番13:弟子の苦悩 計画
「そこの貴女!待ちなさい!」
お師匠様の部屋を出て廊下を歩いていると、女性の声が聞こえました。どこかで聞いた声だと思いながらも辺りを見てみると、後ろの方からドレス姿の女性が近付いてきました。
「っ!?」
思わず悲鳴を上げるところでしたが、すんでのところでなんとか悲鳴を飲み込みます。
そう、近付いてきた女性は王女殿下だったのです。
どうして王女殿下がこんな場所に!?
慌てて周囲を見回しますが、他には人の影は見当たりません。ということは、先程の声は王女殿下が私に向かってかけたものだと言うことになります。
……凄く嫌な予感がします。
背筋に嫌な汗が流れます。
逃げたいですが、もしここで逃げようものなら後で何を言われるかわかりません。震えそうになる身体をなんとか抑え、王女殿下を待ちます。
「あら?貴女、確か…」
どうやら王女殿下は、私のことをはっきりとは覚えていなかったようです。ということは、ただ人の姿を見かけたから声をかけたと言うことになります。
私は少しホッとして、緊張したからだから少しだけですが力を抜きました。
「何かご用でしょうか?」
余計な事は何も言わず、さっさと会話を終わらせる。それが私の学んだ処世術です。本来、平民出の私は王族の方と直接会話すること自体が恐れ多いことなのです。
「少し聞きたいことがありますの。貴女、サクラちゃんを見かけませんでした?」
「サクラちゃん、ですか?」
その名前には聞き覚えがあります。というか、ついさっき別れた少女がそんな名前で呼ばれていました。ですが、その少女と王女殿下が探していた少女が同一人物かを確認しておく必要があります。と言っても、先日もあの少女のことをご存知のようでしたから、十中八九間違いはないでしょうが。
「その方は長い黒髪の、見た目7,8歳くらいの少女のことでしょうか?」
「そう、その少女。どこに行ったのか知っていますの?」
やはりあの少女の事で合っていたようです。
「はい、先程までお師匠様、レン宮廷魔導師様の執務室にいらっしゃいました。今は侍女の方を探しに行くとか言われていましたが…」
「あら、そうなの…」
私の言葉を聞くと、先程までの勢いが嘘のように項垂れてしまわれました。それが不憫に感じて、私はつい、余計な事を口に出してしまったのです。これが自分の首を絞めるとも知らずに…。
このことを私は後で後悔することになるのですが、この時の私はそんなことを思いもしませんでした。
「あ、あの…。あの少女なら、魔具の調整が必要だとかで今日は城の方にお泊りになるとか仰っていましたが…」
「なんですって!?貴女、どうしてそれを早く言わないの!こうしてはいられませんわ!すぐに作戦を立てないと…!丁度いいですわ、貴方もいらっしゃい!」
「え!?わ、私ですか!?」
「他に誰がいますの?いいからついてきなさい!」
お師匠様、申し訳ありません。私は弱い子です…。
王女殿下の勢いに押されて、またしても私は王女殿下の悪戯に巻き込まれるのでした…。
「いいこと?打ち合わせ通りにしっかりやるんですわよ?」
どうしてこうなったのでしょう…。
私は今、王城の一室、客室の前にいます。隣で喋っているのは王女殿下です。
あれから私は王女殿下に連れまわされ、何故か王妃様の私室という、本来なら私に全く縁のない場所に連れ込まれました。酷く居心地の悪い思いをしながら待っていると、しばらくして先日の侍女の方もお見えになりました。なぜか他の侍女の方は部屋を出られ、王妃様の私室には王妃様と王女殿下、それと先日の侍女の方と私の4人が残ることとなったのです。
王妃様はご自分の私室ですし、王女殿下はその王妃様の娘です。この部屋におられるのは何の問題もありません。侍女の方は良くわかりませんが、王城の侍女をされる方は貴族の方、それも高位の方が多いと聞いています。この侍女の方も貴族なのでしょう。そう考えると、完全に場違いなのは私だけです。
うう、胃がきりきりと痛みます…。
お三方は顔を寄せ合って何やら相談をしておられます。私は完全に蚊帳の外です。どうして私はここにいるのでしょうか?というか、そもそも私がここにいる必要はあるのでしょうか…?
