093 戦争の始まり
4月も半ばを過ぎた晴れの日、今日も依頼を受けようと冒険者ギルドに行きました。
しかし、ギルドに入った途端、なにやら雰囲気がいつもと違います。騒がしいのはいつも通りなのですが、騒がしさの質が違うというか……なにやら慌ただしいのです。それに、集まっている冒険者も何やら殺気立っている気がします。
喫茶室では、いつもならのんびりとした空気さえ漂っていたのに、今は各テーブルで顔を寄せ合って相談をしています。
……何かあったのでしょうか?
わたしはとりあえず、依頼を見る前に受付で聞いてみることにしました。
「おはようございます。慌ただしいようですが、何かあったのですか?」
受付に座るアイリさんも、なにやら忙しそうにしています。が、わたしが話しかけるとこちらを見て、説明をしてくれました。
「あ、フジノ様…。おはようございます。ええ、今朝早くに冒険者に緊急依頼が入ったんです。ソウティンス国の正規軍が、国境に向けて進軍してきたと…。全ての冒険者には、強制招集がかかっています。特別な事情のない限り、拒否権はありません。フジノ様にも招集がかかっています。発令は国王様で、内容は防衛線です。召集日は3日後で、最優先事項の為に本日より他の依頼は全て停止しています。詳細は依頼掲示板の方に張り出してあるので、確認しておいてください」
心なしか青い顔で、しかしそれでも詰まることなく説明してくれました。
少し前からきな臭い噂はありましたが、ついにきましたか…。禁術である勇者召喚や、希少鉱石の輸出制限で周辺国から叩かれていたようですし、少し前から傭兵を集めていたという噂もありました。考えてみれば、最近の小競り合い程度しか起きていないという状況自体が、今までの歴史と比較してもあり得ない状況だったと言えます。
なんせ、10~20年に一度は大規模な戦闘が、まるで伝統行事のようにあったのですから…。それが少なくとも40年近く、大規模な衝突は起こっていませんでした。
「軍の規模や進軍状況などはわかっているのですか?」
冒険者にまで緊急招集がかかるのですから、おそらくソウティンス国の軍の規模は数万単位と予想されます。召集が3日後なので、軍は数日前にソウティンス国首都を出発したとみていいでしょう。王都から国境地帯までは、馬車で8日ほど、徒歩だと15日近くかかります。ソビュールの軍は、先遣隊が明日にでも出発して国境の警備につくのでしょう。
「今入っている情報ですと、ソウティンス軍の規模は6万ほどで、4日前に首都を出発したそうです。ソビュール軍は、先遣隊として3千を派遣し、現在の国境警備と合わせて8千人で陣営の準備に入るそうです」
6万…!?6万って、ほぼ全軍じゃないですか!いえ、今の詳細は知りませんけども…。
少なくとも25……いえ、26年前ならば、6万という数はソウティンス国軍の8割近くの数です。今とどれほど変わっているのかはわかりませんが、それでも極端には変わっていないと思われます。つまりは、本当に必要最小限を残して全戦力を投入してきていると言うことです。短期決戦で仕掛けてくるつもりですね…。
王国の軍は、全て合わせれば12万人程です。さらに義勇兵を募れば、最大で20万までは膨らむでしょう。国力からすれば、戦闘が長引けば長引くほどソウティンス国には不利になるのです。現在、他の国境は友好国と接しているのでそれほど警備はいりませんが、各都市や村の警備、それに街道の巡回などの人員は必要です。それらを除くと、動かせるのは7万弱といったところでしょうか…。人数の上では王国が有利ですが、あちらは何をしてくるかわからない部分もあります。それこそ、禁術ですら使って来る可能性もあります。
わたしはアイリさんにお礼を言って、依頼掲示板の方に行ってみます。
依頼掲示板の前には、予想通りに人だかりができていました。人をかき分けて前に出てみると、そこには羊皮紙で緊急招集の内容が張り出されていました。
内容は、“ソウティンス国の国境進軍に伴い、ソビュール王国在住の冒険者に対して招集をソビュール王国国王の名において命ずる。期間は本事案が解決するまでの無期限とし、報酬は冒険者ランクによって日毎に算出する”とあります。他にも細々とした内容がありますが、アイリさんに話してもらった内容と似たようなものでした。
ギルドで招集を聞いてから3日後、つまりは招集当日の朝、わたしは指定された門前の広場に来ています。
準備期間の間に、とりあえず必要と思われることはやっておきました。
まず、エルの事はいつものようにシフォンさんにお願いしておきました。期間も不明なので心苦しいのですが、まあ、賢いエルのことですからそれほど迷惑はかけないでしょう。戻ってきたら、シフォンさんにはなにかお礼をしないといけませんね。
家の事は……掃除などはどうしようもないですが、家賃は事情が事情なので不動産屋さんとギルドにお願いして、わたしの預けている中から支払ってもらうように頼んでいます。帰ってきたら住む場所が無くなっていた、なんてことになったら悲しいですからね…。
