lv.1 死
[Ⅰ]
薄暗い夕闇の歩道。
俺は俺を呆然と眺めていた。
人通りの少ない街の歩道に、半袖シャツとカーゴパンツを着た俺が横たわっている。
眼前にある俺の身体は、目を閉じ、胸を押さえ、蹲るようにして倒れていた。
今は数名の者達が、俺の身体に慌てて駆け寄り、何かを叫んでいるところだ。
だが、何を言っているのか、全く聞こえない。無音である。
ただ、必死に何かを叫んでいるのはわかった。
口の動きから察するに、恐らく、こう叫んでいるのだろう。
「人が倒れている! 誰か! 救急車を呼んでくれ!」と。
ある男が、俺を仰向けにして跨り、心臓マッサージを始めた。
音は全く聞こえないが、1、2、3、と規則正しいリズムで胸を押している。
それはまるで、映画のワンシーンを見せられているような気分であった。
しかし、倒れている俺は一向に目を覚ます気配はない。
恐らく、もう手遅れなんだろう。
倒れてから結構時間が経過している。
時間にして恐らく、20分は経っているからだ。
つまり……俺は死んだという事である。
あっけない最後だった。こんな簡単に死ぬのか。
27年間生きてきたが、何も満足に成し遂げられなかった。
なんでこんな事になったんだろう。
今日は実家の古流剣術道場で稽古の帰りだった。
1人暮らしを始めた後も、運動がてらに、俺は剣術の稽古を続けていたからだ。
お陰で割と健康な身体だと思っていたが、このザマである。
適度に運動もし、不規則な生活もそれほどしていなかった筈だ。
酒もそれほど飲まないし、煙草も吸わない。
会社の健康診断でも異常なしだった。所謂、健康体である。
にも拘わらず、死ぬ時は、こんなにも簡単に逝ってしまうようだ。
「なんでだよ……俺は何も悪い事してないぞ。なんでこんな簡単に……死んじまうんだよ。ウワァァァ」
俺は咽び泣いた。
誰にも聞こえていないが、ただただ咽び泣いた。
それしか出来ないからだ。
暫くすると救急車が到着した。
救急隊員達が俺の身体に駆け寄り、シャツを捲り上げ、AEDの配線を繋いで蘇生を始める。
しかし、俺が目を覚ます事はなかった。
救急隊員達が首を横に振っているとこを見るに、蘇生は無理そうだ。
無念としか言えない。
すると、俺に話しかけてくる者がいた。
「あららら……どうやら死んじゃったみたいだね。ご愁傷様」
「うるせぇな! 今取り込んでんだよ! って……誰だ!?」
声の方向に振り返ると、そこにはペンギンみたいなのが1匹いた。
しかも、立派な黄色い眉毛をしており、身体も成人男性くらいはあるペンギンだ。つうか、眉毛、太ッ!
正直、意味がわからなかった。
そもそも、なんでこんな所にペンギンがいるんだ?
「え、ペンギン? なんで?」
「ペンギン? 何を言っとるんだね、君は。おかしな事を言うねぇ。君達のような者にわかりやすく言うなら、私は一応、神だよ」
自称神を名乗るペンギンはそう言って、俺の隣に来た。
イラッと来たのは言うまでもない。
「はぁ? 神だと? 何言ってんだオメェ……全然神々しくないぞ」
ペンギンは俺をチラッと見る。
「君は何でも生前の常識で図ろうとするねぇ。いいじゃないか、こんな姿の神がいても。そもそも君は、自分が死んだ事を既に自覚してるのだ。つまりこの状況は、何でもアリの世界なんだよ。私はそう思うがね。違うかい?」
「ま、まぁ……そう言われると、そうかもしれんが……」
確かにコイツの言うとおりだ。
今の状況はある意味、死後の世界。
何が出てきても不思議ではないかもしれない。
例え、目の前に足が生えたイルカや、空飛ぶモグラ、果ては、女子高生の格好したオッサンや、転生アニメに出てくる美少女女神が出てきたとしても、アリといえばアリだろう。
もうそういう事にしとこう。
自分の死を知ってしまった今、考えるのが馬鹿らしくなってきた。
「で、ペンギンの神様が何しに来たんだ? 天国か地獄かを選別する為に来たのか?」
「い~や、そんな事で来たのではない。君に話があって来たんだよ」
「話って何?」
「君、生前の名前は?」
「桜木小次郎だ」
「へぇ、サクラギコジローって言うのか。変な名前」
喧嘩売ってんのか、このペンギン。
とはいえ、目の前にある自分の死体を見ていると、もうそんな事はどうでもよかった。
好きにしろ。
「仰る通り、変な名前だよ。で、何?」
「君には選択肢が2つある。今すぐに転生をするか、ここに留まってから輪廻転生するかだ。さぁ……どっちにする?」
ペンギンは妙な選択肢を出してきた。
「はぁ? それってどう違うんだ。どの道、生まれ変わるって事だろ? 同じじゃないか」
するとペンギンは人差し指を振るかの如く、「チッチッチ」と翼を振った。
「残念。同じじゃないんだなぁ。今すぐ転生とはそのままの意味だよ。そして、この場に留まってというのは、長い年月をかけて輪廻転生するという意味だ。どっちがいい? 時間がないので、すぐに決めてほしい」
「そんな事を急に言われてもねぇ。ちなみにすぐに転生ってどういう事だ? 今すぐ動物にでも生まれ変わんのか?」
「説明しよう。転生先オープン!」
その直後、空間に1つのスクリーンが現れたのである。
どうなってんだよ、死後の世界は。
「はぁい、注目ぅ! 転生先はァァァァ、デデン! 人間だァ! 君と同じ人間だよ! やったぁ! でも、今死んだばっかだけどね。死に立てほやほやで、新鮮だよぉ」
ペンギンはハイテンションでプレゼンしてきた。
正直、引いたのは言うまでもない。
というか、このペンギン、キャラが変わってね?
