2.日読みの酉
「あの建設会社どもめ。また性懲りもなくワタシの黒松を切ろうとしていてな、公共のためだなんだと言ってはいるが、三年前の事故を忘れたわけでもあるまいに。死者を出す前にやめさせるべきと思わないか?」
「クソったれ、神域にのさばる無法者め! なあ~にがインバウンドじゃ。神聖な鳥居で懸垂なンぞしおって、うちはスポーツジムか!?」
「ね、また戦争はじめた? 見えたよー、おっきい火花。んっとね、人口も多いわけだし、せっかくなら50億人くらいになるよう調整できる? ま、できないかー」
「縺吶∩縺セ縺帙s縲√♀謇区エ励>繧偵♀蛟溘j縺ァ縺阪∪縺吶°」
八百万の神々は並外れたおしゃべり好きだ。こと現世の話題には目がなく、世界情勢から空き地の工事予定まで、あらゆる憶測を日々楽しむ。
「……とかとか! 日本語喋れー! て思わない? カッカッカ!」
かくいう亜矢女もまた例に漏れず。オレンジの果実を想起させるやわらかいワンカールが、笑うたび口元までさらりと流れる。
アヤメは”巫女に神意を伝える”役割を持つ、由緒正しき女神だ。
数を挙げればキリがない神々だが、序列は明確だ。古今東西あらゆる神仏を統べる最高神から、無数に枝分かれをしている。
そして、その最高神からアヤメが直々に仰せつかった役目が、巫女の機嫌取りであるのだ。
「わかった、わかったから。もー休ませて。明日ぁ日直だから早く起きんの。また聞いたげるから」
「ユメジぃ、ねむいの?」
「見りゃわかんだろ。眠ぃよ」
真白い空間のなかでユメジが背を向けて横になる。アヤメはうんともすんとも言わなくなってしまった彼女の、力なく項垂れたポニーテールをただただ見つめた。
竜海 夢路は巫女である。
古代から続く、「夢」を通じて神の意思を授かる一族のひとりだ。
信仰によってその輪郭を形作られる神々にとって、巫女は現世へ繋がる貴重な窓口だ。つまるところ極めて有用な媒体器になる。ただし、迂闊に手を出してはならない。
つい先日のこと。ある山の神が、巫女ではない人間の夢枕に立ってしまった。
そうして神託を授けた結果、現世でウイルス感染症が蔓延し、未曽有のパンデミックが到来したことはあまりにも広く知られている。
あるいは地上の草木までもが一本と残らず波に浚われたり、船舶や航空機が跡形もなく消失したりした。
地上の穢れは神性に耐えられない。逆もまた然りで、神は人間の持つ毒性に中てられてしまう。
この均衡が崩れるととにかく大変なことになる。一般に災害と呼ばれるものがそれだ。
(大事なのは、関係は対等でも負担は平等じゃないってトコね)
今でこそ緩い相利共生を築いているアヤメだが、ユメジの信頼を得るまでそれはそれは大変だったものだ。
具体的にいうと、二度ほど鳥インフルエンザを流行らせ、全国のスーパーから卵が消えた。あれほど人類に対して気まずい仕打ちはない。
「次のおやすみ、いつ? ずっとグダグダじゃあんユメジぃ。テスト中に寝ちゃったら大変でしょー? あ! ウチが代理で行ってあげよっかぁ! ガッコー!」
「じゃあそうしてくださいよ……」
「あらら。ケッコー重症ぽい? ひつじが一匹ぃ~、ひつじが二匹ぃ~」
「う゛ー、やめろー……」
素知らぬ顔でアヤメは羊を数え続けた。大した間を置かずに寝入ったようで、穏やかな寝息が聞こえてくる。
夢の主導権を得る明晰夢というのは便利なもので、原理はわからないが、こうして夢のなかで睡眠を取ることもできるらしい。
「寝かしつけって、ほんとはもっと大変なのにねぇ。ユメジってば赤ちゃんだったらよかったのにぃ」
状況が状況ではあるが、アヤメの本来の存在意義は、人間にあけぼのをもたらすことである。
巫女の伝達係に抜擢された理由も元をたどればその能力に起因するのだが、今や夜明けをありがたがる人間も稀だ。有り体にいえば権威が弱まっており、ユメジを叩き起こせるだけの力を持たない。
(さて、なんて言って報告しよっかなー)
最後にユメジの頭を撫でてから、自らの頬をつねる。たちまち夢の世界から排除され、見慣れた社殿へと戻ってきた。
―――ユメジが神意を拒絶するようになって、もうひと月が経つ。
世襲が主たる巫女一族だが、彼女はとりわけ優秀だ。才に恵まれ、神性を跳ね除けられるだけの精神力を持つ。
そのために高位の神しか降ろすことができず、低位の神からは顰蹙を、古い神からは穢れが移ると酷く疎まれている。
もともとユメジと交流を持っていたアヤメに仲介役が回ってきたのは、ある意味で必然で、仕組まれたことだったのかもしれない。
つまるところアヤメもまた、神が扱う媒体器のひとつに違いないわけだ。
(ユメジはそんなこと、どーだっていいんだろうけどね~)
話は逸れたが問題は至ってシンプルだ。軟派なようでいて我の強いユメジが、なぜ大義を放棄しているか?