他の事、旅の準備などは特にやることはありません。装備などは今までの物がありますし、期間中の食料は国からの支給になります。まあ、保存食はいくらかは持っていきますが、それほどの準備は必要が無いのです。
広場にはすでに他の冒険者の人達も集まっていました。どこにこれだけいたのかというくらいに、辺りは冒険者で一杯です。恐らく、千人はいないでしょうが、それに近い数字ではないかと思われます。
王都の住人の数が二万人くらいと聞いているので、それからしたらかなりの人数ではないでしょうか?近隣の街からも集まっているに違いないでしょう。
緊急招集の話を聞いてからというもの、毎日、騎士の団体が国境に向けて出発していました。街の人もそれを見たり、噂などでソウティンス国の進軍を知っています。わたしも買い物に行くと、お店の人に色々言われましたし…。
まあ、戦争なんてしたくはありませんが、これも冒険者の義務なのですから仕方がないと言えば仕方がありません。出来ればさっさと終わってくれることを期待します。
周りを見れば、大体はグループで集まって話をしています。グループに属していない、個人で動く冒険者はじっとどこかを見ている人が多いです。ああ、あの人は不安そうに地面を見ています。装備や見た目から、登録したての初心者でしょうか?恐らくはランクFでしょう。冒険者になってすぐに戦争なんて、ついていないですね…。
しかし、こうやってみると本当に女性の冒険者は少ないですね。2割以下と聞いていますが、実際は1割と少しくらいでしょうか?
え?どうしてわたしがそんなことまで見えているのか?小さいくせにそこまで見えるわけがない?……もぎますよ?
わたしは集団から離れて荷物の上にいるのですよ。こういう時でないと、これだけの冒険者を見ることなんてありませんからね。これから一緒に行動するのです。危なそうな人には近づかないように確認しておいた方がいいでしょう。
ちなみに、戦場では気をつけていないと軍内での規律の乱れというか、戦闘が長く続けばストレスによってろくでもないことをする輩もいます。最初のうちはお酒を飲めばそれも収まるのですが、やがては喧嘩や女性に手を出そうとする者もいます。さすがに騎士の中ではそういったことをする者はいないでしょうが、規律の無い冒険者ではそういったことも気をつけないといけません。……中には“女”でさえあればいいといった人もいるので、わたしも注意が必要です。そう言った理由から、女性の冒険者は休む時は女性同士、もしくは信頼のできる者と一緒に休むのです。
まあ、最初のうちはそんなこと、まず起きませんがね。
冒険者の群れを眺めていると、門の方から大きな声がします。
「これから国境に向けて出発します!日程は14日で着く予定ですので、みなさん、遅れないようにしてください!無茶な行為をする人には、ギルドからペナルティもありますので注意してください!途中、街や村には止まらずに進みます!それでは出発します!」
門の近くの集団から、ぞろぞろと動き始めます。わたしは最後尾からのんびりと付いていくことにしましょう。
国境への移動は、さほどトラブルも無く進みました。
まあ、支給されたのがあまり美味しくもない保存食だったり、炊き出しの夕食があの味気ない食事だったりと、そう言った部分での不満はありますが…。
むしろ一番の問題は、お風呂に入れないことでした。途中、街にも村にも寄らずにただ歩き続けて、夜は毎日野営して…。着の身着のままで、段々と汚れて行くのにもかかわらず、着替えることも水浴びも出来ないのは毎日お風呂に入り、綺麗にしていたわたしから見ればかなりきついものがあります。
わたしも一応、冒険者ですから2,3日は我慢しますが、それ以上となると苦痛でした。
しかし、着替えるにしても隠れて着替えるような場所もありませんし、水浴びにしてもそうです。他の冒険者に見られる覚悟があれば別ですが、わたしとて女です。むやみに肌を晒す趣味などありません。
肌を晒すか、それとも身体の汚れを我慢するか…。毎日が辛い日々でした…。
さすがに耐えかねたのは行軍も半ばを過ぎた時。王都を出発して5日目の野営時でした。
わたしは手近な女性冒険者に声をかけ、何人かで交代で水浴びと着替えをすることを提案したのです。その女性冒険者も着替えすらできない状況には耐えかねていたのか、二つ返事で了承を得て、それから数人に声をかけて見張りの人員を確保したのです。
半数が見張りにつき、残りが着替えや水浴びをします。ついでに汚れた服を洗濯し、焚き火で乾かすのです。それを女性冒険者だけで固まり、他の冒険者から離れて行います。さすがに毎日は無理なので、3日に一回、そうやって身体を洗うことになりました。
まあ、予想通りと言いますか…、馬鹿な男はどこにでもいるものです。毎回、数名の冒険者が覗きに来ましたが、もちろん返り討ちです。
行軍に支障が出るので動けなくはしていませんが、それでもその晩は起きあがれない程度にはお仕置きしておきましたよ?
