087 お弁当
6の刻の鐘が聞こえたので、手近な開けた場所でお昼を食べることにしました。
もちろん、都合よく椅子やテーブルなんてないので、依頼で外に出た時に使っている防水処理のされた布を地面に敷きます。いわゆる、ピクニックシートのような物です。
王子が肩にかけていたリュックを受け取ろうとして、今までずっと手をつないでいたことに気がつきました。
……すっかり忘れていました…。ということは、お城の中を歩いている時も、庭園に入る時もずっと見られていたと…?
今更ながらに警備の騎士の視線の意味がわかり、悶絶しそうになりました。きっと、傍から見れば色々な誤解を受けたことでしょう。
幸いと言うべきか、お城の中で歩いた部分は人気が少なく、見られたとしても極少数でしょう。それに、お城の中は暗かったですしね…。
わたしは何度か深呼吸をして気持ちを落ち着け、地面に布を敷きました。離した手が、少し寂しく感じたのは気のせいです。
靴を脱いでその上に座り、リュックからバスケットを取り出して並べます。お茶を用意してきて正解でしたね。木製のコップにお茶を注げば準備は完了です。
「さぁ、食べましょうか?」
バスケットの蓋を取ると、サンドイッチと付け合わせ、いえ、惣菜と呼ぶ方がいいですね。それらが姿を現しました。
冷めてはいますが、それを前提に作っているので美味しいはずです。
「相変わらず、サクラの作るものは美味そうだな…。これは、サンドイッチとか言うものだったか?こっちは……肉や野菜か。見た目もいいし、とても美味そうだ」
「王子はお肉が好きでしょう?偏るのはよくはありませんが、ピクニックのお弁当と言えば豪華なのが基本ですからね。赤いソーセージはありませんが、定番の物を詰めて来たんですよ」
そう、定番のミニハンバーグやソーセージ、唐揚げに卵焼き、肉団子にベーコン巻きチーズ、ハムやポテトサラダ、カリフラワーなどの緑色もあります。ミニトマトがないので寂しいですが、そこまでは贅沢が言えません。
バスケットは編みかごなので、汁の出るものは入れられないのが難しいですよね。
もう少し多めの人数で食べる予定だったので、二人だと少し、いえ、かなり量が多いと思うのですが…。まあ、余ったら余ったでどうにでもなりますからね。
「む?私が肉を好きだと誰から聞いたのだ?」
「見ていればわかりますよ。お肉を食べるとき、いつも嬉しそうじゃないですか」
伊達に何ヶ月も食事を作っていませんって。メイン料理を魚で作ることもあるのですが、その時はがっかりとした表情を見せるのです。注意していないとわからない程度ですが。それでも美味しいと言ってはくれるのですが、やはり微妙な差を感じますからね。ただ、お肉ばかりでは健康によくありませんから、それでも魚料理は入れますけどね。
「そうか…。よく見ているのだな」
その声が、何となく嬉しそうに聞こえるのは気のせいでしょうか?
「見ているのも楽しいが、それでは腹は膨れんな。頂くとしようか」
王子の手が、サンドイッチに伸びました。
あれだけあったお弁当が、見る間に無くなっていくのは気持ちがいいくらいです。
わたしも普段よりは食べましたが、それでも王子の食べた量に比べればかなり少ないです。なんせ、いくら女性を想定しての5人分とはいえ、そのうちの4人前弱を王子が食べてしまったのですから…。余ると思っていたお弁当は、ほとんどが王子のお腹の中に消えました。
しかし、王子もやはり食べ過ぎたようで、少し苦しそうにしています。
「美味いからって、食べ過ぎてしまったよ。少し休めば大丈夫だ」
少しどころじゃない気がしますが…。そう言って布の上に寝転ぶ王子を横目に、わたしは後片付けをしました。
バスケットを片付けてお茶を入れ直していると、妙に静かになったのに気がつきました。
王子の方を見ると、いつの間にか眠っていました。
いくら今日が暖かいとはいえ、まだ冷たい風が吹きます。こんなところで寝ていると、風邪をひいてしまいます。
わたしはリュックから野営用の毛布を取り出し、王子に掛けました。
毛布を掛けた時、やはり布越しとはいえ地面の上だと寝辛いのか、王子が少し身を捩りました。
……こういう時、恋人なら膝枕をするんですよね…?
