039 新居で
「よし、完成っと」
宿に戻ったわたしがまず行ったのは、マジックでガラス瓶の一つに文字を書くこと。
あ、古代文字ですよ?一応、前世のわたしは魔工師でもありましたので古代文字は書けます。道具はありませんけども。
効果は正式な道具には及ばないと思いますが、一応の魔具の完成です。
刻んだ文字は時間短縮。このガラス瓶の中だけ時間を進める効果です。
酵母を作るのには大体、6日ほどかかったと記憶しています。
おそらく、このガラス瓶の中では何倍もの早さで時間が進むはずです。あ、昨日のうちに仕込んでおけば、うまくすれば明日には完成してたかも…。
リンゴを洗って適当なサイズにカットして、水を入れてお砂糖を入れてっと…。
最後にコルクで蓋をして軽く振って準備完了。
後は状況を見て都度、かき混ぜればいいはずです。
さて、これは部屋に置いておいて、ご飯です。
この宿での最後の夕食を頂き、ご主人に明日の朝で引っ越すことを伝えます。
先払いした宿代はあと数日分ありましたので、明日の朝に返金してもらうことになりました。ご主人は別れを惜しんでくれて、奢りだと言ってお酒を出してくれましたが、それは丁重にお断りしました。
食事を終えて部屋に戻り、お風呂に入ります。
ここのお風呂も最後かと思うと、なんだか感慨深いものもありました。
お風呂から戻って髪を乾かしていると、ふと、それに気がつきました。
酵母造りをしている瓶です。
最初は見間違いかと思ったのですが、よく見ると微妙に白く濁ってきています。
あれ…?この状況って、確か1日ほど経過したものじゃ…。
仕込みをしてから…2時間弱。え?10倍以上の速度?
とりあえず、瓶を軽く振り、蓋をあけて確認してみます。
やっぱり濁ってきてます…。
正式な道具を使った高品質の魔具でも、せいぜい5倍程度だったはず。
考えられるのは……マジック?
異世界のもので古代文字を書き込んだから、効果が強く現れている…?
マジックで記入した文字を見ると、少し、薄れているような気がします。
この時点でははっきりしませんが、マジックで記入した古代文字は効果が強力になった分、持続時間が極端に短くなっている可能性があります。
今言えることは、今夜は2時間おきに瓶をかき混ぜる必要がありそうだ、ということです…。睡眠が…。
ピチチチ……チュンチュン
おはようございます。朝です。
夜中に何度も起きたので、微妙に睡眠不足です。
魔具の効果は予想通り、10倍強の速度でした。そして文字のほうも、時間とともに薄れています。
今はその文字も薄らとしか残っていません。
え?酵母はどうなったって?
もうすぐ完成するみたいですよ。
先ほどまで出ていた泡も収まってきてますし、もう少しすれば落ち着くでしょう。
朝の準備を終え、荷物をまとめてから朝食を頂き、宿の清算を済ませて部屋に戻ります。
天然酵母造りの仕上げとして、綺麗な布で濾して、別の瓶に移します。
酵母造りに使っていた瓶は、綺麗に洗っておきます。
古代文字もすでに見えるかどうか、と言う程度の薄さです。
持続時間は半日強といったところですか。
身支度を終え、約20日間お世話になったこの宿ともお別れです。
一度部屋を見回してから、1階に降りました。
宿の人とも別れの挨拶を済ませ、新居の鍵を受け取りに不動産屋さんへと向かいます。
下宿に入ってまず最初の仕事は、この2日で運び込まれた物の片付けでした。
