表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/30

8、覘きとジョーと強盗と


 家の扉が開く音がして暖炉の火を見ていたイヴリールは顔を上げて「お帰り」と迎えた。

 一緒に村の川に水浴びに行ったはずの美羽を連れていないタバサに首を傾げると、母は微妙な顔をして先に戻っていて欲しいと頼まれたのだと答える。


「随分暖かくなってきたから水が気持ちいいのでゆっくりしたいって言って」

「のんびりしてたら日が暮れる」

「そう言ったんだけど、暗くなる前には帰るからって……」


 浮かない顔をしているのでタバサも随分引き下がって声をかけたのだろうが、頑なに美羽が独りにして欲しいと頼んだのだろう。


「あいつ……!ほんとに世話の焼けるっ」


 目が見えにくい癖にひとりで薄暗い森の道を歩いて帰るつもりか。

 舌打ちをして立ち上がるとタバサと入れ替わりで外へ出る。

 空は青さを薄れさせて太陽の光も柔らかくなっていた。


 足早に森を行き、見えてきた村の入り口を超えて中央の広場まで出るとそこから左側へと進路を取る。

 木の柵で木戸が作られそこには“本日女性限定日”と記された板がかけられていた。

 その前で立ち止まり美羽が出てくるのを待つ。


「イヴ?どうしたの、珍しい」

「……お前か」


 水浴びを済ませたローラが林の中の道を歩いて来て木戸を挟んで向き合う。

 村の川は日替わりで男女が入れ替わって使用する。

 川の傍に着替えの為の小屋が建っており、ぐるりと周囲を高い塀で覆われていて女が安心して水に浸かり汚れを落とすことができるのは村の川だけ。


 イヴリールはわざわざここを使わなくても家の傍の川で済ませられるが、タバサと美羽はそうはい

かないので村まで足を運んで水を使っている。


「あー……」

「言わなくても解るわよ。あの女を心配して来たんでしょ?本当に過保護ね。鬱陶しい」


 顔の右側半分を歪めてローラが川の方へと視線を向けた。

 汚れた衣類を洗った物を籠に入れて下げている幼馴染は清潔な服に身を包んでいる。


「暗い顔して川に浸かってる姿を見てたら鬱陶しいを通り過ぎて哀れになって来たわよ。いつもは私がきつい言葉を投げると、気持ち悪い顔で笑ったり下手くそな片言で喋ってくるのに……今日は一言も返してこなかった。なんかあったの?」


 川で洗っただろう赤毛の髪がくるくると巻いた後れ毛が耳元にかかっていてどことなく艶っぽい。

 白い肌がほんのりと赤らんでいるのにもつい目が行ってしまう辺り、イヴリールも男なのだと自覚する。


「イヴ?聞いてるの?あの女、どうしたのよ?」

「え?ああ……。悪い。今まで見ないようにしてた問題をこれ以上そのままにはできないってことに気付いて焦ってんだ。小父さんから聞いてるだろ?あいつがこの世界じゃない別の世界から来たって」

「信じられないけど、あんな恥ずかしい格好してても平気だって感覚の人族がこのグリュライトにいるとは思えないし」

「あいつは帰りたがってる。家族が心配してるはずなのに、こっちで暢気に生活している自分が許せないんだ。待ってたって迎えは来ないから、帰る為の努力を怠ったら本当に帰れなくなるって怯えてる」

