの夕食を取った後はまたすぐに寝てしまった。
明日の午後はスタンディッシュと共に王城に行って、国王陛下に事情を話さなくてはならないらしい。・・・あー、面倒くせー。
・・・おっさんに父上には知らせないでくれと頼んだ。
翌朝、起きてみれば、意外に目覚めが良かった。
ワイルブリッジ家が用意してくれた服に着替えると、1階に降りて行く。
まるで俺が降りて来る時間が分かっていたかのように待ち構えていたワイルブリッジ家の執事に案内され、ある部屋に入ると・・・。
「えっ」
おっさんとスタンディッシュがいるのは当然だ。
だが・・・。
「何故、グラントに、グリフィンまでいるんだ!?」
優雅にお茶を飲んでいたグラントは、
「おはようございます。無事で何よりです」
何やら口いっぱい頬張っているグリフィンは俺に向かって、手を上げた。
「グリフィンね。今日は昼から領地で祭があるのに、来たんだよね。それよりさー、ダンレストン公爵領は祭が多過ぎない?毎月やってない?」
と、スタンディッシュが言うと、グリフィンは口の中にあった物を飲み込んでから、ふふんと得意げに笑って、
「今月は我が領民たちの誕生日が一番多い月なんだ。だから、祭をするんだ」
「何それ。意味が分からない」
「昼から祭があるのに、何故、来たんだ。グリフィンは何より領地が大事だろう」
と、俺が怒ったように言うと、グリフィンは頭をかきながら、
「いやー、僕がいなくても、準備なんか出来ちゃうんだよね。邪魔って言われる時もあるし、だから、僕は会場には夕方に行くくらいがちょうどかな?」
「・・・」
領民に邪魔って言われる領主の息子って・・・。
「それにアンドレアスは僕は何より領地が大事って言ったけど、僕はアンドレアスも大事だよ」
スタンディッシュは笑って、
「『も』か。『の方が』とは言わないんだな」
「僕は嘘はつけない」
と、グリフィンが真顔で言って、おっさんやスタンディッシュだけでなく、グラントも笑った。
「・・・」
何故だろう。今、俺は嬉しいと思っている。
俺は何故、こんなに嬉しいのだろう。
グラントとグリフィンが来てくれたからか?
いや、それだけじゃない。
俺も含めて、皆が揃っていることが嬉しくて、堪らないんだ。
俺は生きているんだと、実感出来た。
だが、嬉しく思う自分に反吐が出そうだ。
・・・人殺しのくせに。
「アンドレ」
グラントが俺の前に来て、「どうかしましたか?おしゃべりなアンドレが黙ったままだなんて、びっくりですよ」
「その顔のどこがびっくりしてるの?」
「マシューはいっつも同じ表情だよね。アンバー家、恐るべし」
「だが、アンバー公爵は無表情に見えて、そうではないと言うか、何となく違いが分かるよな」
と、おっさんが言うと、スタンディッシュは手を叩いて、
「あの無表情の違いが分かるなんて、バーニーは凄いなあ!よっ!さすが年の功!」
「私はそんなに年ではない!」
と、おっさんは真っ赤になって怒ったが、俺の顔を見て、目を見開いた。
「・・・くっ」
涙が溢れて来て、俺は皆に見られないように左手で両目を隠した。
しいんと静まり返る。
「・・・った。殺したくなかった」
「俺はっ、五大公爵家の人間だっ、民を守らなきゃならない、五大公爵に俺は、ならなきゃいけない、なのに、俺はこの国の人間を殺したんだっ」
「でもっ、殺すしかなかった」
「奴ら、迷いなんかなかったんだ、スタンディッシュはちゃんとラムズフォード公爵家の嫡男だと名乗ったのに、誰も逃げなかったっ、普通に考えて、勝てるわけないだろうっ、なのに、逃げないんだよっ、逃げてくれなかったんだよっ、だから、殺すしかなかったんだっ、じゃないと、俺がっ・・・」
「でもっ、殺したくなんかなかったんだっ、殺したいわけないだろうっ、何でだよっ、俺なんか殺そうとしなけりゃ、死なずに済んだのにっ、あいつら馬鹿だっ、馬鹿ばっかりだっ、この国は狂ってるっ、こんな国なんかなくなればいいっ、こんな国だから、俺は人殺しになったんだっ、俺は人殺しだ!」
「アンドレアス!」
おっさんは駆け寄って来ると、俺を抱きしめた。
