096 目覚めると…
ピッ ピッ ピッ
目が覚めてまず聞こえるのは、電子音でした。
そして感じるのは、柔らかなマットの敷かれたベッドの感触。
白で統一された部屋は、どこかで見たことのあるような気がしました。
「ここは……病院…?」
これまで、わたしは幸いにも入院を必要とするような怪我や病気には無縁でした。今いる部屋は、ドラマなど、テレビで見かけた事のある病室に似ていたのでそう思ったのです。
部屋に響くのは先程から一定間隔で聞こえる電子音と、外のかすかな騒音だけ。
……どうしてわたしは病院にいるのでしょう?いえ、それよりもここは、この世界はわたしの元いた世界なのでしょうか…?
記憶は光に包まれたところで途切れています。気を失う寸前に、何かを見たような気もしますがはっきりとはしません。
ベッドの上でなんとか身体を起こしながら、ぼんやりと部屋を眺めます。
薄いカーテンを通して差し込む光は、少し眩しいですが暖かさを感じます。
とりあえず、情報が欲しいと思います。何を考えるにしても、元となる情報が何もないのです。
しかし身体を動かそうにも、どうにもわたしの身体は言うことを聞いてくれず、左手には点滴の管が、胸には心電図でしょうか?よくわかりませんが、何本かのコードが伸びていました。
それらを見るだけでも、少なくともここがアルセリアでないことは確かなようです。
仮にここが日本の病院だとして、わたしはどうすればいいのでしょうか?
恐らく見た目はぼーっとしているように見えるでしょうが、わたしなりに状況把握をしようと必死に考えていると、物音がしました。音のした方を見ると、看護師らしき服装をした人がわたしを見て驚いた顔をしていましたが、すぐに慌てたように走り去って行きました。
……そういえば現代の病院なら、ナースコールというものがあるんでしたね…。
今更ながらにそんなことを思い出して枕元を見てみると、壁からスイッチのような物がぶら下がっていました。まあ、今更これに用はありませんが…。
しばらく待っていると、廊下の方が慌ただしくなってきます。すぐに扉が開き、今度は医者らしき女性と、先程の看護師と思われる女性が姿を現しました。
医者らしき女性はわたしに近付くと、診察をするとだけ言って着ていた服の前をはだけました。
聴診器を胸に当てた後、目や口の中を覗き込み、脈を測ってからようやくわたしから離れました。
「いくつか質問をします。気分が悪かったり、どこか痛むところは?」
「……いえ、特にはありません。身体に力が入らないことくらいでしょうか?」
「ふむ、それは数日すれば気にならなくなるでしょう。詳細は後で説明しますが、今は質問を優先させていただきます。次に、貴女の名前は?」
「藤野 桜です」
「生年月日は?」
「1996年11月22日です」
「住所は?」
「東京都△△市××町□□番地です」
「家族構成は?」
「父、母、兄がいます」
「電話番号は?」
「○○○○―○○―○○○○です」
「君、すぐに警察とご家族に連絡を」
警察…?家族はわかるのですが、どうして警察に連絡をするのでしょう?そして今の質問は、どうやらわたしの素性調査のようなものだったようです。
「ごめんなさいね?今まで貴女が、いや、藤野さんだったわね。藤野さんが誰かもわからなかったので連絡が出来なかったんです。ところで、藤野さんはここに運ばれてくる前の事は覚えていますか?」
「……?すみません、ここが病院だとはわかるのですが、どこの病院かもわからないので…。どうしてわたしはここにいるのでしょうか?」
そもそも、病院以前にどうやって日本に帰ってきたかもわからないのですから、答えようがありません。
「そうですか…。ではまず、今の状況から説明しておきましょうか。藤野さんは1週間前にこの病院に救急車で運び込まれたんです。詳しい話は私もわかりませんが、藤野さんは雨の中で倒れていたということでした。私達はすぐに検査を行いましたが、傷らしい物も見当たらず、また、検査の結果も異常ありませんでした。念のためにCTも撮りましたが、異常は認められませでした。ああ、その時着ていた服は検査の為に脱がせて貰っています。それにしても……まるで映画にでも出てくるような鎧……とでもいうのですか?そんな服装をしていたので、脱がせるのに手間取りましたよ。……っと、藤野さんが搬送されてから、どうやら外傷では無く気を失っているだけだったということがわかったので、起きるまでは入院ということにしたのですが…、身元を証明するような物も見当たらずに困っていたのです」
……なるほど、つまりわたしは、いつの間にか日本に帰ってきて、気を失ったまま1週間も寝ていたわけですか…。しかも雨の中で倒れていたって…。幸いなのは、雨のおかげで返り血が洗い流されたということでしょうか?かなり汚れていたはずなんですが…。それとも、こちらに戻って来る時に何らかの力で血だけ無くなった…?考えても答えはわかりませんが…。
気を失っていたのは、やはり魔力をぎりぎりまで使ったせいでしょうね…。身体が動かないのはその名残か、もしくはずっと寝ていたせいでしょうか?
