臆病者とショッピングモールの宝箱
何でもない日曜日のショッピングモール。その一角にある、何の変哲もないATMコーナー。
壁際にぽつりと、白色の味気ない丸机が佇んでいて、安い紙製の宝箱が置いてあった。
御伽話に登場するような、典型的な宝箱だ。
スタンプラリーなど、何かの催しかと思ったが、近くにそのような案内は見られない。
ATMに並ぶ大人たちを他所に、ただ何を訴えるでもなく、百均の工作コーナーで買えるような宝箱が鎮座している。
小さな子どもであれば、好奇心のままにあの箱を開けて、中身を確かめてみるかもしれない。しかし、ここには大人しかいないし、私も人目を気にせず無邪気な行動が取れるほどの年齢ではない。
案内が何もないのであれば、誰かの忘れ物だろうか。
このモールには百均も雑貨屋も入っている。
親がATMに並んでいる時間に暇を持て余した子どもが、その場で組み立てて、置いていってしまったのかもしれない。
個人の所有物なら、触れるわけにもいかないだろう。
年齢的に躊躇われるというのもあるが、私は元来臆病な性格だ。
気になったことは、想像だけで済ませて、実際に手を伸ばすことはしない。そういう瞬間を何千と積み重ねて、大人になった。
高く高く積み上がった、臆病の塔から飛び降りて、新しい何かを求めて歩くなんて、それこそ臆病な私にできるはずもない。
だから、今回も私は想像する。あの宝箱の中には何が入っているのか。
まず、あれは宝箱の見た目をしている。宝箱なのであれば、読んで字のごとく、そこには宝物が入っているはずだ。
宝石か、宝の地図か、それとも物体ではない魔法のような何かか。最初に頭に浮かんできたのはそういった類のものだ。
とはいえ、ここは普通のショッピングモール。宝箱も紙製だ。高価なものや、珍しいものが入っているとは考えられない。
大きさは少し大きめの筆箱くらい。きっと大それたものは入っていないだろう。
では、妥当なものは何だろう。
モール内に宝箱が点在していて、中に入っているカードを集めると景品と交換できる、といったところだろうか。
案内はないが、難易度を上げるためにヒントになるようなものを排除しているのかもしれない。
あとは、何かアニメやマンガとのコラボイベントを実施していて、この宝箱がその作品を模した装飾だという可能性もある。つまり、ただの飾りで中身は何もないというオチだ。
考えてみれば、それらしいものはいくつも思い浮かんでくる。
......ただ、それらはすべて妥当だというだけで、感覚的に納得感があるというわけではない。
なにせ、紙製だろうと、どれだけ安っぽくても、あれは宝箱なのだ。
宝箱である以上、そこに宝物が入っていないのは、どうしても納得がいかない。
妥当であるかどうか考えることなんて、最初から無駄なことだったのだ。
さて、ならば私はあの宝箱を開けて、その宝とやらの正体を暴くのだろうか。
答えはやはり、否、だ。
私は好奇心のままに動けない臆病者で、ローリスクハイリターンの状況だろうと一歩踏み出せない人間だ。
現に、私はもうとっくに宝箱から離れたところにいるし、なんならもうモールの外を歩いている。
駐車した車はすぐそこにあって、1分後には帰路につく。
宝箱を見たその瞬間から、私はその場を離れ、頭の中でぐるぐると無益なことを考えていただけに過ぎない。
行動するか検討する前に、もう諦めていたのだ。
今頃知らない誰かが宝箱を開けて、億万長者になっているかもしれないし、期待したものが入っていなくて落胆しているかもしれない。
私は車に乗り込むと、一度深く息を吸いながら、モールの外観を一瞥した。そして、吐くのと同時にエンジンをかけた。
結局のところ、どんな物事も、ああなったかもしれない、こうなったかもしれない、という可能性が残っているくらいがちょうどいいのだ。
そういう臆病な妄想を繰り返して、自嘲的に笑みを浮かべるような、そんな休日が、来週もやってきたらいい。
雨が降るかもしれないし、晴れるかもしれない、微妙な天気の空を目の前にして、私は車を走らせるのだった。




