073 坑道に潜む敵
夜中に見張りを交代し、そのまま何事もなく朝を迎えました。
朝食を摂って焚き火を消すと、早速坑道に向かいます。
坑道の中は真っ暗で、ガラムさんが松明を持って案内をしてくれます。あ、松明と言っても火が付いているわけでは無く、明かりの魔具です。
ガラムさんは事前に下調べをしていたらしく、慎重ながらも迷うことなく入り組んだ坑道を進んでいきます。
わたしはそれに従いながら、周囲を警戒しています。
途中、ゴブリンやオークといった魔物に襲われることもありましたが、規模も少なく、簡単に片づけて進みます。
どのくらい進んだでしょうか?はっきりとはわかりませんが、感覚的に2時間くらいでしょうか?
複雑に交差する一つの角を曲がろうとした時、何かを感じて咄嗟にガラムさんを引き倒しました。
次の瞬間、べちゃ、と音がしてさっきまでガラムさんのいたところに何かが落ちてきました。
「スライム…」
ガラムさんの呟くような声がしました。
形を持たない、粘液のような物がうぞうぞと蠢いています。
落下の衝撃で広がっていたそれが、やがて水溜りのように集まりました。
スライムは逃した獲物を捕えようと、粘液の触手をガラムさんに伸ばそうとしています。
「下がってください!フレイム・アロー!」
3本の火の矢が現れ、スライムに命中すると辺りに何とも言えない異臭を放ちながら、粘液を焼いていきます。
悶えるようにしていた粘液は、やがてその動きを止めて、最後には地面に染みを残して燃え尽きました。
「危ねぇ…。助かったぜ、嬢ちゃん」
スライムは攻撃力や移動力は高くありませんが、今みたいな不意打ちで獲物を襲い、自分の粘液で包み込むと強力な酸で身体を溶かして吸収します。
また、武器による攻撃はほとんどが大した効果を望めず、凍らせるか燃やすかしか対処のしようがありません。凍らせる、といっても水と違い、かなりの低温が必要らしいので、一般的には燃やすのが一番の方法だと言われています。
そして一度取り込まれた獲物は、生きながらにして身体を溶かされるという地獄を味わうのです。
「スライムまで住み着いているなんて、厄介ですね…」
スライムは湿度の高い場所や、暗い場所を好みます。そのほうが身体を維持するのに適していますし、暗いほうが不意打ちに適しているからです。逆に明るい場所や乾燥する場所ではまず見かけません。
スライムは一定以上の大きさになると分裂して増えるので、場所によってはかなりの数がいるのです。ついでに言うと、スライムには寿命がありません。
この坑道にどれくらいのスライムがいるのかはわかりませんが、下手をすればかなりの数が潜んでいる可能性もあります。
他の魔物と違い、不意打ちが基本で気配がほとんどないことから、非常に厄介な魔物なのです。
天井にはスライムの不意打ちを、角の向こうや周囲には魔物の不意打ちを警戒しながら進んでいきます。
「この先に広場があるらしい。そこを抜ければ目的の採掘場まですぐだって話だ」
体感で3時間、ようやく目的地が近付いてきたようです。
わたし達は慎重に、その広場に近づきました。
そしてその広場に辿り着いたとき、広場の中には…。
「……ブラック・ドッグ…」
真っ黒な姿をした、大きいものだと高さが2m近くもある犬です。
しかも、それが10匹以上…。
「おい、何だこいつらは…。ブラック・ドッグが群れでいるなんて話、聞いたことがねえぞ!?」
ブラック・ドッグは別名ヘル・ハウンドとも呼ばれている、口から火を噴く魔物です。ランクとしては単体でA。普通は単体でしか見ることは無いはずですが、なぜかここには群れで生息しています。
確かに、こんな状況では中級の冒険者、いえ、下手をすれば上級の冒険者のパーティでも後れをとる可能性があります。
「駄目だ、逃げるぞ!ちくしょう、目的地は目の前だって言うのに…!」
