番38:お姉さんの館
次の日、指定時間通りに『ラ・モール』へとやってきたわけですが……。
時刻は午後5時、王都の北に位置する歓楽街は、これから集まるであろう、仕事上がりの人達を迎えるための準備に追われていました。周辺のお店は酒場や娼館が並び、所々に飲食物を提供する屋台も出ています。すでにちらほらと見えるお客らしき人を、屋台から呼びかける声も聞こえてきます。立ち並ぶ屋台やお店からは煙が立ち上り、これから迎えるであろう賑わいを想像させます。
さすがに娼館は取り決めでもあるのか、見える範囲のお店はどこも開いていません。そんな娼館の一つ、『ラ・モール』の前で佇むわたしを、周囲の人がちらちらと視線を向けているのを感じます。
「お仕事お仕事っと」
極力視線を気にしないようにしながら、目の前の扉を叩きました。
しばらく待つと中から人の気配と、パタパタという足音が聞こえてきました。
「はい、どなたですか? お店は8の刻からですが……あら?」
扉が開くと同時に、中から女性が現れました。この人も娼婦なのでしょうか?薄い、光にかざせば向こうが透けて見えそうな服を何枚か重ねて着ています。そしてその下には、重ねた服の上からもはっきりとわかるほどの胸、おっぱい、乳。同性であるわたしですら、思わず手を伸ばしたくなるような果実が二つ、存在を主張していました。これが噂のスイカップと言うやつなのでしょうか?
下から見上げる形となるわたしからは、魔性の果実が邪魔をして相手の顔すら見えません。
「あら? 確かに誰かが扉を叩いたと思ったのだけれど……聞き間違いかしら?」
「……すみません、ここにいるんですが?」
わたしの声にびくり、と震えたかと思うと、きょろきょろと辺りを見回しました(身体の動きからそう判断しました)。
「え? え? 声は聞こえるのに……やだ、お化けかしら……?」
おい……どこのコントですか。
「下です、下を見て下さい」
そう言って魔性の果実……魔乳の下から一歩、下がりました。
「え? あら? まあ! まぁまぁ! ごめんなさい、まさかそんなところにいるとは思わなくて……」
ええ、そうですね。そんな魔乳をぶら提げていたら、足元なんて見えないでしょうね。
「それで、お嬢さんが何かご用かしら? 言っては何だけれど、ここはお嬢さんのような子供の来る場所じゃ……ああ、もしかしてここで働きたいの? うーん、私が言うのも何だけど、出来れば他の仕事を探すほうが……ああ、でもそのくらいの年齢だと難しいかな。……あ、そうだわ! もし良かったら、とりあえずここで下働きとして働いてみるというのはどうかしら? オーナーには私からも話してあげるし、しばらくここで働いてみて、それから結論を出しても遅くはないと思うの。ね、どうかしら?」
魔乳のお姉さんはしゃがみこんでわたしに目線を合わせると、わたしの話も聞かずに勝手に話をまとめてしまいました。
うん、いい人なんだと思います。わざわざしゃがんで目線を合わせてくれていますし、話の内容は別として、こちらを気遣ってくれているのもわかります。ただ、暴走していますが。
「いえ、あの……」
「大丈夫よ、お姉さんに任せて、ね? こう見えてもお姉さん、このお店ではそれなりに偉いのよ?」
「だから、わたしは仕事で……」
「うんうん、苦労してきたのね。でも大丈夫よ。お姉さんに全部任せなさいな」
そう言って胸を叩くと、魔乳がぼよんと弾みます。
チッ、見せつけやがって……げふんげふん、話を聞かない人ですね。
「だからわたしはギルドの……」
「あれ? 姉さん何しているんですか?」
店の中から新たな声。
身体をずらして覗いてみると、魔乳のお姉さんと同じような格好をした女性がこちらを見ていました。胸は魔乳のお姉さんほどはなく、巨乳のお姉さんと言ったところでしょうか。
「ああ、ソランちゃん。実はこの女の子がね……」
これはチャンスです。人の話を聞かない魔乳のお姉さんよりは話が通じそうです。
「ギルドから警護の依頼を受けてきました、サクラ・フジノです。責任者の方にお会いしたいのですが、取り次いで頂けますか?」
やっと言えました。これでようやく仕事が……。
「え? え?」
魔乳のお姉さんは話がわからないと言う風に、わたしとソランと呼ばれた巨乳のお姉さんの顔を交互に見ています。
「は、はあ……? よくわかりませんが、オーナーに伝えればいいんでしょうか? とりあえず聞いてきますのでお待ちください」
おお、やはり魔乳のお姉さんより話が通じました。取り次ぎは巨乳のお姉さんに任せて、しばらく待つとしましょう。
「え? お嬢さんがお仕事って……え? このお店に働きに来たのよね? でもそれはお仕事で、お嬢さんは小さな女の子で……?」
話がさっぱり通じていない魔乳のお姉さんがぶつぶつと呟いています。とりあえず魔乳のお姉さんは放置の方向でいいとして、娼館の前でいかにも娼婦といった格好の、それでなくとも目を惹く魔乳をぶら提げたお姉さんと、見た目子供なわたしの組み合わせは周囲の視線を集めています。まあ、通る人のほとんどが男性の時点で視線の行き先は魔乳なのですが。
巨乳のお姉さんが責任者の方を連れて戻って来るまで、わたしも魔乳を見学させてもらいます。しかも至近距離だぜ、男ども、羨ましいでしょうチクショウ、凄い谷間ですね。手を突っ込んだら抜けなさそうですよ。
そんなことを考えていると、店の中から人の気配が近付いてきました。
店の中から現れたのは巨乳のお姉さんと、こちらは普通の服(と言っても魔乳・巨乳のお姉さんと比較してであって、一般から見れば派手な服)を身に付けた、少し年配のおば……お姉様です。
……何故でしょう、一瞬、背筋に寒気が走りました。
「そちらのお嬢さんが、臨時の警護の依頼を受けてきた人かしら?」
品の良さの中に、芯の強さを感じさせる声で、お姉様が話しかけてきました。この人が責任者の方でしょうか?
