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9.三回見たら死ぬ夢


「あ、目が覚めた?」


 起き抜けに、”知らない天井だ”とはまったく思わなかった。保健室で目覚めたユメジは、固いスプリングから上体を起こす。


「タツウミさん、朝礼の途中で倒れたんだよ。覚えてる?」

「……ハイ」

「なにか心当たりは?」

「……朝、ごはん抜いたから? かも」


 保険医が「も~」と唇を尖らせながら近付いて来たので、てっきり背中でも支えてくれるのかと思ったら、目の前に小さなカードのような用紙を差し出される。

 症状欄には『軽度の貧血』と記入されていた。


「これ、担任の先生に渡してね。もしまた気分が悪くなったりしたら、無理しないで来てね」

「あざす」

「ダイエットもほどほどにね」


 ハッとしたユメジが何事かを言う前に保険医はデスクについて、ノートパソコンとにらめっこを始めている。暗に「出て行け」と言われているようで、その潔さには一周回って関心すらしてしまう。

 このご時世に体調不良の生徒を邪険に扱うなんて、なんともぞっとしない話だ。


(ルッキズム拗らせた小娘だと思われてんな……別にいいけど)


 ところで、竜海たつうみ 夢路ユメジは、夢によって神意を賜る巫女である。


 そして食欲不振の原因はここにある。八百万の神々の駆け込み寺として、毎晩のごとく不満や愚痴に付き合わされるがために、十分な睡眠が取れないのだ。

 この神とかいうのがまた厄介で、永らく保存されていた古い物に宿る付喪神であるとか、名のある山の神であるとか、直球でアマテラスであるとか、バラエティに富んだ面々が次々にやってくるわけだ。


 その割に内容は判を押したようにおもしろみがなく、やれ呪うだの、祝うだの、シーソーみたいに交互にバランスを取れだの、どうでもいいことばかり。


 旧石器時代だと、信仰心そのものが”社会”で、神様を信じていれば生き延びられたのかもしれない。知らないけど。

 でもそんな時代はとっくのとうに終わっている。なのに、当の彼らにその自覚がないのだ。


 よく年寄りは新しいことができないなんていうが、まったくもってその通り。文明発展における恩恵なんてものは、ただ眺めているだけで享受できるほど安物ではないのだ。

 セルフレジとか、サブスクリプションとか、フルーツサンドの神様が新たに現れれば、また業界の人材構成が若返ったりするんだろうか。それらが信仰を得るにはまだ俗っぽさが上回るか。


「あ、ユメジ! 大丈夫だった?」

「ん-うん、まあね。あんま覚えてないけど」

「いきなりぶっ倒れたからビックリしたよー、めちゃめちゃ頭打ってて痛そうだったー」

「マジで? うわっタンコブできてる!」


 半信半疑で後頭部を探ってみると、指先がなにか硬いものに触れた。道理で記憶も飛ぶわけだ。醜態を晒した恥ずかしさから必要以上に声が大きくなる。

 後ろで結んだ髪がクッションの役割を果たしたのか、痛みがないことだけが幸いだった。ちょうど、小学生がランドセルを背負うのとまったく同じ仕組みで助かったわけだ。


「ショックでバカにならなくて良かったねー。巫女なんだから、頭はちゃんとしてないとー」

「バッバカっておまえ。ひっど」

「いひひ」


 ウー、ウー。遠くでサイレンが鳴り響く。救急か消防か、なんとなく窓の方に目をやると、グラウンドでは猛吹雪が吹き荒れていた。

 薄っすらと山岳の輪郭のようなものまで見えて、息を呑む。


(あ。これ、夢か)


 脳が急速にクールダウンする。「1947年のフライングソーサーがさ~」遥か彼方だと思っていたサイレンの音が、急速に迫ってくる。「あ、ロンドンでめちゃくちゃテロ起きてたね。や~ん七夕なのに物騒~」こんなことはあり得ない。「ねー蔓防っていつ終わんだろうねー」さっさとこんな場所からおさらばしよ。


 ユメジは自分の頬をつまんで、抓った。

 教室から色彩が抜けてゆくさなか、ひとりで喋り倒していたクラスメイトがニンマリ笑って頬杖を付く。


「逃げるんだー。でも、またいつでも来てね~」


(……猿夢かよ!)


 染み一つないまっさらな空間で、ユメジは大の字でぶっ倒れた。ここはまだ現実ではない。

 自室の天井が恋しくて、肺の底から溜め息を吐く。


 女神の友達から聞いた話では、神が直通で現世に降りてくると、地震やら竜巻やら必ず天災が発生するのだとか。そのため巫女に神託を集中させている……らしいのだが、こればっかりはヤクザの手口と遜色ない。


