第7話「約束の地」
「やめろ、押すなリズ!」
「何よ、あんたが何時までもウジウジして話し掛けないからじゃないの!」
もう一時間……、嫌二時間にはなるか?
ずっとあの二人はあそこで揉めている。
別に自分に聞こえない場所でやってくれる分には問題はないのだが。
如何せん二人が揉めているのは彼、カイツの居る部屋の扉の前。
しかも、少し扉を開いて中に居るカイツの様子を伺っているのだから質が悪かった。
この二人は言い争いが聞こえてないとでも思っているのか?
「モキュ?」
「良いよ気にしなくて。こっちから何かするつもりないし」
当然カイツと常に一緒に居るフィルにもその声は聞こえている訳で。
自分達が監視されている事が気になったフィルはあのままで良いのかとカイツに問い掛けたが。
元からザイン縁の人間と関わるつもりが無いカイツは無視を決め込む事にしていた。
「それより美味しいかフィル?」
「モキュッ」
ああやって奇異の目に晒されるのは正直鬱陶しい事この上無かったが。
やはりこの王国一の魔術ギルドを仕切る長 。二人の持て成しは想像していたよりも良く。
常に食べきれない程の食事が用意され、用意された食事はどれもが絶品。
フィル何て喜びの余りずっと何かしらを食べているのだから少し太ったんでは無いか?
そう思える程も常に腹を満たしていた。
ああ言った手合いの存在を気にしなければこれ程恵まれた状況も無い。
何せ昨日までは泊まる宿すら無く、途方に暮れていたと言うのだから雨風が凌げる部屋だけでなく。食うには全く困らない食事を用意してくれるのだからこの厚遇に感謝しなければならなかった。
「アレハのバカの綴り間違いのせいで色々情報が錯乱したが。君がルドのギルドから此方へ転籍する手続きは住んだ。ランクは信じられないがルドと同じA級で登録してある。好きにこのギルドを使うと良い」
更に昨日あれだけ揉めたこのギルドへの転籍の話しもゼーゲンが話しに入った事で即時解決した。
正か、アレハさんがカイツの綴りを間違えたせいで誤解が生じていただけとは……。
あのおっさん、次会ったらボロカスに文句言ってやる!
「それにしても、子供の頃のお兄様にそっくり……」
「だろだろ? 俺なんて最初会った時死んだ兄貴が向かえに来たと勘違いしたくらいだぜ」
「何でお兄様がアンタ何かを向かえに来るのよ!」
「え……嫌……そりゃ兄貴とは一番付き合い長いし……」
「一番付き合いが長いのはゼーゲンさんでしょ! アンタ何かと出会う以前からの幼馴染み何だから!」
「嫌……それはそうだけどよ……」
ホントうるさくて敵わない……。
小声で小競り合いしてくれるならまだマシだったが。
気付かれていないと勘違いしている二人の声量は時間が経過する毎に強まり。
とうとう怒鳴り合いにまで発展してしまった。
「何をやっているそこのバカ二人! 部屋の覗き見など下卑た行為はやめろ!」
渡りに船、とでも言えば良いのか。
ギャーギャーとカイツの部屋の前で騒ぎ立てる二人を見かねたゼーゲンが二人を叱責する声が聞こえた。
漸く話の分かる人が来てくれた……。
ゼーゲンの声を聞き、一瞬安堵したカイツだったが。
「話があるなら直接カイツくんにしろ! そんな所でゴタゴタ騒がれてはギルドの職員にも迷惑だ!」
そのゼーゲンは二人を追い払う処か中へ入れと叱責するでは無いか。
や、約束が違う!
やっぱりあの人はあちら側の人なんだ!