それはさておき、スクリーンには地面に横たわる見窄らしい青年が映っていた。
青年の顔は薄汚れており、どことなく欧米人ぽい感じだ。というか、アジア人でも濃い顔だとこういうのがいそうだが、まぁとにかくソッチ系の顔であった。
毛髪は黒で、髪型はショートヘア。
また、色褪せた白いローブを纏っていた。
息はしておらず、グッタリとしているが、色艶は良い。
確かに、死にたてほやほやといった感じである。
まぁそれはともかく、幾らなんでも流石に、なんでもアリすぎるだろ。
「おいおいおい、なんだよ、死にたてほやほやって。そんなの俺だってそうじゃないか」
俺はそう言って自分の亡骸を指差した。
すると俺の身体は、ストレッチャーに乗せられ、救急車の中に入ろうとしているところだった。
受け入れたくないが、もうお別れなんだろう。悲しいよぉ……。
「で、どうするかね?」
「パスするわ。とりあえず、このまま留まって次の輪廻転生まで待つよ」
「あららら、ソッチ選んじゃう? それだと10万年後くらいになるかもよ」
「じゅ、10万年後!?」
凄い年数を言ってきた。
どうしよう……悩むところだ。
「そうだよ。今この瞬間にも、どれだけの生命が生まれて、死んでいってると思ってんの。君の順番は相当な後さ。今回は特別なんだよ。これ限りだ。あ、そうそう、君がもしこの転生を選んだら、今なら特典があるよ」
「特典? なんだよそれ」
「この人間は魔法がある世界の住人なんだよ。つまり、君達にもわかりやすいように言うなら、中世風の異世界ファンタジーってやつ? だから、今なら奮発して魔法書を上げるよ。どうだい、使ってみたいだろ、魔法? ファンタジーな異世界だよ。君達、こういうの好きなんだろ? そういうゲームや、ラノベや、アニメが人気じゃん。しかも、恥ずかしいくらいに煩悩満載でさ。行きたくなってきただろ? 魔物もいるけど、エルフみたいなのもいるよ。そう、色んな種族がいるんだぜ。しかもボインな子や、セクシー子も一杯いるよ。好きなんだろ、好きなんだろ? スケベな事を一杯できるかもよ。さぁさぁさぁ! どうするんだい!」
ペンギンはやけに勧めてくる。
煩悩満載はお前だろ! と、言いたいところだ。
何か魂胆があるのだろうか?
それはともかく、コイツは誤解しているようだから、一応言っておこう。
「あのなぁ……そんな未開の地に行きたいわけねぇだろ。中世なんて、衛生的にも治安的にも最悪じゃん。というか、俺はゲームもそこまでしないし、ラノベも読まないし、それに、アニメもそんなに見ねぇよ。趣味は剣術と釣りとギターとプランター菜園の変人だから、友人も少ないしな。悪いか?」
「ええ!? なんでなんで? なんでさ?」
ペンギンは少し慌てていた。
こっちの方が『なんで?』だ。
「俺はそういうのに、あまり興味がないだけだよ。まぁそれはともかく……10万年以上もここにいるのはなんかやだな」
「そ、そうだろう、そうだろう。じゃあ、どうする? 早く決めないとダメだよ。今がアタックチャ~ンス!」
ペンギンはどっかのクイズ司会者のように、そう告げた。
なんなんだこのペンギンは?
やけに日本社会に精通してやがる。
まぁそれはともかく、10万年か……確かに長い。
それに1度は死んだ身だ。
異世界に行って別人に転生するのも一興か。
もうどうにでもなりやがれ!
「いいだろう……転生してやるよ」
俺は半ばヤケになり、返事をした。
するとペンギンは、どこからともなくベルを出し、チリンチリンと鳴らしたのである。
商店街の福引で1等出したかのような演出であった。
「はぁい、コジロー君、お買い上げ~。となると、善は急げだよね。もう行っちゃおう。こっちに来てくれるかい。さ、早く」
ペンギンはそう言って、スクリーンの前を翼で示した。
俺はそこに移動する。
「おい、自称神様、ところでコイツは一体誰なんだ? それと、どういう世界か、簡単に教えてくれよ。後、クーリングオフは無いのか?」
「それは転生すりゃわかるよ。この身体に君が入れば、彼の記憶も全て手に入れられるからね。それと……クーリングオフなんてあるわけねぇだろが! 一方通行だよ! 転生舐めんな! じゃあというわけで、コジロー君、いってらっしゃ~い!」
すると次の瞬間、目の前が眩く発光し、真っ白な世界になったのである。
そして俺は、吸い込まれるような感覚と共に、旅立ったのであった。
死人に転生か。さて、どうなることやら。
というか……転生じゃなくて、これは憑依じゃね? と思ったのは言うまでもない。