そんなことがありながらも、ほぼ順調に国境に着きました。
すでに国境では騎士団があちこちにテントを建て、陣営が出来上がっています。
そのなかでもひときわ大きなテント、いえ、天幕と言うべきでしょうか?一番大きな天幕の隣に、それよりは小さいながらもやはり立派な天幕がいくつか並んでいます。
あの天幕群は、きっと貴族や位の高い人達用なのでしょう。
わたし達冒険者は、騎士のテントから外れた場所にテントを設営します。テントと言っても寝る為だけのもので、広さは全くありませんが…。
見たところ、まだ陣営にはそれほどの緊張感はありません。とは言っても、数日のうちに戦争が始まるのですから、緊張感が皆無というわけではないのですが、まだ殺気立つような緊張感は無いということです。
しかし、とても静かとは言えません。今も向こうでは騎士が走り回っていますし、こちらのほうもテントの設営や野営の準備でバタバタと人が動き回っています。
「久しぶり。藤野さんも来てたんだね」
テントの設営も終わり、夕食までの時間をどうしようかと考えていたところで背後から声がしました。振り向いた先には、元・勇者の高橋さんが立っていました。
「ああ、高橋さんですか。お久しぶりです。そちらこそ、王都の警備に残ったのではなかったのですね」
「はは、ソウティンス国にはでっかい借りがあるからな。せっかく借りを返すチャンスなんだ。自分から立候補して来たんだよ」
確かに、高橋さんは元々がソウティンス国に禁術指定されている異世界召喚で無理矢理召喚されたあげく、騙されてソビュール王国まで来て、仲間だと思っていた人に殺されそうになったんですものね。勇者として召喚された力をソウティンス国に振るうなんて、皮肉の利いた仕返しですよね。
「仕返しするのはいいですが、こんなところで怪我でもしたら損ですよ?無理しない程度に暴れて下さいね?」
多少の怪我は仕方がありませんが、後遺症でも残るような怪我でもしたら大変です。わたしの目標は、無事に帰ることです。もちろん、戦争なので負けることは許されませんが、そこはまあ、“適度”に、というやつですね。
それに、ソウティンス国がどう出るかも気になります。あの国は、もはやなんでもありの気がします。人道的だとか、そういうことを考えていない気がするのです。王子から聞いたのですが、あのレッサードラゴンを操っていた自称魔王もソウティンス国絡みだったそうです。魔王に禁術とくれば、今回も何をしてくるかわかりませんからね…。
禁術の中には魔術師が100人規模で必要な、大規模な戦略魔術というものもあります。まあ、それは理論上だけのもので、今まで一度も実証されたことのないものですが。それは無いにしても、禁術には魔術師が数人で命をかければ広範囲にダメージを与えることの出来る魔術もあります。
下手に突出して、そんなものを食らうのも馬鹿らしいですからね。
「わかっているさ。俺だって大怪我なんて御免だからね。うまく立ち回ってやるさ。そういや、セドリム殿下とは会ったの?副指揮官として来られているはずだけど…」
「いえ、王子が来ているのも知りませんでしたから…。それにしても、副指揮官ですか?では総指揮官はエドウィル王子が?」
「ああ、そうみたいだね。そういや藤野さんは、王太子殿下とも面識があるんだっけ?」
「そうですね。まあ、知人のレベルですが…。そのうち会うこともあるでしょう。今は開戦前で忙しいみたいですからね」
「そうだね。……おっと、隊長が呼んでいるみたいだ。じゃあ、藤野さんも頑張ってね」
そう言って、手を振りながら他の騎士の方へと歩いていきます。
……というか、高橋さんって人を殺せるのでしょうか?わたしと違って純粋な日本人である彼は、倫理観とかそういうのがまだ取れていない気がします。え?わたしですか?わたしは……多分、大丈夫だと思います。まだ人を斬ったことはありませんが、前世の影響でしょう。今のところはそれほど何も感じないのです。むしろ、倫理観としてはこちらの世界よりな気がします。どちらがいいとは言えないですが、今回はこちら寄りでよかったのだと思います。