095 罠
次の日の朝、昨日と同じく国境を挟んでソウティンス国軍と対峙します。
昨日の噂話が真実なら、今日でほぼ決着がつくはずです。それが伝わっているのか、周りの冒険者も昨日に比べて余裕を感じられます。
対峙するソウティンス国軍は、ここから見る限りは浮足立っているとかそういう雰囲気は感じられません。それが逆に不気味に感じます…。
恐らく、今日の戦闘で何かを仕掛けてくるつもりなのでしょうが、何を仕掛けてくるのかさっぱり分からないので対策の立てようもありません。
昨日から感じている嫌な予感は朝になっても消えることなく、逆にどんどんと大きくなっていました。
……昨日のうちに王子にでも一言言っておけばよかったですね…。今更思っても仕方のないことですが…。
とにかく、注意はしておきましょう。わたし一人が気をつけていたところでどうにかなる物ではないかもしれませんが…。
昨日と同じように、戦闘開始の合図がかかり、一斉に兵士が駆け出します。
みんな今日で勝負をつけるつもりなのでしょう。気合が入っています。
「セイヤッ!……次!」
わたしもソウティンス国兵に斬りかかり、とにかく数を減らすことに専念します。
戦うとわかるのですが、ソウティンス国の兵士は昨日と同じ、いえ、昨日以上に士気を高めています。必死という感じもないので、それが余計不気味に感じます。
その感覚を振り払うように、敵兵を見つけては斬りかかります。
お昼ごろでしょうか?時間の感覚はあまりありませんが、太陽の位置からするとそのくらいの時間だと思われます。
背筋にゾクリとした悪寒が走りました。
どこからかはわかりませんが、禍々しい物を感じたのです。
わたしは一旦後ろに下がり、それが何なのかを確かめようとしました。
しかしそれを確認する前に、急にソウティンス国軍が撤退を始めたのです。
もちろん、今日の戦闘開始時点でかなりの戦力差があったので敗走ということも考えられるのですが、今感じている気配と組み合わせて考えると、それもおかしい気がします。
ソビュール王国軍は歓声を上げながら、ソウティンス国軍の追撃に移っています。一歩引いた位置からそれを見ていると、撤退すらも何かの作戦ではないかと思えるのです。
そういえば、逃げると見せかけて罠に誘い込むと言う作戦を何かで読んだ気がします。
この戦場に来ているはずなのに姿を見せない魔術師。圧倒的不利な状況にもかかわらず、士気の衰えない兵士。そしてこの敗走。全てが繋がっている気がするのです。
……もしかして、禁術を使うつもりでは…?
わたしの頭に、ふとそんな考えが浮かびました。なんせ、魔術師数名の命をかけて行う召喚の魔術を行った国です。今更禁術に対する禁忌など、考えるはずもありません。
わたしは慌てて禍々しい気配の元を探りました。
……ありました!が、この魔力は…!?しかもその場所は…。
巨大すぎる魔力と、禍々しい気配の中心地。それは今まさに追撃戦を行っている場所にありました。
誘いこんで、広範囲の禁術で一気に殲滅するつもりですか…!
今術が発動すれば、魔力の規模からして半径1km以上が術の範囲に入ります。それは追撃をかけている王国軍の半数以上、下手をすれば7割近くを巻き込む可能性があります。
さらに言えば、王国軍を引きつけているソウティンス国軍もかなりの人数が巻き込まれるでしょう。そこまでして禁術を使うつもりですか…!?
