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3-7 陽だまりの電気街【ザラメ砂糖三代記】  作者: maki_senokouji


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第1話 ジャンク屋の解説者

 駿河台の静かな高台に建つ邦明のマンションには、常に無機質な電子音と、幾重にも重なるサーバーの排熱が静かに満ちていました。世界の裏側を揺るがすような膨大な情報が行き交うその部屋で、高校二年生になったまさ子は、いつものふわゆるな笑顔を浮かべながら、エプロン姿でパタパタと立ち働いていました。

 この部屋への通い妻のような生活が定着してから、まさ子の毎日は驚くほど規則正しい日常の中に閉じ込められていました。

 その才能ゆえに、そして世界の影の守護者ゆえに、邦明には基本的に休みというものが存在しません。分刻みで押し寄せるサイバー領域の案件やトラブルの処理に追われ、彼は常にディスプレイの青白い光に照らされていました。そんな邦明の日々に付き合うようにして、まさ子もまた、自分の学校へ行くか、あるいはこの部屋にやってきて彼の身の回りの家事をするか、というだけの日々を送っていました。

 客観的に見れば、花の女子高生にとってそれはあまりにも退屈で、縛られた生活に見えるかもしれません。しかし、まさ子にとっては、邦明と同じ部屋の空気を吸い、彼のために温かい食事を用意することそれ自体が、胸の奥のザラメ砂糖をじっくりと溶かしていくような、至高の充足感をもたらしていたのです。

 そうは言っても、邦明も機械ではありません。どんなに殺気立ったスケジュールの中でも、奇跡のように時間を捻り出しては、「まさ子、気晴らしに外へ出よう」と、彼女を誘って出かけるのでした。

 先日の休日に二人が出かけたのは、初夏の陽気が心地よい秋葉原の街でした。

 駅前にそびえ立つ巨大な家電量販店には目もくれず、邦明がまさ子を連れていったのは、大通りの脇に広がる狭い路地裏でした。

 「おじさまが小学生の低学年の頃から入り浸っていたという、本当の秋葉原が見たいです」

 そう微笑んだまさ子のリクエスト通り、そこは剥き出しの蛍光灯の下、プラスチックの青いコンテナの中に素人には用途の分からない基盤や電子部品が山積みにされて売られている、ガード下の古いジャンク街でした。

 独特のオイルと金属の匂いが漂う空間で、邦明は少年の頃に戻ったような口調で、次々とマニアックなパーツの解説を始めました。

 「これはだいぶ年代もののグラフィックボードのジャンクだよ。こっちのコンデンサが膨らんでいるから、このまま電源を入れると危険で、もうまともには動かないけれど、ハンダを当て直して回路を組み替えれば、ちょっとしたおもちゃの制御くらいには使えそうだ。意外とジャンクとは言っても部品取りだけではもったいないものも結構まじっているんだ」

 まさ子は「へえ、そうなのですね」と、のほほんとただ相槌を打っているだけでしたが、その実、邦明の説明を完璧に理解しつつ、適切な突っ込みをすべきか、それともそのまま聞き役を続けるかを考えていました。東帝大の理学部情報科学科を目指す生粋のリケジョであるまさ子にとって、この手の電子回路の話は、むしろ頭に一番しっくりと馴染む得意分野でした。

 本気を出せば、すでに相当突っ込んだ技術的な議論が邦明とできるレベルにある、まさ子でした。しかし、今日のまさ子はあえて自分の知識を誇示するようなことはせず、聞き上手に徹することにしました。大好きな男が、自分の得意な領域で生き生きと知識を披露している。彼を気持ちよく満足させ、その横顔を特等席で眺めることこそが、まさ子の何よりの喜びだったからです。

 「叔父さまは、本当にこの街が大好きだったのですね」

 「好き、というよりは、俺の呼吸に必要な酸素が転がっている街、という感じかな。小学生の頃、この路地裏だけは、俺に無限の謎を突きつけてくれたからね。それを解くのに夢中で、他のことを忘れていられた」

 手元でジャンクパーツ漁りを続けながらそう言って笑う邦明の横顔を、まさ子はただただ愛おしそうに見つめていました。


 ジャンク屋巡りの後、二人は少し寂れた古い喫茶店に入り、クリームソーダを注文しました。

 緑色のメロンソーダに浮かぶ白いアイスクリームをスプーンですくいながら、まさ子は尋ねました。

 「そういえば、叔父さま。叔父さまが中学1年生のとき、マキお姉さまと一緒に、私たちのお父さまとお母さまの間を取り持つために、裏で色々と手を回したというのは本当なのですか?そもそもの始まりから、このあたりの秋葉原のジャンク部品屋さんで二人が出会うように仕組んだとか」

