番16:男の見せ場
「にゃ~」
たしたし
「う…?」
「にゃ~」
たしたし
「う…、朝、ですか…?」
昨夜は早く寝たはずなのに、頭がすっきりしません…。
むしろ、身体が重くて頭ががんがんしている気がします。
「にゃ~」
「……わかりました。起きますから…」
身体を起こすのも一苦労です。頭がふらふらとします。
ベッドから降りると、足元がふらついて倒れそうになるのを何とか踏ん張ります。
「うう、地面が揺れている気がします…」
なんだか声もかすれている気がします。
「にゃ~…」
足元でエルが心配そうに見上げていました。
「大丈夫です。少しふらつくだけで…。すぐに着替えて……あれ?」
一瞬、目の前がぐらついたかと思うと、気がついた時にはクローゼットの前で座り込んでいました。
「あれ…?わたし、どうして…?」
手から伝わる、クローゼットの冷たさが心地よく感じます。それを感じた後、わたしは意識を失ったようです。
気がつくと、わたしはベッドに寝ていました。朝の出来事は夢だったのかとも思いましたが、体のだるさとおでこに感じるひんやりとした感触が夢では無かったと教えてくれます。
ひんやりとした感触…?
額に手を当てると、タオルが載っているのがわかりました。ただ、水を絞り過ぎていてほとんど乾いていますが。
それでもまだ冷たいということは、このタオルが載せられてからそれほど時間は経っていないということです。
載せられたタオルが落ちないように押さえながら、部屋を見てみます。
ベッドの傍らには水の入った桶が置かれており、これでタオルを冷やしたのでしょう。
それらの痕跡から、誰かが看病をしてくれたことは容易に推測できます。
窓にはカーテンが引かれていますが、隙間から差し込む光からまだ日が高い時間だとわかります。
いつもなら、依頼に出ている時間帯です。こんな時間に誰が来てくれたのでしょうか?知人ならこの時間に家にいないことは知っているでしょうし、今日は来客の予定はありませんでした。では一体誰が…?
実際には出来ないので頭の中で首をかしげていると、ドアの開く音がしました。
「ああ、目が覚めたのか」
寝室に入ってきたその人は…。
「王子?どうして…?」
こんな時間にここにいるはずのない、その人でした。
「昨夜、くしゃみをしていただろう?それでちょっと気になって様子を見に、な。出かけているならそれで良かったんだが、来てみたらエルの鳴き声がしているから、もしやと思って入ってみたら、サクラが倒れているのを見つけて…。あの時は焦ったが、どうやらただの風邪の用で安心したよ」
わざわざ心配して来てくれたんですか…。
そう言えば、王子には念のためにと鍵の場所を教えていたんでしたね。え?危険?大丈夫ですよ、王子ですからね。
「ただの風邪、ということはお医者様に?」
「ああ、私だとわからないことも多いからな。念のために医者を手配したが……まずかったか?」
「いえ、ありがとうございます。助かりました。……あ、お医者様のお金は…?」
「気にするな、私が払っておいた」
ええ?気にするなって言われても、気にしますよ!お金は大切ですよ?友人知人の間でもお金の貸し借りはトラブルの素なんですから!
「そんな、悪いですから払います。いくらですか?あ、財布…」
「いいから今は休め。病人がそんなことを心配する必要はない」
「そういうわけにはいきませんよ。お金が無いわけじゃないんですから……ゴホッゴホッ」
「ああ、ほら…。いいから寝ていろ。そうだな、どうしてもというのなら、金はいいから早く良くなって上手い飯を食べさせてくれ。それが何よりだ」
「もう、そんなのいつも食べているじゃないですか…」
「じゃあ、良くなったらいつもよりも豪華にしてくれ」
「ふふ、仕方ないですね。わかりま……ゴホッ」
「もういいから喋るな。ほら、水は飲めるか?」
「ゴホッ…。すみません…」
水を飲んで、咽喉の違和感も少し治まりました。
「気にするな。病人は大人しく世話をされていろ。あ、果物を剥いてきたんだが、食べられるか?」
「いえ、あまり食欲は…」
「多少無理してでも少しは口に入れておけ。医者の話だと、水分を摂って、栄養を摂ることが回復への一番の道だと言っていた。何も口にしないのが一番駄目だそうだぞ?」
まあ、日本みたいに風邪薬なんてありませんからね。
「わかりました。じゃあ、少しだけ…」
「ああ、ほら」
差し出されたお皿の上には、少々というには厳しい、歪な形の果物が載っていました。
「えっと、これは…?」
「……リンゴだ。仕方がないだろう?果物の皮を剥くのなんて慣れていないんだ。いつもはそのまま皮ごと齧っていたからな」
「くすっ、まあそういうことにしておいてあげます」
苦手なのに、わざわざ皮を剥いてきてくれたのですから、からかうのはやめておきましょう。それにしても、王子が必死にリンゴと格闘する姿を思い浮かべるとおかしくなってしまいます。
「笑うな…。形は歪だが、食べてしまえば中身は変わらん。ほれ、口を開けろ」
「え?」
「何を呆けた顔をしている。動くのも辛いんだろう?食べさせてやるから口を開けろと言っているんだ」
ええ!?
つまり、それってあれですか?いわゆる、あーん、ってやつですか!?これがお粥とかなら、ふーふーのオプション付きの、あれですか!?
固まるわたしに対して、リンゴを差し出す王子の顔はいたって普通です。意識しているのはわたしだけということですか?なんだか不公平です!
ですが、わたしだけ慌てるのは馬鹿みたいです。なのでここは冷静に対処しましょう。
「あ、あーん…」
「もっと口を開かないと入らないぞ?」
ちょっ!王子は乙女心というものがわかっていませんね!?異性の前で大口を開くなんて、恥ずかしいんですよ!?
