068 お菓子作り
わたしがこの世界に来てから3ヶ月が過ぎました。
この世界に来た時はまだ6月でしたが、すでに明日からは10月です。昼間の暑さも和らぎ、朝晩などは風が肌寒く感じるようになってきました。
そうそう、今更な気もしますが、この世界の暦です。
一ヶ月は30日で、12ヶ月で一年です。一週間は6日で月に5週になっています。
そして一年は365日です。30日×12ヶ月で360日なのですが、12月だけが35日あるのです。
12月の31日~35日というのは新年を迎えるための準備期間のようなもので、この期間はほとんどの仕事が休みになり、みんな年を越すための準備をするのです。
そして1月に入ると1日から3日間、新年を迎えるお祭りになるのです。
これはわたしの知っているどの国でも同じで、この期間はどこも大賑わいになります。
そして1月4日~6日までの3日間は、お祭りなどの後片付けや身内での新年のお祝いをします。
お店などが始まるのは基本的に7日からとなっています。
それとこの世界、というよりもこの国にはきちんと四季があります。と言っても、日本のような風流な物ではないのですが。
大雑把に見れば日本と大きくは変わりません。春は穏やかな気候で徐々に暑くなり、夏は強い日差しに汗をかく毎日です。秋は野山の実りも多く、冬は雪も降ります。
しかし日本と違って夏と言っても湿度は高くないので、そこまで不快ではありません。
……その代わりと言ってはなんですが、最高気温が40度を超える日もそれなりにありますが。
冬はかなり雪が積もります。一番寒い日などは-10度を下回るでしょう。日本で住んでいたところは雪が降っても滅多に積もることもありませんでしたし、仮に積もっても数cm程度の地域でした。なのでこの国の冬はちょっと楽しみなんですよね。
……誰ですか?今子供みたいと思ったのは?
そんな秋を感じる今日、わたしは家でせっせとお菓子作りに励んでいます。
いえ、趣味じゃないですよ?そりゃ味見もしますけど…。これは依頼なんです。わたしを名指しで、お菓子を作って欲しいという依頼があったのです。そして依頼主は、なんと第一王子のエドウィル王子だったのです。
どうして急にお菓子作りの依頼なんかが来たのかと言うと、なんでもエドウィル王子の婚約者が来られるそうなので美味しいお菓子を食べさせたい、ということらしいのです。
お菓子作りなら王宮に専属のパティシエがいるんじゃないかと思ったのですが、エドウィル王子曰く、「俺が知っている中で一番うまい菓子を作れるのがお前だ」だそうです。
そんなことを言われた日には、わたしだって火が付きますよ。ええ、その期待に答えてあげようじゃありませんか!
なので今、色々と考えて作っている所なのです。
冷静に考えてみれば、仮にも他国の王族の口に入るものをわたしのような者が作っていいのか?という疑問もありますが、きっとあの王族の事だからそんなこと考えてもいないのでしょうね。
いつも王子にご飯を食べさせているじゃないかって?この国の王族はいいんですよ。王様からして街の酒場で朝まで飲んでいるくらいですしね。王子だって自分から食べに来ているんですし、それで何かあっても私の責任じゃありません。……ありませんよね?
意外だったのが、エドウィル王子に婚約者の事を聞いた時に少し頬を染めながら、どんな性格だとかどんなことが趣味だとかどれだけ可愛らしいかなどと、砂を吐くほど惚気られたことです。いえ、どんなお菓子が好きかを聞きたかっただけなんですが…。べた惚れですね。というか、大の男のはにかみなんて気持ち悪いですよ?見た目はいいので絵にはなりますが。
しかしそれだけで3時間はないですよね?
そんなわけで今はリンゴを使ってアップルパイを焼いています。
他にも旬の果物としては葡萄や梨、栗がありますし、サツマイモなどもお菓子には使えます。
うーん、葡萄はゼリーですかねぇ…。確かゼラチンがあったはず…。
栗はムースにしてケーキにしましょう。
梨はコンポートがいいですかね?お酒にも合うと聞きましたし。
サツマイモは大学芋や芋けんぴ、スイートポテトがメジャーですが…。わたしとしては焼き芋が一番好きなんですよね。え?わたしの好みはどうでもいい?
というかですね、時間が無いのですよ。依頼を受けたのが昨日の夕方で期限が明日の朝ってどういうことですかね?いや、報酬はいいんですけどね?アップルパイくらいなら問題ないのですが…。依頼内容が「旬の果物を使ったお菓子を5種類以上」になっているんですよ…。それも人数は10人分。おかげでわたしは朝から大忙しですよ。
「にゃ~」
「ああ、ごめんなさい。お腹減りましたか?すぐにご飯にしますね」
飼い猫のエルが足元に纏わりついてきました。
この猫は1ヶ月ほど前に拾った、片方の耳と尻尾に茶色のぶちがある白い子猫です。名前も最初は無かったのですが、いつまでも猫だと可愛そうなので「エル」とつけました。最初は「だいふく」にしようかと思ったんですけども。いえ、偶々だったんですけど、この子が丸まってお昼寝をしていたんですよ。そのときに真っ白でまん丸になった身体に、茶色の耳がちょこんと乗っているのを見て、お店で売っていた大福みたいだと思ったんです。茶色の部分がお店の焼印みたいで…。でもさすがにそれは可愛そうなので、「エリザベス」にしようとしたんですが、この子がとても嫌がって…。それで「エル」にしたんです。え?意味ですか?特にないですよ?……決して大きくなって欲しいからってエルにしたんじゃありませんよ?
