第一話 霞の里と鬼子の双子
日ノ本播磨国の山奥に霞の里と呼ばれる隠れ里がある。鬼神と侍が治める隠れ里だ。その里は冬は厳しく、春は花が咲き乱れ、夏には湖や川で遊ぶ子供の声にあふれ、秋には豊作が約束されているという、神の住む里だ。里に入ればえもしれぬ香りが満ち溢れる香り澄む里であり、朝方には霞が満ちて山をくだり、人里のふもとまで白く染めるそんな里でもある。里にはアヤカシ、幽霊、人、神様、仙、鬼、動物も住んでいる共生と協調の里だ。主な生業は傭兵である。
そんな里を治めるのが風間一族だ。
風間一族は忍者、風魔小太郎の血筋であり、五代目風魔小太郎が鬼神の嫁、白妙赤房風由神遊鬼童子と播磨国に転居し、終の棲家として居を構えたのが霞の里であり、風間屋敷である。
この霞の里の屋敷に風魔の一族が住んでいる事は、里の者と一族の者以外には隠さねばならぬ。ゆめゆめお忘れなきよう、お願い申す。
父が語り終えると私は息を吐き出した。
「良いか? 静。我ら九緒闇家は風間一族。一族の兄弟姉妹を束ねる侍の家。君はその長子。十二歳の誕生日にこれを伝えるのは一族の秘密を守るため。風間家を守り語り継ぐために行うものだ。静も嫁をもらって子供ができたら語り継ぎなさい。いいね?」
「はい!!」
私は九緒闇静一郎。十万石の武家、九緒闇家の長男、九緒闇静一郎。愛称を静。セイとも呼ばれる男。
「この秘密、胸に刻みます」
父、九緒闇有間が鷹揚に頷く。
私は少し気になった事を尋ねた。
「父上、この霞の里、私達は行けるのですか?」
父は少し考えて言う。
「時が来れば行き方を教えよう」
私は頭を下げて父の元を辞した。
私は十五歳になった。今日は母のお産だ。地下室で鎖に繋がれた母が苦しんでいる。母の茅野は罪人の娘。罪人の娘はこの世では連座で死罪だそうだから父の命令で隠されて生かされている。この分ではもう少しかかるだろう。私は屋敷の地下の牢獄を出て、庭に外の景色を見に行った。
紅葉が降る。風がうなり、庭先に紅葉の塊が降り立った。紅葉が消えて華やかな容姿の青年が、犬のように表情を明るくして私に抱きつきにきた。
「セーイッ!!」
私は頭ひとつ分大きいこの男、幼馴染の五百扇梓を受け止める。
家が歌舞伎役者のお家柄というこの男は、一族の者で私の遠い血縁にあたる。何でも曽祖父同士が兄弟だったらしい。彼は幼い頃から何くれと世話を焼いてくれる大事な友人だ。
紅葉を纏って現れたのは、今が秋だからで、彼の使役する精霊、【花嵐】の力だ。五百扇家は代々当主が精霊【花嵐】を継いでいる。
「おめでとう!! おとうとかいもうとが生まれるンだって? もう生まれたかい?」
「いや、まだだ」
彼の笑顔は私には眩しい程で目を細める。
「チェッ、まだか。それならセイ、話そうよォ〜」
私達は縁側に座る。梓は私にべったりで着物のあわせに手を滑り込ませようとするのをつねりあげる。
「イタイって」
「いつも言っているだろう? そういうのはやめろ」
梓は私の肩に手を回して抱きつく。
「いいじゃんセイ〜。減るものでなし」
「減る!!! 精神力がっ!!!」
私は梓を引き剥がす。梓が花がほころぶように私の膝の上で笑う。
「ふふっ、だから大好きよ! セイ!!」
私は溜め息を落とした。
「で、今度の公演はどこを回ってきたんだ?」
「えっとね、東海道をまわってヤジさんキタさんの道行きを行ったの! お伊勢さん詣でもシタんダヨォ〜! お客さんもいーっぱい来てくれて、楽しかった!!!」
頬が紅潮している。本当に楽しそうにいきいき語ってくれる様子を聞くうちに時間が経って、女中が呼びに来た。
「お生まれになりました。双子です。お母上様は畜生腹でございますね」
畜生腹。その言葉に血の気が昇る。女中はそれだけ言うと去っていった。アヤカシの女中だ。古い価値観で生きている。畜生腹でも私は気にしない。
「母上のもとに行こう」
梓と連れ立って地下牢へ行くと、母が半狂乱で鎖を鳴らして暴れていた。