 邦明はアイスクリームをつついてソーダを濁らせていたストローの手を止め、あちゃあ、という表情をしてみせた。今日は何につけて邦明の言動が軽く、まさ子にはたまらない。

 「マキ姉の奴、余計なことまでまさ子に吹き込んだな……。まぁ、本当だよ。完全なマッチング工作さ」

 邦明は苦笑しながら、当時、仕組んだ側の張本人しか知り得ない「ネタばらし」を始めました。

 「色々検討したが、結局、和輝義兄さんのホームグラウンドである秋葉原で出会わせるのが、一番うまくいく確率が高いと踏んだんだ。義兄さんは、言ってみれば明るいオタク。やっぱり自分の慣れた場所でこそ、一番力を発揮できるタイプ。それに対して姉ちゃんは、高1の当時から無敵の人だから、ホームもアウェイもなく、ただ平明に相手を見られる。だから、義兄さんが一番輝いている状態を姉ちゃんに見せれば勝手に惚れるだろう。義兄さんもバカじゃないから、姉ちゃんのような女の子が自分がやっていることに興味を持ってくれれば、それは嬉しいだろうってね。最初に二人が出会う際に姉ちゃんが一番綺麗に見える立ち位置とかは、姉ちゃんの親友だった千鶴さんにも協力してもらってね。

 千鶴の名前を出した際の、邦明の表情のわずかな陰りには、もちろんまさ子は気付かないようにします。

 「義兄さんはとてもまっとうな人間だが、同時におそろしく鈍感でね。姉さんのあの超人的なカリスマや、その裏にある危うさに全く気づかなかった。今でもどこまで自分の妻のすごさや恐ろしさに気付いているんだか。ただそういうただひたすら姉ちゃんを可愛い彼女、可愛い妻と思ってくれる大馬鹿野郎だからこそ、姉ちゃんの心を救って、この世にとどまらせてくれた」

 「私たち娘から見ると、どちらかと言うとお母様が、お父様に対してメロメロのように見えますが」

 「それは持って生まれたエネルギーの量の違いだと思うが、義兄さんの想いというのは、どうしても、中高一貫男子校の生徒らしい及び腰というか、自分みたいなのにこんな可愛い子が興味を持ってくれていいのか、といったどうでもいい遠慮で素直に好きです、つきあって下さい、というわけにはいかない。だから俺とマキ姉で色々仕組んだわけだよ」

 和樹の動線や、葵が「弱さ」を見せるタイミングの多くは、マキの描くシナリオに従って、邦明がハッキングによってスケジュールを操作し、千鶴が現場で葵を手引きをすることで、より効果的なものに演出されたのです。

 「義兄さんが逃げずに腰をすえて姉ちゃんに向かい合えるように、そして無理なく姉ちゃんを精神的にがんじがらめにして捕らえられるように、二人の状況をじわじわと追い込んでいったんだよ。コンピューターでシステムを構築するのと同じさ」

 ここまで詳細に両親の馴れ初めを聞いたのは、まさ子にとって初めてのことでした。

 「お父さまとお母さまの素敵なハッピーエンドは、実は叔父さまのプログラミング通りだったのですね。 それは本当に素晴らしいお仕事です」

 まさ子は邦明の話を聞きながら何回も声を立てて笑い、とても喜び、この特別な時間を心から楽しんでいました。


 そんな彼女の無垢な笑顔、ひだまりのように周囲を照らす「ふわゆる」な様子を見ながら、邦明の胸の奥には、独占欲と葛藤が、折り重なって澱のように静かに沈んでいくのでした。

 これほどまでに自分を慕い、自分の世界に寄り添ってくれる少女。さっさと彼女にしてやれよ邦明、このクズが。この命がけの笑顔を、ちゃんと一人の男として、誰の手にも渡さずに守ってやらんか、このボケ。――と、誰もが彼の背中を蹴飛ばしたくなるような状況ですが、様々な葛藤が、どうしても彼の一歩を押し留めてしまうのでした。

 「おじさま、また、この街に連れてきてくださいね」

 夕暮れに染まる帰宅の道すがら、まさ子は邦明のシャツの袖をきゅっと掴んで言いました。

 「ああ、まさ子が楽しめたのなら、また、何度でも」

 邦明はそう答えて、彼女の頭を優しく撫でました。


 この時の二人は、まだ知らなかったのです。この楽しかった秋葉原デートのわずか数日後、親友の詩織ちゃんの目撃談を発端として、二人の関係を大きく揺るがす事件に発展しようとは。


(了)

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