理由は明白。『寝不足』だ。
今や現代人の抱える問題は、観測不能なほど多岐に渡る。当初は逃避先であった夢の世界も、まともにプライベートさえ守られないとなれば、おちおち転寝もできないだろう。
使命は果たさなければならない。
だが、ユメジにこれ以上の負担を強いるわけにもいかない。
もちろんアヤメにだって、仕事と友人どちらかを選ぶなんてできない。
せめて巫女の代替わりでもいればまた話は違うのだろうが……。
(お?)
『巫女の代替わり』。なんとなく思い付いたが、考えれば考えるほどそれは良いアイデアのように思えた。
とりわけ信心深い個体を選ばなければ、明晰夢に適合する確率は十分に見込めるのではないか。なにせ地球上には50億を超える人間が定住すると聞く。
(共犯者でもいれば、わりと現実的な案なんだけどなぁ)
それには最高神の目を欺くため、表で「アヤメは恙無く使命を果たしている」と口裏を合わせる仲間が必要だ。
「あの……」
そうだ、なるべく愚かな方がいい。人間社会のことなど関心がなく、孤立していて、最高神の興味を引かない。そんな都合の良い誰かが……。
「あの!」
「あ! もしかしてぇ、ウチにはなしてます?」
「そ、そうだ。そう。恐れ入る……」
(せっかく知らないフリしてあげたのに~)
背後に立った女神を体勢そのままに仰ぐと、見えたのは逆さまの困惑顔であった。
山の神は、丸めた長身をさらに縮めるようにその顔を俯かせる。
「実は折り入って相談があってな……」
「ん-、相手間違えてない? 宛先アヤメちゃんで合ってるぅ?」
「そうだ。あなたにしか頼めないことなんだ」
長ったらしい前髪の隙間から包帯に覆われた皮膚が垣間見えて、「噂通りなんだぁ~」と得心が行った。
コンプレックスか知らないが、ともかく山の神はめったにその姿を見せない。アヤメなどより遥かに古株にもかかわらず言葉を交わしたことさえないのだから、その引きこもりっぷりは筋金入りだ。
そんな彼女が、頼み事? それも、アヤメなんかにわざわざ。
裏があるとみていいだろう。
「結論から言うと、人間の”目覚め”の扱い方を教えてもらいたいんだ。いやなに、深い意味はないんだが。ただ、後学のために。……お願いできるだろうか?」
(ふぅ~~~ん。深い意味はない、ねぇ)
いうなればお天気雨のようなもの。日差し麗らかな折に、珍しく縄張りを抜け出した陰気な山神が鬼気迫った顔で往来を塞げば、いやがおうにも注目を集める。
四方からヒシヒシと視線が突き刺さった。彼女に、そしてアヤメにも。「あれが最高神から見放されたっていう、山の?」、だいたいそんな感じだ。
「じゃ次こっちの番ね~。アンタ、現世の人間に手ぇ出して折檻されたんですって? 話は聞いてますけどぉ?」
「う゛っ……」
「知ってる? フツーの人はね、巫女さまと違ってわざわざ夢に接待ルーム作ってオモテナシしてくれないんですってぇ。そりゃ、クリスマスイブでもなんでもないのに、こぉんな不審者がズカズカ入って行って歓迎されるわけないものねぇ? それで、今度は頭じゃなくて手足から取り入ろうって腹積もり? やめてよねぇ、めんどくさいゴタゴタに巻き込むのは~」
スピーカーよろしく、口元に手を当ててわざとらしく声を張り上げる。
そのせいで余計な耳目をも集めてしまっている感覚は否めないが、アヤメは素知らぬ顔で辺りを見渡した。
「そこをなんとか頼む! どうしても関わりを断つわけにはいかないんだ……!」
しかし。おめおめと撤退するかに思われた山神だったが、なんとその場で膝を付いていよいよ懇願し始めたではないか。さしものアヤメも目を丸くして、困惑からたたらを踏む。
「ちょっとちょっと、アンタ、プライドってモンがないわけぇ!? ほんとサイッテー! そういうのサムいってば!」
「わかるだろう、もう後がないんだ! せめて話だけでも聞いてもらえないか?」
「だぁから聞いてるでしょさっきから! ダメなんて言ってないのに勝手にエキサイトしてかないでよね、ほんと! いーから立ってください? 目障りなのでぇ」
「アヤメ……、恩に着る……!」
意外だった。陰気で大人しい……いや、聡明で思慮深いとされる山の神が、よもやここまで身勝手と自己愛の化身であったとは。
少し、興味が沸く。
「いっこ聞きたいんだけど、アンタ人嫌いじゃなかったっけ? なんでそこまで食い下がるわけぇ?」
「……現世で、人間の見る悪夢に触れたんだ」
参道を抜けて社から離れると、山神は秘密を明かすようにぽつりとひとりごちた。ソワソワと話したそうにしているので、道端に立った如来像に気を取られたという体で足を止める。
悪い夢、悪夢。睡眠時における人間の脳活動のこと。