 なんせ物心ついた頃から今の今まで、家事手伝いと称して違法な労働を誤魔化されてきた。

 ズカズカ入り込んでくる狼藉者の数と僅かな睡眠時間を鑑みれば、とてもじゃないが厄介事の許容量を超えている。


 しかしながら、仮に、寝なかったり神意を無視したとする。

 そうして業を煮やしたアマテラスが強行突破で顕現でもすれば、最終的に責任を問われ矢面に立たされるのはユメジたち一族なのだから、完全に詰んでいる。


 巨大隕石とともに現れた彼女が、「ごめん、地球滅んじゃった(笑) でも逆にいいよねー」などとふざけたことを抜かす妄想で、いつも腹がムカムカするのだ。


 あいつらと関わって良かったことなんか、一個たりともない。


「……ユメジ? 寝てるのか?」


(ほら来た)


 今日の客は気遣わしそうな顔をした包帯女だ。ヤマスミ ミヤビ。そこそこデカい山を住処にしている、これまた巨女である。

 碌に手入れもされていない髪がカシミヤのセーターと絡んでいて、野暮ったい印象の女神だ。


 不思議なことに、彼らは姿かたちがどんなに人間的であっても、どこか決定的に人とは思えない違和感を放つ。本能の部分で「目を合わせてはいけない」と感じるので、多分くねくねと対峙したらこんな気持ちになるのだろう。ちなみにくねくねというのは見ると発狂する妖怪のことである。


 ユメジは寝返りを打つように体を捻って、ミヤビと視線を合わせた。


「なんか用?」

「ああ。これを見てもらいたくてな」


 ミヤビは手に持ったペットボトルをこれ見よがしに掲げてみせた。うっすらと黄色に濁った液体が、中でぴしゃんと跳ね返る。


 一見して何の変哲もない茶のようだが、それを見せびらかす当人はきゅっ、と嫌そうにくちびるを噛み締めている。


「なにそれ」

「……尿。……人間の」

「うへぇ、飲むの?」

「飲むわけあるか! 人間たちがわたしの山に捨てて行くから困っているんだ。いや、山に限った話じゃないな。海にも、浜辺にもだ」

(あと高速道路とかにもな)


 以前、『キャンプ帰りにカップラーメンの残り汁を土に吸わせて事なきを得た』、という漫画をネット記事で読んだことがある。そりゃもうってぐらい炎上していたから。


 思うに、いわゆる自然というやつは、みんなの共有財産だと思われている節がある。

 樹木葬や海葬なんてものがあるぐらいだから、”いずれ自分の一部になるもの”ぐらいの認識なのだろう。地球からすれば甚だ迷惑な話だ。


「千年経っても、まだ人間はゴミを埋め続けている。それだけの罪を清算するにも、わたしの山はもう息をしていない」


 そうなの?と思って、思考がミヤビの言う『わたしの山』へと飛ぶ。と同時に周りも白一色の世界から、青々とした森林の広がる山道へと移り変わった。

 手入れもなく荒んだ山道は土壌が剥き出しになっていて、お世辞にもキレイとは言い難い。


 事の深刻さを力いっぱい訴えるミヤビを見ていると、ふと『山に女が入ると、山の神が怒る』という言い伝えが頭を過ぎった。


(女人禁制? だっけ。立派な信仰だって、アヤメが言ってたっけな)


 にわかに信じ難いことだけど、たとえば昔は地震はナマズという魚が起こすものと信じられていたし、雷は怒った神が騒いだ「神鳴り」が語源だなんて説もある。


 当時はいまと違って偶発的な再現可能性があって、未知の領域に”オカルト”が入り込む余地があった。


 だが血が穢れなのか、女が穢れなのか。それらは社会構造の主たる男性性が、より権威を示すためのガイドラインに過ぎなかった―――そう解明されてしまえば、山に神の威厳はない。

 実際、女が山を登ったところでミヤビは怒ったりしない。せいぜい鬱陶しがる程度だ。そこに男女の区別はない。ただ人間が神より劣っているからという、優性思想じみたこだわりがあるだけだ。


「いや、多くを言うつもりはない。金輪際、わたしの山を穢すなと人間たちに伝えてもらいたいだけだ。最初に伝えるべきだったな……聞いてるか? ユメジ」


 聞いてる聞いてる。家を汚されて嫌なのもわかる。

 でもさ。


「でも、全部がそうとは限んないんでしょ?」

「どういう意味だ?」

「捨ててあるやつ一個一個調べたの? キャップ開けて臭ってみた? こう、扇いでさ。じゃなきゃ全部ションペットだって証明なんないじゃん。ひとつもお茶じゃなかったって」


 ただでさえしかめっ面だったミヤビの眉間に、更に深い皺が寄る。


「ほかに捨て置く理由がないだろう」

「わかんないじゃん? 神様にお供えしたのかもしれないし」

「本気で言っているのか? ユメジ」

「そーだよって言ったら? 諦めてくれんの?」

「……」


 だって「やめろ」って言われて止められる?現実的に考えて。

 そこにゴミを捨てるなって注意されて、無茶なダイエットをするなと言われて、本気で相手が改心して従うと思ってるほうが異常な気がする。だって、いったい何様のつもりだろう。


 よく言うじゃん。”他人を変えることはできない”って。


 味方するつもりじゃないけど、駅前で人目も構わず怒鳴り散らしている老人を見ると、世の中って大変だなぁと思う。誰もがああはなるまいと思っても、どうしてああなったのかまで周知されることって、あんまりないから。

