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1.インフルエンザの時に見る夢


 日本人の多くが、自らを「無神論者」と認識している節がある。


 かくいう巫女も、海外のインタビュアーから「あなたの信じる神は?」と問い質されたとして、まともに受け答えられる自信はない。それが一般的な感覚だとも思う。

 最近だと「神」は「すごい」「やばい」くらいフランクに使えるから、存命する個人を指して使われることもあるのかもしれない。


 が、ざっとネットで調べてみたところ、寺院や神社といった建築物だけでもおよそ18万を超える数が国内に点在している。大半を神道系と仏教系が占めるが、その数だけ信仰が存在する証左にほかならない。

 

 クリスマスにパーティを楽しんで、正月を祝う。なんてことができるのも、この鈍感力というか、包容力がこの国特有の気質だからではなかろうか。

 初詣や先祖供養といった風習とも密接に関わることから、「無神論者」であったとしても、決して「無宗教者」ではない。ということがわかる。


「あの、すみません。ちょっとお伺いしたいんですが、そこの手水舎ちょうずやってもう辞めてしまったんですか?」


 巫女は視線を上げた。

 土産屋を覗き込んだ参拝客は、一瞬面食らったように閉口した。恐らく声を掛けた巫女が想像よりずっと若い造形をしていたからだろう。ままあることだ。


「ああそちらですね。コロナが流行ってから使用禁止になったんです。ほら、感染症とかなったら大変じゃないですか。間違って飲んじゃったりして、そういうクレームもあったものですから」

「そう、ですか……」


 あっけらかんと説明されれば、参拝客は腑に落ちないままに引き下がるしかない。人混みに愚図る子どもを引き連れて、会釈を残して逃げるように立ち去ってゆく。


「……雑菌ウヨウヨの水で、手なんか洗いたくねーだろ」


 「私は金払ってもゴメンだね」親子の背を見送りながら、巫女は皮肉気にふうと息を吐いた。

 ゴールデンウィークが終わったばかりだというのに、神宮を訪れる参拝客は枚挙にいとまがない。


 手水舎といえば底の浅い水盤はすっかり乾ききっていて、苔が日に焼けて白んでいる。ひとつ残された柄杓ひしゃくだけが禊の儀式を待ち望むかのようで、なんとも物悲しい。


(信心深くもねーくせに)


 という指摘を飲み込んだのは、それが言うまでもないほどの事だったからである。


 正中せいちゅうと呼ばれる参道の中央を歩く親子、犬を連れた老人、二礼をしない夫婦、『推しのライブチケット当たりますように☆ミ』の絵馬。


(ミ、てなんだ……?)


 古くから”八百万には神が宿る”などといわれるが、現代人はこれを少し勘違いしている。


 ご神体に祈りを捧げるのは、「これを叶えて!」というものではなく、「これを叶えます」という誓いの宣言だ。「わたしはこれを努めますので、どうか見守りください」といった、あくまで”自戒”に過ぎない。


 だがその意味は、どうやら神の声に従って生き延びられる時代が終わるとともに、徐々に失われていったようだ。

 直近でいえばやれサリン事件やら、後継者不足やらで、平成初期をピークに宗教の地位は大きく傾いた。


 まあ正直いって、神が絶対の時代があったこと自体が、もはや眉唾物ではあるが。


「すみません、これ一つください!」


 溌溂と響いた声に、巫女は何事かとそちらを見る。先ほど手を引かれて行ったはずの子どもが、片手に『安全祈願』のお守り、片手に千円札を持って身を乗り出していた。


 見れば、離れた場所で母親がやり取りを見守ってた。遠目からではその腹が若干膨れている風でもあり、祈願の変更を勧めるすべきか逡巡する。


「……ありがとうございます」


 いずれにせよ阿漕な商売だ。悩んだ末に、巫女はマニュアル通りに対応することとした。


(こっちは幽霊と違って”ガチ”だしな)