リビングに積まれたそれは、こうしてみると意外と量があります。
まずは食器や調理道具をキッチンに運び、片付けていきます。
それが終わると、生活用品をそれぞれの場所へと運びます。
やっとその片付けが終わったかと思うと、すぐに食材が届きます。
届いた食材を片付け終えると、すぐにお昼になります。
今日のお昼は、片付けに追われていて何の準備もできていません。
大通りの屋台で軽く済ませることにしました。
せっかく自炊ができる環境で、初めての食事が屋台って…。
お昼を終えると、気を取り直して夕食の準備にかかります。
せっかくなので、少し豪華に行きたいところです。
まず、予定よりも早く完成した天然酵母を使ってのパン作りをしておきます。
ただ、パン種を発酵させるのに時間がかかるので、ここでも再度、マジックを使います。
小麦粉と酵母を混ぜ、一時的に魔具となったボウルで寝かせておきます。
その間にパスタを作ります。
小麦粉や卵など、材料を用意して混ぜていきます。
混ぜ終わったら捏ねて捏ねて、ボウルに移して寝かせます。
その間にスープの仕込みをしておき、付け合わせなどの準備をしておきます。
それらが終わったころに、パン種の一次発酵が終わったようなので、1個ずつに切り分けて丸め、冷蔵庫もどきに入れておきます。
一旦休憩を入れ、一休みした後に夕食作り再開です。
パスタ生地もパン種も出来上がっているようです。
パスタは日本で一般的なロングパスタのスパゲッティーニ、マカロニを作っておきます。
そこまで準備が終わると、少し早いですけどガラムさんのお店へ行ってみます。
お店に着くと、ほぼ、完成していたようで、早速試着です。
胸当てを着け、手甲、足部分を着けていきます。
今日の服装はホットパンツだったので、むき出しの肌に当たるのがちょっと痛いです。
それを伝えると、
「おい、嬢ちゃん。そいつは普通、ズボンの上から着けるものだ」
と笑われました。
素肌の上につけるならショースという、タイツ?オーバーニーソックスのような物を穿いた上につければいいと、教えてもらいました。
服屋さんに行けばあるらしいです。
他に問題はないようでしたので、後は任せて服屋さんに行ってみます。
端的に言うと、ありました。
ただ、なんというか、想像していたものと違いましたが…。
簡単にいえば、分厚いガーターストッキング?でしょうか?色は白と黒のみ。
吊り下げるのはガーターベルトじゃなくて、ズボンのベルトだそうですが。
ガーターベルトで着けるタイプもあるらしいです。
一応、黒で両方を何点か購入しておきます。
下宿に戻って夕飯の支度です。
オーブンがないので、竈に底の深い、大きめのフライパンをかけて、その中に鉄板を少し浮かせて敷き疑似的なオーブンにします。
熱した鉄板の上にパン生地を並べて蓋をすれば、後は火力調節をしながら焼き上げるだけです。
準備をしていると、玄関の方から声がします。
誰か来たようですが…。不動産屋さんが何か伝え忘れていたんでしょうか?それとも何かの配達?
とりあえず、料理を中断して玄関に行ってみます。
そこにいたのは…。
また、あの人でした…。
「こんばんは、サクラ。引越しの祝いに来たよ」
「王子…。一昨日に別れたばかりじゃないですか…」
「はっはっは。久しぶりにサクラの料理が食べられるかもしれない、と思ってね。引越しの祝いを理由にして来てみたんだよ」
つまり、ご飯をたかりに来たんですね?
