番26:対策会議
「酷い目に遭った…」
髪はぐしゃぐしゃ、服はボロボロ、身体はよれよれになった王子がぐったりとテーブルに突っ伏しています。
その加害者であるエルは、わたしの膝の上で丸くなっていました。
わたしは傾けていたカップをテーブルに戻し、逸れまくっていた話題を戻します。
「それで、王妃様とアリア様にはどう説明しますか?」
王子の余計なひと言で随分と時間を食いましたが、そもそもこれを話すために顔を合わせているのです。まあ、怪我の功名というか、この旅行の目的は果たしたので早く切り上げることには問題ないと思われるのですが。
王子がテーブルの上から恨みがましい視線で見ていますが、些細な事なので気にしないでおきましょう。
「安全を考えるならここで王都に戻ったほうがいいでしょうし、そうしないのなら行動の制限と護衛が必要になります。この屋敷の衛兵の数や練度がわからないので、王子の意見を聞きたいのですが?」
そう、問題は他に襲撃者がいた場合に王妃様とアリア様を守り切れるか、ということです。
仮に、他にも襲撃者が現れると言うなら、その規模と対策を考えておかないといけません。わたしが襲撃をするのなら、王子を襲う場合はある程度の人数で、1人のところを狙います。そして王妃様やアリア様が相手の場合は、護衛がいるなら複数で、1人が護衛をひきつける囮役、残りで背後から対象を狙います。護衛の練度があればそれらの行動にも対処できるでしょうが、下手をすれば襲撃者に振り回されて護衛対象を疎かにしかねません。そうでなくても、護衛として役に立つかどうかも問題です。最優先するべきは、王妃様やアリア様の安全なのです。
「……正直言って、兵士の能力や人数から言って襲撃者の規模によっては難しいと思う。決して兵士が役に立たないと言うわけではないが、一線に立って戦う騎士達に比べると、実力も練度も足りないのは仕方がないと思う。こんなことになるのなら、近衛の数人でも連れてくるべきだったな…」
「いない者を嘆いても仕方がありません。となると、やはり王都へ戻るほうがよさそうですね。ですが問題は、王妃様とアリア様が納得して頂けるかどうか、ということですが…」
わたしがそう言うと、王子は難しい顔で考え込んでしまいます。あのお2人の説得が難しいことは、わたしよりも王子の方がよく知っているでしょうから…。
「難しい、だろうな…。元々この避暑は母上やアリアにとって毎年の恒例行事のようなものだったし、特に今回は楽しみにしていたようだったからな。襲撃の事を話したとしても、あの2人のことだ。何とかしろと怒られて終わる可能性が…」
ああ、その光景が目に浮かぶようです。ですが今回の事で張り切っていたのは、わたしのことがあったからなのは間違いありません。が、わざわざそれを指摘する必要はないでしょう。わたしだってあえてそれをほじくりかえすようなことはしたくありませんからね。
「とりあえず、話してみる方向で考えましょう。ですがこのまま残ることも考えておくほうがよさそうですね」
「そうだな…」
王子が嫌そうに顔をしかめます。その気持ちは分からないでもありませんが…。
「まず護衛を強化する、というのは最低限必要ですね。衛兵の方には負担を強いることになりますが、長くても後3日です。頑張ってもらうしかないでしょう。それとお2人の行動制限ですが…」
「難しいな。大人しくしていろと言ったところで、聞く2人ではないだろう」
「ですよね…。となると、お2人には専属の護衛をつけることになりますが、候補はいますか?」
「……いや。少なくともここにいる兵士は、戦闘などの経験はほとんどないはずだ。ましてや護衛となると、そういった経験のないものばかりだろう」
聞いて少し呆れてしまいます。王家の別荘なのに、そんなことでいいのでしょうか?まあ、ここ数十年は治世も安定していましたし、王族を狙うような人物もいなかったようですが、それにしても甘すぎるんじゃないでしょうか?
