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14、名を名乗れ


 風を切り、雲を割って飛ぶ空は広く自由だった。


 頬と髪を弄る風が心地よく隣を飛ぶアリウムが苦笑いするほど興奮しているのは間違いない。

 セロ村に来てからは人族の中で異質な部分を隠すためにも竜族を感じさせる能力の使用を禁止されていたわけでは無いが自主的に慎んできた。


 そのせいかなににも縛られずに空を駆けるのは随分久しぶりで、その解放感に心が喜び知らず内に顔が緩んでしまう。


「イヴ兄ちゃん」


 呼びかけてアリウムが左に旋回する。


 それに続いてイヴリールも身体を左側に傾けてゆっくりとそちらへ回った。

 目の前には青空が広がり神殿と呼ばれるほどの立派な建物は何処にも見当たらない。


 接点を超えなければ辿りつけないのかと首を巡らせて、それらしい歪みを見つけようとするが感じることはできなかった。


「見えたよ、兄ちゃん」


 弾んだ声でアリウムが指し示すその先にもやはり何もなく、イヴリールの目がおかしいのだろうかと目を凝らした所で後方から光が射し、真っ白に輝いて目の奥を焼く。


 熱と光に眼球を炙られてイヴリールは短い悲鳴を上げた。


「大丈夫?」

「くっ……、よりによって光とは」


 闇は全てを飲み込むが輝く光だけはその身に受け入れることができない。

 古来より闇の中から光が満ち、その光の中から火が生まれ、風が起こり、地に緑が溢れ、水が勢いを増し、やがて闇へ帰るとされる。


 光は闇の中から力を得て輝くのだから相性が悪すぎる。


「招かれざる者を神殿へと迎え入れることはまかりならん」


 朗々たる声が響いてイヴリールは痛む目をこじ開けて声の主を見た。

 前方に立つ男は緩く波打った白銀の長い髪を垂らし、額には金の環を嵌めている。

 灰青色の瞳は切れ長で通った鼻筋と形の良い唇が美しい男だった。


「各里から選ばれし竜族は一体のみ。黒竜の候補者は先程着いた。よってお前が神殿に入ることは許されぬこと」


 良く通る声に圧されイヴリールは奥歯を噛み締める。


 肌すらも白く輝く男は間違いなく白竜だ。

 巫女が齎す恩恵のお陰か目の前の白竜はイヴリールとそう変わらぬほど若いのに、言葉を発するだけで屈してしまいそうになるぐらいの迫力がある。


「…………成程、こりゃ必死になるはずだ」


 イヴリールの欲しい物は巫女の恩恵ではないが、美羽を手に入れたいのは他の竜族も同じこと。

 話し合いで中へ入れてくれれば問題は無いが、白竜はずっと警戒を解かず威嚇するかのように己の力をイヴリールにぶつけてきていた。


「あの、聞いても良いですか?」


 標的外とされているアリウムが笑顔で白竜に質問を投げかける。

 幼体を表す銀の髪の愛らしい弟をちらりと一瞥した白竜の顔にほんの少しだが優しげな表情を浮かんた。


「なんだ?銀の竜」

「俺は黒竜の里の銀竜アリウムといいます。不躾で申し訳ないけど、黒竜の里から来た候補者は誰ですか?」

「私は白竜のウィルだ。黒竜なのに誰が候補者になったのか知らぬとはおかしな話だが?」


 名乗る者には名乗らなければならない掟に則り白竜はウィルと名乗った。

 だがアリウムの質問には答えずに逆に問い返される。


「俺は残念ながら巫女選出の機会に与れなかったけど、イヴ兄ちゃんにはその権利があると思うんです。誰が選ばれて来たのか教えて貰えれば、どちらが候補者として相応しいか判断できる自信があります」

「候補者はそれぞれの里で厳重に審査され選ばれるもの。今更その決定を覆そうなど愚か者の極み」


 ウィルの眉間に皺が寄り険しい顔になる。

 幼体が成体の決めることに口を出すことは当然喜ばしいことでは無く、その行為を窘め上下関係を刻みつける為に手酷い攻撃を加えられることが多い。


 それでもアリウムは毅然として顔を上げ、微笑みを絶やさずにウィルの鋭い視線を受け止めた。


「イヴ兄ちゃんが里に居て不適任者と判断されたのなら俺だってここまで来ません。兄ちゃんはグリュライトに来てなにも解らなかった美羽さんを今日まで傍で支えてたんです。誰よりもその権利があると思います」

「美羽様の傍にすでに竜がいたと?そういう報告は受けていないが……」


 顎に手を当てて俯いたウィルに「美羽さんを迎えに来た黄竜と赤竜から何も聞いてないんですか?」とアリウムが驚いた様に目を丸くする。


「兄ちゃん、あいつら名前なんだったっけ?」

「黄竜がクレマ、赤竜がルピナス」

「………………あやつら」


 白竜は背筋を伸ばして背後を見やると「後で覚えていろ」と吐き捨てた。


「ちなみに美羽さんにはもうイヴ兄ちゃんが祝福を与えてる」


 追加情報に青筋を立てたウィルは頭を右手で押え暫し黙考したが最終的には「仕方あるまい」と頷いて、ついてくるようにと合図をしてなにもない空間にそっと両手を添えるとぐいっと扉を押し開くようにした。


