046 婚約者候補
一人になったわたしは、改めてホールを見ます。
あちこちで、何人かの塊が幾つもできています。
あちらでは若い女性が、その向こうでは少し年配の女性が、こっちにはご老人といっていい年齢の男性が、それぞれ談笑しています。
時折、わたしのほうをチラチラと見ている気もしますが、きっと珍しいだけでしょう。
あ、あの若い男性の集団に王子がいます。
何人かの男性がわたしのほうを指し、王子の背中を叩いています。結構痛そうですよ?
王様と王妃様は、何人もの人が入れ替わりで挨拶をしているようです。
「あの、お嬢さん?」
近くからした声にそちらを見てみると、若い、きっとまだ10代半ばであろう、少年と言ってもいい青年が、顔を真っ赤にして立っています。
「よろしければ、僕と一曲踊っていただけませんか?」
は?この人は何を言ってるんでしょうか?
いえ、こういった場では殿方が女性にダンスの申し込みをするのは知っていますが…。
ですが考えてみて下さい。
その青年はこの世界の人間らしく、高身長。きっと平均よりも高い、と思います。見た感じ、セドリム王子よりも首が疲れますから。
どう考えても物理的に合いません。無理です。
「すみません、わたし踊れないので…」
いや、踊れますけどね?日本では社交ダンスの授業もありましたし。
でも物理的に踊れません。
「では、せめてお名前を…」
ナンパですか?
むしろわたしの名前を知ってどうするつもりですか?
ほら、あちらのお姉さま方のほうが美味しそうですよ?
わたしは今までナンパというものをされたことがありません。
告白ならされたことはありますよ?小学生とかにですが…。
つまりわたしは、こういった経験がないのです。
どうやって断ろうかと考えていると、予想していないところから助けが来ました。
「ふっ、嫌がってるじゃないか。そのような聞き方では女性に嫌われるぞ?」
「エ、エドウィル王太子殿下!」
面倒くさいほうの王子の登場です。
「それに、その子はセドリムが連れてきた子だよ?気づかれないうちに退散したほうが賢明じゃないか?」
ナンパの青年はその言葉に、エドウィル王子とわたしを交互に見て、「し、失礼します」と言い残して去って行きました。
「ちょっと困っていたんです。助けていただいてありがとうございます」
とりあえず、エドウィル王子にお礼を言います。
「ふっ、かまわないさ。どうしてもというのなら、お礼に食事でも作ってくれ」
エサに釣られて出てきたんですか…?
まあ、助かったのは事実ですし…。今度何か作って、王子に預けておけばいいでしょうか?
「しかし、随分と印象が変わったな。最初、誰だか分らなかったぞ?それでセドリムはどこだ?お姫様を一人残して何をやっているんだ」
「セドリム王子は挨拶があるとかで、今はあちらの集団にいます」
「あいつはなにをやっているんだ…」
エドウィル王子は苛ついたように、王子のいる方向を見ています。
「セドリムが戻ってくるまで、俺がいてやろうか?」
え?どういう風の吹きまわしですか?
面倒くさい俺様王子が気を使うなんて!
「い、いえ、大丈夫ですよ。エドウィル王子も忙しいでしょうし。それに、わたしに声をかけてくるような物好きなんて、他にいませんよ」
申し出はありがたいですが、仮にも王子です。挨拶回りもまだ残っているのでしょう。
「物好き、か。そうだといいんだが…。では俺は行くが、気をつけろよ?」
何に気をつけるのでしょうか…?
エドウィル王子と別れ、セドリム王子のほうを確認しますが、先程の集団にはいないようです。探してみると、今度は年配の男性に囲まれています。あ、さっきの伯爵さんもいます。
先程の集団と同じように、ばしばしと背中を叩かれているようです。
これはまだ、時間がかかりそうですね。
お腹も減ってきましたし、何か食べておきましょうか。
そう思ってテーブルのほうへ歩いていると、今度は女性の声に呼び止められます。
「ちょっと、そこの貴女」
何か声が聞こえますが、わたしにはここに知り合いはいませんし、呼び止められる心当たりもありません。
それよりもご飯です。
「待ちなさい!貴女ですわ!そう、子供のように小さな!」
む、なにか挑戦された気がします。
わたしは声の方へ、ゆっくりと身体を向けます。
そこにいたのは、赤い髪の女性。その女性の後ろには、さらに5人の女性。
わたしを呼びとめたのは、赤い髪の女性のようです。
「わたしに何かご用でしょうか?」
赤い髪の女性を見上げながら、訪ねます。
あまり近づかないでください。首が疲れるんです。
「用?そう、用ですわ。貴女が最近噂になっている方ね?」
だから、みんな噂って言いますけどなんですか?
