5.不確定なミライ
私が我に返ったのは、ルチア・ヴィヤヌエヴァが八歳の時だった。
どこか知らない場所で気が付いたら、ルチア・ヴィヤヌエヴァになっていたという。頭の中に八歳までのルチアの記憶と、田中麻理とエマニュエルの記憶が存在していて、あまりの理不尽さにやっぱり叫んで倒れたよね。
いやぁ~、ビックリビックリ。
私は願い通り、邑智さんと魂を交換したらしい。
でもさ、どゆこと?
普通、普通さ。
願ったら、願ったその瞬間に、入れ替わりって起こるもんなんじゃないの?!
なんで人生巻き戻ってるの?!
え? 雑なの? ここの世界管理システム雑すぎない?
パンを焼くなら小麦からみたいな、そんな最初から始めなくてもいいじゃないの!
「ありえへん……」
「お嬢様?」
私の呟きに、身支度を手伝っていてくれたレディースメイドの一人が手を止めた。
「ううん、何でもない。続けて」
「はい」
私が緊張していると受け取ったのか、彼女は私を安心させるように微笑むとドレスの着せ付けを再開する。
緊張は、していないっていったら嘘になるけど『殿下に会う』って行為には、それほど期待はしていないかな。
今日は、エマニュエル殿下と初めて顔を合わせる日だったりする。
まぁ、ほら。私、エマニュエルだった時期あるからさ。
とはいえ。
あの頃とは随分条件や事情が変わってしまっているから、エマニュエルも私が知ってるエマニュエルとは少し違った成長をしている可能性はあるんだけどね。
私の中に残るエマニュエルの思い出のルチアちゃんってさ、とにかく優秀なのよ。中身、邑智さんだったからだろうね。勉強して、勉強して、色んなこと身に付けたんだろうな。って、今、ルチアちゃんやってる私も思うもん。
で、そんな優秀な娘さんだからエマニュエルとの縁談も当たり前みたいに持ち込まれるよね。
邑智さん、どんな気持ちで話を受けたのかな。王家からの打診って言ったって、決定事項みたいなもんじゃない。仕方ないって諦めていたんだろうか。
それともいつか、どうにかなるって思っていたんだろうか。
いや、なんだろ。
どうにかしてやる。の、方な気がする。なんだかわからないけど。そんな気がする。
◇
十二歳。私は初めて、他人としてエマニュエルに会った。
「噂以上に、素敵な人だね」
エマニュエル王子は、それはそれはやんごとないキラッキラした王子様だった。
◇
十四歳。なんだか順調にお付き合いを続けているけれど、婚約は結ばれていない。これが、圧倒的実力で捻じ伏せた邑智さんとエマニュエルの遺産で食いつないでいる私との差なのかもね。
「ルチア嬢は、この国以外にも、南ベルグ語とラハーマ語を話せるんだろう? 僕も今、南ベルグ語を学んでいる途中なんだ」
ええ。私の語学力は、貴方がルチアちゃんに引けをとりたくなくて、必死に学習した賜物です。
◇
十五歳。些か周辺が騒がしくなる。
語彙力の高さと王族並みに身に付いた国際儀礼により、婚約内定ではないか。と、大衆紙に書かれたことが原因だ。
「君という女性に巡り会えた。神の采配に、私は感謝するよ」
エマニュエルの内面を含んだままルチアとしての人生を歩き始めた私版ルチアちゃんは、エマニュエルとして身に付けたアレコレという強力なアドバンテージを持ってる。ズルです。はっきり言って、ズルです。
でも、運も実力の内なら、記憶持ち越しで配役変えてスタート出来たのは合法です。
地頭力としては、邑智さん版ルチアちゃんの方が格段に高いのだけどね!