「え? 入って良いの!」
「その良否を聞いてきてやる。了解を得るまで応接室に行っていなさい」
「おう! ありがとなゼーゲン!」
「さんを付けろバカ! アンタ一々失礼なのよ!」
「う、うっせぇな……!」
と、ゼーゲンを見損ないかけたカイツだったが。
やはり食えない男だ。二人の味方を装いながら体よく追い払ってしまった。
う~む、ゼーゲンだけは敵に回したくないものだ……。
「すまないねカイツくん、バカ二人が騒がしかっただろう?」
カイツの居るギルド長室に入るや、苦笑いを浮かべながら謝罪するゼーゲン。
何事も無かったかのように振る舞い、二人を追い払った条件を口にする気配は無い。
「怖い人ですね……。旧知の間柄の人も手玉に取るだなんて」
「はは、あの二人は特別さ。バウルはバカだし、リズは一直線過ぎて回りが見えなくなる。世の中簡単に自分の思うように事が進まないと教えてやらないとね」
カイツは目に浮かんだ。この後ゼーゲンに謀られたと気付いた二人が彼を問い詰める姿が。
そして、それすらも言葉巧みに回避する策士ゼーゲンの姿が……。
「それに君は大切なお客様だ。粗相が無いように特別待遇しておかないとね」
更に付け加えられたゼーゲンの言葉を聞くと、カイツは思い詰めた表情を浮かべた。
特別待遇……、父さんの息子だからだ。
人伝には聞いている。父が優秀な魔法使いだったと。
優秀過ぎて現代最強とまで言われていたのだからカイツにとっては自慢の父だ。
「そう言うのやめて貰えませんか? 僕はベッケンシュタインの姓を名乗るつもりはありませんし、ザイン・ベッケンシュタインの息子と言う事実も公にするつもりはありませんから」
「何故だい?」
「魔法使いになる為に父さんの力を借りたくないからです。父さんの威光を利用したくないからです」
自慢の父だが、ザインの名を利用するつもりは無かった。
父は家族よりもこの人達を優先したから……。
「私達が憎いかい?」
「多少は……、でも一番は僕との約束を破った父への当て付けです」
「約束……、ザインと君はどんな約束をしたんだい?」
「必ず戻る、そう約束したのにゼーゲンさんも知っての通りになりました。次帰ってきたら魔術を教えてくれると約束したのに……、ただでさえ僕達の家には殆ど帰って来なかったって言うのに。最後は永遠に帰って来ない何て……、僕を、母さんを蔑ろにし過ぎでしょう」
現代最強の魔法使いだからこそザインが戻る事を信じて疑いはしなかった。
だが、その信頼は最悪な形で裏切られる事になった。
ザインの死によって……。
「父さんから何処まで聞いているか分かりませんけど、僕達が暮らす村は特別何です。外界から遮断され、独自の文化を守りながら細々と暮らしている」
「人口がとても少ない辺境の地、とだけは聞いていたよ」
「そうでしょうね、それ以上を語れば二度と村には戻れませんから。僕達が暮らす約束の地では、原住民が外に出る事はあっても。外からの来訪者は唯の一人も許しませんから」
「約束……の地? 正かカナン=ベルの事を言っているのか……?」
そこまで聞くとゼーゲンは言葉を詰まらせ、驚愕の表情を浮かべながらカイツに問い掛けた。
無理もない、約束の地カナン=ベルなどおとぎ話の存在だ。
実在する事を証明する物的証拠は今まで一度も、一つたりとて発見された事は無く。
既にこの世界中、ありとあらゆる場所が探索し尽くされそれでも存在を確認出来なかった幻の場所なのだ。
存在を否定されたと言っても過言では無い。
存在する筈が無い場所。そこから目の前の少年がやって来たと言う事実がゼーゲンは信じる事が出来なかった。
「馬鹿な……、カナン=ベルなど存在する訳が無い!」
「父さんも最初は同じ反応だったみたいですね。お姉ちゃん……、いえ、叔母が昔笑いながら話してくれました」
約束の地カナン=ベル、今から1万年以上も太古の昔。この世界を救った英雄が葬られたと言う伝説上の村。
当時はまだ門などと言う異界と人間界を隔てるものは無く。人間、魔族、神族の3種族がこの世界に暮らしていたと言う。
そんな3種族が別々の次元に暮らすきっかけを作ったのが1万年以上前に3種族の間で巻き起こった聖魔戦争であり。
数百万、或いは数千万の命が犠牲になったその戦争を終結させたのがカナン=ベルに葬られた英雄だったと伝えられている。
