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真実・二

 それからというものの、夕花姫が外に出られない日々が続いた。

 一度中庭を横切ったことがばれてからは、気付けば暁に中庭まで先回りされるようになったし、牛車を出してもらえるように言いに行ったら告げ口されて連れ戻されてしまうし。

 今までいかに、暁に泳がされていたかが浮き彫りにされ、夕花姫はげんなりとする。

 あまりにも鬱憤が溜まりはじめた夕花姫は、とうとう音を上げた。


「……ねえ、暁」


 その日の稽古が終わり、夕花姫は大の字になって寝転がっている簾越しに、暁は控えていた。


「なんですか、姫様」

「お腹空いたわ。このところ新鮮な貝をちっとも食べてないの」

「自分が獲ってきましょうか? 姫様の名を出せば、漁師だったら差し出すと思いますが」

「そうじゃないわよ、もう馬鹿知らないっっ」


 すっかりとへそを曲げてしまった夕花姫は、ぷいっと簾に背を向ける。しばらく沈黙が降りたあと、それを暁が打ち切る。


「……なにか食べたいものでしたら、俺がつくりますよ。本当にお願いですから、大人しくしてください」

「いつまで?」

「……わかりません」

「わからないのに、私を閉じ込めるの?」

「姫様、普通は姫君は外には出ません」

「国の外の姫君の常識なんて知らない。私にとって、これが普通だったわ。私、なんであなたがそんなことするのかさっぱりわからない。浜風は? あの人、最近ずっと女房たちと話をしてばかりで、私のことなんて忘れてしまったみたいだもの」


 夕花姫ががなる声を、黙って聞いていた暁は、やがて長い長い溜息をしたあとに、教えてくれた。


「あれは、ここの女房たちと逢瀬を重ねています」

「嘘」


 そうは言っても、夕花姫も言い切ることはできなかった。何度も女房たちに誘われて話をしているのを見ていたのだから。

 自分にとっては初めてのことも、都の貴族である彼にとっては珍しいことではなかったというだけだ。わかってはいても、悲しいものは悲しい。

 暁は押し黙ってしまった夕花姫を宥めるように言葉を重ねる。


「だから言ったでしょう、俺は何度も。あれは口から先に生まれたようなものだから、姫様は騙されていると」

「だって……だって」

「……本当にお願いですから、大人しくしていてください。なんだったら、俺が料理を教えてもかまいませんから」


 夕花姫は少しだけごろん、と寝転がってから、ようやく起き上がった。

 料理を教えてもらうというのは、少しだけ魅力的に聞こえた。


「私、あなたみたいに包丁も使えないけど?」

「簡単なものでしたら、大丈夫でしょう」


 貝は獲れ立てのものでなかったら腹を壊す。料理も出来たてのものでなかったら美味くない。出来たての料理を手渡したいという口実だったら、暁も浜風に会いに行くことを見逃してくれるかもしれない。

 暁の心配をよそに、夕花姫は未だに初恋を諦めきることができなかった。


****


 くりやでは使用人たちが火の番をしている。

 それに挨拶をしながら、袖をたすき掛けした暁と夕花姫が入っていく。日頃から厨を出入りしているせいで、侍と姫君が厨に入っても、誰もなにも言うことがなかった。女房たちで口さがないのがあれこれと言うこともあるが、それらは一切無視している。

 暁は芋を手に取ると、さっさとたらいで洗って皮を剥きはじめる。


「芋粥をつくろうかと思います」

「あら」


 それに夕花姫はうきうきとした。

 大陸から渡ってきたような小麦粉を練って焼いた菓子も好きだが、芋粥のような素朴な甘いものも好きだ。

 芋の皮を剥いたら、それを甘葛あまづらを煮詰めた汁の中に投下する。汁ごと鍋でことことと煮立てているのに、暁は声をかける。


「姫様、これを混ぜてください」

「ええっと、これってどれくらい煮ればいいの?」

「芋に火が通ったら完成です。そうですね。表面が透き通ってきたら大丈夫ですよ」

「わかった」


 夕花姫は怖々と鍋の中を混ぜる。思っているよりも固かった芋も、火を通すと少しずつ表面が滑らかになり、やがてなんとなく透けているように見えてきた。

 それを器に盛り付けてみると、見てくれは素朴ながらも、味はほっくりと優しい味わいの芋粥が出来上がった。

 夕花姫はそれを見て、「ねえ、暁」と甘えた声を出す。それに渋い顔を返す暁。


「……なんですか」

「これ、浜風にもあげていい? ほら、結構残っているでしょう? お父様にあげてもまだ残るじゃない」


 当然ながら、暁は渋い顔のまま黙るが、いつもの調子で「駄目です」と言い切れていない。彼はつくったものを残すことを嫌がるし、もし残すのだったらせめて使用人にあげて欲しいと考える性分だからだ。

