第3話
冷たい雨が降った日、彼女はとうとう現れなかった。僕に吹き付けてきた風は冷たくて、半袖を着ていた僕の腕には鳥肌が立った。
秋になったんだ。
空気が入れ替わって、しばらくは涼しい日が続くって天気予報でやってたな。
“夏の間だけ、この町にいられるの”
そう言っていた彼女の言葉を思い出す。
雨が降っていたけど、屋上を歩き回ってみた。隅っこも覗いてみた。やっぱり彼女はどこにもいない。
僕は、彼女の言葉を分かっていたつもりで、実はちっとも理解なんかしていなかった。
次の日も雨だった。彼女はやっぱり現れなかった。僕は昨日と同じように、屋上中を歩き回ってみたあと、いつも雨の日にしていたように、ドアと建物の境目に腰掛けた。
僕、いつもはどうやって時間をつぶしてたんだっけ?
思いだそうとすればするほど、思い出せない。
僕……これからどうすんだろ? ずっと屋上で一人でいるのかな……。いつまでいればいいんだろ。クラス替えまで? 卒業するまで?
そんなの無理に決まってる。昼休みの一時間だって耐えられないのに。
その日、僕はチャイムが鳴っても教室に戻らなかった。夕方になるまでずっとドアのところにうずくまっていた。
その次の日は晴れだった。
もう彼女がいないことは分かっていたのに、屋上に向かった。僕にはもう、学校での居場所が屋上しかない。あいつらに冗談半分で殴られたところがズキズキと痛んだ。
屋上のドアを開けると──彼女が立っていた。でも、体が半分透明になってる。
鈴の音だけが、変わらずにハッキリと聞こえた。
「もう、行かなきゃならないの」
「うん……そうみたいだね」
喋ったからか、口の中にじんわりと血の味が広がっていく。
彼女は僕に近づいて、僕の顔を触った。
「これ、あいつらにやられたの?」
彼女の指が顔に触れていることが分かるのに、触られてる感覚がない。
「ごめんね、あたし何にも出来なくて」
ううん、君があいつらに何かする必要はないんだ。
「また、来年の夏になったら会える?」
かろうじて、それだけ言えた。彼女が、首を横に振る。
「ごめん。分からない」
どうして? 僕のことがイヤになったの? その時の僕は、とても情けない顔をしていたと思う。
彼女は、今までで一番困った顔をして僕を見ていた。
「あたし、旅をしてるって言ったよね? それって生まれ変わるためなんだって死神が言ってたの」
「死神?」
死神って本当にいるんだ。
「うん。トランプみたいなヤツよ。その死神が言うには、あたしみたいにして死んだ人間は、この世界の本当の美しさを知って、また生まれ変わりたいと心から思う時まで旅をすることが許されてるの」
「それで、君はまた生まれ変わることができそうなの?」
信じられない。こんな世界にまた生まれたいなんて。
彼女は軽く頷いた。
「死んでしばらくの間は、とってもつらくて苦しかったの。歩くこともできないくらい。でも、今はだいぶ薄らいだ。きっと、色んな世界やたくさんの人たちを見たからだと思う」
何だか、今の僕のほうが死んでるみたいだ。
「……僕も死んだら、君みたいに自由になれるかな?」
「え?」
彼女が戸惑った声をだす。
「ねぇ、僕も連れて行ってよ。僕はもう、こんな所にいたくないんだ。一人は嫌なんだよ」
しばらくの沈黙の後、彼女は口を開いて何か言おうとした。
その時、突然、黒いもやのような煙がものすごい勢いで立ち上って来て、僕と彼女の間を遮った。
それから、背中にものすごい衝撃が走って、僕は前のめりにつんのめった。
「こんな所でボーっと立ってられちゃ、迷惑なんだよ」
同時に、何人かの笑い声がする。顔を上げるといつも僕に嫌がらせをするヤツら四人だった。
黒い煙と彼女は消えていた。
「お前、最近生意気なんだよね」
「こりゃ、オシオキが必要かなぁ」
あいつらは、そう言ってヘラヘラと笑ってる。
悔しくて、睨みつけようとした時に、鈴の音が耳に入った。
音がした方向に目をやると、彼女がつけていた鈴が風に吹かれてコロコロと転がっていくのが見えた。
あいつらは、きっと鈴を踏みつぶしてしまうだろう。
僕はとっさに鈴を拾おうと体をのばした。
「人が話してる時に何やってんだよ!」
僕の近くにいたヤツが、思いっきり僕の腹を蹴り上げた。口の中に酸っぱい物がせりあがってきたと思ったら、急に視界が暗くなって何も見えなくなった。