 その手が横に流れると共に現れる長い廊下。

 左右に等間隔に並んだ柱が廊下と共に奥まで続いており、その先には温かな光と緑が見えていた。


「……これが、神殿」

「行こう、兄ちゃん」


 ぼんやりと見惚れているとアリウムに促され、気付くと白竜はさっさと廊下を歩いて行くので慌てて後を追う。


 廊下に足を踏み入れると後ろで扉の閉じる音がし、振り返ればそこには巨大な両開きの扉があった。

 見上げるほどに大きな扉は六種の竜がそれぞれ言い伝えを元にした図柄で彫り込まれており、更に美しい彩色をされている。


 扉が大きい事に比例してか天井も高く、左右の柱も当然大きく高い。

 見上げていると首が痛くなるほどで、あまりにもキョロキョロとしているイヴリールを白竜が「さっさと来なければ、その意思なしと見做すぞ」と痺れを切らして警告する。


 真っ直ぐ伸びた廊下の先から涼やかな花の香りを運んでくる風を追って進むと近づくほどに水音が聞こえてきた。

 行きついた先の入口を潜る頃にはそこが柔らかな陽射しが溢れる庭園なのだと解る。


 真ん中に植えられた巨大な樹が庭園いっぱいに太い枝を伸ばして心地良い影を作り、その傍らに流れる小川と浮いた水草から美しい花が咲いていた。

 甘やかな香りは足元で群生している白い花からで、奥へと進むたびに楽しませてくれる。


「ここで沙汰を待て」


 ウィルがこれ以上の侵入はならんと眼光で止めるので、イヴリールとアリウムはおとなしくこの庭園で待つしかない。


 ここで反発すれば叩き出されてしまう。


「美羽さんがイヴ兄ちゃんと帰るって言ってくれたら話は早いんだけどな……」


 アリウムは不安そうに呟いて小川へと歩み寄り、なにか生き物はいないかと覗き込む。


 連れて来られたこの神殿で美羽はもう自分の役割を聞かされただろう。

 竜族との間に子供を産むためだけに連れて来られたことを怒っているだろうか。

 

