最終話
目を開けると、真っ白な空間だった。
「おや、気付きましたか」
そう言って僕をのぞき込んだのは──大きなトランプが顔になっているタキシードだった。
「……!!」
慌てて飛び起きる。
トランプの男は、下半身がなかった。白い手袋をはめていたけれど、そこからのぞいているはずの手首も透明だ。
僕は、彼女の言葉を思い出した。
「もしかして──死神?」
死神の顔になっているトランプはクラブの7だった。
「私はただの説明係ですけど、皆さんそうおっしゃいますねぇ」
顔のマークがスペードの3に変わる。どこから声が出ているのか分からないけど、死神は言った。
「残念ですが、あなたは死にました」
……そうなんだ。でも、ここに来て死神を見た時点でそうじゃないかと思っていたけど。
「いやぁ、さすがサッカー部のエース、田中くん。ひとたまりもありませんでしたねぇ。可哀想に」
サッカー部の田中というのは、僕を蹴ったヤツだ。
「すごい。全然同情しているみたいに聞こえないね」
「ハハハ、よく言われます」
死神が自分の頭に手をかざすと、トランプがパラパラと音を立てた。
「さて、あの少女から聞いたと思いますが、もう一度説明を」
そういえば、彼女はどこに行ったのだろう。
「あの、その女の子は今はどこに……?」
僕が訊くと、死神はまた、軽い調子で答えた。
「ああ。あの少女は残念ながら、地獄に落ちました」
「どうして!?」
自分でも、驚くくらいの大声が出た。死神が、両手を上げて驚いた仕草をしてみせた。
「あなたをそそのかしたからですよ」
「そんなことないよ!」
「ありますよぅ。だって、あなた田中くんに蹴られた時に、こちらのことを考えたでしょう」
図星だった。
「こちらのことを知らなければ、あんな風にやすやすと蹴られたりしましたか? きっと、もっとよける努力をしたんじゃないですか?」
僕は黙ってしまった。これで死ねば、彼女と同じ条件になると安直に考えてしまった自分がいた。
「それに、彼女も最後の最後ではあなたを連れて行こうとしたんですよ。本気でね。こちらも驚いて連れ戻しましたが……いやいや、まさかあなたが本当に死ぬとは」
最後に、彼女が何か言おうとしたことを思い出した。涙が出て来た。僕はこんなこと望んだんじゃない。
「僕が……僕が代わりに地獄に行く」
死神が、どこからかハンカチを取り出して、僕の顔を拭いた。
「それはできません」
「どうして!? 連れて行ってほしいと頼んだのは僕だよ!」
僕は、死神の腕を払いのけた。
「規則ですからねぇ」
死神は、落ちたハンカチを拾い上げた。
「地獄って、やっぱり辛いところなの?」
死神は、ハンカチをたたんでパンパンとはたいてポケットに直した。
「さぁ。管轄外ですからねぇ。でも、やっぱり地獄っていうくらいだから相当苦しいんじゃないでしょうか?」
「……そんな……」
死神の顔のトランプがパラパラとめくれて、ハートのクィーンになった。
「でも、まだ全部の望みがなくなったわけじゃないですよ?」
「……え?」
死神が、ポケットから鈴を取り出した。彼女がスカートにつけていた、あの鈴だった。
「こちらにも落ち度はあるのです。彼女に生きている人間に接触するなと言う事を忘れたのです。まさか、彼女と同じ境遇で、しかも彼女が見える人がいるなんて思わなかったものですから」
死神が、僕の手のひらに彼女の鈴を落とした。
「あなたも彼女と同じように旅に出るのです。色んな世界やたくさんの人々を見た上で、あなたが本当に生まれ変わりたいと心から思った時には使いが迎えにいきます。その時、彼女にはもう一度旅をするかどうかを決める権利を与えてあげましょう、とのことです」
「……何だか、納得がいかない」
彼女だけが、不利な状況に追いやられているような気がした。
死神の頭のカードがパラパラと混ざり始めた。
「でも、それしか選べませんよ? それに、私だって責任をとらされるのです。これからは自殺者担当ですよ。言う事を聞かない人が多いらしくって、今から憂鬱ですよ……」
トランプの柄がクラブのジャックになった。
「さぁ、やりますか? やりませんか?」
「やるよ。それしか道がないんだろ?」
その言葉を待っていたかのように、横の壁の一部が開いた。そこから青空が見える。死神は続けた。
「旅の仕方は、さっき言った通りです。まぁ、基本的に自由なわけですが、生きている人間に接触することは止めてください。こちらの世界につれてくるなんて言語道断です。あなたにはちゃんと説明しましたよ? あなたの場合、規約を守らなければ完全に地獄に落ちますからね」
死神の頭のトランプの柄が、ジョーカーに変わった。
「それでは、いってらっしゃいませ」
目の前には空が広がっている。下には、僕が生まれた町が見えた。
僕と彼女は、もう二度と会えないのかもしれない。
こんな世界に美しさなんてあるのか分からないけど、それでも君が旅の途中で感じていたものを僕も追いかけてみるよ。
だから待っていて。希望を捨てないで。
手の中の鈴をそっと握りしめて、僕は一歩踏み出した。
糸冬