「はい、ギルドから依頼を受けてきました、サクラ・フジノです。ギルドから連絡は行っていると聞いています。短い期間ですが、よろしくお願いします」
「あらあら、礼儀正しいお嬢さんだ事。ええ、勿論聞いているわよ。ただ、貴女がそうだという証拠を見せてもらえるかしら?」
柔らかな声と笑顔で問いかけられますが、会話中、その目はこちらを値踏みするように見ています。なかなかに手強い相手のようですね。尤も、対立しなければ関係ないでしょうけども。
「ええ、ギルドカードでいいでしょうか?」
「それでかまわないわよ」
ポーチからギルドカードを取り出し、表示をさせてから受け取りに来た巨乳のお姉さんに渡します。
お姉様はカードを確認し、一つ頷きました。
「確認しました。Bランク冒険者、サクラ・フジノさんですね。ごめんなさいね? 女所帯の商売な物だから、こういったことには気をつけているのよ」
ああ、アイリさんが言っていた、過去に馬鹿をやった冒険者の事ですか。お店の女性にちょっかいをかけようとしたとか言っていましたね。
「大丈夫です。ギルドからは以前に依頼を受けた冒険者がトラブルを起こしたと聞いていますから」
「そう言ってもらえると助かるわ。それじゃあ、仕事について説明をするからついてきて下さる?」
しかしこのお姉様は受け答えや動作の一つ一つに品がありますし、優雅ですね。見た目は普通の綺麗な女性ですが、只者ではありませんね。さすがは娼館一つを切り盛りする女性と言ったところでしょうか。
応接室のような場所に通されると、14、5歳くらいの女の子がお茶とお菓子を用意してくれました。お茶からはハーブのいい香りが立ち上っています。お菓子は見たところ、クッキーのようですね。
「よかったら摘まんでくださいな。頂き物だけれど、とても美味しいのよ? 最近、貴族の間で流行っているというお菓子だそうよ」
貴族の間で流行っているお菓子でクッキーと言うと、アレでしょうか?アレはコネがないと食べる機会なんてありませんし、レシピも入手できません。そんな物を、頂き物とはいえお茶受けに出してくるなんて、王都で一番という話は本当のようですね。
お菓子とお姉様を見ながら少し考えていると、お姉様は何か勘違いをしたようです。
「そんなに警戒しないでいいわよ? 私も食べたから、変な物は入っていないって保証できるわ」
変な物、入っていることがあるんですか……。
「ふふ、こういう商売をしているとね、差し入れだと言って媚薬等を混ぜたお菓子を持ってくる方が、偶にだけれどいらっしゃるのよ。もちろん、そう言う方は丁重にお帰り頂いているのだけれど。過去に幾度かそういう事があった物だから、差し入れに頂いたお菓子は一旦預かって、安全を確認してからみんなで分けるのがこの店のルールになっているのよ」
だから食べても大丈夫よ、とお姉様は微笑みながら言います。
丁重にお帰り頂いた、という部分に少し怖さも感じますが、そこは触れないほうが精神的にいい気がします。
安全だとまで言って出された物に手をつけないのも失礼なので、一枚頂くことにします。
うん、やはりアレですね。シフォンさんのお家にレシピを教えたうちの一つ、バタークッキーです。
「美味しいでしょう? 私も初めて食べた時は驚いたわ。どこかの貴族のお屋敷でしか手に入らない物らしいから、簡単には手に入らないのが残念だわ」
わざとらしく息を吐いていますが、『簡単には手に入らない』って、頑張れば入手できるって事ですよね?さすが、商人や貴族をお客にしているだけの事はあります。
ただまあ、バタークッキーなんて材料さえ分かれば後はしばらく試行錯誤すれば再現できますし、いずれは庶民にも広がるでしょうけどね。そろそろ別のお菓子のレシピも渡した方がいいかもしれませんね。次はカステラにしてみましょうかね。
などと考えているうちに、どうやらお茶の時間は終了のようです。そういえばお店の開店は9の刻からだって、アイリさんが言っていましたね。そろそろお仕事の説明に移らないとまずい時間のようです。
「サクラさん、でいいかしら? サクラさんは今回の依頼についてどのくらいの説明を受けているのかしら?」