まだ婚約は内定のままだ。
◇
十六歳。十七になると私はデビュタントを迎える。それはつまり、私が結婚出来る年齢となったというものだ。けど、その前に色々やることがある。水面下での女の戦いというか、根回しというか。
「君は随分控え目だけど、私の立場をよくわかって行動してくれているんだね。助かるよ」
そりゃ、元エマニュエルですからね。貴方の苦労や悩みは一度、通過していますから。
邑智さんに無くて、私に有った唯一のもの。女としてのコミュニティの生き抜き方。サバイバル能力は、当たり前だけど私の方が高かったようだ。
高貴なご婦人方の当て擦りっていう雑事にエマニュエルが悩まされることなく、社交の場でノビノビしていると彼お付きの侍従さんに教えてもらった。
ヘンリー久しぶり!
この人生ではエマニュエルの言うこと聞いて上げてるんだね。優しくしてあげてね。彼、ああ見えてグラスハートだから。
◇
「キングスコレッジを卒業したら、ギャップ・イヤーはプランベリーに行こうと思っている」
十七歳。
やはりそうなりますか。そこでダナ・エスピノーサと出会うんですね。
元エマニュエルというアドバンテージはあるものの、それ以上の優秀さを発揮することのなかった私と現在のエマニュエル殿下との仲は良好だ。
私の知ってるエマニュエルのように、婚約者に対して鬱屈し、卑屈を隠して歪むこともなく今のエマニュエル殿下はすくすくとお育ちあそばされた。
以前は、準備期間含め約六年婚約者をやっていたけど、両手両足の指で足りるくらいしか会ったことがなかったのに今生ではどうだ。隔週でお茶を飲む。食事をする。観劇にも行った。スゴイよ、マジ婚約者みたいじゃん。
「あちらは雨が多いと聞きます。霧の夜は、特に冷え込むとか。どうかご自愛くださいませ」
邑智さん版ルチアちゃんほど完璧なご令嬢に成れなかった分、彼は私を意識しすぎることなく伸び伸びと成長し、笑顔の眩しいイケメンになった。
うん。笑顔が眩しい。
顔は超好みなんだけど、あの鬱屈さが消えちゃうとアクがないっていうか、ただのイケメンだった。
ズルズル伸ばしていた髪も、こざっぱりと短く整えられて怪しげな店でシーシャ吸ってそうなヘビメタ男から、ハリウッド映画にヒーローとして出てそうなグッドルッキングガイに様変わりしている。
好みだからいいんだけど。顔見てるだけで癒やされるからいいんだけど。
「婚活始めなきゃ……」
「ルチア?」
「今日も殿下は、素敵ですわ」
にっこり笑うと、エマニュエルは素直に笑顔を返してくれた。本来の彼は、こんな人だったんだね。
私とエマニュエル殿下の婚約は、終ぞ結ばれることはなかった。
彼の婚約者席は空席のまま、ひろーい原っぱの先にある隣国に旅立つ。きっと現地で運命の出会いを果たすだろう。
婚約者がいないのだから、婚約破棄には発展しない。
殿下――――。
今度こそ、ダナちゃんと幸せになれるといいね。
宿命を変えようと試みれば、必ず災いが降りかかる。
邑智さんと入れ替われば、なんかうまくいくんじゃなかって、勝手にそう思い込んで、話を最後まで聞かずに勝手に行動して。そうして私は、一人で知らない世界に投げ出された。
邑智さんという存在を知ったあとに、一人で生きていかないといけないって理解したら倍ツラくなった。
たった一人で、八歳児で。エマニュエルの記憶があるから少しは生きやすかったけど、この人と一緒ならきっと大丈夫。なんて勝手に期待していた人が忽然と消えて、これまた勝手に絶望して。
愚かさの中で孤独を知った。
邑智さんがたった一人で戦ってきた日常だと思えば、なんだか頑張れたから私なりのルチアちゃんとして生きてこれたけど。
結局私は、エマニュエルの婚約者になれなくて。そして、私が我に返ったのはエマニュエルがルチアちゃんに対して婚約破棄しようとした瞬間なワケで。
私と邑智さんは、入れ替わっていて。
だから、つまり。
私がエマニュエルの婚約者に成れなかった段階で、あの瞬間の再現はされない。
邑智さんとは、二度と会えない運命が確定した。
宿命を変えようとして、見事、災いが降りかかったってワケだ。