2.婚約者が怖すぎる
色々あって、やらかした当日はゴロゴロ寝て過ごしたけれど。翌日は、まぁキッカリいい時間に起こされた。
前日同様ジェファーソン……もとい、長いから短くしてジェフ先生の診察を受け、やはり前日同様静養するようにと言われて診療を終わる。神祇官も一緒に来てくれて、なんか呪いみたいなアレコレやってジェフ先生と話し合っていたけど、結果は教えてもらえなかった。
魂の揺らぎってか、気落ちしてそうに見えたり、躁鬱っぽく見えたりするのって、多分、私がこの体に入ったというか目覚めた事が原因よね。と、部屋に一人になってから後ろめたいというか、何とも言えない気持ちで自分の姿を確認するために鏡の前に立って腰を抜かした。
自分の記憶の中にいる自分って、案外ぼんやりした自分っぽい顔で自分っぽい容姿で覚えてない?
だって、鏡見たらそこに自分がいるんだから。そんなに意識して自分の容姿なんて頭の中に入れてなかった。
「これが、エマニュエル……」
日本人好みの線の細い、つり眉タレ目で顔面ルーブルな美形がそこに居たのだ。光を孕んだ蜂蜜色の髪に、オリーブ色が混じった琥珀のような瞳。
「一生見ていられるかも」
人間、極限状態に押しやられると色々ポンコツになるらしい。
ビューティー極まりないと、自分の顔面に悪酔いしていたら、午後になってルチア・ヴィヤヌエヴァから面会願いが来た。
不発とはいえ、婚約破棄騒動を起こした相手に直接会いに来ようとする気概はすごいと思う。
会いたくなかったけど、会いたくないなって顔をして報せを持ってきた侍従を見ても穏やかな笑顔を返されるだけで、あぁ、拒否権はないんだな。って悟った。
寝間着で会う訳にはいかないから、身支度が終るまで待ってもらって部屋に招く。
部屋と言っても、さっきまで寝ていた寝室ではなく寝室とくっついている接見室での面談となる。エマニュエルの部屋ってとにかく広い。寝室、書斎兼接見室、ウォーキングクローゼット、風呂にトイレ、常に控えている侍従が寝泊まりする次室は、部屋の入口にくっついてる。これらがワンセット。
あ、そうそう。水道有った! お湯も出るよ! でもヌルい。浴槽に熱めのお湯が欲しいときは焼いた石を入れて温度を上げるみたい。
トイレは一応、水洗なんだけど頭の上にタンクがあるタイプ。汚れは水流と重力で押し流されていくよ。
プライバシー? ないない。公人っていうものは、そういうもんなんだそうだ。
それが当たり前であったとしても。こんな環境にいたら、そりゃ王室の目が届かない異国に旅立ったら、ちーっとばかし羽目も外すだろうし、そこに上手いことそれまでの価値観を改めさせるような刺激的な女性が現れたらコロッっとイッちまうだろうよ。
まぁ、でも。
駄目よね。ルチアって存在がいるんだから。
そこに愛や恋どころか、信頼も信用も何一つ生まれてなかったとしても。婚約者なんだからさ。
色々面倒くさいというか、気が重いというか、なんで私がやらかしたわけでもないことで私が謝らないといけないんだとか。こう鬱々とした気持ちが渦巻いているけど、今の私はエマニュエルだし、エマニュエルとしてスッキリしてから次に行きたいからやることはやらないとな。と、腹を括って重い腰を上げる。
もう接見室にはルチア・ヴィヤヌエヴァが到着しているのだろう。どんなボンクラでも、こっちは王族だもんね。勿体ぶって後から登場するのが習わしらしい。侍従や使用人に促されるまま、待てと進めを繰り返して漸く隣の部屋へと続く扉の前に立つ。
そこでも身なりの最終チェックだ。糸ぼこり一つ許さないとばかりに白豚毛と馬毛のブラシを波状攻撃みたく掛けられまくって、無駄に腰まで伸ばしたうねうねスーパーロングな金髪を毛先の向き一つ、うねりの角度一つとっても計算されたように櫛で整えられて、そうしてやっと扉が開かれる。
男でコレだけバッサバッサやられるって、女性だとどれだけパタパタサッサされてるんだろうな。素直に感心するわ。
「お元気そうで、安心いたしました」
ルチアは、エマニュエルの姿を認めるとスカートの裾を広げ、腰を軽く落として挨拶してくれた。なんだっけ、カーテシー? カテーシー? なんかそんな名前の挨拶。リアルで見るとは思わなかったよ。
ドレスの下の足、なんか凄いことになってるんだよね。めちゃ筋力いるって美容院で読んだゴシップ誌に書いてあった。しかも目上の人から声掛けない限り、その態勢を戻せないからどーたらこーたら。
「ありがとう。心配かけたね」
此方からの声掛けは、楽にしていいよ。の合図だ。意外となんでも読んでおくものだね。思わぬ拾い物だった。
「いえ……」
ルチアは、エマニュエル……私か。私の態度に少し戸惑ってるみたい。
そりゃそーだ。私自身、ルチアにどう接していいのかわからないもの。記憶の中にあるルチアとの思い出を探っても、正直、ほとんど会ったことがない。物理として。婚約者だったんだよね? 貴族ってそういうものなの? ってぐらい会ったことがない。
