094 開戦
国境にテントを張って2日、やることと言えば、周りの冒険者と話すことくらいです。まあ、その中でも戦争での部隊分けや決まり事なども教えられるわけですが。
わたし達冒険者は、軍の左翼に配属されるそうです。100人くらいの単位で部隊を作り、その指揮はランクAの冒険者が務めるそうです。
そして3日目のお昼前に、斥候から国境の向こうにソウティンス軍が陣営を築き始めたという報告が入りました。その報告で、陣営に一気に緊張が走ります。
お偉いさんがいるであろう、大きな天幕の周辺ではにわかに騒がしくなってきました。
周りの冒険者も、なんだかそわそわとしています。
恐らく、今回の参加者の中で戦争を経験している人はほとんどいないでしょう。騎士の方もしかりです。
浮足立つのもわからないでもありませんが、そのままだと足元をすくわれる可能性もあります。いくらこちらの方が数で勝るとはいえ、冷静さを欠けばそのアドバンテージも無くなってしまいます。
戦闘が始まるのは恐らく明日の朝、それまでは慌てても仕方がありません。とりあえず、今できることと言えばしっかりとご飯を食べることくらいです。
国境に来て4日目、夜明け前から陣営は慌ただしく動いています。
昨夜のうちに全軍に伝令が走り、夜明けとともに国境まで進軍が伝えられたのです。
わたしも大きな荷物はテントにおいて、水と保存食、そして刀を持って集合場所へと移動します。
集合場所にはすでに半分以上の冒険者が集まっていて、それぞれに不安と緊張の表情が伺えます。かくいうわたしとて、多少の緊張はしています。なにせ、これから初めて人を斬ることになるのです。緊張しない方がどうかしていると思います。
まだ薄暗い空の下で、人が走り回る音がします。
やがて空も明るくなり始めると、部隊長が声を張り上げました。
「これから国境へ向けて進軍を始める!他の部隊に遅れるな!」
周りを見れば、同じように部隊長らしき人が声を張り上げています。
……おっと、先頭がすでに動き始めています。遅れないようについていきましょう。
戦場になるであろう国境まで行くと、ソウティンス国側にもかなりの人数が見えました。
相手も最初から総力戦を仕掛けてくるようです。
もちろん、ソビュール王国側も集結させた全戦力を投入しています。
事前の情報通りなら、ソウティンス国軍6万対ソビュール王国軍7万弱。その差は1万弱です。が、これだけの戦力になると1万弱は、そこまでのアドバンテージにはなりません。兵士の練度や士気、それに魔術師の数によっても大きく変わるのです。
ソウティンス国は昔から魔術に力を入れています。それに加えて、今回は傭兵もかなりの数を集めていると聞いています。
ここ数十年の間、大きな戦争も無かったソビュール王国は、虎視眈眈と領土拡張を狙っていたソウティンス国に対して、実戦経験という点で見ても劣っているのです。
ソビュール王国側もそれがわかっているので、実戦経験の多い冒険者を徴収したのでしょう。
正直に言えば、戦ってみないとどちらが勝つかは分からないのです。
ただ、長引けば孤立気味のソウティンス国に比べて、友好国の多いソビュール王国の方が有利になるのは間違いがありません。ソビュール王国は仮にこの場の戦闘で負けたとしても、王都にはまだかなりの騎士が残っていますし、時間を稼げば友好国からの援軍も到着します。
ですから、ソウティンス国は短期決戦を仕掛けてこようとしているのです。
国境に広がる平原を挟んで、睨みあうように二つの軍が展開しています。
その間には、これから始まるであろう大規模な戦闘を予感してか、静かな緊張が漂っていました。
ようやく昇り始めた朝日が照らす中で、伝令が忙しく走り回っています。
やがて慌ただしい動きも無くなり、ついに開戦が秒読みとなりました。
戦闘開始の合図は魔術です。信号弾のような物が打ち上げられ、それを合図にそれぞれの指揮が命令をするのです。
パアァァァン!
風船が破裂するような音がして、空に赤い光が打ち上げられました。
「全軍、進め!」
部隊長の声で、周りにいた冒険者や兵士が走りだしました。
「「「「「ウォォォォォォ!!」」」」」
ついに戦闘が開始されます。
わたしも取り残されないように走りだします。
中央では、すでに騎兵がぶつかり合っています。ついに戦端が開かれたと言うことです。
これだけの規模の戦闘は、王国史上でも類を見ないものでしょう。過去の記録でも、一番大きな戦闘で王国兵が3万人程度だったと見たことがあります。この時の兵士は両国合わせて5万人、死者の数は2万人以上だったとありました。それが倍以上の数なのですから、今回の戦いはまさに、歴史上に残る戦いになると思われます。
あちこちで剣や鎧のぶつかり合う音がします。それに伴い、怒声や悲鳴、断末魔と思しき声も聞こえてきます。今も視界の中で、敵国の兵士が血を噴き出しながら倒れて行きました。
ギィン!