「お、おい。やめてくれよ。俺、そんな趣味はないんだ。それから、力の加減をしてくれよ。そんなだから、おっさんはもてないんだぞ」
「うるさい。ちょっと黙れ」
「・・・」
「アンドレアスは何も悪くない。お前は何が何でも生きなければならなかったんだ。私がお前と同じ状況になったら、私だって、同じ事をした。それでも、お前が罪を犯したと言うのなら、私も同罪だ。たくさん人が死んでしまったのに、私はお前が生きてくれて良かったと思ったのだから。アンドレアスは私たちの仲間で、私たちの家族だ。生きていてくれて、ありがとう。本当にありがとう。そして、アンドレアスが生きてくれて、良かったと思っているのは、私だけではない。ここにいる人間だけではない。五大公爵家の皆がそう思っている。だから、一人で抱えるな。一人で苦しむな。アンドレアスの苦しみは皆の苦しみだ。アンドレアスの罪は、五大公爵家、皆の罪だ」
「おっさん・・・」
おっさんはようやく俺の体を離すと、俺の頭にぽんと手を置いて、「それにしても、アンドレアスはいくつになっても優しいな」
「はあっ!?」
「アンドレアスは自分では人間らしさや優しさを失っていると思っているかもしれないが、そんなことは全くないぞ」
「うん。アンドレアスは優しいよ。僕に勉強や剣術のコツを教えてくれたしね!」
「グリフィン、教えてもらったって・・・アンドレアスはお前より、6つも年下だぞ・・・」
「そう!アンドレアスは6つも上のくせにと馬鹿にするけど、本当は馬鹿になんかしてないんだ!アンドレアスはいい奴だ!」
俺はいたたまれなくなると、
「グリフィン・・・力説しなくていいから・・・」
「ロクサーヌは優しいよね」
スタンディッシュはうん。うん。と、頷いてから、「僕、昨日は一人で50人くらい殺したのに、平然としちゃってるから、何だか申し訳ないよね。僕はやっぱりまともな人間じゃないよねー」
「そうか?サムは初めての実戦の後、一週間以上、部屋に篭ったじゃないか」
と、おっさんが言うと、スタンディッシュはそっぽを向いて、
「そ、そりゃ、14の時だったからね!色々と堪えたんだよ!だって、今のロクサーヌより2歳も若い時だからね!」
「サム・・・どうして、そんなことを自慢するの?」
「自慢なんかしてないよ!グリフィンなんかフラれちゃえ!」
「やめてくれよ!今、関係ないじゃないか!それに僕だって、頑張ってるんだ!やっと手紙のやり取りが出来るようになったんだから!」
「手紙?それだけ?22歳のくせに何やってるの?だいたいあんな美人がグリフィンなんか相手にしないよ。諦めたら?」
「くそぅ・・・自分が婚約したからって・・・サムもフラれろ!」
「クロエは僕に夢中なんですー。フラれるなんて、有り得ませーん」
「・・・」
スタンディッシュもグリフィンもいつもより明るいと言うか、元気だな。
そうやって、俺を元気づけているのか?
まったく・・・らしくないことをするなよ。
「こら。サム。やめないか。グリフィンだって、頑張ってるんだから。まったく。二人がいるとすぐに話が横道に反れてしまうな」
スタンディッシュとグリフィンの間に入ったおっさんだったが、振り返って、俺を見ると、
「アンドレアス。まあ、こんな頼りなくて、おかしな奴らばかりだが、何があっても、アンドレアスの味方だ。何があっても、私たちがいる。そのことを忘れるな」
俺は頷くと、
「・・・ああ。忘れない。絶対」
・・・俺はこの国や王族に忠誠を誓えると心から言える自信はない。
父上のように立派な公爵にはなれないかもしれない。
だが、ここにいる皆を裏切るようなことだけは絶対にしない。
それだけは、心から誓おう。
「・・・」
「・・・ん?」
気付けば、グラントが俺の頭を撫でていた。
俺は慌てて、グラントの手を払うと、
「何をしてるんだ!」
「え?見たままですよ。貴方の頭を撫でていました」
「撫でるな!気持ちが悪い!俺は固く心に誓っているところだったんだぞ!グラントのせいで、台なしだ!」
グラントは首を傾げて、
「何を誓っていたんですか?」
言えるか!