 だからこういう頑固者? 人より長く生きてるクセに、とにかく我を通そうとするクソ野郎のことは、純粋に見下してる。別に変えたいとも変わって欲しいとも思わない。ただ、絶対関わりたくないってだけ。


「言ったところでどうせ変わんないよ。まあ、自然を保護しましょうって間違ったことは言ってないけどさ~。だれでも言えるようなことを、わざわざ巫女が言う必要ってないじゃん?」

「…………ユメジは、このまま時間をかけて、ゆっくり人間が滅びゆくものだとしても、わたしの言葉を信じるに足り得ないか?」


 逡巡の末、ミヤビはようやく二の句を告げた。余程手ぶらで帰りたくないらしい。

 結論ありきの話なら「お願い」の体で来るんじゃねーよ、気色悪い。


(たかが神が、何を訳知り顔で「人間とは~」だ。つーかああして欲しいこうして欲しいって言う前にまずアポイント取れっての。またアヤメにしわ寄せがいくだろうが)


 視界の端で流れる渓流では、背の黒い小魚が悠々と泳いでいるのが見て取れる。

 ちょうど川べりに菓子の空き袋が流れついていて、とても嫌な気持ちになった。指先で摘まみ上げてみると、ぐっしょりした泥が漏れ出る。


「いまそんな話してなくない? そうだとしても関係ないし、知らない。ま、あんたらがそういう生き物だってのはわかってるから、やりたいなら勝手にすれば?」

「いや……、……そうか」

「あと私にはいいけど、ほかの人にそういう詰め方すんのやめた方がいいよ。さもこっちに選択権があるみたいな脅し、やられた方はマジで不愉快だから。同じクラスにそういうのいるんだわ、なんでもいいって言ったくせにラーメン屋行ったら不機嫌になる奴が」

「そうか、すまない。わたしはラーメン屋になどそもそも行かないが」

「は~~~?」


 一発デコピンでもかましてやろうかと背伸びすると、どうしても顔を触られたくないミヤビはその巨体に似合わない俊敏さで大きく後退った。

 そのまま思い出したかのようにパッと姿を消してしまうものだから、つい失笑する。悪戯がバレてクローゼットに隠れる子どもかい。


「は~ぁ……。なーんであんなムキになっちゃったんだろ……」


 海をキレイに、も。山をキレイに、も。店員は箸を付けるか聞けだの、聞くなだの。

 全部が全部鬱陶しいけど、生活に直結する。それはわかる。


 わかるから、どうしようもできない現状のジレンマに悩まされる。誰が悪いのこれ?

 簡単に温暖化する地球?ツケを後回しにし続けてきた、これまでの全ての人類?神に叛逆する自分?


(いいや。もう寝直そ)


 ストレッチついでに伸ばした腕を自分の頬に移動させたユメジは、ぐい、といつものように肉を抓った。

 暫くして、見慣れた天井が目に入る。


「……ん? んえ、あえ……」


 そこは間違いなく自室だった。しかしベッドから起き上がろうとして、なぜか失敗する。腹筋に力が入らない。

 どういうことだと周辺を見渡そうとして、首が動かないことに気が付いた。ついでに呂律も回らない。


 シーツを手繰り寄せようとしても、腕が使い物にならない。

 ぐにゃりと関節で崩れてしまう自分の体が、自分のものではないようだった。


(え、これって、ゆ……)


 まったく同じ状況に覚えがある。明晰夢とは便利なもので、夢のなかで夢を見る、いわゆる多重夢という状態にもなれる。どうやら迷路に逃げ込むようなもので、口うるさい神どもから逃げるのに打ってつけの方法だ。

 ただそれにはリスクがある。

 いま、ユメジの肉体を支配しているのは、ユメジの意識ではない。ユメジの無意識の部分であり、それは制御の外にあるのだ。


 ―――栄養失調にも似た症状、支離滅裂な発言をする夢の住人、起きたいのに起きられない感覚。


 点と点が繋がる。ユメジを悩ませるすべての要素が、示し合わせたかのように揃って降り掛かる。まさに悪夢だ。


 一族から天才とまで謳われたユメジが、あろうことか、”夢を自在に操れなくなっている”。


(信じられない)


 というより、信じたくないというのが本音だった。


 『南柯なんかの夢』という故事成語がある。

 ある男が酔って大樹の下で眠りに落ち、夢の中で栄華を極める。しかし目が覚めると、それは蟻の巣での出来事であった、という話に由来する。


 痺れる腕でなんとかカーテンを引くと、窓から見える景色は一面の銀世界であった。ああ、道理で寒いはずである。


 流れ込んだ冷気が煩わしくて、ユメジは自らの頭を壁にぶつけた。後頭部がズキズキ痛んで、たんこぶができそうだ。


(これは、夢だ。現実には一ミリも関係ない)


 頭ではわかっていても、何度目が覚めても、「起きようとする」状態から発展しない。


 ユメジは再び失笑した。

 夜はまだ始まったばかりである。



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