だらだらと冷や汗を掻きながら、震える手でカップに手を伸ばします。侍女の方々が部屋を出て行かれる前に用意して下さったお茶です。冷めてしまっていますが、こんな状況ですので咽喉が渇いて仕方がないのです。
出来るだけ音を立てないように、カップを傾けます。
あ、美味しい…。
思わず溜息が出るほどです。お茶の種類なんてわかりませんが、きっと高価なお茶に違いありません。だって、王妃様も飲まれるお茶ですから。きっと私のような平民には、こんなことが無ければ一生飲むことなんてできなかったでしょう。それだけは感謝してもいいかもしれません。
状況についていけずに現実逃避していたのですが、悪戯好きの運命は私を逃がしてはくれませんでした。
「そこの貴女、聞いていますの?えっと…?」
急に聞こえてきた声に驚いてお三方を見ると、6つの目が私を見ていました。
「え…?」
間抜けな声だったと思います。ですが、私は何が何だかさっぱり分からなかったのです。そもそもこの状況についていけていなかったのですから。お三方が何のお話をされていたのかすらわかっていません。
「ですから、貴女のお名前ですわ。何と言いますの?」
「あ、ソフィです。ソフィ・カプール…」
相変わらず頭は動いていませんが、反射的に答えてしまいました。
「そう、ソフィですわね。聞いての通りですわ。今夜作戦を実行しますわよ」
「え…?えっと、なんのことでしょうか…?」
私は悪くないと思います。いきなり連れてこられて、何の説明もなく放置されていたのですから…。
ですが、王女殿下にはそんなことは関係なかったようです。軽く眉を吊り上げて、私を睨まれました。
ひぃ…。
あ、でも美人な方はどんな顔をしても美人なんですね…。
恐怖心からか、場違いにもそんなことを考えてしまいました。
「わかりましたわ。最初から説明して差し上げますわ。良くお聞きなさい?まずは…」
王女殿下の説明によるとこういうことでした。
まず、あの少女の泊まる客室付きの侍女の方がお風呂に誘導します。私と王女殿下が廊下で待機し、侍女の方の合図で王女殿下が第二王子殿下を客室へと誘導します。私と侍女の方はその間に浴室前の脱衣場へと入り、王女殿下と第二王子殿下が来られるのを待ちます。お二方が入室されると、私が魔術で浴室を暗闇にします。急に暗闇になったことに驚いた少女が悲鳴を上げ、それを聞いた第二王子殿下が救出に飛び込みます。私達は様子を窺い、適当なところで暗闇を解除、明かりをつけます。そして私と王女殿下は退出して完了、ということだそうです。
ちなみに魔術というのはそれぞれに対抗魔術というのがあります。今回の場合ですと、暗闇の魔術の対抗魔術は明かりの魔術です。対抗魔術の場合、魔力が上回ったほうが有効となります。例えば魔力10の明かりの魔術と魔力8の暗闇の魔術だと、明かりの魔術の方が有効となるわけです。魔力が同じだった場合はお互いの魔術が失敗、もしくは相殺という形になります。
今回は明かりの魔術は魔具によるものだと想定されるので、まず失敗することはありません。
なお、魔力というものはただ込めればいいと言うわけではありません。普通は魔術には有効な魔力範囲というものが決まっていて、ただ多く魔力を注いだとしても不発に終わるものがほとんどです。今回のような滞在型の魔術に限って、魔力を注ぎ込んで強化することが出来るのです。とは言っても、最低限の魔力でも限界まで注ぎ込んだとしても、明るさなどが変わるわけではありません。ただ対抗魔術で消されにくくなると言うだけです。なので、過剰に魔力を注ぐなんてことはまず行いません。魔力が無駄になるだけだからです。
では攻撃魔術はどうなのかというと、そんな余地はありません。基本的に魔力量によって効果は変わらないのです。ですが、同じ魔術でも使用者によって威力の差が出ます。これは、いわゆる“魔力の質”によるものです。質の高い魔力で使えば威力は上がりますし、質の悪い魔力ならそれなりにしかなりません。言うなれば、質のいい魔力とは良く乾いた薪で、質の悪い魔力は生木と言ったところでしょうか?良く乾いた薪を燃やせば良く燃えますし、生木なら煙ばかりでなかなか燃えません。そのように考えてもらえればわかりやすいと思います。
では魔力の質を上げるにはどうすればいいのか。これは今のところはっきりとしていません。訓練で上げることが可能だと言う人もいれば、無理だと言う人もいます。今のところ、生まれ持った才能ということになっています。
話がそれましたが、つまるところは王女殿下の悪戯に付き合わされると言うことです。そしてどうやら私にも役割が振られたようです…。これで逃げることはできなくなりました。