深い眠りの『ノンレム睡眠』と、浅い『レム睡眠』。
このレム睡眠中は過去の記憶を呼び出すほか、ストーリー性を持つため、覚醒したあとも記憶に残りやすいとされる。
そのため人々はこの不確かな思考や印象を「夢」と呼び、意味を見出したり、なかったことにしたりするのだ。
巫女のように神託を受ける人間は、このレム睡眠中の意識を完全に自分のものとすることが前提となっている。
(フツー、所有者であっても主導権は持たないものだけどね)
―――とある少年の夢を訪れたこと。
悪夢に囚われ、終わらない苦しみと死の予感に直面していたこと。
山神が悪夢の脅威を取り払ってみせても、刺激にあふれた安全な夢より、苦難である現実を選んだこと。
二言三言、切々と語った山神がぱたりと口を閉じた。長話を想定していたアヤメは呆気に取られ、「……それだけ?」とややあってから声を絞り出す。
「そうだ。どうせ過保護だとでも言いたいんだろうが、年端も行かない子どもが立ち向かうには、あれは……いささか酷が過ぎた」
脱力して、つい如来像に凭れ掛かってしまう。「い~いでしょ立ち向かわせときゃ」と鼻で嗤ってやりたいぐらいだ。
山神のそれは慈愛からくる保護ではない、決して。いうなれば雨の日の水やりだ。
こんな心底しょうもないことで現世に甚大な被害をもたらしたのかと思うと、つくづくぞっとしない話である。
「あー、本かなんかで見たんですけどぉ、人の睡眠時間って20万時間くらいしかないんですってぇ。一回じゃないよ、生涯でってコト。ウッソ短すぎるぅ~て思わない? ってこと考えたら、悪夢って結構ラッキー? みたいな。見たくて見れるもんでもないですしぃ」
「けど、あのままだったら間違いなく死んでいたはずだ。人間は死を忌避するものだろう? だから手を貸してやったのに、結局、わたしを信じるに至らなかった」
「アンタ、”インセプション”て映画知ってる? 知らないぃ~!? じゃ今度観て。あいつら、ハートとブレインが乖離した生き物なわけ。イヤ~な感情でも脳味噌のはじっこに溜めといて、後でジュエリーみたいにいろんな角度から鑑定するの。眠ってるあいだもね。わざわざだよ? 禁煙のストレスを発散したくてタバコを喫う、みたいな? どう? そういうの。なんとなくわからない?」
山神の鬱陶しい前髪が風にたなびいて、はじめてちゃんと顔が見えた。黒目がちな両目が呆れた風に弧を描いている。ちょっと怒ってる? 醜いと評される容姿は、噂ほど禍々しいものではない。
身を守るための毒みたいな、そういう心理に負荷をかけるタイプの不気味さだ。
「非合理だ」
(わ、まぶし)
それはかみ砕いて、反芻して、適切な言葉を選ばれたと思えるだけの説得力があった。
どうやらこの女神、昔話よりよっぽど純粋らしい。良い意味でも悪い意味でも。
周囲の目が気にならないほど愚直で、我欲を通すほど思慮深い。それでいて救うべき衆生には優劣をつけるほど無関心。
なんとなく最高神に似ているとも思った。アヤメの上司は癇癪を起こすと幼児退行して周りを困らすが、ファンはそれを「偶像のあるべき器」と本気で崇めていたりする。
とはいえ誰かが手綱を繋いでおかないと、あとあと厄介そうだ。
怖いもの見たさで最高神にけしかけてみたい気持ちはあるが、いまは堪える。きっと怪獣大戦争みたいになって、めちゃくちゃ面白い。
「そぉねぇー。でも、イライラする権利まで奪っちゃぁ良くないでしょ? タダで願いごと叶えろって、そういうサービスだと思われるのもウザいし。ウザくない? 燕の子安貝もってきてぇ~とか、つゆだくだくネギ抜きで~って。ぜーんぶ壊れたカスタネットみたぁい、それだけ無意味な音ってこと~」
「……なんだ。権利だなんだと言って、私怨があるだけか。随分回りくどい結論だったな」
他人のストレスを食い扶持にしている人もいるでしょう、なんて考えてしまうのは穢れに中てられ過ぎたせいか。それがどうしたと言われてしまえば、確かに、それがなんだとも思う。
(ま、とことん執着すると良いよ)
己の罪と向き合い、あとに引けなくなるまで。
アヤメを頼りにしたことが運の尽きだ。
「そーいう秩序じゃないと滅びるっていうんなら、そーするしかないもの。しょうがないよねぇ。逆に“神を神たらしめてくれてありがとう”、じゃない?」
「一理ある」
「一理もねーし」
「どっちだ。結局なんなんだ」
「そういえばなんの話だっけぇ? コレ。なんで山神とデートしてます?」
「……人間を夢から醒まさせる方法を教えて欲しい」
「いーい質問ね。まず右の手を用意するでしょ? 次に、頬をつねる。以上。おしまい。サヨナラ」




