番05:披露宴
「乾杯!」
花婿のお父様、つまり現侯爵様の長いスピーチの後、今度は花嫁、つまりシフォンさんのお父様の侯爵様の音頭で参加者が一斉にグラスを掲げます。
ちなみに乾杯の時はワイングラスはお互いに近付けるだけで、日本でよく見るようにグラスをぶつけるのはマナー違反なんですよ?あれはビールなどの壊れにくいグラスの時だけ許されるものだそうです。
なんて言ってはいますが、お酒の飲めないわたしはアルコール抜きの葡萄ジュースです。参列者には子供もいるのでソフトドリンクも充実しているのです。
パーティは立食形式のカジュアルな物です。と言っても、参加者は貴族ばかりなのでサラリーマンの飲み会のようにはなりませんが。
乾杯が終われば、早速料理に手を着ける人、近くの人と歓談をする人、お酒を煽る人、花嫁花婿のご両親の侯爵様夫妻に挨拶に行く人、様々です。わたしは目の前の料理に手をつけます。
今回の料理はわたし監修の物なので、出来上がりは気になるのです。ご祝儀に何がいいかと考えたのですが、お金は侯爵様なので沢山持っているでしょうし、物と言っても平民のわたしでは大したものは贈れません。シフォンさんなら何を贈っても喜んではくれるでしょうが、一生に一度の晴れ舞台です。何か心に残るものを贈りたかったのです。
そこで色々考えた結果、一番得意な料理を送ることにしたのです。料理とは言ってもわたしが作ったわけでは無く、侯爵家専属の料理人に教えるという形なのですが。
これには理由があります。一つは専属の料理人に教えることにより、シフォンさんがいつでも食べられるということ。これでいつでも贈り物を思い出せるというわけです。形に残る物ではありませんが、いつまでも心に残るという点では大きいですよね。
もう一つの理由は、パーティでその料理を振る舞うことによって、他の貴族の方にもそれが伝わるということです。たかが料理と思うかもしれませんが、塩胡椒しか味付けのないこの世界では、まさにカルチャーショックでしょう。未知の、しかも美味しい料理が出てくれば、貴族達はこぞって侯爵家に味の教授を求めるでしょう。もちろん、料理人には簡単にレシピを漏らさない様には注意をしています。レシピを教えたのも、きちんと忠義を持っている料理人の方ですからね。人間と言うのは一度味を知ってしまうと、中々忘れることはできないものです。わたしが料理にはまり込んだように、手を尽くして味を再現しようと試み、挫折するでしょう。そもそもがこちらの世界にはない発想なのですから、そう簡単に再現できるものではありません。ではどうなるかと言うと、唯一の出所である侯爵家に頭を下げて行くしかないのです。これで侯爵家は安泰と言うことです。え?引き抜きや陰謀ですか?ふふ、そのあたりもきちんと考えていますよ。パンの天然酵母は増やし方を教えはしていますが、作り方までは教えていません。増やすと言っても限界はあるので、定期的にわたしから提供しないと続かないのです。それに、一定期間ごとに新しいレシピを追加するのです。こうすることで、侯爵家の晩餐に招かれた貴族がそれを伝聞することにより、侯爵家を追い込むと新しい料理が出てこなくなると思わせるのです。ふふふ、我ながら完璧な作戦です。自分の才能が恐ろしくなりますね。
ほら、あちこちで料理に驚く声が上がっています。とは言っても、それほど時間は無かったので教えた料理は簡単なものばかりです。スープ、サラダ、パン、鳥肉料理、サンドイッチなどです。複雑な味付けは無理でしたので、間違える可能性の少ない、ですが見栄えのする料理を選んで教えたのです。
わたしもそのうちの一つをとって食べてみます。……うん、完璧とはいかないまでも、及第点です。まだ味が薄かったり濃すぎたりはしますが、これからに期待、ですね。ですが、これでもこちらの世界の人にとっては十分な驚きでしょう。その証拠に、ほら。料理を食べて驚いた人が、連れの方に食べるように勧めています。そうして勧められた人が半信半疑で料理を口に運び、驚きの声を上げます。その連鎖が起こっているのです。
パーティ会場はいつの間にか驚きの声に満ち、我先にと料理を奪い合う光景となっていました。
……あれ?これって、結婚披露宴ですよね?
