lv.8 酒場
[Ⅰ]
ここはマティスの下町的な区域、ゴートと呼ばれる所。
俺は今、そこに来ているところだ。
この区域は、オヴェリウスの避難民がそこそこいると聞いた。
髭を生やしているとはいえ、どこで誰が見ているかわからない。なので、俺はとりあえず、ローブのフードを深く被っておいた。
空を見上げると、日も少し傾いてきており、このゴート区域は殆ど影となっている。
ちなみに、領主の館がある上品な表の喧騒とは違い、ここはちょいと治安の悪いダーティな所であった。
マティスの暗部ともいえる場所である。
全体的に薄汚れた区域で、表から見える上品な街並みはここにはない。
古びた石造りの建物が並んでいるが、全部、小汚い壁や窓に玄関扉となっている。
また、凸凹でしみったれた石畳の道には、生ゴミや動物の糞のようなモノが所々落ちていた。
それもあり、色んなニオイがカクテルされ、わけわからない嫌な臭気が絶えず漂っているのである。
つまり、衛生状況と治安状況の一番悪いのが、このゴート区域であった。
おまけに、立ちんぼの娼婦とかもいるので、あまり長居はしたくないところなのだ。
今も俺に向かい、胸が開けかかっている服を着たエロい立ちんぼ女が、艶っぽい表情で色目を使っている。
声は出してないが、その仕草はまるで『やらないか?』とでも言わんばかりであった。
とはいえ、俺も病気が怖いから、こんな所でそんな事をするつもりは毛頭ない。
シュレンの記憶を探ると、やはりこの世界にも、梅毒のような性病はあるからだ。
ちなみに、前回マティスに立ち寄った際、シュレンはこのゴート区域には来ていない。
ゴート区域に向かったのは従者のシムであった。
そう、シムはここで情報を収集をしていたのである。
確かあの時、奴はこんな事を言っていた。
「シュレン様、この街にオヴェリウスから逃げてきた者が沢山いるみたいです。私が行って色々と聞いてきます。シュレン様はこの宿で待っていてください」と。
だがその後、シムは神妙な面持ちになって、宿に帰ってきたのだ。
シュレンはその時、大して気に留めていなかったが、今にして思えば、恐らくここで何かがあったのだろう。
それを知る必要がある。そしてあの自称ペンギンの言葉を信じるなら、ここに恐らく、まだシムがいる可能性があるのだ。
さて……どうしてくれよう。
ぶん殴るか? いや、事情を聴いてから考えよう。
まぁそれはさておき、この辺りは脛に傷のある奴が多そうであった。
曰くありそうな輩が沢山おり、筋骨隆々の猛者や武装した者、ピエロのような意味不明の格好した奴や、肩パットを当てた奴、果ては、モヒカンヘアーをしたどこぞの世紀末系ファッションをした奴等までいた。
そのうち、ヒャッハーとか言って襲い掛かってきそうな雰囲気である。
とはいえ、実際はそんな事をしてこないので、俺もホッとしてるところだ。
まだちゃんと政治が機能している証拠である。
俺はそんなゴート区域を歩いてゆく。
すると程なくして、酒の看板が掲げられている店が見えてきたのだ。
まだ日が高いにも拘わらず、飲んでる奴がいるのか、馬鹿笑いがその店から聞こえてきた。
一応、店はやってるようだ。
とりあえず、入ってみるとしよう。
俺はその店の扉を開いた。
すると中は予想通り、酒場であった。
馬鹿笑いしている冒険が好きそうな奴等が一杯いる。
酒場の中は薄暗く、明かりは燭台の火と窓からの光だけのようだ。
また、カウンター席と丸テーブルの席となっているが、テーブル席の方は粗方埋まっていた。
その為、俺は少し余裕があるカウンター席へと向かったのである。
カウンターの奥にはスキンヘッドの強面男がおり、腕を組みながら不審そうに、俺を見ているところだ。
RPGで定番である冒険者の酒場を具現化すると、こんな感じなのかもしれない。
俺はそこでフードを捲り、素顔を晒した。
強面男がこちらに来る
「よう、兄ちゃん。何にすんだ? ヴァレにするか?」
ヴァレとは泡のある麦の酒だ。