そして、英雄の死が同時に人間とそれ以外の種族が暮らす世界を別次元に別けるきっかけを作り出した。
「実在……するのか?」
「何処かまでは言えませんが、カナン=ベルはこの世界に存在します。そもそも皆短絡的過ぎるんですよ。この世界の要となる最後の門が存在する地が何の封印もされる事無く当然のように存在する何て……。カナン=ベルには結界が張られています。外界からは絶対に立ち入る事が出来ないように、それこそ父ですら破る事が出来なかった程の強力な魔術が村を守っています」
「なら……何故ザインは見付け出す事が出来たんだ?」
「村に住んでる超弩級のおバカさんが父さんを追い払う為に魔術を行使した結果、結界に歪みが出来てしまったと聞いています。意図せずして父さんは村の中に入ってしまい。一年ほど村に幽閉されたと聞いていますよ」
そこまで聞くとゼーゲンにも思い当たる節があった。
確かに、15年ほど前ザインが一年以上行方をくらました事があった。
久し振りに姿を見せたザインに何処へ行っていたのかと問い掛けても、話をはぐらかすばかりで納得のいく返答はついに返っては来なかった。
この子の年齢を考慮しても時期的に15年前の話をしているのは確かだ。
嘘をつく……意味は無いだろう。カナン=ベルから来たと出自を偽っても何の利益も無い。
寧ろ、端から話を偽っていると懐疑的に見られる損益すらあった。
だが、この時のゼーゲンにはそんなカイツの出自よりも。幻の地が実在したと言う事実よりも気に掛かる事が一つあった。
「何故……その話を私にしたんだい?」
「ゼーゲンさんには負けっぱなしですからね、だから一つ奥の手を使おうかと」
「その話を聞いた対価は?」
「勿論貴方の身柄か命です。カナン=ベルの事を知った人間は一生カナン=ベルに住んで貰うか、死んで貰うかの二択しかありません」
自分の問い掛けに返されたカイツの答えにゼーゲンは心底恐怖を抱いた。
カイツの口ぶり、言葉の数々を考慮すると彼が最後に口にした対価は予測出来ていた。
カナン=ベルの存在を知った以上村に永住するか死ぬか、究極の二択だ。
約束の地の伝説を鑑みれば当然の処置だとすら思える。
それ程約束の地で守られているものは重く、絶対的だった。
「永住を断ったら君が私を殺すのかい?」
「そうなるでしょうね。ただ、今の僕では万が一勝てない可能性がありますから村から最強の刺客がやって来るでしょう」
「ザインとその刺客は戦ったんだろう? どちらに軍配は上がったんだい?」
「引き分けだったと聞いてますよ? 尤も、最後に戦ったのは父さんが村を訪れた時だそうですから今は下手したら父さんより強くなっているかも知れません。何せ当時その人は12歳だったそうですから」
12歳で15年前のザインと互角だった。
無論15年前と言えばザインも17、当時頭角は現していたとは言えまだ駆け出しの魔法使いだ。
未熟な部分が多かっただろう。その5年後には現代最強と目されるようになったのだ。
そのザインが遅れを取るとは到底思えない。
思えないが12で5つ上のザインと互角だったのだ。その刺客とやらも相応に実力を上げていて当然と言える。
「ふむ……、君の叔母さんは余程強いんだね」
カイツの言葉を総合し、ゼーゲンは一つの結論を導き出した。
ゼーゲンの言葉を聞くとカイツは目を見開いた。
「ど、どうして叔母が出て来るんですか?」
「君が余りにも誇らしげだったからさ。普段はお姉ちゃんと呼ぶ程叔母さんとは親しいんだろう? 超弩級のおバカさんはザインと戦い村の結界に歪みを作った。並の関係性の人間なら馬鹿と断じれば済む話だ。君の発言にはそこかしこに刺客と呼んだ人間に対する親愛と自慢が込められている。自分よりも強いどころか、父であるザインを超えているかも知れない。ただの他人にそこまでの信頼を寄せる謂れは無いだろう? 一瞬は君のお母さんかとも思った。ザインが婚姻する程の女性だ。強くて然るべき、その可能性が最も高いと言えるが。君はお母さんについて一言も言及していない。勿論一切の情報を得ていないから人となりは分からないが、強さと言う話題の中で強いて上げる程は魔術を得意とはしていない。つまり、魔術士として劣っているのか、或いは病弱とも推測出来る。第一自分の母親をおバカさん何て言う程君は不躾ではないと私は捉えている。それに15年前で12歳と言う年齢も叔母と言う関係性に符合する。お母さんだったらザインは犯罪者になってしまうよ。だから、刺客は叔母さんしか考えられない。更に言うなら――」
