第三話 霞山の神事
白銀は朝早く目が覚めた。紫楽が起こしに来ないのに目が覚めるのは珍しい事で、二度寝する気も起きず、起き出す。
厨に行くと朝食の支度ができていて、母が準備していた。
「母上、どこかに行くのか?」
「お山にね、祠参りに行くの。一緒に行きましょう。紫楽も準備しているわ」
「紫楽も? わかった。」
脚絆をつけられ、編笠をかぶる。おにぎりと水筒をいくつも持たされ、母について外に出るとあたりはまだ暗かった。
ぼぅと提灯の明かりが見えて、紫楽が白銀と同じ姿で姿を現す。
「あっ、兄ちゃん! 兄ちゃんも行くの?」
「おう。紫楽、今日はどこのお山に行くんだ?」
「霞山だよ!!」
「お祭りの祭事をしに行くの」
母に紫楽と手を引かれて夜明け前の道を歩く。しーんと静まりかえったなか、足音だけが聞こえる。田んぼの間の道を通って霞山を登る。
霞山は山のあちこちに神様の祠がある。その一つ一つを回って水とおにぎりを一つずつ置いていく。
山の中腹にある祠に来ると龍のつのが生えた優しそうな青年の姿をしている神様、霞の龍神様がぺこりと会釈した。
「ご苦労さまです、遊鬼童子御一行」
「菅野、早起きね」
「夜ふかしですよ。かわいい方々、おにぎりをください」
「はい、菅野様」
紫楽が慣れた様子でおにぎりを差し出すと、龍神様がそれを受け取って、ほわほわと嬉しそうに笑う。
「ここから先は神霊の領域。みんなお待ちしております」
そう言うと菅野様の姿がおにぎりと一緒に解けた。
「行きましょう」
「うん」
「おう」
白銀はビビる。何気に初めてだ。こういう行事に参加するのは。
祠を巡るたびに神霊が姿を現す。
「遊鬼童子様、ありがとう」
みんなお礼を言って消えていく。
「白銀、この山に住む神様達は低級から中級の神様。どの神様も私達が慈しみ、守らなければいけない者達なのよ」
「母上、俺、怖えよ。神霊達が俺を見る目、ニエを見るみたいだ」
「白銀が物珍しいんだよ。おにぎり、あげておけば大丈夫」
「握り飯、最後の一個なんだが。」
「その最後の一個は母様にあげて」
白銀は母を見る。
「霞山の頂上。そこに祀られているのは私」
頂上に着いて鳥居を抜け、社殿の前で母は手を差し出す。白銀はおにぎりを差し出した。母は受け取り、美味しそうに食べる。鬼の牙がおそろしげに見えた。
母は食べ終えると白銀と紫楽の頭を撫で、社殿に入っていく。それを追おうとしたら紫楽に止められた。
「僕らは外で朝を待つの」
「何でだ?」
「母様は中で精進潔斎して神事をするから。僕らはそれを邪魔しちゃいけない」
白銀は弟に手を引かれて御神木の前に来た。
「登ろう。兄ちゃん」
「登ってどうするんだ?」
「朝日を見るの」
そう言って紫楽は御神木を登る。置いていかれてはかなわないと白銀も登る。
うんしょ、うんしょと枝をよじのぼり、登っていくと地上に霞が出てきたのがわかった。下を見るとだいぶ高くて、しょんべんちびるかと思った。紫楽はするすると上まで登っていく。
(紫楽、登り慣れてるな)
この御神木に登ったのは白銀は初めてだ。普段ならそんな罰当たりなことしない。
でも今日は、地上に置いていかれる方が怖かった。
神霊が、不満そうに不満をぶつけるようにひそひそと囁きあっている様で、何だかこわかった。
てっぺんまで登りきると紫楽が言う。
「しーっ。黙って、朝まで待つの」
「何かあるのか?」
「だからしーっだよ。食べられちゃうからね」
白銀は慌てて黙り込む。
「みんなが寝静まった頃には、口が利けるようになっているから」
白銀は重々しく頷く。
「紫楽は何でも知っているんだな」
「知らないことの方が多いよ?」
そうしていると、だんだんとあたりが白んできた。
月のない夜だったのが、朝日が向こうの稲荷山にあたり、稲荷山からの白い煙が里のふもとまで降りて包み込む。霞村も白く包み込んで、見えなくなる。まるで神聖な儀式のように白銀達はそれを見る。霧が消えて、霞村が再び見えた頃、紫楽が口を開いた。
「もういいよ。兄ちゃん」
白銀は詰めていた息を吐く。紫楽がそれを見て笑う。
「緊張した?」
「食われるとわかって緊張した」
「この後は母様に呼ばれるまで降りちゃダメ。母様とわからないと降りちゃダメ。」
白銀は何度も頷く。
「おおーい、二人とも、帰るわよー」
野太い声が二人を呼ぶ。二人は聞かなかったフリをする。
「おおーい、二人とも、帰るよー」
明るい女の声がする。二人は顔を見合わせ、紫楽が首を横に振る。
「おおーい……」
「母様っ」
紫楽が木を降りだす。それを白銀が止める。
「よせっ、紫楽」
「おおーい……おおーい……おおーい……………」
紫楽はもう一度登り直す。
「違うね」
「……だろう?」
「おおーい、おおーい、おおーい……」
「こわいね」
「……ああ」
しばらくそうしていると声が遠ざかり、入れ替わり立ち替わり声が聞こえるのをやり過ごして、しっかり太陽が昇りきるまで待った。
「母様、来ない……」
「ぜんぶ違う声だったな」
ふと目を下にやると父が登ってきていた。
「居たな」
「父様。父様は本物の父様?」
「ああ。」
父は白銀の頭を撫でる。その手が霞のように解ける事はなかった。
「俺も神霊の一人だが、神霊達が噂していた。風間の双子が御神木の上に登ったまま降りてこない。大丈夫かと」
「父様、降りて大丈夫なの?」
「ああ。今は大丈夫だ。神霊達もとって食おうとしない。」
「じゃ、降りよう」
「そうだな、降りるか」
父が先に降りる。その後を白銀が続いて、その後を紫楽が続いた。
地上に降りるとそこには母が待っていた。
「母様!」
紫楽が母に抱きつきに行く。白銀も遅れて母に抱きついた。母は受け止めてくれる。
「心配したわ。帰りましょう」
「うん!」
「おう!」
父が白銀を抱き上げる。母が紫楽と手を繋いで、山を降りた。