「はぁ…。いいですけど?とりあえず、今作っている所なので、入ってください」
王子をリビングに放置して、準備の再開です。
パンを焼いている横で、パスタとマカロニを茹でておきます。
今日は簡単に、ペペロンチーノを作ることにします。
パスタが茹であがれば、マカロニと分けて一旦ボウルにあけます。
空いた竈でニンニク、ベーコン、唐辛子をオリーブオイルで炒めてそこに茹でておいたパスタを投入。少し炒めてから皿にあければ完成です。
続いて下準備を済ませていたスープを竈にかけます。
温めている間にマカロニサラダを作りましょう。
野菜を適当に切ってボウルで混ぜ合わせておきます。
その頃にはパンが焼きあがっていたので、簡易のオーブンからパンを籠に移しておきます。ほかほかと湯気を上げるパンを見て、思わず顔がにやけてきます。
空いた竈でお湯を沸かして卵を茹でながら、スープを仕上げていきます。
シンプルな野菜のコンソメスープ。具はジャガイモニンジン玉葱キャベツ。
茹でた卵を適当に潰してマカロニサラダに投入。そこに即席のマヨネーズをかけてかき混ぜれば完成です。
食堂のテーブルに出来た料理を並べて、王子を呼びます。
王子はいそいそと、席に着きます。
ぶんぶんと、尻尾が振られるのが見える気がします。
その間に冷やしたミルクをカップに注ぎ、わたしも席について準備完了です。
「これはうまそうだ。見たことのない料理が多いな。なんという料理なんだ?」
子供のように、キラキラとした目で料理を眺めています。
その子供っぽさに、苦笑しながら料理の説明をします。
「まず、これはペペロンチーノという料理です。パスタ、はご存知ですか?南方の国の料理であったと思いますが。それにニンニク、ベーコン、唐辛子で味を加えたものです。少し辛いですけどもおいしいですよ。こちらは同じく、パスタの一種でマカロニと言うものを使ったサラダです。マヨネーズを混ぜています。覚えていますか?マヨネーズ。最初に出した料理でも使っていましたソースです。それとコンソメスープ。これは普通の料理ですね。具材はジャガイモ・ニンジン・タマネギ・キャベツです。それとパン。このパンもわたしが作りました。さぁ、冷める前に頂きましょう」
わたしの言葉に一々頷きながら、最後の言葉に慌てて食前の祈りをします。
「神と大地の恵みに感謝を」「いただきます」
「美味い!少しピリッとするが、それがまた後を引くな。これなら暑い時でも食べれそうだ!」
ペペロンチーノを一口食べて、さらにかき込むようにして食べる王子。
「落ち着いてください。他にもまだ、料理はあるんですから。急がなくても料理は逃げませんよ」
わたしの言葉にペペロンチーノからスープに移り、また「美味い」と言いながらサラダに手をつけます。
その、欠食児童のような食べ方に、作った本人として嬉しく思いながら、自分の分に手をつけます。
ちなみに量は王子2に対してわたし1。身体のサイズのせいか、わたしは元々そんなに食べれません。
数日分、と思って作っていたパスタもほとんど使ってしまいました。
「なんだこれは?これがパンなのか?今まで食べてきた物よりも白くてふわっとして柔らかい…。こんなパンは初めてだ…」
天然酵母パンを口に入れ、感動したように停止しています。
「スープにつけて食べてみて下さい。スープがパンに沁み込み、また違う味わいができますよ」
わたしのアドバイスに、言われた通りにパンをちぎってスープに浸し、口に運びます。
「本当だ…。こんなうまいパンは初めてだ…。サクラは料理の天才だな!」
「わたしの国ではこういったパンが普通だったんです。わたしはそれを真似て作っているだけですよ」
さすがに手放しで褒められるとくすぐったいです。
少し、頬が赤くなるのは仕方がないでしょう。
和やかに、笑顔の食事会が進みます。
多めに作った夕食でしたが、そのほとんどが王子のお腹に消えてしまいました。
一応、お客さんである王子に食後のお茶を出して、空になった食器を片づけます。
洗い物を済ませてリビングに行くと、王子からこんな言葉が飛び出しました。
「サクラ、引越しの祝いなんだがな。何か欲しいものはないか?住んでみてからわかる、足りないものあるだろう?何でも言ってみてくれ」
足りない物、ですか。急に言われても…。
あ、そうです。
「そういえば、オーブンがあればいいな、とは思いますね」
「オーブンというと、あのパンなどを焼く道具か?」
「そのオーブンです。オーブンがあれば、クッキーも焼けますし、パイなども焼けますからね。ただ、薪のオーブンは扱いが大変ですし、魔具のオーブンは値段がしますから、難しいですけどね」
そう、薪のオーブンはサイズも大きいですし、温度調節も素人には難しいらしいです。対して魔具のオーブンは小型で調節もしやすいですが、お値段の方もそれなりにします。安いものでも金貨1枚とか。わたしの欲しいと思うものは金貨3枚です。
買えなくはないのですが…。今の私の所持金は金貨9枚弱。防具の支払いがあるので、それが終われば金貨8枚を切ります。この先の保証がない以上、絶対必要なものでない、しかも高価な買い物は控えたほうがいいでしょう。
そこか安い伝手でもあれば別ですが…。
「ふむ、オーブンか…。そうだな、心当たりがないでもない。約束はできんが聞いてみるだけ聞いてみよう」
ほえ?
