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23、弟の謝罪


 銀色の光が雲の上に陰影をつけているのを眺めていると、何処までも広がる闇色の空に浮かんでいるような気分になる。


 心地良い風が流れてきてイヴリールは目を細めて口に笑みを浮かべた。


 開け広げた窓の桟に腰かけて夜空を見ながら風に吹かれていると、まるでここが黒竜の里のような安心感と充足感に満たされる。


「一週間……やっとだ」


 この神殿の中で美羽も同じ景色を見ているだろうか。


 良く見えるようになった目で沢山の美しい物を焼きつければいい。

 むこうに帰ってもこの世界を思い出して貰える様に。


 会いたくないと拒まれたことを発端に完全に捻くれ、初めて抱いた異性への想いを上手く処理できず見苦しいほどに取り乱し当り散らしたイヴリールをカルセオは叱って諫め、ルピナスが挑発してくれた。


 そしてレン達銀竜が寂しいはずの日々を楽しい物にしてくれたから今こうして穏やかに明日を迎えることができるのだ。


 前向きな考え方が出来る様になったのはカルセオとレン達のお陰で、この一週間は美羽だけでなくイヴリールにとっても必要な物だったのだと今なら理解できた。


 激情に駆られて美羽に向き合えばきっと傷つけてしまっていただろう。

 解り合うことは出来ずに美羽と別れることになったはずだ。


 自分が今でも冷静だとは思っていない。


 ただどうしても帰りたいと思っているのなら引き止めずに送り出そうと思えるぐらいにはなった。

 これで頭から美羽の望みを否定せずに話し合うことができる。


 どうなるかはまだ解らないのだから。


「会ってくれなくても、俺は会いに行く」


 明日呼ばれなくともイヴリールは美羽を訪ねるつもりだ。

 一週間も待たされたが、それに伴う損害はイヴリールでは無く寧ろ美羽の方が大きい。


 こちらの一日はあちらでの二日に相当する。

 つまり一週間はあちらで十二日。


 他の竜族と時間と日を費やして親交を深めるより、イヴリールを選んだ方が早く故郷へと帰れるのだと伝えれば美羽も素直に応じるはずだ。


「兄ちゃん……」


 扉が細く開いて馴染のある気配と匂いが入ってくる。

 顔を向けるとアリウムが思い詰めた様な顔で立っていた。

 明るかった銀髪が少しくすんで色が濃くなっているのに気付く。

 空色の瞳が大きく揺れてもう一度「イヴ兄ちゃん」と呼ばれたので手招いてやる。


「美羽の傍にいてやらなくていいのか?」


 アリウムの愛らしさと笑顔は随分美羽の救いになっただろう。

 良く知りもしない者達に囲まれているのは気疲れしてしまう。


 図太い様に見えるが美羽は自分の気持ちを押し殺して笑うことばかりする。

 それは他者の顔色を窺って、神経を擦り減らしているということに他ならない。


 笑顔は人間関係を円滑にするための技術だと言っていたが、その所為で自分の気持ちを押え込んで辛くなるぐらいならば態度に示した方がよっぽどいい。


 言わなければ何を考えているのか、どうしたいのか伝わらないのだから。


「美羽さんが、きっと兄ちゃんが怒り狂ってるだろうからって」

「なんじゃそりゃ」


 苦笑して空を見る。


 光の帯を引いて星が斜めに流れて行くのを目で追っているとアリウムが横に立ち言いにくそうに口をもごもごと動かす。


「俺に会うつもりはないんだな、あいつ」


 やはりそうかと続けるとアリウムは俯いて「ごめん」と謝った。

 弟が桟を掴んだ指に力を入れると軋むような音がする。


「止めろ。壊れる」


 桟も指も。


「……だって、俺全然役に立たなくて」

「悔しかったのか?バカだな。アムは」

「兄ちゃん……」


 パタリ、パタリと音を立てて手の甲と桟に落ちる涙がアリウムの悔しさと苦しみを表していてそっと柔らかな髪を撫でてやる。


 声を殺して泣く弟をイヴリールは初めて見た。