「それで……あの暗さなのね」


 ローラは目を伏せてため息を吐くと、深く同情した顔を上げてイヴリールを見上げる。

 目が合うとにこっと微笑んで木戸に手をかけて出てきた。


「帰りたくても帰れないなんて私には想像もできないわ。きっと辛くて、寂しくて、不安なんだと思う。あの女の気持ちが解るのはきっとイヴだけだわ」

「お前」

「気づかないと思う方が馬鹿よ。イヴはいつも西の空を睨んで、そして恋焦がれて見てた。セロ村に来てからずっとね。私は傍でイヴを見てきたから解る」


 黒竜の里へ戻りたいと思っていても、口にしたことは一度も無い。

 そんなことを言えば母を裏切ることになり、そして父を慕っているのだと思われる。


 だからそっと胸にしまって今まで生きて来たのに。

 ローラに見抜かれていたとは。


「言っとくけど、諦めたわけじゃないからね」


 手を伸ばして木戸に掛けられた札を引っくり返して“使用禁止”にしてローラは手を振って歩き出す。


「おい」

「多分あの様子じゃ、中まで迎えに行って怒鳴りつけないと出てこないんじゃない?」

「中までって!」

「塀の外から呼べば~?」


 事も無げに応えてさっさと帰って行く背中を為す術も無く見送って、悩んだ挙句西の空を見て紫色が滲み始めたのを確認すると決心して木戸を押して入った。


 妙に軋んだ音を立てて戸が閉まり、イヴリールは戸惑いながらも進んだ。

 誰かに見られでもしたら女の水浴びを覗きに行っていると騒がれてしまう。


 ローラに嗾けられて迂闊な行動をしているのかもしれないと動揺する一方で、美羽の事を快く思っていないはずの幼馴染が迎えに行ってやれと同情するほど落ち込んでいるのかと心配でじっとしていられない。


「面倒ばっかりだ」


 愚痴をこぼしながら、どうしても放っておけない自分の矛盾に心がぐちゃぐちゃに掻き乱される。

 きっとローラが言ったように美羽の心情や状況に同情し、本当の意味で解ってやれるのはイヴリールだけだから気になってしまうのだ。


 林の中は随分薄暗くなっていた。

 川から出るように急がせて家に帰らねばタバサが心配する。

 目の前に板塀と小屋が見えてきた。手早く済ませて帰ろうと速度を上げようとした時、塀の前に人の気配と言葉を交わす小さな声に気付いて歩を止める。


 人影は五つ。


 薄暗くてもイヴリールの視界はくっきりとその姿を映しだす。


「────なにやってんだっ」

「「うわっ!」」


 飛び上がって悲鳴を上げたのは二人。

 驚きすぎて声が出なかったのが一人。

 動じなかったのが二人。


「なんだ?イヴも覗きに来たのか?」


 陽気な声で動じなかった一人である五人の中で一番年長の男、ジョーが華やかな顔に笑みを浮かべてイヴリールを見る。

 歓迎するように両手を広げるので「ばかかっ!」と怒鳴ると少年の域を出ない悲鳴を上げた片割れが「声が大きいよ!」と小さく叫んで慌てる。


「女に不自由してない奴がなに覗きなんてやってんだっ」

「イヴこそばかだな~」


 爽やかだと女が騒いでいる声と笑顔でジョーは嘆く。

 イヴリールの愚かさを。


 何故ばかだと言われねばならないのかと腹を立てていると「女には不自由してなくても、異国の女の裸には興味があるんだよ」さらりと口にされた言葉に頭の中が真っ白になった。


「ちょっと、ジョー。イヴの気持ちを考えて、もう少し言い方を変えるとかしないと」


 柔和な顔に申し訳なさを張り付けた、動じなかったもう一人に腕を伸ばしてその首に巻きつけぐいっと引き寄せた。


 髪に服に染みついた薬草の匂い。


「あろうことかグリッドまでいるとは!お前、紳士はどうした!?」

「落ち着いてよ。イヴ。おれだって男なんだからさ」

「そうだ、そうだ!少し覗くくらいいいだろ」

「……………お前等!」


 覗きを正当化させようとしている若い男達を見渡して、イヴリールは怒りを爆発させた。


「異国の女だろうがついてるもんは同じもんだ!村の女を覗けば問題になるからって、美羽を覗こうってその精神が醜いぞ!俺に覗いていたと吹聴されたくなかったらさっさと帰れ!!」

