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098 母は強し

「桜、起きなさい!病院だからって、いつまでも寝ているんじゃありません!」

 いきなりお布団がめくられて、叩き起こされました。

 まだ眠い目を擦りながら身体を起こすと、笑顔の母がお布団を持って立っています。

「……お母さん、なんですか…?朝から大声を出して、迷惑ですよ…?」

 そこまで言って、わたしは内心で首をかしげます。

 母の笑顔には、昨日の寝る前のような、辛そうな、苦しそうな様子は微塵も感じられなかったからです。

「桜、お母さんは考えたの…。これからの私達の時間が少ないなら、その分を凝縮して生活していけばいいんだって…。桜がいなくなってしまうのは寂しいけれど、死んでしまうわけではないのだから。その時が来ても後悔しないように、精一杯、毎日を楽しもうって…。だからね…」

 ……あれ?凄くいい話だったはずなのに、笑顔が怖いですよ?

「まずは、桜の着替えを手伝うことから始めようと思うの。ほら、昨日はお風呂にも入っていないじゃない?さっき看護師の方に聞いたら、今からお風呂に入ってもいいって許可を貰ったのよ。さぁ、久しぶりにお母さんと一緒にお風呂に入りましょう?」

「え?いえ…、わたしは…」

「大丈夫。お母さんに任せておきなさい!桜はまだ身体がうまく動かないのでしょう?お母さんが綺麗にしてあげるわ…。そう、隅々まで、ね…」

 お母様、その笑顔が怖いです…。

「ですから、わたしは…!あっ、お父さん、兄さん、助けて下さい!」

 起きぬけのままの姿で、こちらを眺めていた我が家の男性陣に助けを求めます。

「「……頑張れ」」

「薄情者ぉぉぉ!」

「桜、朝から大声を出すなんて、他の患者さんに迷惑よ?」

 貴女がそれを言いますか!原因のくせに!!

「さぁ、お風呂に行きましょう?久しぶりにお母さんが抱っこしてあげるわね」

「やめてください!?この年で抱っことか、どんな羞恥プレイですか!?」

「遠慮しないでいいのよ?昔みたいに甘えなさい?」

「遠慮じゃないですから!いやぁぁぁぁ!!」

 廊下を散歩する入院患者さんや看護師さんに生温かい目で見られながら、わたしは頭の中でドナドナを歌いながらお風呂へと向かいました。……母にお姫様抱っこをされて…。


 お風呂から戻り、髪や肌はつやつやとしているのに、わたしの瞳は光を消していました。

 ……ちくしょう!親子なのに、この差はなんなんですか!?おっぱいの格差社会ですか!?お湯に浮かぶのがそんなに偉いのですか!?

 え?そこ?とか言わない!目の前に突き付けられた現実は、あまりにも酷過ぎたのです!

 わたしだって、自称神様の呪いが無ければ…!って、世界が違えば、呪いの効果も無くなるのでは…?

 ……ということは、こちらの世界にいる間に成長する可能性もあるんですよね?もしかすると、母のように浮かぶことも…?おい、そこ!無理とか言わないでください!夢を見る権利は誰にでもあるのです!……くっ、自分の言葉でダメージが…。

 はぁ…。仕方ありません、ご飯を食べて元気を出しましょう…。

 え?いや…、ご飯くらい、自分で食べられますって…。子供じゃないんですから、お母さんに食べさせてもらわなくても…。昨日だって、一人で食べていたじゃないですか。ちょっと、笑顔が怖いです!わかりました、わかりましたから!