ガラムさんが引き返そうとしますが、広場の方からは唸り声が響いてきます。
「……いえ、無理です。もう気付かれています…。ガラムさんはここにいて下さい」
背負っていたリュックを降ろし、ガラムさんにそう指示を出して一人で広場に向かいました。
「嬢ちゃん!?無理だ!まだ逃げるほうが見込みがある!」
ガラムさんが叫んでいますが、それはかなり希望が入っているでしょう。わたしはともかく、ガラムさんの足では逃げ切ることは不可能です。
わたしはガラムさんの護衛であり、そして知人の一人として出来るだけのことをしなければいけません。
刀の柄に手をかけて、ブラック・ドッグの群れと対峙します。
ブラック・ドッグが唸り声を上げながら、連携するように広がっていきます。
そのうちの一匹が大きく口を開けて飛びかかってきました。
「シッ!」
タイミングを計って、居合でその頭を切り裂きます。
神器として強化された刀はいともたやすく、その強靭な骨ごと頭を真っ二つに切り裂きました。
襲いかかってきたブラック・ドッグは断末魔を上げることも無く、べちゃりと音を立てて地面に落ちました。
「グルォォォォォ!!」
仲間を倒されたことに怒ったのか、正面にいた一匹の口が大きく開きました。
その奥に、炎が見えます。
「アイシクル・ランス!」
中級の魔術、氷の槍が現れ、今まさに炎を吐こうとしていた口に突き刺さります。
氷の槍はブラック・ドッグの頭を撃ち抜き、その巨体を数m飛ばして消えます。
これで2匹…。しかしまだ、広場には10匹近くのブラック・ドッグが残っています。そしてそれらは油断なくわたしを睨みつけ、いつでも襲いかかろうという体勢を取っていました。
正面、右、左から、それぞれ一匹ずつが襲いかかってきます。
わたしは一気に正面のブラック・ドッグの下に踏み込み、そのまま横薙ぎに切り捨てると、すぐに次の目標に移ります。
「アース・スパイク!」
左右から飛びかかってきていたブラック・ドッグが重なるタイミングで、わたしの魔術で地面から鋭い槍状の岩が何本も飛び出てきます。
岩の槍が空中でブラック・ドッグを串刺しにし、そしてそのまま地面へと還っていきました。
さすがに約半数を殺されて慎重になったのか、残りのブラック・ドッグが扇状にわたしを囲みます。
「オォォーン!」
真ん中にいた一匹が一鳴きすると、残っていたブラック・ドッグが一斉に火を噴く体勢に入りました。
残った6匹から、ゴウ、と唸りを上げて炎が襲いかかってきます。その勢いは、逃げ場がないほどに大きなものでした。
「ハァッ!」
気合一閃。
刀に気を流しこみ、それを迫りくる炎にぶつけるようにして薙ぎ払います。
わたしの考え通り、刀から発せられた気が炎を切り裂きました。炎の名残か、かすかな熱風がわたしの髪を揺らしますが、それはわたしの髪一本すら焦がすことができませんでした。
炎がかき消されたことに戸惑っているのか、ブラック・ドッグがうろたえたように動きを止めます。
もちろん、それを見逃すわたしではありません。
肉体強化と気を使い、一気に踏み込んで刀を振るいます。
振るう刀は、まるでお豆腐でも切るように、易々とブラック・ドッグを切り裂いていきます。
一振りごとにブラック・ドッグの数が減り、それを6度繰り返せばすでに動く敵はいなくなりました。
しばらく油断なく広場を見ていましたが、何の動きもなく、わたしはようやく緊張を解いてガラムさんを呼びました。
「ふぅ…。ガラムさん、もう出てきても大丈夫みたいですよ」
しかし…。仮にもAランクの魔物が、それも11匹も集まって冒険者一人に簡単に倒されるなんて…。ランクを見直した方がいいんじゃないでしょうか?
あれ?それともわたしが強いのでしょうか…?あっさりと切り裂く神器が凄すぎるだけかも…?