「罠です、下がってください!相手は広範囲の魔術を使うつもりです!!」
周りの兵士に向かって叫びますが、それを聞く人はほとんどおらず、戦功を求めて敵陣へと突撃をしていきます。それにこの場所からだと、すでに追撃に移っている人には声が届きません。
「逃げて下さい!魔術が来ます!このままだと死にますよ!?」
とにかく、一人でも多くの兵士を範囲から逃がさなければいけません。それにセドリム王子やエドウィル王子に伝えないと…。
わたしは身体強化の魔術と気を使い、叫びながら王子達がいるであろう、中央の部隊に向かって走ります。どちらかにでも伝えることができれば、撤退の指示が出るはずです。それで間に会うかはわかりませんが、伝えなければかなりの兵士の命が無くなります。そうなれば、今度はソビュール王国軍が敗走せねばなりません。
「エドウィル王子!すぐに撤退をさせて下さい!敵は大規模な魔術を使うつもりです!このままだと半数以上の兵士が巻き込まれます!」
ようやく見つけたエドウィル王子に駆け寄り、急いで状況を伝えます。
「なんだと!?それは本当か?」
「今、追撃戦が行われている辺りが中心になっています。魔術師ならそこに魔力が溢れているが感じられるはずです。時間がありません、急いでください!」
わたしの言葉を聞くと、すぐにエドウィル王子は傍にいた魔術師に指示を出しました。
「おい、今の話は本当か?魔力を感じられるか?」
「……はい、その者の言う通り、かなりの魔力が集まっているのを確認しました…。しかしこれは…」
「恐らく禁術です。それも儀式魔術だと思われます。すぐに撤退を…!」
青ざめてぶつぶつ言っている魔術師は無視して、エドウィル王子に迫ります。
「……わかった。全軍に撤退指示を!急げ!」
エドウィル王子が魔術師に指示を出すと、すぐに撤退を示す信号弾もどきが打ち上げられました。
「エドウィル王子もすぐに撤退を。ここも魔術の範囲に入っています。……それで、セドリム王子は?」
「わかった。お前もすぐに撤退しろ。セドリムは……前線で指揮を取っていたので恐らくは…」
エドウィル王子の視線は、最前線に向いていました。
集まっている魔力はもうすぐ臨界に達するはずです。敵にも撤退の信号弾は見えているはずですから、魔力が溜まればすぐに術を発動させるはずです。
……このままだと、王子や前線にいる人達は巻き込まれてしまいます。
「エドウィル王子達は撤退を…。わたしはあの魔術を何とかしてみます」
「馬鹿な!?ただ死にに行くような物ではないか!」
わたしの言葉に、エドウィル王子が驚きます。それはそうでしょう。恐らく魔術師100人以上の、しかも儀式魔術をたった一人で何とかしようなんて無謀としか言えないのですから…。
ですが、わたしも全く勝算が無いわけではないのです。
「なんとかなるかもしれません。上手くいけば、王子達が逃げる時間くらいは稼げるでしょう」
わたしの切り札を握りしめて、もう一度魔力の中心を見ます。
そう、切り札は神の祝福を受けたこの刀です。この刀にありったけの魔力を込めて魔力の中心に突き刺せば、上手くいけば魔術の破壊、そうでなくても魔力の一部を消し去ることはできるはずです。
……まあ、それを行った後はどうなるかわかりませんが。
無駄死にするつもりはありませんし、死に急ぐつもりもありません。ですが、何とかできる可能性があるのに何もしないのは、きっと後悔すると思うのです。それに、このままだと王国軍は主力をかなり失うことになります。そうなれば、この戦争の行方はどうなるかわからないのです。……理由の中に、王子を死なせたくないというのもありますが…。
「絶対に負けないでくださいね…」
それだけを言い残して、強化された身体で一気に戦場を駆け抜けます。
撤退する兵士とすれ違いながら、魔力の中心地を目指して走ります。
魔力の中心地付近では、まだ戦闘が続いていました。撤退をさせないように我武者羅に暴れるソウティンス国の兵士と、それを牽制するソビュール王国の兵士。恐らくソウティンス国の兵士には、何も知らせずにここで逃がさないようにという命令だけ出ているのでしょう。
「両軍とも、早くここから逃げて下さい!もうすぐここを中心に大規模魔術が発動します!このままだと死にますよ!」
両軍が引かないと、お互いに逃げることができません。なのでわたしは両方に聞こえるように叫びました。
「サクラ!?今の話は本当なのか!?」
わたしの声に反応して、立派な鎧を付けた騎兵が振り向きました。その騎兵は…。
「王子!?まだこんなところにいたんですか!?時間がありません、急いでください!」
なにも王子が殿を務めなくても…。そうは思っても、言い争う時間ももったいないです。
「貴方達も!それともここで死にたいのですか!?死にたくないなら、全力で逃げて下さい!」
敵兵もわたしの言葉に動揺していましたが、あまりの必死さに嘘ではないと感じたのか、慌てて逃げ出します。