つまり、ビールに似た酒である。
勿論、冷えてはいない。
常温だ。
「ああ、それでお願い。ついでになにか摘みも」
「はいよ。じゃあ前金で、5ラウムだ」
俺は銀貨で5ラウムをカウンターに置いた。
「へい、まいど」
親父はラウムを回収すると、後ろにある木樽から、くすんだ金属製のマグにヴァレを注ぎ、俺の前に置いた。
続いて、茶色い小さな物体が盛られた、小汚い木の皿を出してきたのである。
シュレンも見た事ない食べ物であった。
どことなく干し肉のような感じだ。
「これは?」
「ガルマの干し肉だよ。アンタ、初めて見る顔だから、口に合うか知らねぇがな。ここじゃ、コレで一杯するのが上手いんだよ」
といって、親父はグイッと飲む仕草をした。
あのガルマの肉のようだ。
ちょっと怖いが、食べてみるとしよう。
「へぇ、ガルマか。じゃあ頂くよ」
俺は恐る恐る干し肉を食べてみた。
すると意外な事に、ビーフジャーキーのような感じでイケたのである。
とはいえ、若干癖があり、獣独特の臭気みたいなのはあった。
ちょっとしょっぱいが、食べれん事はない味だ。
確かに、ビールのおつまみには良いかもしれない。
「悪くないね。いけるよ、なかなか美味しい」
「だろ? ところで兄ちゃん、アンタどこから来たんだ?」
「俺はオヴェリウスからだよ」
と言って、俺はヴァレを口に運んだ。
ビールのような苦みのある味わいが口一杯に広がる。まぁ悪くない味だ。
それはさておき、親父は目を見開き、驚きの声を上げた。
「オヴェリウスだって!? って事は、避難民なのか?」
「まぁそんなところかな。それがどうかしたのかい?」
「実はさ、ここで給仕として働いてる女の子が何人かいるんだが、その子達もオヴェリウスからの避難民なんだよ」
「女? 見たところ客しかいないけど」
俺はそう言って、周囲を見回した。
「彼女達が来るのは夜だぜ。とはいっても、もうそろそろ日が沈むだろうから、そのうち来るだろうがな。おっと、そんな話をしていたら、1人来たぜ。あの子だ。お~い、レティアちゃん。こっちに来てくれ!」
親父はそう言って、入口にいる女の子を手招きした。
するとそこには、ムスッとした感じの若い女性が立っていたのである。
表にいた立ちんぼ娼婦ほどではないが、胸を強調する白いワンピース調の衣服を着ていた。
黒く長い髪をしており、カチューシャで前髪を止めている。
また、年は俺と同じくらいだが、かなり垢ぬけている女性であった。
顔も結構可愛い感じで、細いわりになかなかのオッパイを持っているのが印象的だ。
だが……そんな事よりも俺は、別の事で驚いていた。
なぜなら、見覚えがある女性だったからだ。
この女性は恐らく、オヴェリウス城で母の担当をしていた侍女の1人に違いない。
とはいえ、俺と面識はほぼないから、向こうはすぐにわからんだろう。
おまけに俺は今、髭面だからだ。
まぁそれはさておき、レティアという女性は仕方ないとばかりに、こちらへとやって来た。
「なんですか、ロイさん。私は準備にしに来ただけですから。まだ給仕の仕事はしませんよ」
「まぁまぁそんなに怒らないでくれ。仕事で呼んだんじゃねぇよ。ここにいる兄ちゃんがオヴェリウス出身と言ってたから、来てもらっただけさ」
「え!? オヴェリウス!」
女性は少し驚くと、俺を見た。
「初めまして、私はレティアと言います。貴方もオヴェリウスから逃げて来られたんですか?」
「ええ、そうですよ。道中大変でしたがね」
「そうでしょう。私達も大変だったんです。ところで貴方、お名前……」
すると、女性はそこで眉を寄せ、俺を覗き込んできた。
そして大きく目を見開き、両手で口を塞いだのである。
完全に驚く仕草であった。
どうやらバレたようだ。
「あ、貴方は!?」
俺はそこで口に人差し指を当て、シーというジェスチャーをした。
「レティアさん、ちょっと話を聞かせてもらいたいんだけど、今良い?」
「は、はい、私で良ければ」――