赤い髪の女性は、わたしのことをじろじろと見ます。
「ふん、セドリム王子殿下が通ってらっしゃると言うから、どのような女性かと思えば…。顔は悪くないようですけど、貧相な身体ですわ。子供じゃありませんの」
そう言うと、赤い髪の女性は持っていた扇を口に当てて笑います。
それに合わせるかのように、後ろにいた女性たちも笑います。
取り巻き、ですか。
「いいことを教えて差し上げますわ。わたくしはエリーナ・イサ・ヘラスミール。公爵家のものですわ。そして、セドリム王子殿下の婚約者候補でもありますの。貴女のような貧相な娘では、相手にもなりませんわよ?」
ヘラスミールって、最初に声をかけてきたデブ親父と同じ名前ですね。あれの娘ということですか。
そして、王子の婚約者候補の一人。
見れば、赤い髪は気の強そうな顔によく似合っています。
そして、身体のラインを強調するデザインのドレス。
そのドレスからは、一目でわかる胸。F……いえ、Gはあるんじゃないでしょうか?
そして、ありえないほどにくびれた腰。恐らくコルセットで締めているんでしょうけど…。
そして大きなお尻。
これは……王子の好きそうな身体ですね。
ちょっともいでいいですか?胸とか胸とか。
じゃあ、今絡まれているのは……王子のせいってことですか。
どうやらこのエリーナという女性は、王子に好意を持っているようです。
そして今日、パートナーとして現れたわたしに声をかけてきた、と。
「身の程がわかったなら身を引きなさいな」
カチン、ときました。
身を引くって何ですか?そもそも、王子が勝手にご飯を食べに来てるんじゃないですか。今日の事だって、王子が頼み込むから仕方なく来ているというのに…!
「仰っている意味がよくわかりません。わたしから王子に何かをしたつもりはありませんし、家にだって王子が勝手に来ているだけです。近づくな、と言うのなら、まず王子に言ってください」
まあ、それができないから私のところに来ているんでしょうけど。
「なっ!この、下手に出ていれば調子に乗って!貴女のような平民風情、その気になればなんとでもできますのよ!」
いつ、下手に出てたんでしょうか?
上から目線で言われた記憶しかありませんが…。
その言葉と同時に、取り巻きの女性が横に広がってわたしを囲みます。
これでわたしは完全に、外から見えなくなりました。
「あら、どうなさるのかしら?ぜひとも教えていただきたいですわ」
囲まれた向こうから聞こえる、知っている声。
でもここにいないはずでは…?
「ねえ、教えて下さる?」
「アリア王女殿下…」
取り巻きの一人から、その正体がこぼれます。
なんでアリア王女がここに?視察に行っているんじゃ…?
わたしが今日ここにいるのは、アリア王女の代わりだったはずです。
なら、アリア王女がここにいるのは何故?
「全く、寄ってたかってみっともないですわ。彼女の事はセドリム兄様が決めた事。そしてそれを家族全員が認めていますわ。文句を言うのは筋違いもいいところですわ」
「で、ですが、わたくしは!婚約者候補として殿下の・・・!」
「私の事がどうした?」
「「「セドリム王子殿下!」」」「セドリム兄様!」
「何をしている?これはどういうことだ?エリーナ嬢、説明してもらえるか?」
すみません、わたしからはどうなっているのかさっぱりわかりません。
だって、声だけしか聞こえないんですもの。
とりあえずわかることは、ここにいないはずのアリア王女がいて、エリーナという女性とやりあっていたところに王子がきた、らしいということです。
「わ、わたくしは、殿下にどこの馬の骨とも知れない平民が近づくのが許せなくて!殿下の為を思って…!」
「私の為?それを決めるのは私自身だ。貴女ではない」
「お兄様、彼女、家の力を使って何かしようとしていましたわよ」
うわ、アリア王女、今それを言っちゃいますか?
「それは本当か?民の為の力を私利私欲に使おうとは……公爵家も落ちたものだな。去れ。ここでの話は聞かなかったことにしてやる」
その言葉に、ぱたぱたと去るエリーナ嬢+取り巻きの女性達。
ヘタレだと思っていた王子もやる時はやるんですね。
「サクラ、すまなかった。こんなことになっているとは…」
王子はわたしに近づいて膝をつくと、わたしの頬に手を当てました。
ちょっと、なんですかこれ?うわ、近い!
「だ、大丈夫です!アリア王女が助けてくれましたし!あ、それよりも!何でアリア王女がここにいるんですか?視察に行っている筈じゃないんですか?アリア王女がいないからって言ってましたよね!?」
そう、アリア王女がいるなら、わたしがここにいる理由がありません。
頬を撫でていた手が止まります。
「あ、えっと…。あははは……お兄様、後は任せますわ」
「ちょ、おい、アリア!」
ドレスを翻して早足に去っていくアリア王女と、取り残された形の王子。
「理由、聞かせてもらえるんですよね?」
意識的に低い声で、問いかけます。
「お、落ち着け、そうだ、何か飲み物を!何か取ってくる!」
逃げようとしてもそうはいきませんよ?
「飲み物なら、取りに行かなくてもあるじゃないですか」
タイミング良く近くを通りかかったウェイターを呼び止め、グラスを取ります。
「あ、サクラ、それは…!」
グラスの中身を一息で飲み干して、空いたグラスをウェイターに返します。
顔は王子を向いたままで。
「さぁ、王子。説明、を…?」
目の前が急にぐらついたかと思うと、そのまま意識が途切れました。
きゅぅ~。
未成年者はお酒を飲んじゃダメ!絶対!