036 あの人から見た食事会
珍しく別人視点でのお話。
前話をあの人視点で。
私は今、渡り鳥という宿の食堂で人を待っている。
待ち人は20日ほど前に異世界から来たという、少女だ。
その少女は毛色も珍しく、私が王族と知っても態度を変えない、というよりも敬意をあまり感じさせない態度を取る。
一緒に過ごしたのは3日もなかったが、子供のような小さな身体のどこにそんな元気があるのかと思うくらい、ちょこまかとよく動くのをとても興味深く見ていた。
それを思い出すと、少し顔が緩むのを自覚する。
別れた後も噂として耳にすることはあった。
別れて2日後には冒険者として登録したと聞いたし、今日も所用で寄った騎士団であの少女が誘拐事件を解決した、という話を聞いた。
あの10歳にも満たないと思える小さな身体で、大の男をのしてしまうのだから不思議なものだと思う。
そんな少女を、今日は伝えるべきことがあり、ついでに個人的な用件もあってここで待っている、という訳だ。
しばらく待っていると、カウンターのほうから小柄な人影が近づいてくるのが見えた。
その人影は私に気付くと、吃驚した表情で固まっていたのでこちらから声をかけることにした。
「サクラ、久しぶりだな。元気にやっているようじゃないか」
「え?あ、はい。お久しぶりです。じゃなくて、どうしてセドリム王子がここにいるんですか?」
驚いているな。悪戯が成功したような、少し楽しい気分になる。
「ははは。もちろんサクラに会いに、と言いたいところだが、用があってきたんだ」
「は?わたしにご用、ですか?なんでしょうか?」
「ああ、まあそんなに急ぐこともない。食事をしながら話そう」
ちょうど、頼んでいた食事が来たようだ。
あらかじめ、少し豪華にするように頼んであるものだ。
「王子も食べるんですか?」
「なんだ?サクラは腹をすかせている私に、目の前で食事をしているのを見ていろというのか?」
「いえいえ、そんなことは言ってませんが。ただお城のほうに食事が用意されているのでは、と…」
「大丈夫だ。こっちで食べてくると言ってある」
彼女は何やら複雑そうな顔をしているが、私は目の前の食事に手をつけた。
それを見た彼女も、仕方なさそうな顔をしながらも食事を始めたので、しばらくは食事に専念をする。
私は自分の食事を粗方、食べ終えたところで話を切り出すことにした。
「それで用、というか報告なんだが」
彼女が私の声に耳を傾けるのを確認しながら、話を進めた。
食事が終わるころにはここに来た用件は話し終えた。
「報告はそれだけだ。食事をしながらする話ではなかったかもしれんがな。それと、サクラの冒険者になった祝いにきたんだ。
大分遅くなったがな。騎士団のほうから聞いたぞ。昨日もずいぶん活躍したそうじゃないか」
耳にした話を思い出しながら、語りかける。
「それは…、ありがとうございます。王子も元気そうですね。それにしてもずいぶんと耳が早いですね。事情を聞かれたのは今日の午後のことですよ?」
「ちょうど、騎士団のほうに顔を出してたものでね。その時に聞いたのさ。お、来たようだ」
丁度、給仕がワインを持ってきた。
このワインもあらかじめ、食事が終わるのに合わせて持ってきてもらうように頼んでいたものだ
「祝い事といえば酒だろう?」
笑いかけながら、彼女のグラスにワインを注いでいく。
彼女は少し渋ったが、結局は飲むことにしたようだった。
彼女がグラスを持ったので、私も軽く、グラスを掲げて言葉を紡ぐ。
「ああ、サクラの冒険者としてのこれからと、その目標が叶うことを願って……乾杯」
「乾杯」
彼女は一口、ワインを口に含むと、
「意外と飲みやすいですね。それに甘い…」
そんな言葉をこぼした。
甘くて飲みやすい物を、と頼んでおいて正解だったようだ。