 聞いている者を笑顔にさせる喋りと、明るい表情しか見せたことのないアリウムだったが、それは離れて暮らしている時間の方が長かったからに違いない。


 里で伴侶の居る竜族に言い寄って寝取った女と陰口を叩かれているルテアを見ながら、息子であるアリウムが傷つき悩んだのは間違いない。

 他の黒竜は生まれてきたアリウムに罪が無いことは解っているので面と向かって蔑んだりはしないだろうが、同じ銀竜の中ではそうはいかなかっただろう。


 イヴリールがいれば庇ってやることも、助けてやることも出来たが、グリュライトに住む兄が弟の現状を知ることなどなかった。


 そしてそんな素振りをアリウムは一度も見せたことは無かったので、ウィンロウから辛い立場に立たされていたのだと教えられ漸くその笑顔の裏に隠された思いに気付いた。


 昔から弟はこんなにも兄を慕って一生懸命思っていてくれたのに。


 自分だけが不幸だと不憫だと思い込んで思いやれなかったイヴリールに兄を名乗る資格は無いのかもしれない。


 まだ間に合うのならば今から兄としてアリウムを支えてやりたい。


「アムは十分役に立ってくれた。美羽の傍にいてくれてありがとな」

「イヴ兄ちゃん……美羽さんは、」

「帰りたいって言うのなら俺は止めない。大丈夫だ」

「違うよ……兄ちゃん」


 頭を振ってアリウムはぐちゃぐちゃに歪めて涙を流す顔を上げる。

 空色の瞳は暗く沈み、悲しみと諦めがそこには広がっていた。


「美羽さん、イヴ兄ちゃん以外なら……誰でも、いいって、言って」

「俺以外?」


 何故だ。


 そこまで嫌われるようなことをした覚えは無い。

 セロ村では口喧嘩をしながらも楽しく毎日生活していた。

 好かれているとは思っていなかったが、まさか嫌われているとは――。


「どうして俺だけは嫌なんだ?」


 逆にそこが引っ掛かる。

 やはり知っている優しくない竜族より、知らなくとも優しい竜族の方がいいのか。


「ずっと、思いつめてて、元気なくて。俺が話しかける時だけ、無理に笑うんだ。辛くて、俺何もできないことが、悔しくて」


 嗚咽を飲み込んで必死で言葉を吐きだす。

 顔を真っ赤にして苦しそうなアリウムは、きっと美羽の前ではいつものように笑って明るく盛り上げようとしたに違いない。


 無力さを痛感しながらもそうせざるを得なかった弟の努力は無駄ではないのだと伝える為に「よく、頑張ったな」と褒めてやる。


「なにも。できなかった……兄ちゃん、ごめん」

「心配するな。俺は美羽のこと諦めてない。なんとかする」

「……美羽さんが、兄ちゃんに会いたくないのは、多分決心が鈍るからだと思う」


 右掌で乱暴にアリウムの頬を拭ってやると洟を啜ってそう呟いた。

 イヴリールは笑って「希望の持てる言葉だな」と応える。


 アリウムがこくりと頷いて、美羽さんが兄ちゃんのこと憎からず思っていることは確かだからと勇気づけてくれた。


 会うだけで美羽の気持ちを揺るがせることができるのならばそれだけで価値がある。


 直接聞かなければ真意は計れない。

 それまでは諦めないと奮い立つ。


「俺の弟を泣かせたこと後悔させてやる」

「これは、勝手に俺が泣いたんだから美羽さんは関係ないよ」


 ごしごしと目元を擦って恥ずかしそうにしながら不穏なことを言い始めた兄を睨む。


「そうだな。元はと言えば俺が不甲斐無いからだし」

「そうだよ!兄ちゃんが悪いんだ」

「だから、悪かったって」


 やっといつものアリウムらしくなった所でイヴリールも笑う。

 つられて弟も笑ったので桟から降りて窓を閉めた。

 寝台にアリウムを押し込んでから自分は長椅子に横たわる。


 静かな部屋で弟が身じろぎして「兄ちゃん……おやすみ」と他に何か言いたかったのだろうが結局は挨拶をしたので「おやすみ」と返した。


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