「サクラも早く逃げろ!」
馬上に引き上げようとしてか、王子がわたしに手を伸ばしました。
「いえ、わたしはここでやることがあります。このままだと逃げ切るまでに魔術が発動してしまいます。わたしはここで魔術を食い止めますので王子は逃げて下さい」
もう時間がありません。このままだと後1分もしないうちに魔術が発動するでしょう。今から逃げても範囲から逃げ切ることは不可能です。
「馬鹿を言うな!置いていけるわけがないだろう!」
「王子、貴方は誰ですか?この国の王族でしょう?優先させることは何ですか?この国の為にも、貴方は生きなければいけないのです。……大丈夫ですよ。わたしだって死にたくありませんからね、上手くやりますよ。わたしの言うことが信じられませんか?」
「……サクラ…」
「さぁ、早く行ってください。でないと、集中できませんから」
「……くそっ!絶対に死ぬなよ!後で会おう!」
ソビュール王国の陣営に向かって駆けて行く背中を見送りながら、わたしは長い溜息を吐きました。
「……さて、生き残るために頑張りますか」
刀を抜き、逆手に持って魔力を練り上げます。練った魔力を全て刀に注ぎ込みながら、魔力をギリギリまで練り上げて行きます。
「くっ…、さすがに、きついですね…」
魔力を全て使ってしまうと、死の危険があります。ですので、ぎりぎりの分は残しておかなければいけません。
しかし、ここまで大量に魔力を使うのは初めてのことです。身体からどんどんと力が抜けて行きますが、それは気力で持ちこたえます。
欠片ほどの魔力を残してそれ以外が全て刀に注ぎ込まれた時、ついに禁術の魔力が臨界を迎えました。
「はあぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
その禁術が発動する前に、刀を振りかぶって一気にその中心へと突き刺しました。
途端、魔力が反発しあい、辺りに風が吹き荒れます。わたしは刀にしがみつくようにして、吹き飛ばされないようになんとか踏ん張ります。今立っているのは気力だけです。少しでも気を抜けば吹き飛ばされてしまうでしょう。
「くぅっ…、まだまだ、この程度では…!」
王子達が安全圏に逃げ切るまで、後数分耐えなければいけません。仮にそれだけ耐えたとしても、そこで力尽きればわたしが死ぬことになります。
生き残るためには、この魔力を相殺しきるか魔術を“反す”しかありません。
儀式魔術は術の種類にもよりますが、“反す”事が出来ます。魔術を“反す”には、それ以上の魔力で抑え込むことが必要です。
ですが今回のような魔術だと、魔力があまりにも膨大すぎて“反す”ことは不可能でしょう。つまり、今の選択肢では魔術が発動しない程度まで魔力を相殺するのがベストです。……それでもかなり無茶なのですが…。
正直言って、どの程度まで魔力を削ればいいのかもわかりませんし、仮にそこまで相殺できたとしてもわたしの魔力が尽きた途端、今溢れている余波によって吹き飛ばされてしまうでしょう。
最後の頼みは、この刀です。今わかっている刀の能力は、わたしの身体機能の強化と魔力のブーストです。ですが、それ以外にもまだ知らない力があるように思えるのです。それが、今わたしが掛けている最後のカードなのです。
正直、分の悪い賭けだと思いますし、チップが自分の命ならなおさらです。自分の心に従って行動しましたが、今は少し後悔している所です。ですが、一度始めた以上は引くことのできない勝負なのです。
「ああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
心を奮い立たせるように叫びます。
魔力の反発で起こった風は、すでに竜巻となってこの場所を包み込んでいます。
少しでも気を抜けば、そこで終わりなのです。
しかしわたしの思いとは裏腹に、身体の方は限界に近付いています。
「絶対に…、絶対にこんなところで死んでなんてやるものですかぁぁぁぁぁ!!!」
その叫びは、これまでわたしの中で溜まっていた様々な物を含んだものだったと思います。
思い返せば前世のせいで高熱にうなされ、いきなりこの世界に飛ばされて、右も左も……とは言いませんが、生活基盤も何もないところで生きて行くことになりました。それでもなんとか頑張ってきたのは、こんなところで死ぬためではありません。
最後の気力を振り絞り、柄を握る手に力を込めて、体重をかけるようにして刀を押しこみます。
瞬間、ピシリ、と音がしたかと思うと、刀を突き刺している場所から光があふれました。
光はすぐに膨れ上がり、視界が白に染め上げられました。
魔術が発動したのかと思いましたが、感じる魔力はわずかな物で、とても魔術の発動だとは思えません。
最後の力まで振り絞ったので、わたしの意識はその光に呑みこまれるように薄れて行きました。
意識を失う寸前に見上げた空には、光に包まれているにも関わらずに真っ黒な穴が開いていたような気がしました。