ワインを傾けながら、少し気になっていたことを尋ねてみる。
「このワインは女性にも飲みやすいものらしいな。そういえば、サクラは料理はしないのか?とても美味かったので、出来ればまた食べたいと思うのだが」
「宿では無理ですね。街の外に出た時も、あまり料理をする時間はありませんでしたし」
「では下宿なんてどうだ?部屋にもよるらしいが、長期で考えるなら宿よりも安くなると聞く。探せば希望にあう部屋もあるだろう」
2度だけだったが、彼女に食べさせてもらったあの料理をまた味わいたい、と思う心に押されるように続けていた。
「下宿ですか…。自炊を前提にしたところならいいかもしれませんね」
「ですが、値段や部屋の条件を見てみないと分かりませんね。冒険者でも下宿って出来るものなんですか?」
ふむ?彼女もどうやら乗り気のようだな。
うまくいけばまた、あの料理を食べられるかもしれんな。
「私も詳しくはないが、聞いた話では冒険者の下宿もそれなりに多いらしいぞ。特に一つの街を拠点にする冒険者の場合は。そのほうが安くつくらしいからな。ギルドで聞けば何かしらわかるかもしれんな」
「ギルドでですか~?聞いてみるのもいいかもしれませんね~」
彼女はグラスに残っていたワインを飲み干し、3杯目を注いでいる。
見れば顔は赤く、なんだか少し呂律もおかしい気がする。
「おい、大丈夫か?顔が真っ赤だぞ?」
「ふふ。大丈夫ですよぉ。ちょっとふわふわしますけど、問題ありませんよ?」
ああ、酔ってる…。弱いワインで、それもたった2杯で…。
しばらく飲むなと言う私と、酔ってないという彼女との攻防があったが、割愛しよう。
少し精神的に悪いこともあったしな…。
最後に彼女は急に席から立ち上ったかと思うと、そのまま床に座り込んでしまう。
「いきなりどうした?立てないのか?」
「立てないんじゃありません。立とうと思ったらちょっとふらついただけですぅ~」
床に座った状態で、上目遣いにこちらを見上げてくる。
なんだこの酔っ払いは…。
赤く火照った顔に少し潤んだ、漆黒の瞳。さらに上目遣いでじっと、こちらを見つめてくる。
はっ!いかん、私は今、何を考えていた?
「だから立てないんだろうが、まったく…。それで?急に立ち上がってどうしたんだ?」
少し荒っぽい口調を意識しながら、彼女を立たせてやる。
「なんでもありませんよぉ?ちょっと、トイレに行こうと思っただけですよ~」
「あー、もう、酔っ払いが!そっちじゃない、こっちだ」
トイレに行くと言いながら、何もない壁に向かってふらふらと歩きだす。
そんな彼女の肩を押さえて、トイレに連れていってやる。
こうやって並んでみると、その小ささがよくわかる。
彼女の頭は私の胸までもない。
せいぜいが鳩尾に届くかどうか、といったところだろう。
「あはははは、それじゃいってきまーす」
彼女は元気に挨拶をして、トイレに入って行った。
「はぁ~」
おもわずため息が出た。
酔っ払いに付き合うのは初めてではない。
騎士団の連中と飲む時は、必ず何人かが潰れた状態になる。
しかし、だ。女の酔っ払いとはこうも扱いにくいものなのか…。
飲み直そうかとも思ったが、彼女がトイレから出てきても酔いが収まっているとは考えにくい。恐らく、酒を飲むのも今日が初めてだったのだろう。
あの状態のまま放置すると周囲に迷惑がかかる可能性もあるし、何より、今日酒を勧めたのは自分だ。せめて、部屋までは送ることにしよう。
とすると、どうやってあの酔っ払いを説得するか、考えなければいけないな。
「遅い」
彼女がトイレに入って随分経つ。
その間、トイレの傍で待っていたのだからすでに出て行った、とは考えられない。
少し気配を探ってみる。
……気配はある。が、動いていないようだ。
あのふらふらした足取りで、躓いて頭でもぶつけたのか?
