番40:警備初日
お茶を飲みつつお店の事やお仕事について聞き、のんびりしつつもそれなりに有意義な時間を過ごして、気がつけば外はもう暗くなっています。8月半ばとはいえ、10の刻、夜8時前ともなると真っ暗です。この辺りは繁華街ということもあって、通り沿いのお店から漏れる灯りで道は明るいですが。
「さて、そろそろ回るか。最初は店の外周を回って、その後に店の中を回る。本来なら外と中は別々に回るんだが、お嬢ちゃんは初めてだから今回だけまとめて回ることにする。マッスルの旦那は今回はここで待っていてくれ」
「わかった」
さて、お仕事の始まりです。
……気合を入れて臨んだまでは良かったのですが。
そうそうトラブルなんて起きるわけでもなく。お店の外周の巡回は、ただ散歩をしただけで終わりました。なんだか肩透かしをくらった気分です。
「ま、何もないのが一番さ」
そう言われると、確かにそうなのですけどね。
「次は中を回るぞ。外と違って、中は部屋の方に気を使わなくちゃならんからな。それに他の客と鉢合わさねぇようにしないといけねぇ。外よりは大分気を使うぞ」
それに頷きながら、お店の中へと戻りました。
「もう始めちまってる客がいるのか」
そう言ったのは、とある部屋の前の事でした。
このお店は4階建てで、1階は従業員スペースというか、下働きをしている見習いの部屋や厨房、お風呂やオーナーの部屋などがあるそうです。2階から4階が客室……というか、働くお姉さん達の部屋になっていて、お客様の接客をするのもその部屋らしいです。部屋の扉には花や草を模した模様が書かれていて、それが誰の部屋なのかの識別になっているらしいです。
そんな扉のうちの一つ、鈴蘭の花が描かれた扉の前で、ゴードンさんが立ち止まりました。
「いいか、問題が起きやすいのは最初の行為の前、最中、それと2回目の時だ。無理な注文をつけたり、ヤッてる最中に夢中になり過ぎて行動が行きすぎるなんてのがちょくちょくあるんだ。そして2回目は前のプレイで満足できなかったやつが、女側を無視して無理を仕掛けて来るってのも偶にある。特に最中や2回目は、酒を飲んでりゃ酔いも回ってくるタイミングだ。そういう時に問題が起こりやすいから、中の様子を注意して確認するのが巡回の目的なんだ」
2階から上、客室のエリアでは声を落として会話をしています。廊下にはわたし達以外の人影は見えません。そんな静かな廊下にいれば、扉の外からでも部屋の中の声が聞こえて来ることもあります。そこまできっちりと防音はされていないようなので、こうして中の様子を伺えば、会話の内容すら聞きとれそうです。
そして目の前の扉からは、苦しそうな女性の声や、呻くような男性の声が漏れていました。
「ま、ずっと同じところに張り付くわけにはいかねぇから、変なところがなさそうなら次に移動だ。って、お嬢ちゃん、どうした?」
「へっ? い、いえ、なんでもないですよ?」
「何でもないって顔じゃ……ははん、さすがのBランク冒険者様も、こっちの方は苦手ってわけか」
「そ、そんなこと……」
「くくく、可愛いところもあるんだな。けどよ、恥ずかしがって確認が出来ないようじゃこの仕事は無理だぜ?」
「わかっていますよ!」
お仕事なのですから、そんな事はわかっています。ただ、やはりその……ゴニョゴニョな内容は恥ずかしいのですよ。
「まあ、何も行為そのものを覗こうってわけじゃあねえんだ。こうやって外から様子を窺って、問題が感じられなけりゃそれでいい」
「うぅ……」
こうしている間も、扉の向こうからは男女の声が聞こえます。時折女性の声が大きく、高くなるのが余計に生々しさを感じさせます。
「ま、こればかりは慣れるしかないな。せいぜい頑張りな」
ゴードンさんはそう言って、廊下を進んでいきます。その肩が時折揺れているので、笑っているようです。
くっ、そうやって笑っていられるのも今のうちだけです。見ていなさい、このくらい、何でもないのですから!