「アンドレアス様」
ベランダでタバコを吸っていた俺は振り返ると、
「だから、気配を消すなと言ってるだろう」
チャールズ・ラングトリーは眉を寄せて、
「ですから、気付いていたでしょう」
俺は笑うと、
「もう挨拶みたいなものだな」
ラングトリーは俺の顔をじっと見つめていたが、
「良くご無事で」
と、やや震える声で言った。
俺は目を細めてしまったが、
「ラングトリー。俺を誰だと思ってるんだ?」
と、いつもの調子で返した。
すると、ラングトリーは安堵したように息を吐くと、笑顔を見せた。
・・・何だって、そんなにいい笑顔をするんだ?変な奴だな。
「それで、お話とは?」
俺はラングトリーに封筒を差し出すと、
「これをセントクロフト伯爵に渡して欲しい」
ラングトリーは封筒を受け取ると、
「かしこまりました」
「中身は・・・」
「話して下さるんですか?」
「もちろん。・・・セントクロフト伯爵家には五大公爵家の人間を常に守ってくれる人間を育てて欲しいと思っているんだ。いずれ出来る俺の妻や子供に影のように付いていてくれる有能な人間が欲しいと思っている」
「影のように・・・」
「難しいことだとは思う。まず、信用出来る人間を捜すところから始めてもらわなければならないから、時間も労力も要ることだと思う。だが、必要なんだ。どうしても。・・・この手紙にはその旨を書いてあるが、もちろん、こんな面倒なことを依頼するのだから、伯爵には直接会いに行かせてもらう。だから、都合が良い日も聞いてもらえるか」
「・・・いいえ」
「は?」
ラングトリーが俺の頼みに『いいえ』と、言ったのは初めてだ。何故だ?
しかし、ラングトリーは微笑んで、
「誤解なさらないで下さい。私の方から頼んでおきますから、父に会う必要はないと言うことです。そして、私が中心となって、活動することを許してもらうつもりです。セントクロフト伯爵家の名にかけて、アンドレアス様の希望通りの人間を育て上げると約束いたしましょう」
「ラングトリー・・・」
「何だか表情が変わりましたね。次期五大公爵としての自覚が芽生えた・・・と、言うと失礼でしょうか?」
「いや」
俺は首を振ると、「・・・俺、思っていたより弱い人間だったんだよな。スタンディッシュの半分、いや、足元にも及んでいなかった。当然だ。これまで何の覚悟もなかったんだからな。何にも分かっていなかったんだからな。なのに、俺は口だけは達者で、態度だけは大きくて、他人を小馬鹿にして、見下してばかりいた。王子、いや、デヴァレル殿下よりまともな人間だとも思っていた。この程度の俺なんかが、笑うよな。中身が全く伴っていない半端な俺が次期五大公爵だなんて、笑わせるよな。・・・だから、俺は変わってみせる。誰よりも強くなってみせる。先祖や父、仲間にとって、恥じない人間になってみせる。もうふらふらするのは止めだ」
「・・・アンドレアス様・・・」
「ラングトリー。俺はお前の信頼に値する人間になってみせる。・・・だから、これからもよろしく頼む」
俺は頭を下げた。
「アンドレアス様!やめて下さい!」
ラングトリーが叫ぶように言った。
俺はすぐに頭を上げて、
「うん。らしくないから、止める」
「な、何ですか、それ・・・」
「あ、そうそう」
俺はポケットから小切手を取り出すと、「とりあえずの準備金と報酬だ。有能な人間を育て上げるためなんだから、ケチったりするなよ。それから、ほんの僅かな金額でもセントクロフト伯爵家が負担することは許さない。全て、俺に請求を回すこと。いいな?」
「かしこまりました」
ラングトリーは小切手を受け取ってから、それに書かれてある金額を見て、目を剥いた。
「ラングトリー・・・。お前でもそんな顔をするんだな」
俺はつい感心してしまった。
ラングトリーは忙しなく小切手と俺の顔を交互に見ていたが、
「ま、まさか、これは貴方個人の金ではありませんよね?」
「いや、俺の金だが?」
「はあ・・・恐ろしくて持っていたくありません・・・」
「大袈裟な」
俺は笑ったが、「しかし、これからは何かと入り用になるから、俺も節約しなくてはいけなくなったな。タリスと交渉してみるか」