「ほら、もっと開け」
くっ…。このお返しはきっちりしますからね?
「あーん!」
ひょい
「むぐ」
しゃりしゃり…。
リンゴの冷たさとかすかな酸味が口の中に広がります。
「どうだ?まだ食べるか?」
口の中の物を飲み込むと、次のリンゴが差し出されました。まだ食べるとは言ってないのですが…。
ですが、食べてみると意外と美味しく感じたのも事実です。相変わらず食欲はありませんが、少しなら食べられる気がしました。
「あーん」
口を開けると、次のリンゴが放り込まれました。
気がつくと、お皿の上にあったリンゴは全てわたしの胃に収まっていました。
「結局全部食べたな。他に何か欲しいものはあるか?なんでもいいぞ?」
そう言われても、特に何も思い浮かびません。
それにお腹に物が入ったせいか、少し眠くなってきました。
そうだ!さっき恥ずかしい思いをさせられた仕返しをさせてもらいましょう。
「本当に何でもいいんですか?」
「ああ。ただし、私にできる範囲で、という注釈がつくがな」
ふっふっふ、言質は取りましたよ?
「じゃあ、手を握っていてください。わたしが眠るまででいいので…」
さあ、恥ずかしがるがいいです!
「なんだ、そんなことでいいのか?」
……あれ?予定と違いますよ?
王子はお布団からわたしの手を出させると、ぎゅっと握りました。
あれぇ?予定ではもっと恥ずかしがってくれるはずだったのですが…。
「これでいいのか?」
ですが、これはこれで…。
「王子の手、冷たくて気持ちがいいですね…」
「サクラの手が熱いんだ。まだ熱があるんだろう」
「このまま…、眠るまで握っていてくださいね?」
そう言ってゆっくりと目を閉じました。握られた手が、なんだか安心をくれる気がします。
「……」
あれ?王子からの返事がありません。
閉じていた目を開いて王子の顔を窺うと、そこには真面目な顔があってドキッとします。
「……なあ、眠るまでなんて言わないで、ずっとこの手を握っていてもいいだろうか?」
「え…?」
久しぶりに見た、王子の真面目な顔。それに、強い意志が込められた瞳に見つめられて、なんだか鼓動が速くなった気がしました。
「あ、あはは…。やですね、そんな真面目な顔をして…」
「私は真面目に言っているんだ。聞いてくれ」
「は、はい…」
「今回は「にゃ~」
「あ、あれ?エル?」
「くっ、またか…」
「どうしたんですか?」
「にゃ~」
エルがベッドに飛び乗って、わたしの肩を叩いています。
「ご飯ですか?すみません、今日は作れそうにないので自分で何とかしてもらえますか?」
「にゃ~…」
「それと、移らないとは思いますが、今日はわたしに近付かないようにしてくださいね?この部屋に入るのも禁止です」
「に~」
「駄目です。元気になったら好物を作ってあげますから、我慢してください」
「にゃ~…」
「ふふ、いい子です」
心なしか肩を落として、エルは部屋を出て行きました。少し可愛そうな気はしますが、エルに何かあっても困りますからね。まあ、エルの事ですから1日くらいどうってことないでしょうけど。
「すみません。お話の途中で…。それで、なんでしょうか?」
エルの乱入で話の腰を折ってしまいましたが、改めて王子の話を聞く姿勢に入ります。
「猫に負けるな、セドリム!今日こそははっきりと言うんだ!大丈夫だ、負けるな!」
何故か王子は下を向いてぶつぶつと言っています。どうしたのでしょうか?
「サクラ、話がある!」
「は、はい?」
俯いていたかと思うと、急に顔を上げて大きな声を出されたので驚いてしまいます。
「こんなときに言うのも卑怯なことかもしれないが、きちんと伝えておきたいと思う。今日は偶然、私が見つけることが出来たが、これからもそうとは限らない。今回のように病気になることだってあるし、冒険者をしていれば怪我をすることだってある。そんなとき、一人だと大変だろう?もしものことだってあるかもしれない。……いや、これは言い訳だな。さっき言ったことは冗談では無い。私はサクラが許してくれるなら、ずっと一緒に、傍にいたいと思っている。サクラのことが心配なのも事実だが、私がサクラと一緒にいたいと思っているんだ。これが私の素直な気持ちだ。急にこんなことを言われて戸惑うだろう。だが知っておいてほしかったんだ。すぐに答えがほしいとは言わない。だが、考えておいてくれないだろうか?そしていつか、答えを聞かせてほしい」
心なしか、わたしの手を握る力が強くなった気がします。
心臓がドキドキしています。
これって、もしかして告白?いえ、プロポーズ…?
まさか、王子が、わたしに?
「……そんな、わたしは…」
「すぐに答えを出そうとしなくてもいい。きちんと考えて、その上で答えを出してほしい。私はそれまで待っているから…」
王子はわたしの手にそっと唇を落とし、お布団の中に戻しました。
「あ…」
どうしてか、手が離れたのが寂しく感じてしまいます。
「私がここにいると落ち着けないだろう?それに、男だと色々と困ることもあるだろうからな。シフォンに連絡をしてくる。サクラはゆっくりと休んでくれ」
そう言い残して、王子は部屋を出て行きました。
「……さっき、ずっと傍にいたいって言ったばかりじゃないですか…。手を握っているって言ったじゃないですか…」
手に残る感触に寂しさを感じ、お布団の中でそっと撫でました。
風邪以外が原因の熱で、なんだか眠れそうにありません。
そう思っていたのですが…。
いつの間にか、再び眠りに落ちていました。
王子の告白成功のリクエストから…。




