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番外編 グリッドの本音




「しんし!」


 森で薬草を摘んで帰る途中の道すがら後ろの方からミュウの声が聞こえたが、まさか自分を呼んでいるのだとは思わずにそのまま歩いているとぐいっと肘を掴まれた。


 振り返るとミュウが眉間に皺を寄せてつま先立ちして「しんし?」と再び繰り返したので「もしかして……しんしっておれのこと?」まさかとは思うがそう尋ねるとミュウはにこりと笑って頷いた。


「あのさー……おれの名前“しんし”じゃなくてグリッドなんだけど」

「しんし、ぐり、ど?」

「違う、違う。グリッド」

「ぐりーどっ」

「あ、おしい」


 言いにくそうに口を動かしながらも必死で名前を呼ぼうとしてくれている姿はちょっと可愛い。

 ミュウは右手で頬をパシパシ叩きながらゆっくり「ぐりっど」と発音した。


「おお。言えたね」


 手を伸ばして紺色のスカーフに包まれた頭を撫でると、驚いた様に固まって徐々に複雑そうな表情へと変化する。


「こども、ちがう」


 不服そうな顔で子供ではないのだと訴えられても、厚みの無い身体や細い肩をしていてとても成人した女性には見えない。


 勿論、第一発見者として森で保護したのはグリッドだ。


 その時に着ていた服は肌の露出が多く、ちゃんと胸は膨らんでいたのも尻の張りや丸みを帯びた腿から足首にかけての線は中々の物だったのは確認している。


 それでもミュウを一人の女性として見ることができるかどうかは別の話だ。


「ごめんごめん」

「ぐりど……ぐりっど、きく!だいすき!あいしてる!」

「…………はあ?」


 ここいらの言葉を勉強中だとイヴから聞いているが、あまりにも唐突で脈絡のない単語に流石に面食らう。


 ミュウはにこにこと笑って反応を待っているかのようだが、この場合グリッドがどう返答すれば正解なのか……。


「しんし?」

「あー……また戻ってるよ。ミュウ」

「むずい。なまえ、しんしする」

「いや、そんな名前は辞退させていただきます」


 品があって礼儀正しくて優しく思いやりのある、しかも知的な男をミュウの世界では“しんし”と呼ぶらしい。

 そんな風に遠慮していては女性の気を惹くことは難しく、積極的に行動や態度を示せなければあっという間に他の男に取られてしまう。


 その“しんし”は一生涯独身を貫くつもりなのだろうか?


 全く以て理解に苦しむ。

 まるで腑抜け、臆病者と言われているようで不名誉な名前に聞こえる。


 冗談じゃない。


「あいしてる。だいすき。わたし、あいさつおぼえた。ろーらさん」

「ローラ?」


 ミュウを毛嫌いしているはずのローラの名前が彼女の口から出た所でなんとなく読めてきた。


 挨拶だと教えられた言葉が「大好き」「愛してる」という意味だとミュウは解らない。

 知らずに口にしているのだから訂正してあげた方が良いのかもしれないが、放っておいてもイヴが教えてくれるだろうし……。


 たどたどしい口調で「大好き」「愛してる」と言われると微笑ましく、何とも愛らしいから聞いている方も笑って受け止めるか流してくれるだろう。


 問題は無いか。


「じゃあ、わざわざ挨拶しようと呼び止めてくれたのか。ありがとう。ミュウ」

「わたしうれし。ことばおぼえる。みんな、なかいい。たのしい。もとたくさん!」

「うん。頑張って」

「ありあと。しんし。だいすき!」

「あー……今のちょっとキタ」


 名前が“しんし”だったのが残念だったけど。

 

 そこがグリッドだったらもっとときめいたなー……。


 さっき自分がミュウを一人の女性として見れないなと思った癖に、片言で尚且つ自然な流れで喋られるとドキッとするのだから男とはなんと浅ましい生き物だろうか。


 嬉しそうに手を振って去って行くミュウの背中を見送りながら「気を付けてね」と声をかける。今のはきっと「大好き」=「ばいばい」だったのだなと苦笑いしているとミュウにイヴが近づいて行く。