「「「ひいっ!」」」


 恐れ戦いて若い少年達は年長者を残して逃げて行った。

 地に足がついていない不安定な走り方で、途中で何度も足を縺れさせ転びそうになりながらも必死で駆ける。


「…………可哀相に。竜族が本気で怒れば人族は怯えるさ。イヴ少し自覚して手加減してやれよ~」


 ジョーがイヴリールを責めるように見るので、構わずに空いている方の手を伸ばしてその胸元を掴むと引き寄せた。

 「ちょっと!勘弁。俺は男には興味ないからさ」と尚も軽い口調で宥めようとする。


「俺にもあるわけないだろっ!」

「ぐわっ、痛ぇ!」


 首を反らしてから思い切りよくジョーの形の良い額に向けて頭を振り下ろす。両手で額を押えて蹲るジョーを見て、グリッドが流石にまずいと察して真面目な顔をして「ごめん。悪ふざけが過ぎた」と早々に謝ってきた。


「……まったく、お前等いい加減にしろよ。いつまでガキみたいなことしてんだ」

「そうは言うけどよ~。ああ、痛い。くそっ、手加減しろよ。俺に何かあったら泣く女が沢山いるんだからなー……」


 涙目で痛みを堪えているジョーが下から視線を上げて訴える。

 それを鼻で笑って流してグリッドの首から手を離す。


「泣く女が山ほどいるのなら、覗きなんてするな!それこそ嫌われて、捨てられるぞ」

「だからただの好奇心だって。イヴが妬かなくても、俺は村と隣町に可愛い子が待っててくれるから心配しなくても大丈夫だし」

「誰が!妬くか!」

「そこは妬いてあげなよ」

「グリッド!お前、何言って」

「ミュウのこと放っておけないって顔に書いてあるよ?なんだかんだで仲良さそうだしさ。村の女の子の半分はイヴを取られちゃったって泣いてたり、悔しがってるくらいイヴが相手にミュウを選ぶってみんなが思ってるよ」