 うう、看護師さんにも笑われているじゃないですか…。

 わたしはもはや乾いた笑いしか出ませんでした。

 ……いなくなるかもって伝えるの、間違えましたかねぇ…。まさか、こんなに過保護になるとは…。

 ずっと悲しまれるよりはまし……だと思わないとやってられません。周囲の目も気にせず、まるで幼児にするように甲斐甲斐しくせわを焼く母の姿に、父も呆れ気味です。

 「しばらくしたら落ち着くと思うから、それまで我慢してくれ」とは父の言葉です。

 しばらくって、どれくらいなんでしょう?出来れば2,3日で収まって欲しいですねぇ…。

 朝食が終わると、父と兄は立ち上がって言いました。

「さて、俺達は一度家へ戻るよ。明日、“迎えに”来るから大人しくしているように」

 え?帰るのはいいのですが、今、“迎えに”って言いませんでしたか?

「桜は明日、退院するのよ?昨日、お母さんと先生とでそう決めたのよ。桜も昨日に比べて、身体は随分とましになったのでしょう?明日には生活する分には問題ない程度には回復しているはずよ?」

 って、そういうことを本人に何の相談もなしに…。いえ、確かにわたしは未成年で、被保護者ですけども…。アルセリアでは成人扱いで、全て自分でやっていたので違和感が…。

「というわけで、残念だけど、お母さん達は一度家へ戻るわね?桜も寂しいからって、我儘言っちゃだめよ?」

 どれだけ子供だと思われているんですか…。

「そんなに言うなら、お母さんだけでも残ればいいじゃないですか」

「あら?桜がそれでいいなら、お母さんは残ってもいいわよ?その場合、桜の着替えはお父さんかお兄ちゃんが持ってくることになるけどね?服はともかく、下着とかをお兄ちゃんに漁られてもいいのかしら?」

「おい、なんでそこで俺限定なんだ?」

「ええ!?それは嫌ですよ!お母さん、お願いします!」

「桜まで!俺をなんだと思っているんだ!?」

「まあまあ、そのくらいの年頃だと、妹とはいえ異性の下着を前にしたら何をするかは分からんからな。女性陣の反応も仕方ないだろう」

「親父まで!?何もしないよ!?」

「あら?そうかしら?ふふふ、まあ、そういうことにしておいてあげるわね?」

「だから、何もしないって言っているだろう!?妹の下着なんて、いくら見たって興奮するわけないだろう!?」

「あら、それは桜に魅力が無いと言っているのと同じことよ?」

「え!?いや、桜は可愛いぞ!?」

「ほら、やっぱり…」

「兄さん…」

「ええ!?いや、だから桜は可愛いけど、それで興奮はしないっていうか…」

「やっぱり桜には魅力が無いと言うのね?」

「いや、そうじゃなくて…」

「兄さん…」

「だぁぁぁ!!どう言えばいいんだよ!?」

「ぷっ、何をそんなに真面目に答えているのよ…」

「ふふ、それが兄さんですから…」

「ああ!?またからかっていたな!?」

 ああ、なんだか帰ってきたって思えますね…。




 次の日のお昼前に、病室には再び家族が揃いました。が、その中でわたしはピンチに落ち入っています。その理由は…。

「嫌です!絶対に、嫌です!」

「桜…!我儘言わないで…。お願いだから…」

「帰ってください!お母さんの言うことを聞くくらいなら、このままでいいです!」

「どうしてそんなことを言うの…?ああ…、いつの間にか桜が反抗期に…」

 そう、着替えと称して母が持ってきた服が原因でした。ちなみに我が家の男性二人は、相変わらずの役立たずぶりを発揮しています。具体的に言うと、わたしが逃げられないように扉の前に陣取ってにやにやと見ているだけです。

「どうして!そんなひらひらした服を着ないといけないのですか!」

「だって、似合うと思ったのよ?ショーウィンドウを見て、これだって感じたの。大丈夫、桜ならきっと着こなせるわ!」

「どこからそんな自信が湧いてくるんですか!絶対に着ませんからね!」

「え~、高かったのに…。せっかく桜に似合うと思って買って来たのに…」

 う…。しょんぼりと項垂れる母に、少し罪悪感が湧いてきます…。ですが!ここで折れたらあのひらひらを着ることになるのです!

