空が落ちる日
「……ああ、そうだ。僕は、君たちのために生まれたんだね」
エルの声は、もう震えていなかった。
低く、地響きのように静かなその響きは、書庫の冷たい大気を震わせる。
懐で燃え尽きた手紙の灰が、粉雪のように足元に散った。
エルはゆっくりと、自分の心臓を貫こうとするテオの剣の先を、素手で掴んだ。
「エル、大人しくしてろよ。苦しむ時間は短い方がいいだろ?」
テオは冷笑を浮かべ、さらに力を込める。
だが、剣は一ミリも動かない。
エルの漆黒の翼から、どろりとした闇が溢れ出し、白銀の書庫を侵食していく。
「テオ……君が言った通りだよ。絶望は、高いところから落とされるほど純度が上がる。……なら、君たち天使も同じだよ。自分たちが築いたこの『正義』という名の高い空から、真っ逆さまに落ちる気分はどうかな」
刹那、エルの手が黒い炎を上げた。
処刑剣が飴細工のように容易く折れ、テオの顔から初めて余裕が消えた。
「何、、? 効かない、だと⁈」
「僕が喰らってきたのは、人々の『悪意』だけじゃない。……君たちが僕に与えてくれた、この十数年分の『嘘』と『偽りの愛』だ。……お腹がいっぱいだよ、シスター」
エルはクラリスを見据えた。彼女は盲目のふりをやめ、剥き出しの殺意を瞳に宿して、聖なる雷を召喚しようとする。
だが、遅かった。
エルが翼をひと振りすると、天界を支えていた雲が、墨を流したように黒く染まった。
「浄化」の逆転――それは、世界そのものの「意味」を喰らい尽くす力。
美しい宮殿も、白い羽を持つ天使たちも、エルが触れるたびにその色彩を失い、崩れ落ちていく。
「やめなさい、エル! こんなことをして、何になるというのです!」
クラリスの叫びに、エルはかつて彼女が教えてくれた聖句を、逆さまにして囁いた。
「『愛する者は、守られる』……。違ったね、シスター。正しくは『利用する者は、喰われる』だ」
暗黒が書庫を、そして天界のすべてを飲み込んでいく。
テオは絶望に顔を歪め、クラリスは神の不在を呪いながら、闇の底へと消えていった。
――数刻後。
地上から見上げた空は、もはや青くはなかった。
雲の上から降ってくるのは、天使たちの白い羽ではなく、燃え尽きた灰と、黒い雨。
人々は「空が落ちてくる」と叫び、逃げ惑う。
崩壊した天界の瓦礫の上に、エルは一人、座っていた。
背中の痛みは、もうない。
懐の温もりも、もうない。
愛も、絆も、もう、何もかも砕け散った。
彼は、テオがかつて言っていた「羽のない者たちの国」の代わりに、誰もいない「虚無の玉座」を手に入れたのだ。
エルは、手元に残ったテオの剣の破片を見つめた。
そこには、かつて自分が信じていた、あの嘘のように美しい青空が、皮肉にも一瞬だけ反射して消えた。
「……さようなら、僕の親友。」
エルは漆黒の翼を閉じ、静かに目を閉じた。
空が完全に落ちきった後、そこにはただ、新しく、残酷なまでに静かな夜が始まろうとしていた。
(完)
わー!ついに完結!あまりにもバットエンドすぎて書いてる時胃に穴が開きそうでした!
今まで見てくださった方、こんな下手くそな私の作品を見てくださり、ありがとうございました!
新作の予定は、まだ未定ですが、まあそのうち出すと思います!




