090 勘違い2
くっ、アリアとシフォンに呼び止められたせいで、約束の時間に遅れてしまった…!
先程5の刻の鐘が鳴ったので、完全に遅刻だ…。
一般では、鐘が鳴っても誤差として半刻近くは許されるのだが、サクラはもう門の前に来ている気がする。なんとなくだが、そんな気がするのだ。
普通に歩いていた足は、いつの間にか急ぎ足になり、すぐに掛け足になっていた。
ようやく門が見えた時には、息も切れんばかりに走っていた。
……門の所に、誰かいる。
まだ小さな人影だが、それがサクラだとわかった時には全力で走っていた。
どうしてこんなに門まで距離があるんだ…!
いまさらそんなことを言われても、と思われるようなことを考えてしまう。それくらい、私は急いでいたのだ。
「済まない、待たせたか?」
サクラの元まで駆け寄り、息を整えながら問いかけた。
「いえ、わたしも少し前に来ましたから」
遅れたことに怒りもせず、穏やかに答えてくれた。
……少し前と言いつつも、鐘が鳴るまでには来ていたのだろう。4半刻とはいかないだろうが、それなりの時間を待たせてしまったはずである。それなのに、柔らかく笑う彼女がまぶしく思えてしまった。
せめて、鐘が鳴るころにはきていれば…。
後悔するが、今更である。次に待ち合わせることがあれば、もっと時間に余裕を持って動こう。そう心に誓った。
「おはようございます。今日は招いていただき、ありがとうございます」
私が心の中で後悔していると、サクラの声がしたので注意を向け直した。そして今更だが、その雰囲気がいつもと違うことに気がついた。
春らしい、サクラによく似合う薄いピンクのワンピースに、薄い青色のカーディガン。シンプルだが、それが彼女の可愛らしさを引き立てているように見えた。
両手を前で揃えて腰を折るその態度は、見慣れぬ作法ながらもとても礼儀正しく感じた。
サクラに見惚れながらも、なんとか答えを返す。
「ああ、いや…、よく来てくれた。今日はその……いつもとは随分と違う格好だな?」
もっと気のきいたことが言えればいいのに、出てきたのはそんな言葉だった。
「今日は激しい動きをすることはありませんので…。もしかして、似合いませんか?」
……やはり、私はもっと女心を学ばないといけないようだ。
サクラにこんな顔をさせてしまうとは…。
「いや、そんなことはないぞ!?よく似合っていて……その、か、可愛いと、思うぞ?」
情けないが、これが今の私に掛けられる、精一杯の言葉だ。
そんな私のつたない褒め言葉にも、サクラは頬を染めて俯いてくれた。
……抱きしめたくなる衝動を、ぐっと抑え込む。その姿は、まさしく春の妖精のようだった。
しかし、その感動も彼女の次の言葉で吹き飛んでしまった。
「あ、ありがとうございます…。その、王子もよく似合っていますよ?か、格好いいと思います…」
……ああ、悩んだがこの服を着てきてよかった…!
思わず天を見上げて、神に感謝した。
「う、あ~……そ、そうか?たまにはこういう服装もいいか…」
照れながら、しどろもどろになりながらも、なんとかそれだけを返した。
こういうことに慣れていたら、もっとスマートに返せるのだが…。いや、それだと軽薄に見えないか?しかし、スマートなのはポイントが高いと聞いた気も…。
こんなことなら、もっと騎士の連中の話を聞いておけばよかった…!
「こ、ここにいても仕方がありませんし、庭園の方に行きませんか?」
その言葉にはっとした。
そうだ、今日は庭園に案内すると言って誘ったのだ。本来の目的を忘れていた…!サクラの可憐な姿に舞い上がってしまっていたのだ!!
その姿を見る事が出来ただけでも、この日の目的の半分以上は達成できた気もするのだが、彼女は庭園を楽しみにして来てくれたのだ。
……私と会うことが一番の目的なら嬉しいのだがな…。
そうは思うが、ここは気持ちを切り替えてきちんと案内をしようと思う。そうすれば、また見に来たいと言ってくれるかもしれないからな。
「そうだな、では案内しよう。ついてきてくれ」
浮かれる心を押さえながら、出来るだけ冷静に言葉を発してサクラの足元に置かれた荷物を持って、城の方へと足を向けた。
しかし、足を踏み出そうとした瞬間に固まることになった。
なんと、サクラが私の手を握ってきたのだ!
柔らかな、剣を握っているはずなのに私や騎士達の手とは違って、本当にとても柔らかな、そして小さな手が、私の手を握っているのだ!
まさか、こんなことがあるなんて想像すらしていなかった私は、驚きながらその持ち主の顔を見た。
そこには、少し悪戯っぽく微笑む彼女の瞳があった。
……試されている。
そう思った。彼女は、私の反応を見ているのだ。ここはスマートに、このくらいで動揺しないところを見せないと…。
私は前を向き、庭園に向けて歩き出した。
……繋いだ手に、少し力が入ってしまうのはどうしようもないことだと思う。それに、彼女の手の感触を確認してしまったのも許してほしい…。
出来ればこの手を、ずっと繋いでいたいものだ…。
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セドリム兄様の姿を探しながら着いた先は、王城の門でした。
さすがに遮蔽物のないこの場では、近付き過ぎるとばれてしまいます。わたくし達は遠目にお兄様とサクラちゃんの姿を眺めるしかありませんでした。
「ああ、何を話しているのか聞こえませんわ…!もっと近くに行けないものかしら…」
思わず愚痴がこぼれてしまうのは、許してほしいと思いますの。だって、とてもいい雰囲気に見えるのに詳細が分からないなんて、これは拷問にも匹敵しますわ!
