10.三回見たら死ぬ夢
風呂場で『だるまさんがころんだ』と念じる。
髪の毛や釘を詰めた人形に包丁を突き立て、押し入れに隠れる。
冷蔵庫を開けたら人の頭が入っていた。ムラサキガカミ、裏拍手etc。
「低予算ホラー映画って感じ」
液晶画面には、明らかにユメジの記憶から抽出されたであろう語彙が並んでいた。その強烈な既視感から思わず感嘆の声が漏れてしまう。
知恵袋で『夢から覚める方法を教えてください』という見出しのページを開いた彼女であったが、直後にスマホごとテーブルに伏せた。
コメントのやり取り自体は盛んだが、すべてが自動翻訳でもされたかのように支離滅裂な文字列なせいで、暇つぶしにもならないためだ。
ふう、溜め息を吐くと、自然と頭が冴える。
暖炉からパチパチと心地の良い音が聞こえてくるのでそちらを見れば、窓の外は相変わらずの猛吹雪だった。思わずダウンジャケットに顎をうずめる。
なんでも雪を降らせる化け物が関東一帯をうろついているらしく、その余波がきているとかなんとか。つまり冬将軍?
通りで食欲が湧かないわけだ。こう寒くては指先なんかは赤を通り越して青みがかっていて、つい、「このままツララになるんじゃないか?」という妄想を抱く。
「あはは、まさか!」
部屋の温度が数度下がった。このボロ小屋は外も中もいよいよといった風体で、玄関なんかは完全に閉じられないという致命的な欠陥がある。
だから冷気の出処ははっきりしていた。
「もっといい例題をだしてあげる。貴方は缶詰でしょ。ずばり。私が蓋を開けるまで、小さくなっていることしかできない」
ケラケラと笑いながら部屋に入って来た人物を見て、ユメジは早くも疲労した。
外から来た割にウインドブレーカーを羽織っただけの、Tシャツに短パンといった寒さを微塵も感じさせない出で立ちの少女は、こちらを指差して「ほらね」と屈託なく笑い続けている。
阿波木ヶ原の出身といえば、天津神たちの中でも抜きんでて高い権威を表す。とりわけこのヒミコは、万物の頂点に君臨する最高神とされている。
と、ユメジの一族ではそう認識されている。
まあアマテラス的なやつだ。
「……なにが?」
「氷柱になっちゃうんじゃないかってー? それは鋭い着眼点ね! 非現実的な現象や行動を忌避する働きかけはあくまで理想化された知性であって、本来の生き物らしい営みじゃないってことも併せて。あ、行動っていうのは、人の体の動きとか、普段の様子とかって意味ね」
「ちげーよ。勝手に読心術すんなって言ってんの」
「なんでよー? じゃあ最初からそう言ってちょうだいよー」
(クッソうぜえ)
「”くそ”で済むものを”くっそ”と膨らませるのは、表現をオーバーにする目的があるねー」、まったくもって人の話を聞いていない年寄りは、そういうボケとしか思えない独り言をつらつら宣う。
頷いた拍子に頭の上に積もっていた雪が滑り落ち、ヒミコから離れてようやく水へと溶解したのが見えた。
こういう時、毛先にいたるまで雪より冷たいのかと、心底ゾッとしてしまう。
「そんなことより、困ったことになったのよー。アヤメがね、貴方以外の人間と話したがってるみたい。私はやめときなさいよって言ったんだけどねー、なんか、ミヤビって子とつるんで、二人でコソコソやってるの。いやらしい。そんなことお願いしてないのにさー」
「え。ミヤビって、ヤマスミミヤビ? なんでそいつと?」
「やだ、仲間外れされたみたいに思ったの? それって心外かも。アヤメだって性質の近い子といる方が気楽でしょー。一軍二軍三軍のカースト。それに、私たちってもう家族みたいなものじゃない? ホーミーでしょって。束縛なんてしちゃだめよ、今後の付き合いのためにもね」
「だーかーら、あんたのこと無視してそいつと何かコソコソやってんでしょ? なんでよ」
「ユメジ、貴方ひとつ勘違いしているわ。私たちは互いが唯一だけど、対等な関係じゃないの。言葉が足りなくてアヤメと擦れ違ってるわけじゃあない。親交を交わしてはならない状況にあると、そう申しているのよ。甘えちゃダメ。世間って冷たいものだから」
「はぐらかすくらいなら最初から吹っ掛けてくんじゃねーよババア。いちいち話なげーんだよ」
「いやだわー、おいガキ。誰に向かって口利いてる?」
「お前、以外、いねーだ、ろ!」
マグカップの底で頭をどついてやると、そこでヒミコはようやく「やめてね!」と文脈に合った応答を返してきた。
こいつらは単に性格が悪いだけで、知識があるわけじゃない。IQに20以上の差があると会話が成立しないと聞いたことがあるが、本当にそうなんだと思う。どっちが上か下かは、ともかくとして。