「何人いらっしゃるかは分かりませんが、愛人を切ればよろしいのでは?」
「それは出来ない」
「ええぇー・・・変わるって、ふらふらするのは止めるって、おっしゃいませんでしたかー?」
「そこは変えない」
「はあ・・・」
ラングトリーは脱力したようにベランダの柵に寄り掛かって・・・「おや・・・あれは・・・」
「何だ?」
俺はラングトリーと同じ様に下を見て、「うわー・・・」
真下のいつもは全く人気のない裏庭に、フェリシアと王子、いや、デヴァレル殿下がいた。
フェリシアは顎をツンと上げて、デヴァレル殿下を睨み付けている・・・ように見える。
「・・・嫌な予感しかしない」
「・・・私も嫌な予感しかしません。アンドレアス様。早く行かれた方がよろしいかと」
「だよな」
俺は溜め息混じりにそう言うと、柵を乗り越えようとしたが、ラングトリーは慌てて、俺の腕を掴むと、
「あ、アンドレアス様!何をしようとしているのですか!ここは4階です!それにここにいたことは知られない方がよろしいかと!」
「あ、そうだったな」
「お兄様は恥を知った方がいいのではないですか!?」
俺がようやく裏庭に来ると、フェリシアがデヴァレル殿下を指差しながら怒っていた。・・・お兄様を指差したら、いけませんよ。
「フェリシア殿下」
と、俺が声を掛けると、兄妹が一斉にこちらを見た。・・・こう見ると、似ているな。
「アンドレアス様!」
「いくら人気のない場所とは言え、王女様がそんな大声を上げてはなりませんよ」
しかし、フェリシアは顔を真っ赤にして、
「アンドレアス様は何を呑気な声を出しているのよ!お兄様のせいで、アンドレアス様は死ぬかもしれなかったのよ!私、絶対に許せないわ!」
余計に大きな声になった。・・・。
「あのー、何故、知ってるんですか?」
と、俺が聞くと、フェリシアは鼻を鳴らして、
「私が何にも知らないお飾りの王女だなんて思わないでちょうだい」
俺は思わず溜め息をついてしまったが、
「そんなことは思っていませんよ」
「でも、お兄様はそう思っているのよ。お兄様は人を見下すことが好きで好きで堪らない人ですもの。言っておきますけど、お兄様はたまたま王族として、生まれただけであって、人して、優れているわけではありませんからね!褒められるようなことすら何一つしていませんからね!」
「フェリシア!兄にそんなことを言っていいと思っているのか!」
デヴァレル殿下が鋭い声を上げたが、フェリシアは全く臆することなく、デヴァレル殿下を睨みながら、
「ともかく、丁度、良かったわ。・・・お兄様。アンドレアス様に謝って下さい。自分がどれだけ愚かなことをしたのか分かっているでしょう。まさか、そんなことが分からないほど、頭がからっぽだなんてことはないでしょうね!悪いことをしたら謝るのは当然でしょう!お兄様のせいで、アンドレアス様とスタンディッシュ様は死ぬところだったんですからね!」
俺はフェリシアの前に立つと、
「フェリシア殿下。待って下さい。反五大公爵派は以前から存在していましたし、デヴァレル殿下が差し向けたわけではありません。ですから、謝ることなど何一つありませんよ」
フェリシアはまた鼻を鳴らして、
「そうかしら?お兄様は望んでいたかもしれないわ。アンドレアス様が死ねばいいって思っていたかもしれないわ」
「ー・・・!」
デヴァレル殿下の顔色が途端に真っ青になる。
それは、言い当てられたからではなく、実の妹に自分が人の死を願うような人間だと言われたせいだ。
そして、悔しさなのか怒りなのか・・・悲しみなのか分からないが、わなわなと唇が震え始めた。
「何も言い返せないのはそういうこと・・・」
だが、フェリシアは尚も言葉を重ねようとする。
「フェリシア殿下!それ以上はなりません!」
俺はこれまでのフェリシアよりも大きな声を上げていた。
「!」
フェリシアはハッと息を呑んだ。
「実のお兄様に対して、そのようなことを言ってはいけません。フェリシア殿下だって、本当はデヴァレル殿下がそのような方ではないことは分かっているでしょう」
フェリシアは俯きながら、
「でも、お兄様が・・・悪いじゃないの・・・だから・・・」