「落ち着いてください。これ以上近づけば気付かれてしまいます。あ、今かなりいい雰囲気になりましたよ?今日はもしかして、もしかするのではないでしょうか?」
「ですが!詳細が分からないのではそれも確かめようがありませんわ!」
シフォンの言うことは尤もですが、やはりもどかしさというものはどうしようもありません!
魔術が使えたら、音を拾うことも出来るでしょうに…!
「あ、見て下さい!サクラ様から手を…!」
「なんですって!?やはり、今日は逢引だったのですわね!くぅっ、そうと知っていればもっと準備ができたものを…!」
「姫様、隠れて下さい!お二人がこちらの方へ向かってきます」
言われて見てみれば、確かに二人が手をつないでこちらへと歩いてきます。街の方へ出かけるのではなかったのですね…。これは追跡しやすくて助かりますわ…。
わたくし達は、大きな柱の陰に隠れて二人が通り過ぎるのを待ちました。
しばらく待って、二人が完全に通り過ぎたのを確認してから、お母様とシフォンに合図を出します。
「さぁ、見失わないうちに追いかけますわよ!」
決定的瞬間を見逃してなるものですか!
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手をつないで歩くというのは、中々に気恥ずかしいものだ。だが、それ以上に嬉しくもある。好きな相手と繋がっているという感覚が、とても幸せに感じるのだ。
庭園までの間、ほとんど会話は無かったのだが、それでもこの手がお互いの存在を伝えてくれている気がした。
庭園の入口まで行くと、警備の兵が一瞬だが、驚いた顔で私達を出迎えた。
繋いだままのこの手が、目に入ったのだろう。
しかしさすがと言うべきか、すぐにその表情は冷静な物へと変わった。
……今日中にはこのことは城中に知れ渡るか…。明日の朝、いや、今夜にもアリアや母上から何か言われるかもしれんな…。できればその時にはいい答えを返したいものだが…。
そんなことを考えながら、兵士の間を抜けて庭園へと足を踏み入れた。
サクラは緊張していたようだが、庭園に入ると一気にその顔が変わった。
きょろきょろと辺りを見回し、各所に咲いている花を見ては興味深そうに眺めていた。時折、わたしに花の名前を聞いてきたのだが、私には花の知識など無い。いや、一般的な花くらいは知っているのだが…。聞かれた花の1割も答えることができなかった。
サクラは気にはしていない様だったが、こういうときにサッと答えられた方が女性の受けはいいのではないだろうか?サクラだって花を見ては嬉しそうにしているし、女性というものは総じて花が好きだと聞いている。
……うん、やはり少しくらいは知っていたほうがいいだろう。そういえば、騎士の一人が女性に花を贈る時は花言葉とやらも大切だと言っていた気がする。どんなものでも送ればいいというわけではないらしい…。
女心に花の名前、それにエスコートの仕方など、学ばなければいけないことは多そうだ…。
未熟な私だが、せめて今日はサクラが楽しんでくれればと思う。
そう考えていたのだが…。
「王子、王妃様やアリア王女はおられないのですか?」
唐突な言葉に、驚くというよりも少し悔しい気がした。今日は私との逢引だろう?今聞くことではない気がするのだが…。
なんだか私と会うよりも、二人と会うほうがいいと言われているような気がするのだ。
そんなことは無い、と思いたいのだが、それを否定することも出来ない。
「……あの二人なら、城のどこかにいるんじゃないか?二人がどうかしたのか?」
そんな悔しさを出さないように気をつけながら、何とか冷静に答えを返した。
「二人に用があるのなら、会いに行くか?」
少し考え込んでいるようなので、ついこんなことを言ってしまった。
もしも是と答えられたらどうするのだろう…。今あの二人には会いたくないと思っているのに…。
しかし、その思いは杞憂に終わった。
「いえ、特に用というわけでは…。聞いてみただけですから」
正直、この答えを聞いてほっとした。少なくとも、私との時間は嫌だとは思われていない様だったから…。
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セドリム兄様を追いかけて移動する途中、わたくし達は何とも都合のいい存在を見つけました。
あの娘は、たしかレン導師の弟子の一人だったはずですわ。彼女なら魔術を扱えるはず…。つまり、多少離れていても二人の会話を聞くことができるのです!
わたくしは早速、その娘を捕まえることにしました。
「そこの貴女。そう、貴女ですわ。しばらくわたくし達に付き合いなさい!」
都合?そんなもの、わたくし達の使命の前には関係ありませんわ!仮に何かあっても、わたくしとお母様がいるのです。たとえお父様の用事でもキャンセルさせますわ!
有無を言わせずに彼女を引きこんだわたくし達は、お兄様達を追って廊下を進みました。
幸い、サクラちゃんの歩幅が小さいせいでお兄様達はさほど進んではおらず、すぐに見つかりました。
「庭園…?お兄様、二人っきりになれる場所を選びましたわね…」
この庭園には王族が一緒でないと入ることすらできませんの。さらに、庭園と言いながらも広さはかなりあって、その気になれば一日いても疑問には思われませんわ。つまり、王族以外には邪魔をされる可能性は無く、ついでに言えばそれほど頻繁には庭園には足を運びませんし、仮に足を運んだとしても出会うことはまずありません。
「きゃあっ、お兄様ったらサクラちゃんを連れ込んで、あんなことやこんなことをするおつもりですのね!?なんてうらやま……いえ、ふしだらなんですの!?サクラちゃんの純潔はわたくし達が守りますわ!さあ、いきますわよ!」
3人を連れて、お兄様達が消えた庭園に向かって歩き出しました。
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