「わ、分かりました! 僕の負けで良いです!」
ゼーゲンの長い、本当に長い推察を聞くとカイツは音を上げ彼の言葉を遮断した。
正直、極親しい人間ですら手玉に取るゼーゲンに一泡吹かせてやろうとこの話を始めたと言うのに。
気が付けば又ゼーゲンのペースに巻き込まれ、脅しつけた筈が逆に舌を巻く程の観察力で説き伏せられようとしていた。
最早勝てる見込みが無い。
この人に口で勝つのは不可能だと悟った。
「本当に貴方は怖い人だ……。どの時点でカナンのしきたりが嘘だと気付いたんですか?」
「嘘だとは思ってはいないさ、現にザインは一年幽閉されたのだろう? その後に開放されたのはザインが村の人間と婚姻を結んだからなのかも知れないが。それ以前にそんな重いしきたりがあるのに君が軽々にカナンの話をした事が不自然過ぎた。私に話すこと自体リスクが大き過ぎる。私はこれでもこの世界有数の魔法使いだ。君の言葉通り武力で勝る者が居たとしても、この話を他言された時点でカナンのしきたりに齟齬が生まれる。私が話をした人間全て捕らえるか、殺すしかないのだから。現状、伝承される話を総合してもそこまで大規模な行方不明や暗殺など聞いた事が無い。そもそも、そんな暗殺集団が居れば伝説ないしは噂の一つくらい上がっても可笑しくはない。だと言うのに私ですらそんな不穏な輩の話は聞いた事が無い。つまり、カナン=ベルのしきたりにはそこまでの絶対性は無いと考えるのが妥当だろう。恐らく村の場所、特に村の中に入った者に関してはしきたりは適用されるが。嗅ぎ回る程度の人間はそもそも無視をするか、刺客とやらが現れて脅しつけて探さぬよう追い払う程度なのだと思う。それくらいカナンに張られた結界は強力で、ザインですら一人では破る事が出来なかったんだ。下手をしたら君達は隠してすらいないのではないか? 探せるものなら探してみろ。ただ、万一見付けてしまったらその身を拘束する。その程度の感覚じゃないのかい?」
白旗を上げゼーゲンがどうして自身のの嘘を見破ったのかカイツが問い掛けると。
ゼーゲンは又もや長い、本当に長い推察を淡々と述べた。
もう舌を巻くしか無かった。完璧な推理だ。ゼーゲンが予測した通りだった。
ゼーゲンの手の上で踊らされるのが悔しくて始めた話だと言うのに。
最初こそ上手く手玉に取っていた、そう感じていた筈が気付けば彼の演技に騙され再び踊らされていただけだったのだ。
口では勝てない、この頃になるとカイツは完全に敗北を認める事しか出来なかった。
「モキュキュキュッ」
そんな二人の会話を食事をしながら聞いていたフィルは愉快そうに笑った。
「もう、笑うなよフィル……」
「モキュ」
「え……、珍しい? 何が?」
「モキュモキュ」
「はは……、そうだね。初めて口で人に負けたよ」
正直、ゼーゲンはフィルの存在を忘れカイツとの駆け引きを楽しんでいたが。
存在を忘れられていたとうの小猿は状況を誰よりも俯瞰して見ていたらしく。
手も足も出ず完敗したカイツに向かい愉快そうに彼の敗北を笑っていた。
小猿……と呼ぶには余りにも頭がキレ過ぎているように感じられる。
カイツが彼の言葉を完璧に把握している時点で違和感はあった。
この時になってゼーゲンは一度は自分で否定した仮説を再び再燃させるようになった。
「ゼーゲンさんが言った通りカナンは誰も捕まえたり殺したりしません。知った程度で見つけられるほど僕達の村の結界はやわじゃないですからね。そこは安心して下さい」
「はは、私も家族が居るから助かるよ」
「ただ、僕の言葉に突き動かされて下らない探究心でカナンを探すのならある程度の覚悟はしておいて下さい。ゼーゲンさんが一定以上の情報を得た。そうカナンの民が認識した時点でうちの叔母が来ます。その後どうなるかはゼーゲンさん次第ですけど、余りカナン=ベルを舐めないで下さいね? この世の魔術の理では計れない事がある事を身を持って知る事になりますから」
約束の地の存在に加え、目の前の少年と奇妙な小動物との関係性。
今のゼーゲンにとっては目の前に人参をぶら下げられたようなもの。
実際探究心に突き動かされて幾つか質問を投げ掛けるつもりでいたが、カイツの忠告を聞いて言葉を飲み込むしか無かった。