「少し落ち着きましょう。あ、お茶を飲まれた方がいいのではないですか?落ち着いたら、改めて、デヴァレル殿下とお話をする機会を持ちましょう」
・・・フェリシア。そうすると言ってくれ。
とりあえず、この場はこれで終わりにして、後はクロエを呼んで、兄妹の間に入ってもらおう。うん。クロエには申し訳ないが、それがいい。俺、この場から離れたい。デヴァレル殿下の視線を痛いくらい感じてるんだ。だから、ともかく、離れよう。
何てことを企んでいたが、
「ロクサーヌだって、私を疑っているのだろう」
と、デヴァレル殿下が震える声で言った。
俺は振り返った。
デヴァレル殿下は俺を真っ直ぐ見据えながら、
「何故、私を責めない!死んだって、おかしくはなかったんだろう!?私を恨んでいるのだろう!?なのに、何故、何も言わない!私に恩を着せたいのか!?私を馬鹿にしているのか!?私は昔からそんなお前が嫌いだったんだ!お前は私だけが愚かな人間だと思わせることばかりするんだ!」
「お兄様!よくもそんなっ」
「フェリシア殿下」
俺はフェリシアに向かって、首を振った。
「ふぬぬ・・・」
フェリシアは口を尖らせ、眉はこれ以上ないくらいしかめている。王女がけして見せてはいけない変な顔をしながらも、何も言わなかった。いや、変な声は出しているが。
俺はまたデヴァレル殿下に顔を向けると、
「確かにデヴァレル殿下が父の病状を漏らさなければ、私は昨日、人を殺さずに済んだかもしれません。・・・ですが、デヴァレル殿下が私の死を望むような方だなんて微塵も思っていません」
腹は立ったが、それは疑わなかった。
俺は、デヴァレル殿下のことを理解など全くしていない。理解出来る程、話したこともないし、理解したいとも、話をしたいとすら、思っていなかった。
それに、やっぱり、王子のことは嫌いだ。好きになれるとは思えない。
だが、俺は変わると決めた。それはデヴァレル殿下との関係性も含まれている。
だから、これまでのように簡単に諦めてはならない。簡単に投げ出してはならない。
将来、この方は国王となって、俺は五大公爵となるのだから。
「そして、今後もそのようなことはけしてなさらないと信じています」
・・・それから始めないと、何も始まらないまま終わってしまう。
デヴァレル殿下は俺の言葉が信じられなかったのが、半ば唖然としていた。
だが・・・。
「おっ」
・・・おっ?
「お前は馬鹿だ!何が信じるだ!私を信じたいなど、それこそ、微塵も思っていないくせに!私が喜ぶとでも思っているのか!?」
と、デヴァレル殿下は噛み付くように言ったが、
「あら。そう?お兄様。とっても嬉しそうよ」
フェリシアがおっとりとした口調で言った。
すると、デヴァレル殿下は真っ赤になって、
「断じて、違う!」
そう言い放つと、凄い勢いで歩いて行ってしまった。
「・・・」
「・・・」
残された俺とフェリシアはしばらく言葉を失っていたが、
「まあ!お兄様ったら、結局、謝らなかったわ!困った人ね!」
俺は吹き出してしまったが、
「まあ、いいですよ。・・・初めて、目を見て、話をしたんで」
・・・デヴァレル殿下と出会って、10年以上経っているが、目を見て、話をしたことすらなかった。
「あれが話と言えるの?何がいいの?殿方って、良く分からないわ。理解不能よ」
「まあ、フェリシア殿下は殿方を理解なんか出来ないでしょうねー・・・」
「まあ!?どういう意味!?」
「そのままの意味です」
と、言って、俺は笑った。
この時にはもうくだらない喧嘩をすることは止めようと俺は決めていた。
だが、喧嘩を吹っ掛けてくる上級生もいなくなった。
それがデヴァレル殿下のお陰だったと、フェリシアから教えてもらえたのは、もうしばらく後のことだ。
フェリシアは不機嫌そうに眉をしかめていたが、
「アンドレアス様。何だか人が変わったようよ」
「まあ、人間、あんな状況に追い込まれたら、多少、人生観みたいなものは変わってしまうんじゃないですかね?」
フェリシアは目を細めて、
「・・・恐ろしかった?」
「・・・ええ。とても」
と、俺が答えると、フェリシアは今度は目をまんまるにさせて、