そんな想像が頭をよぎり、思い切ってトイレに入り、個室の扉を叩いてみる。
コンコンコン…
ノックには反応がない。
「サクラ?セドリムだ。大丈夫か?」
声をかけてみたが、これにも反応しない。
「おい、サクラ!はいるぞ!?」
少し焦って個室のドアを開いてみる。
ガチャ
鍵はかかって無く、簡単に開く。
どうして鍵がかかっていないんだ?
不思議に思いつつ、扉を開いてみる。
「っっっ!」
彼女は、そこに、いた。
トイレに、俯くようにして、座っていた。
「すぅ~、すぅ~」
個室に寝息が広がる。
トイレに座って、そのまま眠ってしまったようだ。
それは、いい。いや、よくないのだが。
問題は、彼女がトイレの「途中」で眠ってしまったようだ、と言うことだ。
そう、彼女はズボンと下着を下ろし、トイレに座った状態で眠っているのだ。
思わず、そこを凝視してしまったのは男の性、というヤツなのだろうか?
「おい、サクラ。起きろ。こんなところで寝るんじゃない」
我に返った私は、なるべく下を見ないように気をつけて、彼女に声をかけ、頬を軽く叩いてみる。
「ん、うん…。王子…?……ですよぉ?」
一瞬、起きたのかと思ったが、意味不明な言葉を残してすぐに寝息が聞こえてくる。
「おいコラ、寝るな!起きなさい!」
肩を掴んで揺さぶると、彼女はうっすらと目を開けてこちらを見つめてきた。
思わずそれを見つめかえしていると、かつてない衝撃が私を襲った。
ふにゃり、という形容が一番近いだろうか。彼女は蕩けたような笑顔を見せ、そのままコテン、と私の腕に頭を預けた。
どれくらい、そうしていたか。
数秒だろうか?それとも数分だろうか?
恐らく私の顔は真っ赤だろう。
そしてこの状況。
「私に、どうしろと…」
そこからは、かつてないほどの神経を磨り減らす作業だった。とだけ言っておこう。
しかし私の苦行はまだ続いていた。
彼女を抱えてなんとかトイレから連れ出し、カウンターで彼女の部屋の鍵を受け取り、彼女を部屋へ運ぶ。
そうして彼女をベッドに寝かせてようやく、一息ついた。
「こうして口を開かずに寝ていると、可愛いものなんだがな…」
独り言を口にしながら、彼女の顔にかかった髪を払おうと、手を伸ばしたのが悪かったのか…。
ぐいっ どさっ
いきなり手を引っ張られ、気付いた時にはベッドに転がっていた。
「なにが…!?」
思わず起き上がろうとした瞬間、ぎゅっ、と身体に暖かいものが絡みついてきた。
ドクン
心臓が跳ねるのがわかる。
横を見ると、眠っている筈の彼女が私にしがみついていた。
小さな、しかし女とわかる柔らかな身体がしがみついている。
どういうつもりだ?
彼女の顔を窺って見るが、私のほうからは顔は確認できない。
耳を澄ますと、規則正しい彼女の寝息が聞こえる。
無意識か?
無意識に私を行かせまいとしがみついているのか、それとも誰でもいいからしがみついているのか…。
その考えに、前者なら心が沸き立つが、後者なら、と考えるとひどく嫌な気分になる。
そんなことを考える自分に、恐らく酔っているのだ、と言い聞かせる。
「サクラ、離してくれ」
自分でも不思議なくらい、優しげなその声に、彼女は離すどころかしがみつくのを強めてその顔を私の腕にこすりつけるようにしてきた。
このままでは自分の理性がやばいかもしれない。
しがみつかれた部分から感じる暖かさと、その柔らかな感触に、身体を離そうとした。
しかし、どう動いても身体は離れない。それどころか、体を捩るたびに、絡め捕られていくような感じさえする。
どうやら、逃げ出すことも叶わないようだ。
これから彼女が目を覚ますまで、長い苦行の時間が始まった…。