予想以上の食い付き方に、わたしも驚いてしまいます。本来、こういった場では歓談がメインで、料理は半分近くが残されるというのが普通です。ですが、開始して間もないというのにテーブルに並べられた料理はすでに半分以上が無くなっています。歓談そっちのけです。ちょっとまずいかなと思って侯爵様の方を見ると、侯爵様お二人まで歓談そっちのけで料理を奪い合っています。……おい。
まあ、参加者が喜んでいるということでいいのかなと思い、見なかったことにします。
テーブルに並べられた料理を一通り摘まんで出来栄えを確認し、それなりに満足のいく出来だと確認して頃にはお腹がいっぱいになりました。後はのんびりと会場を見学します。
挨拶などで出遅れて、料理をあまり食べられなかった人が給仕に詰め寄っています。大人げないですね…。ざっと見まわしたところ、料理はほとんど食べつくされていて、今はそれぞれがワイン片手に料理の感想を言い合っている所でした。
しばらくしてある程度落ち着いたのか、少し興奮を残した様子ですが、歓談する姿が増えてきます。やっと本来のパーティに戻ったというところでしょうか。テーブルの上から食べ物は消えましたが。
ようやく場が落ち着いてきた頃に、今日のメインのお二人の登場です。控室の方から、新郎新婦が並んで登場です。会場が拍手で迎えます。普通に考えれば随分と遅い登場ですが、恐らくはタイミングを待っていたのでしょう。みんなが料理に夢中な時に出てきて無視でもされたら悲しいですからね。シフォンさんなんて、会場を軽く見まわして苦笑しています。ええ、その気持ち、わかりますよ。
主役の登場で、早速一部の人が挨拶に動きます。まずは王族、もしくはそれに連なる方です。王妃様、王子、アリア様が最初に近づいていきます。え?わたしは行かなくていいのか、ですか?こういったことには順番があるのですよ。身分の高い人が先に行かないと、色々とややこしいのです。花嫁の友人とはいえ、わたしは平民ですからね。もちろん、王子達にくっついていくこともできましたが、そうすると後で色々言われるのが見えていますからね。大人しく待ちます。
会場を眺めながら待っていると、やがて一通りの挨拶が済んだのか新郎新婦の周りも落ち着いたようでした。
今のうちにと思い、二人の方へと近付きます。
「お二人とも、ご結婚おめでとうございます」
改めて見ると、シフォンさんは淡い空色のドレスに着替えていました。お隣の新郎は黒いタキシードです。そういえば、新郎の顔をきちんと見るのはこれが初めてですね。むしろ新郎の姿を見たのも今日が初めてなのですが。
新郎の方は短いブルネットの髪で、瞳は深い藍色です。騎士との事でしたが、身長は190cm近く、遠目からは細身に見えますが、近くで見るときっちりと筋肉がついていることがわかります。細マッチョというやつですね。顔はそこまでイケメンと言うわけではありませんが、あえてランクをつけるなら中の上と言ったところでしょうか?ですが、顔の良し悪しよりも優しそうな瞳が印象的です。シフォンさんを見つめる目には、傍から見ても愛情が感じられます。幼少の頃からの婚約者とのことなので、長い時間をかけて愛情を育んできたのでしょうね。
「サクラ様、ありがとうございます。サクラ様のお陰で料理も好評だったようで、先程から色々聞かれましたわ」
「頑張ったのは料理人の方ですよ。ですが、喜んでもらえてよかったです」
「初めまして、黒の英雄殿。貴女の事は妻から良く聞かされました。2年前の戦の折には自分も英雄殿に助けられた一人です。遅くなりましたが、ようやくお礼を言うことが出来て嬉しく思います」
きゃぁ、妻ですって!早速らぶらぶですか!?羨ましいですね!
「それにしても、話には聞いていましたが本当に可愛らしい。今日は英雄殿に参列して頂いて感謝しますよ」
シフォンさん?人のこと、なんて言っているんですか?少し気になりますよ?