「そ、そんな風にしても駄目ですから!もっと普通の服があったでしょう?」

「酷いわ!いついなくなるともしれない娘に、可愛い服を着せてあげたいという親心なのに…!」

「何が親心ですか!ただ自分が楽しみたいだけじゃないですか!?」

「そうよ?それのどこがいけないっていうの?娘に可愛い服を着せるのは、娘を持った親の権利よ!?」

「開き直りましたね!?やっぱり自分の楽しみなんじゃないですか!」

「……桜…。いい?黙ってこの服を着ることも、一つの親孝行なのよ?」

「……急に真面目な顔をして何を言うかと思えば…。それはただの屁理屈じゃないですか」

「屁理屈も理屈のうちよ?さっさと観念して着替えなさい。それとも、ママに着替えさせてほしいのかしら?」

「誰がママですか!?どっちも御免です!」

「もう、聞き分けのない子ね…。仕方ない、最後の手段よ…。……ていっ」

「え?……うっ…」

 延髄のあたりに衝撃が走ったかと思うと、わたしの意識はぷつりと途切れました。


「はぁ~、やっぱり良く似合ってるわぁ…」

 ……あれ?わたしは…?

「あ、起きたわね?ちょっとそこに立ちなさい」

「え?いきなり何ですか…?それより、わたしは一体…?」

「いいから立って!話はその後よ!」

 何なんですか?いくら母といえど、横暴ですよ?

「ここに立てばいいんですか?……全く、何だと言うんですか…」

「……そのままくるっと一回転してみて」

「……さっきから訳の分からないことを…。はい、これでいいですか……って、何でカメラなんて…。……はぁ!?ちょっと、なんですか、これは!?いつの間に着替えさせたんですか!?」

 足元に違和感を感じて見下ろすと、わたしの身体はパジャマでは無く、先程まで母が持っていた服が着せられていました。そう、全力で拒んでいた、ひらひらの服です。しかもご丁寧に、ストッキングや靴まで用意されていたのです。

「……まさか、さっき首筋に感じた衝撃は、わたしを気絶させるために…?」

「うふふ、何が役に立つかなんて、わからないものよねぇ」

 むしろ、お母さんの方がわかりませんよ…。

 しかし改めてみると、凄い装飾ですね…。あちこちにレースがあしらわれていて、作るのが大変そうです…。幸いなのは、全て黒で装飾も目立ちにくいことでしょうか?しかしまだ暑い季節なのに真っ黒な服で、しかも長袖とは…。スカートも膝下まではありますし、下手をすれば熱中症になりますよ?お、違和感のあった靴は、厚底なんですね。これでわたしの身長も140cmに……って、そんなことはいいんですよ!

「娘を気絶させてまで着替えさせるなんて、何を考えているんですか!?もういいです、すぐに脱ぎます!」

「あら?いいのかしら…?それを脱ぐと、着替えが無いわよぉ?桜は下着姿で帰るつもりかしら?」

「なんですって!?着ていたパジャマは!?それが無くても、ここに運ばれた時の服が…」

「そんなの、とっくに片付けたわよ?貴女のポーチも、ほら、この通り」

 そう言って母は、魔具のポーチを片手に持って見せてきます。

「くっ、なら…」

「諦めなさい。帰る間だけ我慢すればいいだけじゃない」

 そうはいきません!諦めたら、そこで終わりなんだと誰かが言っていました!

「藤野さん、手続きが終わり…」

 ギギギ…。

 実際は音はしていませんが、軋むような感じでそちらを向くと、目を見開いた女医さんと看護師さんがいました。

「あー、ノックはしたんですが、返事が無かったもので…。……えっと、藤野さん?よく似合っていますよ?」

 ……終わりました。女医さん、その優しさが、笑われるよりも心を抉るのです…。

 わたしはがっくりと項垂れて、気がついた時には車に乗せられていました…。


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