 なにせ人間が神への信仰をやめたことで、一点、問題が生じている。

 だがそれは彼ら親子には関係ないことだ。


 小石を巻き上げるあどけない後ろ姿を見送って、巫女はぐっと両腕を伸ばして肩をほぐした。


 まだ一日は始まったばかりである。



***



 ガシャンガシャン! 筐体から流れる迫真の90dBが、ゲームセンター内をジリジリ振動させる。


 脳味噌が汗を掻くようだ。

 それが暑さのせいなのか、猛り狂う轟音のせいかはわからない。

 あるいは古びたカビに混じって蔓延する、油っぽさが原因かもしれない。


 その証拠にメダルゲームに興じる仲睦まじいカップルも、鼻腔を刺激するフードコートの名残を連れている。


『ご来店のお客様に、迷子のお知らせです』


 モール型ショッピングセンターのとある一角。UFOキャッチャーのレバーを順に押して回る、幼い少年は手を止めた。

 齢は10、11ほど。付近に保護者と思しき人物は見当たらない。上下ともキャラクターもののパジャマに、毛玉の目立つ毛布をぐるりと羽織っている。


『首塚町からお越しのムツキくん。お見掛けした方は目を合わせず、静かにその場からお立ち去りください』


 ムツキはギクリと肩を強張らせた。

 

 アナウンスがポイント2倍を謳うものに戻っても、ゲームセンターに居合わせた客はムツキに視線を注いだままだ。

 メダルがぶつかり合って見当違いの方向へ弾けても、迫り来るゾンビに襲われても、ハンドルを誤った自機が大きくコースアウトしてもお構いなし。取り憑かれたように頭から足先まで、少年をじっくりと値踏みする。


 身を隠さなければ、とムツキは身を翻して駆け出した。


 きっと、自分と目が合うと、みな気が触れてしまうのだ。そうして自分を襲いに来る。そう考えたからだ。


 そうして駆け回る勢いのまま、プリクラ機へと雪崩れ込む。これはあまり知られていないが、機内の背面にあるグリーンのバックドロップを潜ると隠し通路に繋がるのだ。


 モール地下5階。

 滑り台の要領で地下へと降りるうち、ムツキの視界には各階層の特徴が走馬灯のように流れていった。

 迷子や、試食を二周した子どもを吊るしておく『サービスカウンター』。

 駐車場で自車を見失い、帰れなくなった客を収容しておく『ラウンジ』。

 そこが地獄であるように、くだればくだるほど罪の重い人間とされる。


 いつしか陽気なBGMは途絶え、やがて牢獄へと到達した。

 助かる見込みのない者を隔離する『従業員通用口』から、顔色の悪い男女が長蛇の列を成している。


 薄暗くジメジメした回廊では、時計もないのに秒針の音ばかりがやかましい。

 だれもが息遣いまで殺すように、ただひたすらに順番を待っていた。


 一応はと最後尾に並んだムツキは、寒さもあってすぐにじれったくなった。

 思い切って列から外れても、なにも言われない。目を合わせてはいけないからだろうか? 横入りして順番を抜かしても、注意されることもない。


 たどり着いた集団の先頭は、来た時と同じく通用口の扉が一つあるだけだった。

 行き止まりなはずがない。根拠のない確信に駆られムツキがドアノブを捻ると、そこは―――行列の最後尾に繋がっていた。


 ただし、今度はすべての人間がムツキと同じ姿、ムツキと同じ顔をしている。


 ムツキは後悔した。扉を開けたばっかりに、自分という人間がここにいると上層部に知られてしまった。名前もバレてしまった、と。


 ここでは本当の名を看破されると、最後尾に並ばなくてはならない決まりになっている。


 ムツキはやはり沈痛な面持ちで、なにかもわからない列の最後につく。前を向くとみなが前を向いて、後ろを向くとみながこちらを見ている。そんな気がして視線が上げられない。

 なんとなく校外学習で行った美術館で見た、モナリザの絵を想起する。どこから見ても、どこからも見られている。


(さみしい)


 こわい。さむい。


 だんだんと心臓の内側、もっともっとうちがわの部分から悲しみとも、苦しみともつかぬものが膨らんで、爆ぜてしまいそうだった。


「ムツキということは、一月生まれなの?」


 周囲のムツキたちが一斉に振り返る。自分が一番最後だとばかり思っていたが、そこに自分を見下ろす見覚えのない女が立っていて、本物のムツキはギョッとした。


 顔や首に包帯を巻いた、大柄な女だ。目が合うなりその場に膝を付いて、恐ろしいほど黒目がちな瞳に覗かれる。ノルディック柄のセーターから腐敗臭、具体的にいうとアンモニア臭がにおって、それにもまた驚いた。