周辺の魔物はあらかじめ騎士が派遣されて討伐が行われているとは言え、狙う側からすれば警備の固い王都よりも、警備の薄い別荘を狙ってくるのは当然のことです。それなのに…。
いえ、今はそれを指摘しても仕方がないでしょう。
「なら王妃様達が外出するときは、4人ほどを護衛につけるとして……別荘周辺の警護は休みなし、ということになりますが、そちらに関しては決まり次第に王子から通達してください。それと、王妃様にはエルをつけておきましょう。エルなら護衛として十分な能力がありそうですし、警戒もされませんからね。それに王妃様にならエルのことがばれても大きな問題にはならないでしょうし」
そう、エルが魔獣だったことは幸いでした。戦闘能力なら申し分が無いでしょうし、普段が子猫の姿なら、護衛として常に傍にいても問題がありません。
「ふむ、エルか。ならアリアの方はどうする?正直、兵士だけでは不安が残るが…。私が付き添うようにしておこうか?」
「いえ、それだと狙われる可能性が高くなるだけでしょう。最優先から考えると、王子が狙われる可能性の方が高いですし」
わたしが襲撃を指示したとすると、ソビュール王国に混乱をもたらすとすればエドウィル王子かセドリム王子を優先に狙います。理由としては、王位継承者だからです。そしてこの場にエドウィル王子がいない以上、王子が最優先の標的になるのが当然です。仮に王妃様を狙ったとして、多少の混乱は招くでしょうが、それだけです。アリア様にしてもすでに降嫁した身ですし、騎士団でも地位のある王子を狙ったほうが効果としては大きいのは当然です。だからと言ってお2人が安全だとは言えませんが。
「アリア様にはわたしがつきます。王子よりは女同士の方が何かと便利ですし、その方がアリア様も承知しやすいでしょう。王子も出来るだけ1人にならないように、出歩くときは注意してください。それとシフォンさんですが、念のためにシフォンさんにも護衛をつけておいた方がいいでしょう。その方が何かあった時にわかりやすいですし、一緒に行動している以上、シフォンさんだけ絶対安全ということはないでしょうから」
人質、ということも考えられますからね。
「ではそれでいくとしようか。念のために王都には早馬を走らせ、何人かをこちらに向かわせることにしよう。今から知らせれば、急げば今夜中にも到着するだろう。どちらにせよ、帰りの道中の護衛も必要だろうからな」
「まあ、このまま王都に戻るのが一番安全なのは確かですけどね」
とはいえ、恐らくそれは無理だろうと言うのはわたしも王子もわかっていることですが。
「それでは方針も決まったことですし、お2人に話をしに行きましょうか」
昨夜からの一連の事は話してあるので今は大人しくしてくれてはいるでしょうが、いつまでも大人しくしてくれているとは限りません。なんせあのお2人ですからね…。
そう思って立ち上がろうとしたところで、王子から別の話が切り出されました。
「それで、話は戻るのだが…」
「なんですか?」
この時、わたしはこれからの事で頭がいっぱいになっていました。ですから、迂闊にも王子が話を切り出した内容に考えが向かなかったのです。話の流れを考えれば、この話になるのはすぐに想像がついたと言うのに…。
「先程の話だが、もう一度きちんと聞いておきたいんだ」
「先程の、ですか?」
ああ、この時のわたしを殴ってあげたいです。
「ああ、サクラは私の言ったことを、プロポーズだと思って聞いていたわけだよな?ということは、それに対しての答えということは、つまりそう思っていいのだろうか?」
「へ?」
「これは私の勘違い、ということでは済まない問題だ。だから、サクラの答えをきちんと聞いておきたいと思ってな」
「え?ええ!?そ、それはさっき終わった話では…」
「いや。サクラの口から正式な返事を聞いた覚えはないが?先程も言ったが、これは私の判断だけで勝手に勘違いして、というわけにはいかないからな。それにサクラも言っていたではないか。私には女心はわからないからな、きちんと言葉にしてもらわないと、またサクラに迷惑をかけることになるかもしれんからな」
こ、こういうときだけ人の言葉を使うなんて…!ですが、だからと言って…。
「照れ隠しにまたエルを仕掛けるなんてことはしないでくれよ?これは父上や兄上にも報告をしないといけないことだからな。事は私とサクラだけの問題では無いのだ」
くっ、先に釘を刺されてしまいました!ですが、あんなこっ恥ずかしいことを言うなんて…。あ、そうです!わたしだけが恥ずかしい思いをしないといけないなんてことはありません。どうせなら王子にも恥ずかしい思いをしてもらえばいいんです。それで、王子が言えなければわたしも言う必要が無いってことですよね?ヘタレな王子の事です。きっと期待に応えてくれるに違いありません!
「こ、ここはもう一度王子から言ってもらうのがいいんじゃないでしょうか?ほら、仕切り直しというのなら、そのほうが雰囲気も出ますし、あの時の王子はその、プ、プロポーズのつもりじゃなかったんでしょう?ならやはり、そういうつもりできちんと言ってもらうのが礼儀、じゃないですか?」
ちょっと言葉は怪しくなりましたが、きちんと伝わったはずです。これで王子が照れて有耶無耶になれば…。
「む?そう言えばそうだな…。確かにそれではサクラに失礼というものか。では仕切り直しということで……ん、んー。改めて、となるとさすがに照れるな…」
そうでしょう、そうでしょう。そのまま照れていて下さい。
ではわたしはこの間に……って、え?
徐に王子が立ち上がり、わたしの横に来て手を取りました。そしてそのまま跪き、わたしをじっと見つめてきました。
突然の行動に、わたしはどうしていいのか慌ててしまいます。
「え?あ、あの、王子?」
何か言葉を紡ごうと思いましたが、王子の真剣な目を見ると、浮かんできた言葉も咽喉を超す前に消えてしまいます。
「サクラ、私は君のことを愛している。必ず幸せにする、なんてことは言えないが、私の全力を以ってサクラを幸せにしたいと思っている。願わくば、この先ずっと傍にいてほしいと思うし、傍にいたいと思う。私をサクラの生涯の伴侶として認めてはくれないだろうか?」