「それで、この病院ですが……神奈川県にある病院です。△△市とはそれほどは離れていませんし、電車を使えば十分に来られる距離なのですが…。藤野さんがどうしてこの病院の近くで倒れていたのか少し不思議なんですよ。本当に覚えていないんですか?」
想像はできますが、説明はできないですよね…。
「……いえ、どうしてなのかさっぱり…。すみません…」
嘘は言っていません。が、やはり罪悪感のようなものはあるので謝罪の言葉が出てしまいました。
「いいえ、覚えていないなら仕方がないもの。謝る必要はないわ。これからの事は、ご両親が来られてから相談しましょう。それに警察の方も聞きたいことがあるようでしたし…」
うぐ…、警察ですか…。ややこしいことにならなければいいのですが…。それにしても、今は何年何月何日でしょう?向こうの世界では10ヶ月以上を過ごしましたが、こちらではどれくらい経っているのでしょうか?まさか、何十年も経っているなんてことは無いですよね…?いえ、生年月日を聞いた時にはそこまでの反応はありませんでした。が、“そこまで”反応しなかっただけで、一瞬でしたが困惑の表情が浮かんだのを見ました。
やはり、いえ、もしかして…?
「……つかぬことをお伺いしますが、今日は何年の、何月何日でしょうか…?」
恐る恐るといった風で、目の前の女医さんに聞いてみます。
女医さんは一瞬だけ驚いた表情を見せましたが、すぐに笑いながら答えてくれました。
「ふふっ、おかしなことを聞きますね…。今日は2011年の、9月9日ですよ。それがどうかしましたか?」
……驚くべき事実です。なんと、わたしがアルセリアに行ってから3ヶ月も経っていないではないですか…!これはどういうことでしょうか?こちらとアルセリアでは時間の流れ方が違うのでしょうか?逆算すれば、アルセリアはこちらの2.5倍の速さで時間が流れている…?ああ、こんなことなら高橋さんが何年何月何日に召喚されたのか聞いておけばよかったです…!
「……藤野さん?急に考え込んで、どうかしたんですか?何か気になることでも?」
ふと顔を上げると、目の前に女医さんが心配そうな顔をして覗き込んでいました。
「え?あ、ああ、いえ…。なんでもありません…。少し気になっただけですから、大丈夫です」
笑って誤魔化しますが、女医さんはいまいち納得はしていないようでした。ですが、正直に話せる内容でもありませんからね…。
再び思考に入ろうとした時、扉がノックされました。
「どうぞ」
女医さんが入室を許可します。って、ここ、わたしの病室なんですけど!?
そんなわたしを余所に、先程の看護師さんに続いて入ってきたのは、スーツを着た二人組の男性でした。
片方は年配の、50歳前後でしょうか?少しくたびれた感じのするスーツを着ています。その後ろにいるのは、30前くらいの若い男性です。スーツをびしっと着こなしています。
……まるでテレビドラマに出てくる刑事さんのようですね…。
そう思っていたら、懐から手帳を取り出して見せてくれました。
「見ての通り、警察の者です。少しお話を伺いたいのですが…?」
あら、本当に刑事さんだったのですね?それにしても、到着がやけに早くないですか?連絡してからまだそんなに経っていないですよね?
そんな疑問に、女医さんが笑いを浮かべながら教えてくれました。
「実はこの病院と警察署はすぐ近くなのよ。だからこんなに早く到着したのよ」
ええ?どうしてわたしの考えていることがわかったんですか!?この人もエスパーですか!?