問い詰めてみたいですけれど、こういう場なので今度聞き出すことにします。
「いえ、わたしのような平民を招いて頂いて…。あと、恥ずかしいので英雄殿は止めてください…」
「では妻と同じようにサクラ様、と。宜しければ、今度我が家に遊びに来て下さい。自分は不在かもしれませんが、妻も喜びますので」
「はい、是非伺わせて頂きます」
「サクラ様、申し訳ありませんが、他の方にも挨拶がありますので…」
「気にしないでください。それではお二人とも、失礼します。シフォンさん、また」
ふぅ、やはり緊張しますね。でもよかったです。旦那さんがいい人そうで。シフォンさんも幸せそうでしたしね。ですが……本来なら2年前に結婚していたんですよね。わたしを待っていたせいで2年も…。そう思うと、やはり悪い気がします。いえ、待っていてくれたこと自体は凄くうれしいのですが、もっと早く幸せになれていたんじゃないかと思うと…。
おっと、いけません。せっかくのお祝いの場なのに、落ち込んでいては駄目ですね。
とは言ってもどうしましょうか?知り合いと言えば王子達3人くらいですし、食事も終わりましたしね…。最大の目的であったシフォンさんへのお祝いも終わりましたし、やることが無くなりました。パーティが始まって半刻少々、まだ帰るには早い時間ですし、王子達は他の貴族の相手をしていますし…。
つまり暇なんです。ちびちびとジュースを飲んでいますが、それくらいしかすることが無いのです。もう何杯目でしょうか?そのうちお腹がジュースでたぽたぽしそうです。
とりあえず、ジュースで時間を潰しつつ、王子達が戻って来るのを待ちます。
「お飲み物はいかがですか?」
グラスが空になったのを見ていたのか、給仕の人がすぐに寄ってきて幾つかのグラスの載ったトレイを差し出してきます。
「えっと、ノンアルコールの物をお願いします」
正直もう飲み物はいらないのですが、ここで断れないのが日本人の悲しい性です。
給仕の人から一つのグラスを受け取り、会場の隅でちびちびとグラスを傾けます。
あ、このジュース意外と美味しいですね。
先程受け取ったグラスは、透き通った琥珀色のドリンクが入っていました。微発泡とでも言うのでしょうか、かすかに炭酸のような刺激があります。ちびちびと飲んでいたはずが、意外な美味しさにすぐにグラスを空にしてしまいました。給仕の人に言ってもう一杯、同じものを受け取ります。
今度は先程のように一気に飲まず、ゆっくりと飲みます。
改めて会場を見ると、開始からそれなりに時間が経ったせいか、あちこちでグループが出来上がっていました。こうなるともうお祝いでは無く、社交場のような感じですよね。
「お嬢さん、お一人ですか?」
ぼうっとしていたところに、横から声がかかりました。誰だろうと思ってそちらを向くと、いかにも、といった顔立ちの男性が立っていました。
「もし宜しければ、あちらでワインなどいかがですか?」
ナンパ、ですか…。こういった輩はどこにでもいるのですね。
「いえ、せっかくのお誘いですが、連れを待っていますので…」
全然戻ってこないですけどね!全く、挨拶に行ったきり一度も戻ってこないじゃないですか。王族なので仕方が無いとも言えますが、レディを一人待たせるのはどうかと思うのですよ。
しかし目の前の男性は、わたしの言葉など聞こえていないかのように振舞います。
「まあまあ、いいじゃありませんか。見たところ、お連れの方は貴女を放っているようですし。そんな人は放っておいて、楽しみましょう」
慣れ慣れしく、肩に手を置いてきます。その手の動きもなんだか厭らしく感じてしまい、思わず振り払おうとしたところで何とか踏みとどまります。
「……手を離して頂けますか?」
殴り飛ばしたいのを押さえて、なんとか穏便に済ませようと努力します。
が、そんな努力を無視するかのように、男性は調子に乗っていきます。わたしが嫌がっているのに、首や頬に勝手に触れて来たのです。
「いい加減に…」
「失礼、私の連れがどうかしましたか?」
堪忍袋も限界で、怒鳴ろうとしたところで横槍が入りました。
「王子!遅いですよ!?」
1刻以上もどこをほっつき歩いていたんですか!