幼いころに母にしてもらった膝枕を思い出します。膝枕をされることはあっても、することなんてありませんでした。
……どんな感じなんでしょうか?ちょっとだけなら、気付かれませんよね…?
好奇心、だったと思います。優しげな母の顔が思い出されて、懐かしく感じたのかもしれません。
わたしは起こさないように王子の頭を持ち上げて、その隙間に膝を入れました。
「ふふ、こうすると可愛く感じるのですね…」
自分よりも年上の、かなりの身長差のある男性が自分の膝の上で眠っています。それがどこか可笑しく、そして温かな気持ちを感じます。
心なしか、王子の顔も穏やかになったような気がしました。
しばらくそのままでいましたが、母が髪を撫でてくれたのを思い出し、そっと王子の髪に手を伸ばしてみました。
……意外と柔らかいんですね…。
もっと髪質が固いのかと思っていましたが、手に伝わる感触は柔らかで、少しくすぐったささえ感じます。
エルが偶に膝の上で丸くなりますが、それとは少し違った感じがします。
お母さんもこんな気持だったのでしょうか…?
「気持ち良さそうに眠っていますね…。起きないと悪戯しますよ…?」
眠っている所への悪戯と言えば、やはり顔の落書きが定番でしょうか?
そんな事を思いながら髪を撫でていると、王子が身じろぎをしました。
「ん…、私は……眠っていたのか?」
呟くように言って、王子がゆっくりと目を開けました。
顔を覗き込むように見ていたので、わたしの目と王子の碧色の目が合います。
髪を撫でていた手も止まってしまいました。
「……おはよう、ございます…」
起きるとは思っていなかったので、驚きでそんな言葉しか出てきませんでした。
「……ああ…。どれくらい、眠っていた?」
王子はまだ状況が把握できていないのか、ぼんやりとした目でわたしを見つめています。
「そんなに時間は経っていません。4半刻の半分も経っていないかと…」
固まったまま、その問いに答えました。
「そうか、済まなかったな…。ところで、私は何を枕にしているのだ?柔らかくて気持ちがいいのだが…」
無造作に、王子の手が探るようにわたしの足を撫でました。
「ひゃぅっ」
急な事に吃驚して、変な声が上がってしまいました。くすぐったさと、ぞくりとした感覚が背筋を駆け上がりました。
「お、王子…。それ、わたしの…」
まだ寝ぼけているのか、王子の手はわたしの太腿を撫でたり、時折揉むようにして動きます。
わたしが堪らず声を上げると、王子はようやく気付いたようで、慌てて起きあがってわたしの方を確認しました。
「す、済まない!寝ぼけていたようで…、本当に済まなかった…!」
自分が何をしたのか気付き、慌てて謝罪を口にしました。
太腿を撫でられたのは恥ずかしかったですが、王子が寝ぼけていたのはわかっていますし、膝枕をしたのもわたしです。
「い、いえ…、大丈夫ですから…。お気に召したのなら、よかったです…」
恐らく、お互いに顔は真っ赤でしょう。わたしも何を言っているのか、わかりません。
膝枕をしたことがなんだか急に恥ずかしくなってしまい、俯いてしまいます。
しばらくお互いに言葉も無く、ちらちらと視線を飛ばしては、また俯くといったことの繰り返しでした。
「あ、あー…。毛布を掛けてくれたのか…。済まなかったな…」
王子が傍らの毛布の気づき、それを畳んでこちらに渡してくれました。
「あ、いえ…。まだ風は冷たいですから…。風邪でもひくと大変だと思ったので…」
毛布をリュックに仕舞いながら答えます。まだ恥ずかしさが冷めないので、顔を上げることはできません。
「その、少し歩かないか?サクラに見せたい物があるんだ。とても珍しいものだが、綺麗なのでサクラも気にいると思うのだが…」
このまま、この場所にいるといつまでたっても状況が変わらない気がします。ですから、わたしはその提案に飛びつきました。
「はい、見てみたいです…」
はっきり答えようとしたのですが、王子の顔を見たら恥ずかしさが蘇ってしまい、また俯いてしまったのは仕方のないことだと思います…。