「いえいえいえ、そんな高価なものなんて、お祝いとしても頂けませんよ!お気持ちだけで結構ですから!」
逆に恐縮してしまいますよ!
「気にするな。まだ決まったわけではない。それに、オーブンがあれば今よりも色々な料理ができるのだろう?そうなれば、私が食べれる料理も増えるということだ」
笑いながら、そんなことを言う王子。
え?また食べに来るつもりですか?王子って実は暇なんですか?
そんなことを考えるわたしの横を通って、王子はキッチンのほうへと移動します。
「サクラ、グラスを借りるぞ。っと、なんだこの踏み台は?邪魔じゃないのか?」
見れば、キッチンに沿って並んでいる長い踏み台に躓きかけたようでした。
「それがないと、わたしの背じゃ届かないじゃないですか。どけないでくださいよ?それがないと困るんですから」
大きい人には邪魔かもしれませんが、四捨五入で140cmなわたしには、それがないとこの世界の平均サイズの台所では、背伸びしても頭しか出ないんですよ。でかい人にはそれがわからんのです!
心の中で叫んでるわたしを他所に、2個のグラスを持って戻ってくる王子サマ。
ん?2個?
どこからともなく取り出したそれは、予想通りのワイン。しかも高そうな。
「それと、2個のグラスはどうするおつもりで?」
睨むようなわたしの視線を受け流し、王子は軽い口調で答えます。
「祝い事と言えば酒、と言っただろう?一口だけでいいから付き合え」
一口だけ、と言いながらグラスの半分以上を注いでわたしの前に置かれました。
「まさか、3日前のことをもう忘れたんですか?」
「忘れてなんていないさ。こいつはいい酒だぞ?飲んでみろ」
そう言って、自分のグラスを傾けます。
いや、お酒を知らないわたしでも、高そうなお酒だってことはわかるんですが…。
「では一口だけ…」
こくり、とグラスを傾けて、その高そうなワインを含みます。
初めて飲んだものよりは、甘みは少なくて、かといって渋いということもなく。
これが高いお酒かぁ、というような印象でしかありません。
コクン、と飲みこむと、鼻に抜ける葡萄の香りと、その後にくるアルコールの香り。
これ、結構アルコールがきついかも…?
王子のほうを見ると、わたしが飲むのを楽しそうに見ていました。
「一口、飲みましたけど…。残りどうするんですか?」
「心配ない。私が飲む」
王子は自分のグラスをぐいっと飲み干し、わたしのグラスへと手を伸ばしました。
「ちょっと!人の飲みさしを飲むって、やめて下さいよ!」
それって間接…!
いやいやいや、そうじゃなくても仮にも王子がそんなこと!
「何を言ってるんだ。サクラはそれ以上は飲めないんだろう?こんなにいい酒なのに、捨てるなんてもったいないことができるか」
「なら最初から一口分だけ注げばよかったじゃないですか!?」
「一口分だけなんて、見た目が楽しくないだろう」
いや、確かにグラスの底にちびっとだけ注がれたワインなんて、見てもおいしそうじゃありませんが。
「見た目とかじゃなくてですね、なんというか…。ああ、もう!これはわたしが飲みますから、王子は自分のグラスで飲んでください!」
ぐいっと、残ったワインを煽るわたし。
「あっ、待て!」
王子が何か言いましたが、無視です。
タン、とグラスをテーブルに置いて、王子を見ます。
「これで、問題ない、です…よ……ね…」
ぐらり、と視界が歪みます。
あれ?どうしてこうなった…?
そこでわたしの意識は途切れました。
王子が悪すぎると批判があったので、最後の部分に少しだけ追加。
41話でも少し追加しておきます。
※お酒は20歳になってから!未成年者の飲酒は法律違反です!