その光景を、どこか他人事のように見ていたのですが、すぐ近くから聞こえた音に驚きました。
「おい、嬢ちゃん!戦う気がねぇなら下がっていろ!邪魔だ!」
見ればソウティンス国の鎧を着た兵士と、何度かギルドで見たことのある冒険者が剣を合わせていました。冒険者の物言いと敵兵の剣の位置から見て、どうやら横からわたしに斬りかかろうとしたのをこの冒険者が止めてくれたようです。
……いけない、ここは戦場なんです。切り替えないと…。
気を抜いていれば死ぬ可能性が上がります。すぐ隣に死が待っている。それが戦場なのですから。
「すみません、ですが大丈夫です!」
鍔迫り合いをしている横から居合で剣を振り抜き、わたしに斬りかかっていた敵兵の胴を切り裂きました。わたしの武器は刀で斬る為の武器、つまりは鎧などには不向きなのですが、神器であるためか鎧をものともせずに斬ることができました。あまりの切れ味に、わたしもちょっと驚いてしまいます。が、考えてみればドラゴンの鱗すら切り裂くのです。普通の鎧が切れないはずはありません。
「はん、やるじゃねぇか。だが、無理はすんなよ」
先程かばってくれた冒険者が、にやりと笑いながら声をかけてきました。
「もちろん、生き残ることが最優先ですから。そちらも気をつけて下さい」
わたしも軽口で返しておきます。人を斬ったのは前世を含めて初めてのことでしたが、感想としてはこんなものか、という程度でした。斬った感触などはゴブリンやオークを斬った時と大して変わりませんし、その程度に思えてしまうわたしは、やはりこの世界の考え方に染まってしまっているのでしょう。……もしかしたら、後で罪悪感が押し寄せてくるのかもしれませんが。
とにかく今は、この怒号の飛び交う戦場で生き残ることです。その確率を上げる為には、やはり敵兵を一人でも多く減らすのが手っ取り早いと判断しました。敵が減れば減るほど自分に剣を向ける者はいなくなりますし、何より戦争が早く終わるからです。
「ハッ!」
手近な敵兵に姿勢を低くして近付き、斬り伏せます。気を使うことはしません。迂闊に気を使っていればすぐに息切れしてしまい、いつまで続くかわからない戦闘で生き残ることは不可能だからです。もちろん、必要な時には使いますが。
まだ戦闘は始まったばかりです。わたしは柄を握り直して、次の敵兵へと駆け出しました。
一体何人の敵兵を斬ったでしょうか…。
大規模すぎる戦闘は、すぐに指揮の意味を無くして乱戦へと移って行きました。
わたしも最初こそ倒した人数を数えてはいましたが、今はただ、無心に刀を振るうのみになっています。
戦闘が始まってからどれくらい過ぎたのかもわかりません。体感では2時間、いえ、3時間でしょうか?
その間、敵兵を見つけては近付いて斬る。ただそれだけを繰り返していました。
わたしの身体は返り血を浴び、あちこちが赤く染まっています。血の匂いはすでに鼻が麻痺しているので気にもなりません。
それにしても、さすが神器です。これだけ斬り続けても刃こぼれ一つなく、いまだに切れ味が衰えないのですから…。これがなければ、わたしは早々に後ろに下がっていたでしょう。
気がつけば、辺りは敵兵の死体で一杯になっていました。少し離れたところでは、まだ味方が戦闘を続けています。
わたしは周りに敵兵がいなくなったので、そちらに向けて走りました。
夕暮れになり、それと共に撤退の指示が出ました。
同じように相手にも撤退指示が出たようで、ようやく1日の戦闘に終わりが来ました。
さすがに一日中戦い続けるのは、体力、気力ともにきついものがあります。
陣営に戻ると、あちこちで疲れ果てたように座り込む姿が見られました。怪我をして呻いている人もいますし、仲間を亡くして悲しんでいる人もいます。大きな怪我がない人も、疲れ果てたように座り込んでいます。
わたしはそれを見ながら、自分のテントからタオルと着替えを持って水場へと移動しました。さすがに血にまみれた姿でいるのは趣味じゃありませんからね。
今は他の人はみんな休むことを優先しています。その間に軽く水浴びをして、肌や髪についた血を洗い流します。その後に汚れた服と鎧を洗い、自分のテントに戻りました。
テントに戻ってゆっくりしていると、どこにも耳の早い人はいるもので今日の戦闘についての情報を話しているのが聞こえました。
「だからよ、ソウティンス国は魔術師を出し惜しみしているらしいぜ?戦場にはほとんど出てきていないって話だ。本当だって!騎士の連中が話しているのを聞いたんだからな!」
「騎士の話だって本当かどうかわからんだろう?そもそも、出し惜しみする理由がどこにあるんだよ?今日の戦闘だって総力戦だったじゃねぇか。俺の聞いたところだと、あちらさんは今日だけで2万近くの兵が死んだって話だぜ?それに対してこっちは5千人程度だってよ。怪我人はそれ以上だ。この状況で出し惜しみしてるなんて、最初から勝つ気が無いって言っているようなもんだぜ?」
「おいおい、俺はただ、聞いた話をしているだけだからな。あちらさんの思惑がどうとかは知らねぇよ。そこまでわかるんなら、俺は冒険者を辞めて軍師にでもなってるさ」
「お前が軍師だと?がっはっは、無理にきまってるだろう!?お前が軍師になんてなったら、それこそ勝てるものも勝てなくなっちまうぜ」
「俺が軍師になんてなれるわけがないだろうが。だから知らねぇって言ってんだ」
なるほど…。つまり今日が終わった時点での戦力は、ソウティンス国が4万以下、それに対して王国軍はまだ6万以上ということになります。このままだと早ければ明日、遅くても3日後にはこの戦闘は終わりそうですね…。
それにしても気になるのは、ソウティンス国が魔術師を出してきていないと言う話です。なにか裏があるのでしょうか…?それとも…。
何やら嫌な予感がしますね…。明日は注意しないと、とんでもないことになる気がします…。