「ふふふ、顔を見ればわかりますよ。……さて、彼女はまだ目が覚めたばかりなので、負担をかけるようなことは避けて下さいね?」
「はい、わかっていますよ。では、まず君の名前から教えてもらえますか?」
あれ?いつの間にか事情聴取ってやつですか?
まあ、答えて問題のない範囲なら答えますが…。
質問は先程の女医さんと同じく、名前・住所・生年月日・家族構成と、どうして倒れていたか、などを聞かれました。
答えられる部分はそのまま答えましたが、最後の質問については答えられるはずも無いので、わかりませんで通させてもらいました。が、相手はそう簡単に逃がしてはくれませんでした。
「何か隠しているんじゃないのか?君の言った住所からだと、ここは随分と離れている。それに雨の中で倒れていたことや、妙な服装のこともわからない。先程の答え方を聞いていると、記憶喪失というわけでもないようだし…」
……うう、やはり面倒な事に…。どう言えと言うんですか?わたしは異世界に行って、10ヶ月の間生活していましたと言えと?そんなこと、わたしが逆の立場なら信じられるはずがありませんよ?しかし、何か言わないとこのまま引き下がってくれそうにはありませんし…。
「看護師さん、家族は何と言っていましたか?」
それまで離れて成り行きを見守っていた看護師さんは、急に話を振られて慌てます。
「え?ええ!?御家族ですか?えーと…、すぐに向かうと仰られていましたが…」
「そうですか。△△市からこの病院まで、どれくらいの時間がかかりますか?」
「え?あ…、あの、はっきりとはわかりませんが、夕方までには到着されるのではないかと…」
「ありがとうございます。……刑事さん、家族が到着してからでも構わないですか?家族が来たら連絡させて頂きますので、今は帰ってもらえませんか?」
説明するのは、色々と面倒です。恐らく誰も信じないでしょうが、どうせ面倒なのですから、出来ればまとめて済ませたいと思います。
と言っても、このままはいそうですかとは引き下がらないのもわかっています。なので、ここは女医さんに助けてもらうべく、アイコンタクトを送ります。
「彼女もそう言っているし、一旦帰って頂けませんか?最初にも言いましたが、彼女は1週間ぶりに目が覚めたばかりなのです。これ以上の負担は、医師として認められません」
おお、さすが女医さんです。毅然とした態度が格好いいです。若いほうの刑事さんは何か反論しようとしましたが、年配の刑事さんがそれを止めました。
「わかりました。では今日の夕方にもう一度…。ほら、帰るぞ」
「ですが…!」
「いいから黙ってついてこい。では失礼します」
刑事さんのいなくなった病室で、わたしは女医さんにお礼を言いました。
「助けていただいて、ありがとうございました」
「かまいませんよ。そろそろ止めようと思っていたのも事実ですしね。では私達も失礼しますね。ご家族が来られたら、これからの事を相談させていただきますね」
女医さんと看護師さんが出て行ってしまうと、部屋にはわたし一人が取り残されてしまいました。……そう、一人です。何故かわたしは、個室にいるのです。詳しくは知りませんが、こういった個室って別料金がいるんですよね?そんな話を盲腸で入院した友人に聞いたことがあります。個室は高いだとか何とか…。つい先ほどまで身元不明だったわたしに、個室なんて宛がっていてもいいのでしょうか?
退院する前にわかったのですが、これには2つの理由があったそうです。
一つ目は単純で、わたしが運び込まれたときに、大部屋のベッドが空いていなかったこと。
二つ目は、眠りっぱなしのわたしを大部屋に入れると、他の患者さんが嫌がると言うことでした。
……考えてみれば、隣のベッドで眠りっぱなしの人がいたら気味が悪いですよね。なんか納得しました。
お昼にはお粥のような物を食べて、点滴を抜いてもらいました。
それと……言われるまで気付かなかったわたしもどうかと思うのですが、その…、おむつ……を外してもらいました…。点滴も水分なので、どうしても出る物は出るのですが、すぐに起きると思われていたわたしはおむつをさせられていたのです。
まさか、この年でおむつをさせられるなんて…。
ちなみにおむつ以外の方法だと、おしっこをするところに管を入れるそうです。……すみません、おむつで良かったと思いました…。
お昼の後は、ご飯を食べたせいか、少し眠たくなったので眠ることにしました。