 見知らぬ、それも極めてあやしい大人から急激に距離を詰められ、ドギマギしながらもムツキはうなずいた。


「……なんで知ってんの?」

太陰太陽暦たいいんたいようれき、昔のカレンダーのことだ。そこでは一月を睦月むつきと呼ぶ。睦むというのは、仲良くするという意味だな。年初めは家族や親せきが集うだろう? だから睦む月で睦月。なかなか良い名を貰ったんだね」

「……うん」

「わたしはヤマスミ。澄んだ山と書いて山澄ヤマスミだ。きみにお願い事があって来た」

「お願いって?」


 不思議と会話が成立するのは、厳めしい身なりとは裏腹に、ヤマスミの声色が母の友人のそれであったからだろうか。

 身を乗り出して尋ねると、それまで柔らかかった眼差しがスッと険を帯びる。ヤマスミはドキリと体を強張らせたムツキの肩越し、先の見えない回廊を見据えている。


「もういいかーい」


 先も見えない闇から聞こえてきたのは、地響きとも馬のいななきともわからない、いびつなしゃがれ声だった。

 瞬間、全身の毛穴が開くような怖気に襲われる。

 ひび割れ、エフェクトがかって余計にひずんだそれは、ムツキがこれまで聞いたこともないおどろおどろしさで以て暗闇から這い寄ってくるようだ。


「もういいかーい」

「…………」


 それは、肉を食む音だったり、骨を断つ音だったり、水のしたたる音だったりして、そのどれもがムツキたちを酷い方法で殺すものだと、直感的に理解する。


 ドッドッ。

 大袈裟に心臓が脈打って、秒針と重なる。このまま凍死するんじゃないかと錯覚するほどに手足が冷えて、震えが抑まらない。


「ムツキ、見つけた 見つけた 見つけた」


 やがて悪魔の輪郭が露わになった。首から上にワニの頭部を乗せた、黒装束の大男。鋭利なツメを覗かせた袖口から血を滴らせ、列の先頭から順に人々を嬲り殺していく。


 悲鳴が迫る。逃げようにも足が竦んで動けない。


 後ろから数えて四番目のムツキの首が跳ね飛ばされたころ、ムツキはあまりのうるささに目を逸らした。耳を塞ぐ。怖い、怖い、怖い―――!

 しかし、その手首が掴まれる。ヤマスミだ。

 皮膚を隠しているのでどこか冷え冷えとした印象の彼女だが、意外にも人並みの体温が伝わってくる。


「そう不安がることはない、睦月。ここは夢だ、現実じゃない。さあ祈って、”どうか助けてください、神様”」

「なに!? 聞こえない! 聞こえないって!!」

「”ヤマスミ様を、信じます”」

「ヤマ、スミ、さま……? なに……!?」


「それでいい」


 血しぶきが舞う―――それは、瞬きする間の出来事だった。

 正面からぶつかったと思った鮮血は、パーティクラッカーのテープに変わり、ムツキのまるい頬をすべり落ちていった。


 彼女が天を仰ぐように両腕を伸ばせば、迫り来る人食いワニはたちまち煙に包まれる。ぽて、となんだか間抜けな感じで地に落ちるので拾い上げると、それはデフォルメされたワニのぬいぐるみになっていた。


 無機質な回廊は円形のふわふわドームへと変貌し、アップテンポなノリの良い音楽までかかる。

 彼女の手の一振りで、死屍累々の残骸はすべて軽やかなペーパーフラワーへ。

 手拍子を打つたび、天井からは金のメタルテープが降り注ぐ。


 間違いなく生まれてはじめて目にする光景なのに、それが祝いの演出であることが、なんとなく察せられる演出だった。


「どうやったの!?」


 ムツキが縋り付くと、彼女は吹き戻しの笛をフー、と吹いた。ピロピロした紙が芯まで真っ直ぐになると、遠くで拍手と歓声が沸き上がる。

 ヤマスミが悪戯っぽく片方の口角だけを吊り上げて笑うと、ムツキはなんだかドキドキして、ぬいぐるみを抱く手に力が籠もった。


「ああ、礼には及ばない。それでお願い事というのは、このわたしをきみの夢にこれからも招待して欲しいんだ。大丈夫、そう悪い話じゃない。わたしは睦月を教え、導くものだ。明日も、明後日も、きみから悪夢を取り除いてやろうじゃないか」