こんなやりがい搾取の糸電話なんて、もっと頭の悪い人間にやらせておけばいい。
安い労賃で鞘を取っているから、いつまで経っても『山にゴミを捨てるな』なんて簡単な案件が進展しないのだ。そういうの役所とかに言えよマジで。
「ふーんだ。教育を受けていない同僚と仕事をするって、大変よねー。みーんな同じ、私情を擲ってるのに。なのにユメジだけ手を抜いて良い思いをしてたら、どう思われちゃうかしら?」
「どーでもいいでーす」
「なに、公園の鳩みたいに。鳩っていうのは、鳥の仲間ね。あれらは庭先で見かける個体と違ってぜんぜん逃げてかないでしょ? 恐れのこころを亡くした生き物っていうのは、もう先が長くないのねー」
「へー」
おかわりを淹れるため、やかんにペットボトルの水を流し込む。暖炉に手を翳して沸くのを待っていると、唇を尖らせたヒミコがドン、と肩をぶつけてきた。
「おー、これ、人間仕草。アヤメが言ってたの。飼い主はペットに似るってまさにこのことね。問題を先送りにしているだけで、おんなじこと繰り返すやつ(笑) あ、気を悪くしないでね? 貴方のことを言ってるんじゃないのよ、貴方は特別なんだから」
見上げてくるヒミコの瞳は燦々と煌めいてはいるが、目の奥が一切笑っていない。
シーリングライトを反射した黒髪が不穏にたなびくのを、どこか夢見心地で眺めていた。
「ねえ、どうやったらこの夢終わらせられるの? ずっと寝てるって、つまり死んでるってことなんだけど。あんた人のこと殺す気?」
「それは、こっちの台詞よねー」
「いや違うけど。訊いてるのこっちこっち」
「殺すってなに? 聞いたことない言葉ね。でもねー、アヤメが元に戻らないなら、貴方はここで死ぬしかないわ。ミヤビが夢をすべて昇華させてしまったら、手を下す余地が残らなくなるもの。昇華っていうのは、固体が気体になることよね」
「……じゃあ、夢がなくなるってこと? あー、違うんだったら早めに否定して欲しいんだけど。ミヤビは、みんなが夢を見れなくなるようにしてる? それか人が眠らないように、何か企んでるってこと?」
「貴方の日本語ヘンよー、現代文のお勉強に集中した方がいいわー」
「しててこれなんだよ、どこ否定してんだお前。つーかそのくらい規模デカい話なら、こっちじゃなくてミヤビに直接忠告しに行けよ! なに責任転嫁してんだ! 悪いの全部あっちじゃん!」
「だってぇ、コラ! ってしてミヤビがびっくりして、きらわれちゃったらどうするの~。かわいそ~じゃない、そんなことしちゃ」
驚いた。てっきり、ヒミコはずっとずっと昔から天災を望んでいるのだとばかり。
いや望んでないことはないだろうが、一度でも己の手を噛んだ同族に情けをかけるだけの理性が残っていたことが意外だった。
彼女は年老いて力を失ったが、中身はまるで子供だ。癇癪持ちだし、人をすぐ試したがる。それも、初デートに彼女を安いファミレスに連れてくような、しょーもないプライドで。
「そんなの、知らないし……」
「いいじゃない、朝までずうっと遊べるんだから。ほら、つぎはユメジが鬼ね! 目を瞑って、十数えて!」
キャーと黄色い声で叫びながらヒミコがキッチンへと駆けてゆく。追いかけっこでもしようというのか、この狭い山小屋の中で。
やれやれと首を竦めてコーヒーを啜ろうとして、ふとカップの底を覗いた。
水面に橋を架けるように、放射状に蜘蛛の巣が張っている。
「ヒミコ!!」
ごおっと暖炉の火が燃え上がる。まるで怒りに呼応するようなそれに、ユメジは愕然とした。
ここは明晰夢の中ではないはず。ユメジの思い通りになる世界ではないのだ。
ならば何故?
カーテンが激しくはためくのが視界の端に見えた。窓はいつの間にか開いていて、容赦なく吹雪が吹き込んで来る。
もう、寒さは不思議と感じなかった。
「ユメジー、早く。十、数えて?」
想定していた方向からは正反対の場所からヒミコの声が聞こえる。
振り返ると、小屋を覗き込む、一つ目と目が合った。ぱらぱらと風に舞う黒髪に、鬱陶しそうに眦を細めて。
真に恐ろしいのは化け物じみた大きさではなく、その目の奥が笑っていないことだ。
ユメジはもう、自分がツララになるとも、かといって缶詰になるとも思わなかった。
もっと得体の知れない何かに成り果ててしまうのではないか。
そんな不安に駆られたら、耳の奥からざわざわと枝葉が擦れるような音がしてきて、かぶりを振る。目を瞑って、「出てって!」と叫んだ。
「あんたたちと一緒になんかなりたくない!」
「ううん。なるんだよ」
恐る恐るそちらを見ると、そこには濃霧が広がっていた。瞳が浮いていた位置に、ぼんやり月が見える。
「神様になんかなりたくないよ……、アヤメ」