そのくせ彼女を褒め讃える噂話だけは、嫌というほど耳に入ってきた。
それこそ、エマニュエルが心病むくらいには。
彼女がいない場所では、善意に隠れた悪意に削られ続けて。彼女に会ったなら会ったで、噂を裏付けする本人の優秀具合を目の当たりにして内心へこみまくる繊細ボーイだ。
そりゃあ、「あなたは素晴らしいわ」「とても努力されているもの」「気が付かなかった。凄いわ」「知らなかった。教えてくれてありがとう」「全部、素敵」「見ているだけで幸せなの」「ずっと、傍にいたい」。なーんて、ウルウルした瞳で訴えられたらコロッと逝くって。免疫ないもの。
ダナちゃんが悪いわけじゃないけど、キャバクラ接待に沼ったエマニュエルがピュア男過ぎただけ。
「お疲れだったのでしょう。よい機会だったとご養生ください」
「ああ、うん。その、よかったら座って?」
「有り難うございます」
声を掛けてから長椅子に腰を下ろす。さすが王子様の部屋のソファー。弾力があるくせに尻が埋もれる感じに包み込んでくる。この世界、低反発素材とか発泡ビーズとかあるのかな。
「ところで、殿下」
「はい」
もっちり埋もれるぅなんて座り心地を堪能していたら、正面に座ったルチアちゃんから切り込まれた。
「先日の婚約……の後は、なんと続けられるつもりだったのですか?」
「NOーーッッ」
頭を抱えて思わず立ち上がると、丁度お茶を出そうとしていた侍女さんがその姿勢のまま固まる。
あ、ごめんなさい。
ってか、スッゲー体幹なさってますね。もしや腹筋バキバキに割れてますか?
「ご、……ごめん」
「失礼致しました」
謝ったのに、何事もなかったかのように侍女さんは私とルチアちゃんの前にカップを置いて去っていった。
なんっーか、宮殿勤めの侍女スゲーな。いや、侍従もスゲーよ。なんだろな、なんか全部が別レイヤーだよ。生きてる世界違いすぎ、庶民びっくりさ。
「殿下」
「あ、はい」
「……」
無言の圧!
眼力強過ぎだろ。
彼女の目ヂカラに促されて素直に座りなおす。
ルチアちゃんって、落ち着いたブラウンの髪に、薄く雲のかかった空のような清楚なスモーキーブルーの瞳っていう可もなく不可もなくな容姿なんだよね。
顔立ちもエマニュエルに比べればパンチがないし。全体的に薄味っていうの?
人目をひくような派手なメイクや髪型や奇抜なファッションとかもしてるわけでもないし。真面目、カタブツ、地味。と、三拍子揃った感じの模範的優等生なんだけど、顔圧がスゴいのよ。
やたら目つきが鋭いから、顔面に迫力があるんだろうね。本人その気はないのかもだけど、ガッツリ見つめられると怖っ、ってなる感じ。
「それで」
「待って、ちょっと待って……もらいたい」
やっべぇ、もう瀕死だよぉ。心が死ぬ。
この人、絶対殺りに来た。
「すまないが、彼女と二人だけで話したい」
よく出来た侍従と侍女と王室近衛兵なんだろうけど、聞いた話は絶対に外に漏らさない精神力の持ち主なんだろうけれども。だけど、どう転んでも聞かれたくない話というのは存在するわけで。申し訳ないけど、外に出ててくれないかなぁ〜って涙目で彼らが固まってる壁際見たのだけど動きゃしない。
ええええ……、王子の立場はぁ〜?
「皆様方、殿下も本調子ではないご様子。わたくしも直ぐにお暇いたしますので」
そうルチアちゃんが口添えしたら、あっさり部屋を出て行った。とはいっても、部屋の外に出たのは近衛兵だけで侍従と侍女は侍従の部屋で待機してるんだろうな。
……にしても、だ。エマニュエル威厳なさすぎだろ。
それか信用されてないのかな。まぁ……、あんな事やらかそうとする人だしなぁ。心当たりありすぎて、内側から崩壊していくわ。
「それで、殿下」
「はい」
忘れてた。ってか、現実逃避していた。
二人っきりになっても、相変わらずルチアちゃんは氷の眼差しね。
「婚約、のあとは破棄……とでも続けられるおつもりでしたの?」
この人、オブラートに包むとか知らないのかしら?!
「まぁ、はい」
取り繕う気力すらないよ。
「どうして途中でお止めに?」
「ああ、それは……」
私が目覚めちゃったからねぇ〜。
「我に返った。が、一番近いかな」
「まぁ」
うまく誤魔化せる気がしないから、取り敢えず本当のことを引き算しながら話す。
エマニュエルも中々に気の強いというか、勝ち気な人だったからルチアちゃんとは根っこの部分が合わなかったんだろうな。私は、厄介事は回避したい性格だから、長いものには巻かれにいっちゃうけど。
「でしたら、殿下」
「はい」
ルチアちゃんの目に仄暗い光が宿る。その不思議な光景に、ぼんやりと見惚れてしまった。
だから、完全に油断していたんだ。
元から放棄はしていたけど、もうちょっと上手くやるつもりだったから。
だから、本当に。
「あなた、どなた?」
心臓が物理で止まったと思う。不整脈レベルだけど。