監獄の医聖
拝啓 お医者さんへ
あなたにこうやってお手紙を書くのは、これで二度目ですね。
あれから三年が経ちましたが、お元気にしていますか。それとも、もう本国に帰ってしまっているでしょうか。どんな方法にしろ、あなたにこの手紙が届くことを祈って、駐屯地にこの手紙を送ります。私があなたに言葉を伝えられる手段は、もうこの手紙のほかにはないのですから。
この三年間ずっと、私があなたを思い出さない日はありませんでした。もっと早く出せていたらよかったのですが、政治犯であるという理由で外部との接触は禁止されていたので、一度も書けずに今に至ります。私が生きているということ自体、外部には公表されていないらしいので。
看守は、面会に来る家族もない私を、愚かな反逆者と嗤います。
でも彼から、獄中で書く手紙はこれで最初で最後にするという約束で、便箋を一枚貰いました。この手紙に、私が書けるだけのことを書きたいと思います。
三年前、首都近郊の医学学校が無差別爆撃にあったことは、あなたもニュースなどでご存知のことかもしれません。私はそこに通っていました。
あの日友達も先生も、みんな瓦礫の下になりました。
私がそこにいなければ、学校は攻撃されたりしなかった。結局私は、また人を殺してしまったのと同じことです。私は、償いに人の命を救うこともできません。もう私は、学校には戻れません。それにもうあの学校はないのです。けれど、もうあの村にも戻れないでしょう。あの村はまだあるにしても、私はこの塀の中、大規模なテロ行為を計画していたという疑いで国家から刑を受け、来月死刑に処されるのです。絞首台に向かう足もないのに。
・・・・両足を、あの瓦礫の下に置き忘れてきてしまいましたから。
独居房の中、ただあなたの面影が思い出されます。
せめてあなたのように、自分の持っている知識をあの村の誰かに伝えてあげたかった。私はそのために勉強したのに、誰にも何も遺せないなんて。
死ぬというのは怖いものですね。今更何を言っても詮無き事ですが、朝、目が覚めて、一日一日と執行日が近づいているのを実感する度、震えが止まらなくなります。実際人殺しの私には、こんなことを言う権利さえないのかもしれませんが・・・。
でも、お医者さん、ありがとう。あなたは私の先生であり、またもう一人の父でした。
あなたのおかげで、私は人を恨むことを止められた。あなたに会えて、本当によかった。
でも、望むなら最後にもう一度、あなたに会いたいです。
もう一度、だけ。