017 馬車の中で
「……ろ…ラ…」
身体がゆらゆらと揺れています。
何かが頬に触れている気がします。
「起きろ、サクラ。ついたぞ」
声が聞こえます。
わたしはゆっくりと瞼を開け、目の前の事態に驚愕しました。
「ひゃっ、お、王子!?近い近い近い!顔が近いです!」
そう、起きたわたしのすぐ近く、正確にはわたしの顔を覗き込むように王子の顔がありました。
それだけでも驚いたというのに、王子の手がわたしの頬に触れています。
なんですか、この状況は。
起き抜けの頭は一気に回転を速めて状況を把握しようとします。
ですが、視界には王子の顔のみ。
無意識に視界を広げようと、後ろに下がろうとしました。が、すぐ後ろには壁があり、逃げることもできません。
前門の王子、後門の壁。ピンチです。
「はな、離れて下さい!」
自分から離れられないなら、相手に離れてもらえばいいんです。とっさにそれを思いついたわたしは、声と同時に思いっきり両手を前に突き出しました。
抱えていた木刀と一緒に…。
ゴッ
ドサッ
何やら鈍い音とともに王子が離れました。
やっと視界が広がったわたしは、とりあえず落ち着こうと思います。
……まだドキドキしています。
寝起きに男の、それも美形のアップは心臓に悪いですね…。
少し落ち着いたところで、状況を把握します。
ここは馬車の中、どうやら移動中に眠ってしまったようです。
室内は薄暗く、夕方のようです。
馬車の窓から差し込む光も赤く色付き、日暮れと思われます。
さて…、今の状況は把握できましたが…。
どうして王子の顔が目の前にあったのでしょうか?
その疑問を解決しなければいけません。
ッ…。まさかっ…。
王子は幼女愛好者で寝込みを襲おうとした…?もしかしてわたしが眠っているところで唇を…?
思わず口を手で覆いながら、王子のほうを見つめます。
王子は対面に設置されている座席に座り、少し赤くなった顎を押さえて恨めしそうにこちらを見ていました。
「王子…、何をなさっていたんですか…?」
口調が責めている気がするのは仕方ないと思います。
もしかしたら、初めての唇を眠っている間に奪われたのかもしれないのだから。
「何をって、着いたから起こそうとしていたんだ。声をかけても起きないから軽く頬を叩いてだな。なのにいきなりそれで殴られるとは…。しかも朝と同じ位置だ。少しは手加減しろ。あまり言いたくはないが、仮にも私は王子だぞ」
そう言って顎をさすりながら、わたしが持っている木刀に目を向けました。
「何言ってるんですか!殴ったんじゃありません、たまたま当たっただけです!それについては謝りますが、王子にも問題があります!目が覚めていきなり目の前に顔があると驚くでしょう!?言いましたよね!?誤解されるような行為はやめて下さいと!眠っている間に、く、唇を、その、奪われたのかと思いました!」
赤くなりながらわたしはまくしたてます。
「まてまて、顔を覗き込んでいたのは悪かったかもしれないが、お前がなかなか起きなかったからだな。それに私は眠っているところを襲うなんて非道な行為はしない!私は子供に興味はない!」
眠っていたところに何かされたわけではないようです。安心しました。
が、聞き捨てならないセリフが聞こえた気がします。
「子供?いま子供って言いましたね?誰が子供ですか!確かに見た目は小さいですけど15歳なんです!大人なんです!あと半年もすれば結婚もできる年齢です!こちらの世界では成人している年齢です!小さいけど胸だってあります!子供だって産め・・・ないですけどすぐに産めるようになります!なんですか!?王子も大きいほうがいいんですか!?胸ですか!?そんなに胸が重要ですか!?男はみんなおっぱい星人なんですか!?」
わたしはコンプレックスを刺激され、少し、涙目になりながら文句を言います。
「ええ、そうでしょう。女の魅力はやっぱり胸の大きさなんですね!襲う気も起きない幼児体型ですみませんでしたっ!」
そう言ってぷいっと横を向き、馬車から降りるために荷物をまとめます。
そして、まだ走っている馬車のドアを開けようとすると、王子は焦ったように
「まて、まだ馬車は走っているんだ!飛び降りるつもりか!怪我するぞ!」
後ろから腕を掴まれました。
わたしは王子のほうを振り向かずに言い放ちます。
「少しくらい怪我しても大丈夫ですっ!運動神経はいいほうですから。おっぱい星人の変態と一緒にいたくありません!」
「いやいやいやいや、なんだそのおっぱい星人とは?意味がわからんがなんとなく言いたいことはわかったが…。私は別に女性の魅力が胸だとはいっていない。子どもと言ったのは悪かった。謝る。だがその、襲う気になれないといったのはだな。サクラの寝顔が愛らしくて、だな。普段のサクラも可愛いと思うが眠っていると強気なところがなくて、その分、なんというか…。何を言っているんだ、私は…」
そんな声にわたしは固まってしまいました。
王子のほうを顔だけで振り向くと、王子は顔を赤くしながら横を向き、怒ったように独り言を言っています。
わたしの顔も真っ赤になっていることでしょう。
なにせ、今までも可愛いといわれたことはしょっちゅうでしたが、そう言ってくれたのは家族や友人達。家族や女性の可愛いは客観的に見ても判断しづらいものがあります。
家族以外の異性から、こう面と向かって可愛いなんて言われたのは初めての経験です。
さらに王子は美形です。決して美形が好き、ということが無いわたしでも多少は影響します。
つまりどうなったかというと…。
「あ、あの…。ありがとう…、ございます…?」
混乱しています。
王子の意図がわかりません。
かといってそういった経験値のないわたしは、ここでその言葉の真意を探れるようなスキルも持ち合わせていません。
できることといえば、顔を赤くして俯くことだけです。