そして理想は儚く消えた
1796年2月19日昼。曇天の下、冬のパリは零度を軽く下回り人々の息も白いが、ここヴァンドーム広場だけは人々を赤く染めていた。
「大きなたき火、あったかいねっ!」
「ここまででかいと壮大だなぁ」
長方形の広場では多くの群衆が見物に来ていた。その中でまだ幼さの残る兄妹は、広場中央に山と積まれた多くの機械が、曇天へ大きな炎柱と化していく様子を見つめている。
兄がふとボロボロの鞄から札束を取り出すと、妹は笑うのだった。
「わー、アッシニアだ! 父さんといっぱい遊んだよね! ベッドにしたり、積み木にしたり……」
「懐かしいな。札束を銀行に預けないどころか、子供の寝具や遊具にするなんて、独創的な人だったよなぁ」
「それとね! プールもあったよ!」
「……使った大量の札を元の束に戻すの、虚しいすぎて泣けたな。親父は楽しそうだったけど」
妹は悲しげに曇天を見上げた。
「父さんも天国でこのたき火見てくれてるかな?」
兄も天を見上げる。
「アンシャン・レジームの解体と清算がここにある」
「へっ?」
「昔、ミラボーがアッシニアについて言った言葉だよ。このでかい札束でもパン一つ買えない今じゃ、信じられない言葉だけど」
さすがに言葉が難しいのか、9歳の妹はきょとんとしたが、兄は続けた。
「ミラボーは国王夫妻をかばい名誉が失墜、病死した。国王夫妻はギロチンに消えた。彼らだけなく親父も殺したロベスピエールは処刑された」
「……人が死んじゃうのは悲しいよ」
兄は札束の紐を取り、ゆっくりと炎柱に近づく。
「我が妹よ。死ぬのは人間だけじゃない。理想も死ぬんだよ。親父は理想――自由のために殉じた。でも自由の象徴っていわれたこのアッシニア、その印刷機が今燃やされているのは、まるで、まるで……象徴じゃないか!」
そして兄は札束を思いっきり宙に投げた。
「フランス万歳!」
アッシニアは空中で四散し、炎柱と一体となるようにして消えていった。