「……さすが竜殺しだな…。まさかAランクの魔物をこんなにもあっさりと倒しちまうとは…。しかもブラック・ドッグは単体でAランクだぜ?今まで群れでの報告なんて無かったし、群れでなんて下手をすりゃSランクオーバーだぞ?それを一人でなんてな…。嬢ちゃんが強すぎるのか、神器が強すぎるのかは分からねえが、嬢ちゃんを連れてきて正解だったぜ…」
ああ、今わたしも思っていたところですよ…。
やはり一人で倒せるのが異常なんですね…。
「さ、さて、目的地はもう目の前ですよね?早く行きましょう!ね?」
ガラムさんのわたしを見る目がなんとなく耐えられなくなり、わざと大きな声を出して先を促しました。
ガラムさんはそれ以上何も言わず、しかし大きな溜息をついてから、幾つかある坑道の中の一つを選び、先に進みました。
坑道の先は特に何もなく、住み着いていた蝙蝠や鼠に騒がれながら、順調に進んでいきます。
幾つもの角を曲がり、うねうねとした坑道を進み、やがて突当たりにぶつかりました。
「よし、ここだ…。俺は鉱石を掘るから、嬢ちゃんは何も近づけさせないようにしておいてくれ。もしもどうにもならないようなのが来たら、大声で知らせてくれ」
そう言うと、ガラムさんは背負っていた荷物から色々な物を取り出して採掘の準備に入りました。
わたしは少し離れたところで来た道の警戒に当たります。
しばらくすると、カンカンと固いものを打つ音が響き始めました。
それを聞きながら、わたしは道の向こうを眺め続けました。
それから約3時間。
途中に昼食を挟みつつ、ガラムさんの採掘が続きました。
まあ、昼食と言ってもここでは調理も出来ないので保存食でしたが…。
やがて採掘音が止んだので、ガラムさんのほうへと戻ってみました。
「おお、おかげで予定よりも大分多めにとれたぜ。少し待ってくれ、すぐに片づけるからよ」
戻ってきたわたしを見て、ガラムさんがガハハと上機嫌に笑っています。
しかしその横には、どう見ても多すぎると思われる鉱石の山がありました。
「……それ、全部持って帰るんですか?」
思わず聞いてしまったのは仕方がないでしょう。
ガラムさんの傍には、掘り出したと思われる鉱石が山のように積んであったのです。どう見ても鞄に入る量ではありません。
しかしガラムさんは気にした風も無く、ぽいぽいと鞄に詰め込んでいます。
……あの鞄も魔具でしょうか…?
明らかに許容量を超える鉱石が放り込まれています。
積まれていた鉱石が見る見る減って行きました。が…。
「……なあ、嬢ちゃんの鞄には余裕があるか?」
情けない目で、わたしの方を見つめてきました。
「まあ、多少は余裕がありますが…。掘り過ぎなんですよ…」
わたしは溜息をついて、自分のリュックを降ろしました。
採掘を終えたわたし達は、慎重に、しかし急ぎ足で出口に向かって歩きました。
途中、何度かゴブリンやオークに遭遇しましたが、問題なく片付けて進みます。
そうしてようやく出口に辿り着いた時は、すでに日も暮れていました。
まあ、今は日が短い季節なうえに山ですからね。日が短いのも仕方ありません。
昨夜野営をした洞窟で、今夜も野営することになりました。
初日と同じように準備をし、夜を明かします。
翌日、朝日の中でわたし達は下山をしました。
帰りは獣に襲われることも無く、順調に進んでお昼前には麓の街に到着しました。
街で一泊し、疲れをとった後に朝から王都に向けて移動です。
それから5日かけて、わたし達は王都に戻りました。
「ありがとうよ。嬢ちゃんのおかげでなんとかなりそうだ。俺はこれから品評会に向けての作品作りに入る。本当に助かった」
そんなお礼お言葉を貰い、わたしはガラムさんのお店を出て冒険者ギルドへ報告に行きました。
ギルドで報酬を貰い、買い物をしてから久しぶりの家へと戻ります。
「にゃ~」
玄関のドアを開けた途端、エルのお出迎えに遭いました。
エルは専用の出入り口がありますし、元々野良なので寝床の心配はしていなかったのですが、ご飯だけはシフォンさんにお願いしていました。
久しぶりなせいか、やたらと足元に纏わりついてきます。
「はいはい、ただいま、エル。ご飯はもう少し待って下さいね。……って随分汚れていますね…。まあ、半月近くもお風呂に入っていないのだからそれも仕方ありませんか…。丁度いいです。今から準備するので一緒にお風呂に入りましょう」
「に~」
「駄目です。でないと、ご飯抜きですよ?さ、わたしは片付けと準備をするので少し離れていてください。ああ、逃げてもご飯抜きですからね?」
「に~」
嫌そうな鳴き声に少し笑いながら、家に戻ってきたことを実感しました。