 それとも怯えているのだろうか。


 いつものようにへらへら笑って「他に方法は無いんですかね?」と巫女相手に交渉しようとしているかもしれない。


 アリウムの後ろに立って小川の中を見下ろすと、銀色の細い魚が驚いて水草の下へと身を隠した。

 水は底の砂に水草が落とす黒い影もくっきりと見えるほどに澄んでいる。


 不意に風が吹いて小川の表面に漣が立った。


「なんだぁ?黒竜はさっき来たはずだが、なんでもう一匹迷い込んでんだ?」


 声がした方を見るとイヴリール達が来た方の廊下から大柄の男が入ってくる。

 身長も高く均整のとれた美しい身体をしていた。

 緑色の髪から、男が緑竜であることが解る。


 大股で小川までやって来るとイヴリールとアリウムを見比べて「変な組み合わせだな」とニッと笑う。


「俺は緑竜のカルセオだ。あんたらは?」

「俺は黒竜のイヴリール。こっちは弟のアリウムだ」

「弟だ~?」


 語尾が跳ね上がって興味をひかれたらしい緑竜は左手でアリウムを、右手でイヴリールの腕を叩いた。


「いやはや。珍しい!いいなっ。兄弟。羨ましいぜっ。先に来た黒竜より随分いい」


 からりとした笑い声でカルセオは歓迎の意思を告げる。

 アリウムが先に来た黒竜の名前を尋ねると「リーガースとか言ったかな」と緑竜は白竜と違ってすんなりと教えてくれた。


「リーか……おかしいな」


 アリウムは候補者の名前を聞いて怪訝そうに首を傾げる。

 なにがおかしいのだと問えば、リーガースという黒竜は最近頻繁にグリュライトへと行き、同じ町に通っているのだと言う。

 意中の女がいるのだと噂になっていたのに候補者として選ばれたとは意外だと呟く。


 候補者は里の中で一番相応しい者を既婚者である年長者たちが選ぶが、他に相手がいるのならば断わることもできるらしい。

 だからリーガースに噂通りの女がいるのなら断るはずというのがアリウムの見解だ。


「もしかして……ふられちゃったのかな」

「かもな。あんな大人しい竜を選ぶ女がいるとは思えん」


 何故か緑竜が同意して、イヴリールを横目で見ながら「イヴリールの方が幾分ましだ」と有難くない評価をしてくれた。


「リーは大人しいけど誠実で優しいよ。女性には好かれる方だと思うけど……。ふられるとは思えないんだけどなぁ」

「もしくは家族が反対したのかもしれないだろ。色々事情はある」


 父とアリウムの母のルテアとのこともきっと事情があるのだ。


 周りから見たら理解できないような事情でも、本人にとっては重要で譲れない物なのかもしれないのだから。


「本当に竜族って嫌われ者だよね。俺も無事に伴侶を見つけられるか不安だな」


 物憂げな表情でため息を吐きながら、幼体のアリウムが今から伴侶探しの懸念をしている。


 容姿と持って生まれた愛らしさがあれば、どんな女でも黒竜の里へと喜んで来るだろうに何を心配しているのか。


「アムなら心配ないだろ。美羽だってお前の可愛さに夢中だったくらいだし」

「え?本当?美羽さんが!」


 目元を赤らめてアリウムが異常な喜び方をするので危機感を募らせるが、成体にもなっていない弟を敵対視するのは大人気ない感じがする。


 これでは母と仲良くする息子を見て嫉妬する父とそう変わらないではないか。


「いや~、俺が成体になった後で美羽さんが現れてたらイヴ兄ちゃんには譲らなかったのにな」

「アム!お前」

「だって、絶対俺達父さんの血を引いてるよ。美羽さんが兄ちゃんに言い返してる姿見てたら羨ましくて。気が強い癖に脆い所があるタバサさんや美羽さんみたいな女の人が好みなんだなって改めて思ったよ」


 だから絶対に美羽さんを振り向かせないと俺許さないからね。


 アリウムの瞳の明るい空色の瞳の向こうに悲しみがあるのに気付くと、みっともなく嫉妬をしている場合ではないのだと奮い立つ。


「っ!勿論だ!」


 銀の髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜるとアリウムが耳心地の良い声で笑いイヴリールの手から走って逃げる。

 緑竜が頬を掻きながら「あのさー」と声をかけるので弟を追うのを止めて顔を向けた。


「なんだ?」

「もしかして、巫女に選ばれた女の知り合い?」

「そうだよ」


 答えたのはアリウム。

 自慢気に胸を反らしてグリュライトに来て直ぐの美羽を保護して支えたのはイヴリールなのだと述べる。


「そうか……そりゃ強敵現る、だな。じゃあなんで最初からここにイヴリールが来ないんだ?」


 もっともな意見にイヴリールが里育ちじゃなかったこと、竜の巫女が異界から選んで連れてきた女の役目も意味もしらなかったことを白状するとカルセオはしみじみと肩を落として「大変だったんだな~」と同情してくれた。


「そんな奴と競うのはちょっと気が乗らないが……俺は手を抜くような真似はしない。正々堂々と戦って勝ち取るのみだ!」


 よろしくな、と言い置いて緑竜は大股でウィルが去った奥の方へと歩いて行った。


「なんか、感じの良い緑竜だったね」

「黄竜の無礼さに比べれば遥かに友好的だ」

「そんなにひどかったの?」

「口にしたくないくらいだ。美羽が激昂して食ってかかる程だったから」

「へ~見たかったな」


 タバサを侮辱したのだと言えばアリウムも美羽同様に怒ったに違いない。

 だがそのことをイヴリールは自分の口からは言いたくなかった。


 あの黄竜にタバサだけでなくアリウムの母であるルテアのこともウィンロウのこともまとめて愚弄されたようで嫌だったのだ。


「おっと、帰って来たみたいだよ」


 アリウムがいち早く気付いて顔を向けイヴリールも視線を移動させるとウィルと共に小柄の老女が庭園にやって来た。

 白銀色の髪を纏め上げ美しい銀細工の飾りをつけた老女は穏やかに微笑んで「よくいらっしゃった、黒竜の」と呼びかける。


「こちらは竜の巫女様である。名を名乗れ」


 慇懃無礼にウィルにさっさと名を明かせと睨みつけられ、正直美羽が来るものだと思っていたイヴリールは拍子抜けしながら名を名乗った。


「イヴリールか……。イヴと呼ぶが構わないかな?」


 黙って首肯すると巫女はどうしたものか悩んでいるのだと打ち明けた。

 手を伸べて地面に咲いている甘い匂いの白い花を摘むと顔を寄せて香りを楽しみながら当ても無く歩き出す。


 その先には大樹がある。


 巫女の後ろを歩くとその銀細工が竜の姿を形取っているのに気付いた。

 老女と言えども肌は滑らかで染みひとつなく、刻まれた皺はどれも浅く笑うと深まるのでそれすらも巫女を年相応の美しさに彩っている。


 背中も腰も曲がっていないすらりとした立ち姿は凛としていて神々しいほどだ。


「イヴ、結論から言おう」


 大木の下で幹に手を付き巫女はイヴリールを振り返った。

 その茶色の瞳が悪戯っぽく光って射抜く。


「気落ちしないで欲しいのだけど」


 その後に続く言葉はきっと残酷な物なのだと報せるに足る出だしだった。

 身構えたイヴリールの服の裾をアリウムが握ってごくりと唾液を飲む。


 ウィルは無表情で巫女の言葉を待っている。


「美羽はイヴに会いたくないらしい」




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