「ああ、それは分かっているつもりだ……」
約束の地が実在する。
それをザインは死ぬまで口にする事は無かった。
カイツの忠告の重さはそれだけで理解する事が出来た。
最悪、本当に殺してでもカナンの民は約束の地の秘密を守り通すだろう。
あの魔術バカのザインが他言しなかった程だ。その言葉の重みはゼーゲンなら容易に予測出来た。
約束の地に足を踏み入れてザインが羨ましいとは思えど、ゼーゲンは既に妻帯し家庭がある身だ。
リスクが大きすぎる。家庭を捨てるつもりも、死ぬ気も毛頭ない。
約束の地ではそれ程重要なものを守り続けていると言う事だ。
この世界で現存する唯一にして最後の門が存在すると言われる場所。
そして、伝説の英雄が最愛の人と永遠を誓い、終には果たされなかった悲劇の地……。
死ぬまでに一度はこの目でカナン=ベルを見てみたいが、それは今では無い。
この子と共に居ればきっとその機会は訪れるだろう。
「それにしても、約束の地に行けないにしても君の叔母さんには一度会ってみたいな」
「お姉……叔母にですか?」
「ふふ、余程仲が良いんだね。私は気にしないから普段通りお姉ちゃんで良いよ」
「なら……、お姉ちゃんに会っても何も収穫は無いと思いますよ?」
「収穫が無い? 何故かな?」
「あの人、人間じゃないですから。お父さんも常々お姉ちゃんはこの世の魔術体系の理の外に居るって驚嘆してましたから」
ゼーゲンが諦めに近い感情を抱きながら。約束の地がダメならその住人。特にゼーゲンですら勝てないかも知れない。
そう告げられたカイツの叔母に会いたいと口にすると、カイツは呆れにも、蔑みにも取れるぼやきを口にした。
魔術体系の理の外……?
ザインが告げたと言うその言葉の意味が分からずゼーゲンは目を丸くした。
「僕の事が心配だから一度様子見に来ると故郷を出る際言ってましたから、そう遠くない内に会えると思います。でも、くれぐれもお姉ちゃんと会っても僕からカナンの話を聞いたと言わないで下さい。父の影響で柔軟になったとは言え生粋のカナンの住人です。ゼーゲンさんがカナンに害を及ぼす可能性があると判断したら武力行使して来るかも知れません。そうなったら僕では到底助太刀出来ませんから」
約束の地の住人はそんなにも容易く外の世界に出てくるものなのか?
それ以前に魔術体系の理の外とは……?
ザインと言う最高の魔法使いを誰よりも身近で見て育ち、その上で此処まで実力を認められる女性とは……?
ああ、ダメだ……。先程から好奇心が擽られて仕方が無い。
藪を突けば蛇が出る事は明白。
出てくるのが蛇ならゼーゲンクラスの魔法使いなら対処も出来るが。
藪に潜んでいるのは大蛇と来ている。
これ以上深入りしては駄目だ。深入りすれば全てを失う危険性がある。
それが分かっていると言うのに頭の中には次から次に疑問が浮かび。
疑問は問となってゼーゲンの喉元を擽っている。
言葉に出せ、言葉に出して目の前の少年に問い掛けろ。
その結果失うのは家族と地位だ。
この際地位なんてどうでも良い。失って最も後悔するのは家族だ。
最愛の妻と子を悲しませる結果しか待っていない。
我慢だゼーゲン。約束の地は興味本位で探ってはならない場所だ。
目の前の少年がそう忠告してくれたじゃないか。
だから、時が来るまで我慢するんだゼーゲン!
「もうお腹いっぱい?」
「モキュッ! モキュキュ!」
「散歩? 別に良いけど……、又いやらしい事したいって我儘言わない?」
「モキュー! モキュー!」
「ははは、分かった分かった。お姉ちゃん怖いもんね。あの、ゼーゲンさん」
「あ……、何だい?」
ゼーゲンが一人魔法使いとしての好奇心と葛藤する中、フィルと会話をしていたカイツは唐突にゼーゲンに語り掛けて来た。
完全に自分の世界に入り、悶々と自問自答を繰り返していたゼーゲンは突然のカイツの呼び掛けに驚きながら彼の言葉に答えた。
「フィルが外を見て回りたいって言ってるんで、少し外を歩いて来てもいいですか?」
「それは構わないよ、君は既にこの魔術ギルドのメンバーだし。大切なお客様だ。好きなように行動して貰って構わないさ」
二人の話を全く聞いていなかったゼーゲンはカイツの要求に少し驚きながらも。
そもそも、自分に彼の行動を制限する権利など無い事を自覚した上で彼の願いを了承した。
「すみません、ありがとうございます。それじゃ、行こうかフィル」