「本当に変わったわね!だって、以前のロクサーヌ様なら、恐ろしかったと素直に認めなかったのではないかしら?」
俺は苦笑いして、
「まったくだ。その通りですね」
「ねえ、アンドレアス様。・・・今回、罪が全くない方々だとは言えないけど、たくさんの人が死んでしまったわ。でも、私、アンドレアス様がご無事で良かった。って、何よりそう思ってしまったの。・・・私、きっと、王族として、間違っているわよね?」
「・・・いいんじゃないですか?王族だって、人間なんですから。フェリシア殿下は喜怒哀楽がはっきりしてて、人間くさいところが魅力なんですから」
フェリシアは首を傾げて、
「それって、褒めてるの?」
「もちろん。・・・ですから、そんな貴女にグラントの傍にいて欲しいと思いますよ。・・・ずっと」
フェリシアはカッと赤くなると、
「ど、ど、どういう意味?」
「ですから、そのままの意味ですよ」
フェリシアとは違い、俺たちはもう既に、ごく普通の人間として、必要なもの、大事なものが失われてしまっているのかもしれない。
スタンディッシュが良く言っている『まともな人間』ではないのかもしれない。
この国のようにどこか狂ってしまっているのかもしれない。
「アンドレ!」
そこへ、グラントが息を弾ませながら、走って来た。
「グラント」
「マシュー様」
「あれ?デヴァレル殿下は?」
俺は吹き出すと、
「グラントがそんなに走るなんて、珍しいな。俺とデヴァレル殿下が殴り合っているとでも思ったか?」
「そ、そういう訳ではないが、偶然見掛けて、心配になって・・・」
「心配には及ばない」
「そうか・・・」
グラントは額に滲んだ汗を手の甲で拭った。
それを見たフェリシアが、
「ま、マシュー様、よ、良かったら、どうぞ」
頬を染めながら、おずおずとハンカチを両手で差し出した。おい!兄君や俺に対する態度と違い過ぎるぞ!
「あ・・・」
グラントも珍しくほんの少しだが、目の下を赤くしながら、ハンカチを受け取ると、「遠慮なく、お借りします。・・・ありがとうございます」
・・・グラント、お前、ハンカチくらい絶対持っているよな?
「い、いえ、あ、そ、その、まだ使ってませんから、綺麗ですから・・・・」
フェリシアはやや俯きながらもじもじとしている。
「・・・は、はい」
と、グラントが声を出した。・・・?『は、はい』?それだけか?もっと、何か言えよ!
俺は甘ったるい空気に耐えられなくなると、
「あ!俺、急用を思い出した!」
「「え?」」
俺はグラントの肩を叩くと、
「グラント、頼みがある!フェリシア殿下のお茶に付き合ってやってくれ!」
「えっ!?」
「アンドレアス様!?」
「じゃあ、俺、急ぐから!」
俺はフェリシアの『待って!行かないで!』の声を無視して、その場から走り去った。
もういい加減、進展させろ!でなきゃ、こっちが苛々する!
フェリシアのような人間が守れるなら、俺たちの子供の世代が俺たちが既に失ったものを失わずに済むのなら、俺たちが犠牲になってもいいのではないだろうか。
本当は結構気に入っている『キャス』の愛称を持つ女の子が今の俺の年になる頃、今より、ほんの少しだけでも、良い国になっていれば・・・どんなにいいだろう。
「お父しゃま!お帰りなしゃい!」
しかし、人生とは面白いもので、俺は『カサンドラ』の名付け親ではなく、実の父親になっていた。
「キャス!ただいま!」
そして、響きが可愛らしいその愛称を俺はこの命が尽きるまで、深い深い愛情を込めながら、呼び続けることだろう。
次回で番外編の第一弾は完結となります。
視点話がありながらも、やはり、マリアンナさんは夫と比べると影が薄いのですが、悪魔のような男に騙されているとは知らず、舞い上がって、はしゃいでいる姿に作者が耐えられなくなり、予定より短縮させていただきました。
キャスのもう一つの名前候補だった『キャロライン』は本編のどこかで登場します。
ああ。なるほどな。と、思われるかもしれません。
最後に・・・『カサンドラ』と言うカーネーションがあると感想で教えていただいたところから、この番外編が出来たと言っても過言ではありません。
教えて下さって、ありがとうございました。