「どうして……どうして……鬼子なの……旦那様、旦那様はどこに……」
父が母を抱きしめる。
「落ち着け茅野、私はここだ!」
母は涙ながらに訴える。
「ああ……ああ……私が悪いの……私が……お願い、その子達をどこかにやってちょうだい……! お願い、お願い、お願い、……私のもとに持って来ないで……!! 殺して……」
「茅野!!!」
母は気を失ったようだ。父がゆすっても、叩いても起きる様子がない。
畜生腹。それはそんなに悪い事なのか。双子といえども、かわいい私の弟妹なのに。
父が赤子を2人抱いて悲壮な顔をする。私は問う。
「父上、どうするのですか?」
「静、ああ、どうしよう……?」
その時、鈴が鳴った。
しゃん。しゃんしゃんしゃん。
地獄のふたが開くならこんなだろうと、空間が裂ける。
裂けた空間から白い腕が伸びて赤子をさらった。
父が唖然とそれを見る。双子とも美しい白い女の手の中にあった。女は鬼である。白いつのが3本生えていた。
「誰だ?」
私は問う。
白鬼は答える。
「白妙赤房風由神遊鬼童子。君らの祖先だよ。この子らは遊鬼童子が霞の里で育てるよ。いらないなら僕が育てるよ。おいで、おいで、我が子達、一緒に行こう」
歌うように白鬼は言って、腕の中の弟妹達を慈しむように見る。
「遊鬼童子だと? あれは伝承の中の存在で……」
「遊鬼童子は子供達の神様。遊びの神。学びの神。いづれにしろ、子供達は遊鬼童子が育てる。有間、いいね? この子達は遊鬼童子が育てるよ」
裂けた空間が閉まる。父が手を伸ばす。だが何も掴まず、握りしめた拳を祈るように自分のおでこにつけて嗚咽の声をあげる。
子を取られた。
父の心情はどんなだろう。
私はせめてもと父に問いかける。
「子供の性別はどちらだったのですか?」
父は嗚咽混じりに答える。
「……っ、男の子だった。っ、2人とも……」
何とも言えない気持ちが場を支配した。
空間が裂ける。霞の里の風間屋敷に遊鬼童子が双子を連れて帰ってきた。落ち葉を踏みしめ、遊鬼童子は浮き浮きと歌う。
「銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも。縁ゆかりし楽させんと。」
遊鬼童子は双子を見る。
「名は白銀と紫楽ね。玉の緒よ、武運長久、健やかに子に与えよ、永き命の時をぞと我願う」
遊鬼童子は双子に名付け、加護を与える。
そして家屋の中へ入った。
「遊楽、その子達はどこから拾って来たんだ?」
赤髪赤目で赤褐色の肌をした細身の大男、風間小太郎悠陽が妻の遊鬼童子に問いかける。
遊鬼童子の人の名を風間遊楽と云った。
「ちょっと子孫の家に行ってもらって来たの。私達で育てるわ」
「母上、私が育ててもよろしいですか?」
悠陽と遊楽の息子、長男の櫟がおっとり微笑みながら問いかける。
「いいわよ〜。私にも参加させてね」
櫟は母親が抱きかかえる双子に近寄り、指を握って慈しむ。
「名前は何ですか?」
「白銀と紫楽よ。挨拶できてえらいですね〜、紫楽」
「ああう」
「ああう」
返答するように紫楽が声をあげ、釣られるようにそれより低い声を白銀があげる。
遊楽と櫟の親子は笑った。
「面倒見てあげますからね、紫楽。白銀。どっちが兄ですか?」
「さあ? 白銀の方じゃない?」
櫟は白銀に目を向けて手を握る。
「お兄ちゃんですかー?」
「だあう」
白銀が櫟に手を伸ばす。櫟は白銀を抱き上げて、高い高いをして腕に抱く。やわい頬をつっついて一言。
「赤子はいいですね」
遊楽が同意する。
「赤子はね」
悠陽が遊楽の服のすそを引っ張る。
「遊楽、遊楽、赤子と遊楽の絵を描いていいか?」
遊楽は笑う。
「ええ。いいわ。たーっくさん、描いてちょうだい」
悠陽は笑った。不器用に。
「おしめはありますか?」
櫟が困った風に問いかける。
「おしっこ、されてしまいました」
遊楽はくすくすと笑う。
「おしめ、作りましょうね」