「モキュー!」
カイツに促されるや、何時もの定位置。カイツの頭の上に即座に上ると、フィルは楽しげな鳴き声を上げた。
カイツはフィルを頭の上に乗せると、部屋の扉へと向かい歩いて行った。
「あ……そう言えばカイツくん、一つだけ君に聞きたい事があるんだ」
「何ですか?」
部屋から去ろうとするカイツの背中を見た時、先程の一連の会話の中でカイツが発した言葉にどうしても引っ掛かる箇所が一つだけある事を思い出し。
ゼーゲンは慌ててカイツを呼び止めた。
呼び止められたカイツは何の話を聞きたいのかと不思議そうな顔をしている。
あれほど忠告したのだ、約束の地関連で無い事だけは分かった。だからこそ尚更何の話を聞きたいのか分からず不思議そうな顔をしていた。
「さっき君は言ったよね? 今の僕では万が一勝てないかも知れないって。万が一……と言う事は私に勝てる見込みがある。と聞こえるのだが、それは本気なのかな?」
そう、先程カイツは間違いなくそう口にした。
余りにも衝撃的な話が続いた為聞き逃していたが。ザインに比べれば多少劣るとは言えこれでも名の売れた魔法使いだ。
この世界中の魔法使い、その上位十指に入る程の大魔法使いだ。
そんなゼーゲンに対しまだ年端もいかぬ少年が勝算を口にした。
別段腹を立てただとかそんな狭量な感情は抱きはしなかったが。
その言葉に込められた自信が真実か気になりゼーゲンは思わず問い掛けた。
「ははは、正直強がりが入ってます。僕も程々に優秀な魔術士だと自認してますけど、流石に一人ではゼーゲンさんの足元にも及びませんよ」
そんなゼーゲンの問に答えたカイツの言葉は正直肩透かしを食らうものだった。
強がりか……、そうだろうな。幾らザインの息子とは言えまだ子供。
三十をとうに回り、熟練した魔法使いであるゼーゲンに勝てる訳が――。
そうゼーゲンが落胆し掛けた時、又目の前の少年は気になる言葉を口にした。
一人……、カイツは間違いなく「一人では」と言ったのだ。
「一人だと勝てない……、なら……誰かと共に居れば君は私に勝てるのかい?」
「勝てますね、現に僕は一人ではありませんから」
ゼーゲンの問に自信満々にカイツは答えると、自身の頭上に居るフィルの体を優しく撫で快活に笑った。
バタン――。そして、カイツは会話が終わったと確認すると部屋から退室した。
そこまで聞けばゼーゲンには十分だった。
その言葉だけで、彼が抱いた疑念全てが解き明かされた。
ギシッ――。カイツが部屋から出ていくと、ゼーゲンは座っていたソファーに深く腰掛けた。
立ち上がる気力が無かった。
自分で導き出した答えに愕然とし、ただ呆然とすることしか出来なかった。
「とんでもない……子供を遺したなザイン」
きっかけは余りにも意思の疎通が取れすぎているカイツとフィルの姿だった。
それに加え、リンツからはカイツが雷属性の魔術を使ったと聞かされていた。
初めは気が動転して見間違えた錯覚だと一笑に伏したが。
フィルの白い毛並み、見た事もない種類の猿。
そして、一人では無いと豪語したカイツの言葉で全ての謎が一つに繋がった。
真っ白い、空を自由に泳ぐ雲よりも透き通る純白。
雲を体現するように、自分勝手、好き放題に暴れ回り雷傲と呼ばれた雷属性を司る伝説の精霊フィルバウル。
盲点とはこの事か……、呼称がそのまま過ぎて気にも止まらなかった。
フィルはフィルバウルで間違い無い。
そして、そのフィルバウルと共に居るあの少年は……。
現代では既に失われ、幻とまで呼ばれるようになった召喚魔術が使えるのだろう。
精霊と共に戦う最強の魔術士。
「はは……、ハハハッ! 私に勝てると豪語する訳だ……」
乾いた笑いが、全身から吹き出る冷や汗が止まらなかった。
間違い無く魔術の歴史が覆されようとしている。
無属性を史上初めて使用した暴王、その時以上の改革が今起きようとしていた。
その事実に一人の魔法使いとして胸を踊らせながら。
ゼーゲンは期待と同時に恐怖も抱いていた。
改革には破壊が付き物だ。
バウルが暴王と呼ばれるようになった時、ザインの死が引き金となった。
又あの悲劇が繰り返されるのか?
今度は……、今度こそはそんな悲しい結末を向かえず。
皆が幸せになれるような終着点に辿り着いて欲しい。
ゼーゲンはたった一人取り残された自室で、そう静かに願うのみだった。