「そうそう。さっきだって、『異国の女でもついてるものは同じだ!』って言ったのを聞くと、もうそういう仲になってるんだなと俺思っちゃったし~?」

「そういう意味じゃなく、常識の範囲での意見だ!」

「まあまあ、落ち着いて」

「誰が怒らせてんだ!」

「いちいち感情を乱して怒るってことは、イヴは真剣にミュウのことを考えてるってことなんじゃないのか?」


 ジョーがにやりと笑って立ち上がり「おー、痛っ」と額を擦って村の方へと歩き出す。

 言いたい事を言って満足した顔で去って行くジョーにイヴリールは舌打ちする。


 華やかな見た目と、爽やかな笑顔で女を虜にする男はイヴリールとグリッドより二つ年上で、相手は幾らでもいるのに世帯を持とうとはしない。


 理由はひとりの女に決めるのが勿体無いからだと嘯いているが、ジョーが初恋の女性を忘れられないのだと噂で聞いたことがあった。

 本当かどうかは解らないがどの女とも本気では無く、戯れに遊んで面倒になると別れては次の女へとふらふらとしている。


 決して人を好きにならないと決めているのに、寂しいから女を求める。

 そんな男を女は何故か優しく受け入れて、捨てられても文句を言わず次の相手がジョーを本気にさせてくれればと願うのだ。


「ダメ男なのに、女はジョーに甘い」

「ジョーは欠点だらけだけど、純粋で女心を擽るのが巧いから」


 くすくすと笑ってグリッドも歩き出す。

 気付けば空は薄闇を連れて月の姿も見えている。

 足元が暗くて不確かになるのを心配して「気をつけろよ」と声をかければ、グリッドは立ち止まりこちらを振り返った。


「イヴ。ローラも泣いてたよ。他の子と同じように」


 グリッドの声には非難が混じっていた。

 それなのに優しげな面には見ている方が辛くなるような悲しい笑みを浮かべて。


「そんなこと」


 言われてもイヴリールにはどうしようもない。

 目の前で泣かれたわけでもないので慰めることも、言い訳することもできない。

 謝罪するのもまた違う。


「ただ、知っていて欲しくて」


 イヴリールの戸惑いを感じてグリッドは自嘲気味に笑うと手を振って立ち去った。

 友人の気落ちした後ろ姿をじっと眺めていると小屋の方から扉が開く音がする。


 のろのろと顔を向けると美羽がビクリと身体を竦ませて、眉間に皺を刻んで目を細めると「あの、えと誰ですか?」とたどたどしいグリュライトの言葉で誰何してきた。


「…………遅い。どれだけ川に浸かってたんだ!ふやけて更に見られない顔になるぞ」

「ふえ?イヴ?さっき、外で男の人の声がしてたから、もしかして強盗かと……」

「強盗が恐かったらさっさと出てこい!こんなに暗くなって、どうやって帰るつもりだったんだ」

「もちろん歩いて帰るつもりだったけど」


 他に方法はないじゃんと美羽が怪訝そうな顔をするので、近づいて抱えていた籠を引っ手繰る。

 その中には洗われた衣服が入れられており、その上に布がかけられていた。


「ちょっと、それ中に下着も入ってるんだから返して!」


 慌てた美羽が手を伸ばしてくるがそれを躱して歩き出す。


 林の向こうに村の家々の灯りがぼんやりと浮かび上がっているので、暗くてもそこを目指せば村には辿り着く。

 だがそこから村外れの森の中の家までは日が暮れれば真っ暗で、なんの目印も無い道を不自由な目で歩くことはできない。


 道を外れて森の奥へと入り込み、うろうろと彷徨って完全な迷子になる。

 そしてその闇雲に歩いた遭難者を探し出すには森は広く困難だ。


 見つかる前に獣に襲われたり、高い場所から落ちたりして怪我をするか下手すれば死を招く。

 見つからなければ生き抜く事は出来ずにやはり死ぬだろう。


「イヴってば!」

「……心配してた」

「へ?」

「ローラが」

「う、なんだ。ローラさん?そういえば川で一緒だったから。心配してくれるなんてローラさん優しいね。いつも私に声かけてくれるし、『なにやってんのよ!』って怒りながら教えてくれたり、手伝ってくれるんだ。彼女、いい子だよね」


 へらりと笑って美羽がイヴリールの横を歩く。

 その髪が濡れたまま拭いていないのか、ぽたぽたと水滴を垂らして肩を濡らしている。

 巻いているスカーフの色が濃くなっているのでやはり水気を取らずに着替えて出てきたのだろう。


「お前なんで拭いて出てこないんだ」

「え?だって、外で男の人の言い争うような声が聞こえたから恐くなって……。慌てて川から上がってよく拭かずに着替えちゃったから。さすがに裸で強盗と行きあうのはいやだなって思ってさ。そういえばイヴ誰と喋ってたの?」


 村の若い連中が五人覗こうとしていたとは言えないので黙っていると、美羽が「もしかして」と胡乱な顔をする。


 ばれたのかと身構えると「脅かして私が飛び出してくるのを笑ってやろうって思ってたんでしょ!」見当違いの答えに脱力したが、他に言い訳が見つからなかったので曖昧に頷くと唇を尖らせて「趣味悪い」と文句を言う。


 村を出て森の入り口に着くと見慣れたはずの道が雰囲気を変えて暗闇の中へと吸い込まれているように見えることを知り美羽が息を飲む。

 

美羽の目には道も木の輪郭も見えてはいないだろう。


「ほら」


 左手を差し出して促すと激しく動揺して、掴むべきか悩んで手を出したり引っ込めたりしているので面倒臭くなりこっちから動いて掴んでやる。


「お前の目じゃ見えないだろ」

「え!?」


 美羽は自分の目がよく見えないのだと誰にも言っていない。

 タバサにも、イヴリールにも。言わない理由は解らないが、言わないということは知られたくないのだと判断し、その事を知っているのは気づいたグリッドとイヴリールのみ。


「俺は黒竜だからどんなに暗くてもはっきり見えるんだよ。羨ましいか?」


 だから知らないふりをする。


 美羽が目を瞬いて眉を寄せると「また竜族の特殊能力?どんだけ便利なんだか」不満げに呟いて顔を背けた。


 明らかにほっとしている様子の美羽にイヴリールはため息を吐く。


 繋いだ手の指が冷たくて、こんなになるぐらい川に浸かっていたのかと呆れた。

 そしてその冷たさを感じることができないぐらいに落ち込み考え込んでいたのだと思うと、己の無力さに打ちのめされそうになり悔しかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