「セ、セドリム王太子殿下!?」
「そういう君はブルーグ子爵家の人間か。それで、私の連れに何か用かな?」
「い、いえ…。殿下のお連れ様とは露知らず…」
「ふむ、君はその娘が誰かも知らないと見えるな」
「え…?」
「その娘は花嫁の友人で、花嫁直々に招待されたのだぞ?それに我が妹のアリアの友人でもある。ついでに言うと、彼女は黒の英雄だ。君が何をしようと勝手だが、せめて誘いをかける相手がどういった人物なのかは把握しておくべきだと思うが?」
「え…?彼女が、英雄殿…?まさか…」
「ほう、君は私が嘘を言っているというのか?」
「い、いえ!そんなことは…!」
「まあそのことはいい。しかしよかったな。もしも彼女に手を出したりしたら、侯爵家と王家、それに彼女に助けられた騎士たち全てを敵に回すところだったぞ?」
「ひぃっ!?し、失礼します!」
わたしが口を挟む間もなく、ナンパ男は慌てて逃げて行きました。
ちょっと、その怯え方は傷つくんですが?
「ふう、大丈夫だったか?」
「……大丈夫じゃありませんよ。べたべた触られて、気持ち悪かったんですから」
手が出なかったのを褒めてもらいたいくらいですよ。
「その、すまなかった…。あちこちで引き留められて、中々戻ってこられなかったんだ」
「王子にも立場と言うものがあるのはわかりますが、それでも女性を一人残しておくのはどうかと思いますよ?」
今回はぎりぎりで間に合いましたけども。
先程の男のことが思い出されて、それをかき消すようにグラスを煽ります。
「おかわり!」
給仕の人から同じ物を受け取り、更に一気に煽ります。
「もう一杯!」
「おい、少しおかしいぞ?何を飲んでいるんだ?」
「何って、ジュースですよ。意外と美味しいですよ?」
うん、暑くなってきたので冷えた飲み物が美味しいです。
「ちょっと待て。それ、本当にジュースなのか?おい、私にも同じものをくれ」
「ジュースですよぉ?ちゃんとノンアルコールって頼みましたもの」
なんだか急に暑くなってきましたし、咽喉がやたらと乾きます。
手に持ったグラスを煽り、咽喉を潤します。
「……これ、少しアルコールが入っているぞ」
「え~?ノンアルコールって聞きましたよ?」
「ノンアルコールって言うのは、酒として見るには度数の低い物のことを言うんだ。アルコールが全く入っていないわけではない」
「あらら~?そうなんですか~?」
言いながらも、グラスを傾けます。
「もう飲むな。顔が真っ赤じゃないか…。何杯飲んだんだ?」
喋りながら、王子がわたしの手からグラスを取り上げます。
「あっ!?わたしのジュース!返してください!」
手を伸ばしますが、身長差もあってグラスに手が届きません。
「だからこれは駄目だ!それより何杯飲んだかを言え」
「む~、まだ4杯しか飲んでいませんよ?隙あり!」
「あ、こら!」
わたしから取り上げたグラスには手が届きませんが、もう片方の手で持っていた、さっき王子が給仕の人から受け取ったグラスが届く位置にあったので奪いました。
また取り上げられる前に、一気に煽ります。
「もう飲むなと言っただろう…。ほら、足元がふらついているじゃないか。部屋に連れて行ってやるから、もう休むんだ」
空になったグラスを取り上げられ、王子に引っ張られるままにふらふらと歩き出しました。
お酒は20歳からです。
ちなみにノンアルコール飲料は未成年でも購入・飲食は可能ですが、成人用に作られているものです。
法律上はアルコール度数1%未満の物がノンアルコール飲料として販売されています。ですので、中には量を飲むと酔っ払う物もあります。
アルコール度数0.00%として販売されているもの以外は、車の運転前などには飲まないようにしましょう。