 どうやら迎えに来たらしい。


「ほんと……面倒見がいいよね、イヴは」


 目の悪いミュウが村から帰る道中を心配しているのだろう。

 一応渋々来てやってるんだと言わんばかりに艶のある黒髪を乱暴に掻き乱しながらミュウに声をかけている。


 それに気付いたミュウは何事か自分の世界の言葉で話した後で「イヴ、だいすき。あいしてる」と満面の笑顔で挨拶した。


「ぶっ!」


 思わず噴き出した。

 仕方が無い。


 イヴが固まって、赤くなったかと思うと青くなり、いつものように怒鳴りつけようとして口を開くがミュウがにこにこと誉めてと言わんばかりに見上げているからそれも出来なくて――。


「あはは!ちょっと、動揺し過ぎだって!」


 腹を抱えて笑っているとイヴが目を吊り上げてにして駆けてくる。

 土煙を上げて迫ってくる姿は鬼気迫る物があるが、付き合いの長い間柄なので笑顔で待つ。


「くくっ。ローラのお陰でいいもの見れた」


 ミュウが困ればいいと思って教えた言葉で結局はイヴを挑発してしまったのだからローラもつくづく可哀相な女だ。


 振り向いてくれない相手を一生懸命思い続けるローラ。

 気が強くて傲慢だが、健気で繊細な一面もある女。


「お前が!教えたのかっ!」

「もしそうなら?」

「笑えない冗談ほどむかつくもんは無い!」

「あはは。ごめんごめん」


 数歩手前で立ち止まりイヴは震える拳を握りしめて秀麗な顔を歪めた。


 竜族は例外なく美しい容姿をしている。

 人族の男がどんなに足掻いても、持って生まれた特殊な美麗さには敵わない。

 村中の女の子たちが夢中になるその顔立ちや、印象的な綺麗な紫の瞳が羨ましい。


 イヴは元々感情を表に出さず、冷たく近寄りがたい雰囲気を纏っていた。

 それは主に女の子に向けての牽制と、無駄な諍いを起こさないためだ。


 幼馴染のローラにだけは今更取り繕うことができないからか、素を曝け出していたようだったが。


 だがミュウが来てからイヴは誰の前だろうが関係なく、奇妙な行動をするミュウを叱り飛ばし、余裕無く苛立ったりするようになった。


 そのことで女の子はイヴにある人間らしい感情を見て更に胸をときめかせたが、ミュウ以外は目に映らない様子に自分の恋が終わったのだと気づく。


 どれほどの女の子が泣いたのか、イヴは知らないだろう。


 グリッドが友人に醜い嫉妬を燃やしていることも知らないはずだ。


 良くも悪くも頓着しないイヴは、他者がそんな思いを抱いていることを気にも留めない。

 グリッドの中に暗い感情があることに考えも至らないのだ。


「ミュウは可愛いね。ほんとに」

「グリッド!正気か?」

「でも、おれを“しんし”って呼ぶの、止めさせてよ」

「ああ?」


 清くも美しくも、優しくも無い。

 真逆の男なのだから。


「イヴ!不味い。ミュウ今度はジョーの所に行ってるよ?」


 耳打ちして指差してやるとイヴが「あのやろ!」と舌打ちしてまた駆けて行く。

 どんなに俊足でも、空を駆けることができても間に合わないだろう。


 ミュウはジョーに向かって「だいすき、あいしてる!」と手を振る。

 自他共に認める女好きの男であるジョーは目を輝かせてミュウを抱き締めた。


「俺も愛してるし、大好きだ。さあ!愛を深めに行こうではないか!」

「いく、いく!」


 肩を抱いていそいそと人気の無い場所へと導いていくジョーにミュウは訳も解らず楽しそうに笑ってついて行く。


「待てっ!こら!」


 イヴが追いついてジョーを背後から殴り飛ばして、ミュウの腕を掴んで森へと帰って行くのを「難儀だねー……イヴは」と呟いて見送った。


 だがもっとミュウに振り回されて苦しめばいいのだ。

 セロ村の娘を泣かせて、若い男を嫉妬に狂わせたのだから。


 これからきっと村に婚姻を結ぶ若者が増えるに違いない。

 その波に乗り遅れないように。


「うかうかしてられないな」




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