わたしの唯一の同居人、いや同居猫?とともに少し遅い昼食を摂ります。
「にゃ~」
「あ、こら。だめですよ?これはエルが食べると身体に悪いですから」
焼き上がっているアップルパイに、鼻を近づけていたエルを窘めます。
エルは猫なのに頭がいいです。まるでわたしの言うことを理解しているように思えます。今も口で注意しただけで大人しくアップルパイから離れたのです。
「わたしはまだやることがありますから、エルはお散歩でも行って来て下さい」
そう言うと、エルは鳴き声を残してとことこと出て行きました。
「さて、ちゃっちゃと作りますか」
わたしは腕まくりをしながら、お菓子作りを再開した。
かちゃかちゃと器具の当たる音や、竈やオーブンの熱気に包まれながらお菓子を作っていきます。
葡萄を甘く煮込みつつ、その傍らではケーキのスポンジ作りをし、片手間に栗や梨の下ごしらえをしていきます。
10人分ともなれば材料だけでもかなりの物です。
ああ、時間も手も器具も足りません!まさしく猫の手も借りたい状況です。
まあ、実際にエルに手伝ってもらうわけにはいきませんけどね。
……ん?お客さんですか?全く、この忙しい時に…。
「はーい、今行きます!」
誰でしょうか?
「はい、どちら様ですか?」
「俺俺、俺だよ」
……この声は…。
「俺俺さんですか?すみません、そのような方は知りませんのでお引き取り下さい」
それでなくても忙しくて時間が足りないっていうのに、悪質な冗談に付き合っている暇はありません。
「待って!高橋です!エドウィル王子殿下のお使いできました!」
「なら最初からそう言ってください。こちらはその王子の依頼で忙しいんです。くだらない冗談に付き合っている暇は無いんです」
訪ねて来たのは元・自称勇者、高橋さんでした。今は騎士団にいたはずです。
「いまどき俺俺詐欺もないでしょうに。それで、何のご用ですか?」
「ああ、お菓子作りの進捗を聞いてきてくれって」
「そんなことでわざわざ来たんですか…。エドウィル王子に伝えて下さい。依頼通りに明日の朝には持っていきますと。だから余計な手間を取らせないでください。ああ、それとセドリム王子に伝言をお願いします。今日は来ないでください、と。王子の相手をしている時間もありませんので」
「わかった。伝えておく。……そんなに大変なのか?」
「ええ、こうしている時間も惜しいくらいには大変です。だからくだらない用事で時間を取らせないでください」
ついきつい口調になってしまいましたが、忙しいのは事実です。順調にいっても全てが終わるのはそれなりに遅い時間になるでしょう。その後の後片付けも考えると…。
溜息が出そうです。
自分が食べるためなら苦労でも何でもないのですが、依頼で、となると話が違ってきます。それに今回は他国のお姫様に食べてもらうのです。気の使いようも変わってきます。
……これを仕事にしているパティシエの皆さんを尊敬します。わたしは趣味で作っているだけで十分です。
元・自称勇者の高橋さんと別れて、再びお菓子作りを再開しました。
「ふぅ…。とりあえず、これで今日できることは終わりですかね?」
そう言って額の汗を拭います。
時刻は夜の10時前。予想通りと言うかやはりというか、随分と時間がかかってしまいました。
特に時間がかかったのがケーキです。
スポンジを焼いて粗熱を取って、二段に切って間にマロンクリームと甘く煮た栗を挟んで、さらに外側に生クリームを塗って上面にマロンムースを重ねて…。
それを2ホール用意したんですよ?全て手作業で…。
まあ、その苦労もあってテーブルの上には今日作ったお菓子が並んでいます。
シナモンの効いたアップルパイが3枚とマロンムースのケーキが2ホール、梨のコンポートとスイートポテトが10人分。そして冷蔵庫には葡萄のゼリー。
ついでに夏に試しに少しだけ作ってみた梅酒でゼリーも作っています。まあこれは季節の物では無いのでおまけですけどね。
後は箱詰めにしておけば、明日の朝はゼリーを詰めるだけで準備ができます。
一つ一つを丁寧に箱に詰めていきます。詰めたものは保存の魔具に入れておきます。
全てを詰め終わって、やっと一息つきます。
……後は、大量にある汚れた調理器具の後片付けですね。
もうしばらく、寝れそうにありません…。