「ギルドからの説明では、警備の人数に一時的な欠員が出たため、その間の補充と聞いています。期間は今日から4日間で、ラ・モールが営業している9の刻から翌日の3の刻までの間。仕事の詳細はこちらで聞くようにと言われています。後はお店の客層だとか、先程言われた『過去に依頼を受けた冒険者が起こしたトラブル』くらいですね」
「そう、ならそんなに説明は要らないようね。でも改めて伝えておきますね。期間は4日間、警備担当の一人が一時的にだけれど故郷へ戻ることになって、戻って来るまでの間をお願いします。時間は9の刻から翌日3の刻までの6刻です。仕事内容は警備と言ってあるけれど、やることは用心棒のような仕事です。怪しい人物が店の周りをうろついていないか巡回したり、時折店の中を巡回してトラブルが起きていないかを確認してほしいの。部屋の中を覗く必要はないけれど、外から音を聞いて問題ないかを確認してください。偶にだけれど、店の女の子に無理矢理乱暴な事をしようとするお客様もいるのよ。そういうお客様は状況を確認の上、可能ならば穏便に説得、それが無理なら力ずくで排除してもらってもかまいません。判断がつかなければ、近くにいる者に私か他の警備担当を呼ぶように伝えて下さい。中には護衛付きでいらっしゃるお客様もおられますが、トラブルの際に抵抗があれば、そちらへの実力行使も許可します。こういう商売ですし、お客様も身分のある人が多いですから店の信用は大切ですが、それ以上に店の女の子の方が大切です。それを念頭において行動してもらえれば、後の責任は私が取ります。それから、警備はサクラさんを含めて3人です。店の入り口の近くに警備用の部屋がありますから、巡回をしていないときはそこにいてもらえればいいわ。トラブルの際には下働きの子がそこへ呼びに行きますから、必ず一人は部屋にいるようにしてください。巡回の順番やルートなどは他の二人に聞いてください」
ふむ、基本は詰め所(警備用の部屋をそう呼ぶ事にします)にいて、3人が交代でお店の外と中を巡回する。その際、必ず一人は詰め所に残る事。トラブルがあった場合は駆け付け、実力を以って解決する、ということですね。
「説明は以上だけれど、質問はあるかしら?」
「あ、質問では無いのですが疑問が一つ」
「あら、なにかしら?」
「以前に依頼を受けた冒険者がトラブルを起こしているというのに、ギルドカード以外の確認をせず、すでにわたしに警備を任せるという前提での説明のように聞こえたのですが?」
過去に依頼を受けた人物がトラブルを起こしているのですから、何か審査のような物があると思っていたのです。それなのにお茶を飲んだだけで、そのまま依頼内容の説明に入ってしまったのが疑問なのです。
「ええ、今回はサクラさんに警備をお願いしようと思っています。勿論、適当に決めたわけではないのよ? 理由として、冒険者ギルドには以前のトラブルのことも含めての人選をお願いしていて、サクラさんはそれに選ばれてきた事。そして先程までサクラさんの事を観察させてもらったけれど、信頼に足る人物だと思っているわ。そうでしょう、『黒の英雄』さん? これでも人を見る目には自信があるのよ?」
つまり、ここに派遣されてきた時点で半分は合格だったわけですか。そしてお茶を飲んでいる間、いえ、きっとお店に来てからでしょうね。ずっと観察していて判断したと。それに仮にわたしが何か問題を起こしても、以前のトラブルを踏まえての人選をしたのはギルドですから、ギルドに責任追及も出来ると言う事ですか。そして聞きたくない名称、『黒の英雄』。一応の正体は隠されているとはいえ、ある意味公然の秘密ですからね。知っていてもおかしくはないわけですが……このお姉様、さすがです。
あ、お姉様と言えば……。
「あともう一ついいでしょうか?」
「ええ、どうぞ?」
「お姉様のお名前を伺っていませんでした」
「あら、お姉様だなんて……。そういえば自己紹介がまだだったわね。私は娼館『ラ・モール』の店主兼オーナーの、オリーヌ・ジュレです。フジノ・サクラさん、今日から4日間、よろしくお願いしますね」
こうしてわたしのAランク昇格試験、ラ・モールの警備は始まりました。