 踊るようにムツキの手を取るヤマスミ。されるがまま身を委ねていると、くるくる回った挙句にぽーん! とドームの端まで投げ飛ばされてしまう。


 トランポリンの要領で弾かれて戻ってきた頃には、彼女は前屈みに体を折ってムツキを覗き込んでいた。三日月を描いた黒目がたまに会える野良猫のようで、言いようのない高揚感を覚える。


 しかし、言葉の意味を考えれば考えるほどに焦りは増した。「夢なら覚めなきゃ」、そんな使命感に駆られる。


「ここは安全だ。好きなだけ居るといい」

「え、いい! 起こして」

「なんだって?」

「こんなとこに居たくない!」


 軽やかな音楽はたちまち動物の心音へと変化した。動物の、というのはそれがムツキ自身のものではないという確信があったからだ。


 90度、直角に首を傾げたヤマスミから緩んだ包帯が垂れ下がる。垣間見える肌は岩のように無骨で、ささくれ立っていた。一見して魚の鱗にも見える。


 ムツキは遠方に住む従兄弟のことを思い出した。昔、熱湯をかぶって顎から首にかけてを火傷したらしく、そこだけ黒ずんでいるのだ。彼女の全身は、まるで従兄弟の火傷痕のようだった。


 唇を引き結んだ大女の瞳からみるみる白目が消え失せ、ムツキは咄嗟に駆け出した。が、ぼよんぼよんと跳ねるのみでうまく走れない。

 視線を落とすと、ワニのぬいぐるみがふくらはぎの辺りにかじり付いていた。あどけないビー玉の瞳から、ぽろぽろと熱い涙を流している。


「睦月? ……こら、やめろ。睦月!」


 このヤロウと思い、再びぬいぐるみを掴み上げる。その直後、両目を眇めたそいつにバクンと手首ごと食い千切られた。

 痛みを知覚する間もなく、視界いっぱいに綿の詰まった舌と歯が広がる。

 頭から吞まれる。首が弾け飛ぶ。

 死ぬ。


 ガシャンガシャン! なにが起きているのかわからない。ハンドルを右に二回。だれかがガチャガチャを回しているみたいに、ドームの中身がかき混ぜられる。


 おねがいやめて! そんな訴えも虚しく、めのまえが、真っ暗になった。




 死んだ―――かに思われたムツキは、そこではっきりと目を覚ました。


(…………そりゃ、ゆめか)


 腑に落ちる。ワニがどうとか、地下がどうとか、そんなのが現実であるわけがない。冷静になれば子どもでもわかることだ。


 異常な速さで脈打つ心臓を押さえて部屋を見渡すと、ほのかな常夜灯が飲みかけのポカリスエットを照らしていた。

 なぜか手には布の感触があって、『安全祈願』のお守りが握られている。


「……」


 暗がりの中、ゴウ、ゴウ。と、ちょっとした工事現場くらいの重低音が響いている。


 起き上がってみると、離れた位置で眠る父親の寝姿が目に入った。いびきに波があるのは、呼吸に波があるからだろうか。だからあんな化け物の夢を、となおさらに納得する。


 ただでさえ気怠くて、頭が痛くて最悪な気分なのに。「お前のせいで」と責められてるみたいで、とんでもなく不愉快だった。

 喉の異物感を潤してから、ムツキは掛布団を頭まで被り直した。暑い。咳が出そうでイライラする。つらい。まだあの声が耳に残っている。


 ―――あの夢の続きをみませんように。


 熱のせいか、流れる涙までもが熱い。不調と怒号で苛まれるまま、ムツキは長い長い夜を耐え忍ぶのだった。



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