「はぁ~、皆さん、元気すぎでしょう……」
わたしにとっては本日最後となる巡回を終えて警備室に戻り、ぐったりとテーブルに身を預けました。
「何かあったのか?」
待機していたマッスルさんが、わたしの呟きに反応して声をかけてきます。
「何かってわけでは無いですが、もう明け方だと言うのにあちこちの部屋から……」
巡回は基本、半刻に1回になっています。問題を起こしそうなお客様がいる場合は頻度を上げるらしいですが、今日は大丈夫らしいです。
巡回の順番は3人で交代で持ち回り、一人が外回りで一人がお店の中を巡回、残った一人は警備室で待機します。次の巡回の時には担当が一つづつずれて、3回の巡回で一回りすることになります。わたしは前回が外回りで今回はお店の中だったので、次は待機の順番です。次の巡回が終わればその次は閉店の時間になるので、わたしにとっては後は警備室で待機していれば今日のお仕事は終わりです。
今は2の刻の巡回が終わったばかり、つまり午前4時半ごろなのです。普通の人なら今はぐっすりとお休み中の時間なのですが、ここのお客様達ときたら……。あちこちの部屋からあの声がして、心の準備が出来ていなかったので余計に疲れました。特に隠す必要もないのでそのままマッスルさんに話しました。
「ほとんどの客はそうだな。開店後に店に入り、酒を飲んで行為に入る。その後ひと眠りして疲れを取り、店を出るまでにもう一度という客が多いようだ。違う客もいるにはいるが、そっちは少ないようだな」
巡回の間の待機中に聞いた話と、わたしの知っている知識を合わせた内容を総合すると、大体の娼館は一晩いくら、という値段設定らしいです。営業時間は国に決められていて、午後6時から翌朝6時までの12時間となっています。そのせいか、ほとんどのお客様は回転直後から午後8時ごろまでに入店、簡単な食事と飲み物を摂ってゴニョゴニョしつつ、そのまま朝までいるのが一般的らしいです。途中で帰られるお客様もいるにはいますが、それは少数らしいですね。
ちなみに娼館で働くお姉さんは、身売りか借金の片にって人ばかりらしいです。この国は奴隷制度がありませんし、人身売買は違法となっているので無理矢理働かされていると言う人は(一応は)いないらしいです。
身売りをする人は貧しい農家の出身で口減らしの為だとか、家族の生活を助けるためだとかで10歳前後くらいから娼館で暮らし、働き方を学んで15歳になればお店に出るようになるのだとか。ここにいれば衣食住は保証されていますし、中級以上の娼館では基本的な教養も身につけることもできるので元の生活よりもましな場合もあるらしいです。
借金の片は、そのままですね。借金を返すために娼婦になり、お金を稼いでいるそうです。
どちらの場合も年季というものがあり、身売りの場合はその時に支払われた金額と働けるようになるまでの生活費などを合わせて、一定期間の年数とその金額を稼ぐことが出来れば自由になれる、というものらしいです。借金の場合は借金の金額と生活費などが基準になります。
どちらにしても、娼館で働くには同意書のような物があり、本人の同意がなければ働くことはできないようになっているらしいです。
「最初のうちは慣れなくても仕方がないさ。俺やゴードンだって最初は色々戸惑ったものだ」
「え? マッスルさんやゴードンさんもですか?」
ちょっとびっくりです。ゴードンさんなんてあれだけ威張っていたくせに、最初のうちはわたしと同じようだったのですね。ですが、ゴードンさんはまだわかりますが、マッスルさんはどっしりしていてそういうのとは無縁な感じがしますが……。
「ああ、まあ、男と女では違うだろうが……。ゴードンなんて今でこそああだが、初日なんて戻って来るたびに……くくっ」
ちょっと!そこで止めないでくださいよ!気になるじゃないですか!戻って来るたびにどうだったんですか!?
「つ、続きは?」
「すまん、少し思い出してしまった。ゴードンがここに来た初日だったな。外の巡回は問題が無かったのだが、店内を回ってここに戻ってきた時に、やけに腰が……」
「楽しそうだな、何話してるんだ?」
話がいいところに差し掛かった所で、扉の音と共にゴードンさんが入ってきました。
チッ、もう少しでゴードンさんの恥ずかしい話が聞けるところだったのに……。
「なに、彼女が疲れているようだったからな。少し昔話をしていただけだ」
「ふーん、どんな昔話なんだ?」
「大した話では無いさ。ゴードンがここに来た初日の事をちょっとな」
「へぇ、そりゃまた随分と……って、ええ!? だ、旦那、話したのか!?」
「いや、話をしようとしたところでお前が入ってきたからまだだ」
「そ、そうか……旦那、頼むからその話はしないでくれよ」
「む? お前がそう言うのなら話さないが……」
「ああ、頼むよ」
「ええ~、どんな話か興味があったのに……」
「ええ、じゃない、この話はこれで終わりだ。お嬢ちゃんももう余計な事を聞くなよ」
せっかく面白そうな話でしたのに……。
その言葉通り、お店が終わるまでこの話はマッスルさんからもゴードンさんからも聞くことは出来ませんでした。