 あとひと押しとばかりに、夕花姫は更に甘えた声を上げる。


「冷めたらおいしくないでしょう? もったいないでしょう? 料理をつくるのが好きな暁ならわかるわよね?」

「……芋粥を食べている間だけは、俺もなにも言いません。夕餉までには戻ってきてくださいね」

「はあい」


 夕花姫は心を込めて芋粥を綺麗な器に盛り付けると、匙を添えて運びはじめた。

 うきうきした調子で浜風のいる客室に向かうと、声をかける。


「浜風。今は誰ともお話しはしていない?」

「おや姫君。このところはずっと会えずじまいだったね」


 浜風の穏やかな声に、夕花姫は心底ほっとする。

 暁に何度も何度も吹き込まれた、彼が女房たちと逢瀬を重ねているという話を真に受けなくて本当によかったと。彼が昼間から女房たちを部屋に連れ込むような真似はしないだろうが、もししていたら本当にどうしようと思っていたのだから。

 夕花姫は笑顔で声を上げる。


「あのね、さっき厨で芋粥をつくったの。よかったら一緒に食べない?」

「おやおや。芋粥を自らつくってくれるなんて嬉しいね。ありがたくちょうだいしよう」


 浜風に招かれて、夕花姫はにこにこしながら彼の部屋に入っていった。

 数日しか会えなかった訳ではないのに、彼の首筋からする香の匂いを嗅ぐと、自ずと心が華やいだ。彼に芋粥を差し出すと、少し目を細めてから、浜風は器を受け取って食しはじめた。

 夕花姫も隣で一緒に匙を動かす。やはり出来たての芋粥はほっくりとしておいしいし、すっと涼を感じる味わいは、摘み立ての果物ではなかなか出せないものだ。

 浜風も目を細めて芋粥を味わっている。


「うん、おいしいね。まさか姫君が菓子をつくってくれるなんて思わなかったんだけど」

「……つくったと言っても、暁と一緒よ。暁が芋の皮剥きから甘葛の煮汁の準備まで全部してくれたから」

「それでも。うん。おいしい……さて、姫君。この屋敷についてだけれど」

「はい?」


 いきなり話が屋敷に飛んだことに、夕花姫はきょとんとした。浜風は頷きながら続ける。


「女房たちに話を聞いていたけれど、どうもこの屋敷は羽衣伝説と密接に関わっているみたいでねえ」

「……ちょっと待って、ここの屋敷って」

「宮司も言っていただろう? 元々天女は、国司に連れて行かれてから行方不明になったって」


 その言葉に、夕花姫は言葉を無くした。

 前に見た夢を思い出す。天女は武官に斬られる夢だった。どうして夕花姫が天女の追体験をしたのかはわからないが。

 まさか……と思う。

 天女の羽衣の持つ奇跡の力に目を付けた当時の国司が、天女を斬り殺して羽衣を奪ったというのだろうか。

 夕花姫の顔が曇ったのに、浜風は尋ねる。


「姫君、大丈夫かな?」

「……え、ええ……平気。浜風は、屋敷の女房たちに話を聞いて、どう思ったの?」

「なんでも、ここの屋敷で一部、決して人を入れたがらない場所があると。使用人たちも掃除ができないし、何故かその一部を掃除に行くのが、侍たちだと」


 それに夕花姫は二度目の驚きを得た……いや、得たくはなかった。

 暁は幼い頃からよく知っている幼馴染なのだ。その彼が、夕花姫すらあずかり知らなかった屋敷の秘密に関与しているなんて、思いたくはなかった。

 でも、何故か彼は執拗なほどに浜風を警戒し、夕花姫に浜風を嫌うように仕向けるような吹き込みすらしていたのだ。彼の言葉を、そのまんま信じても大丈夫なんだろうか。

 震える夕花姫は、ふいに甘い香の匂いが強くなったことに気が付いた。浜風が夕花姫の背中を支えたのだ。


「姫君、あまり心配しないでほしい。国司はもしかすると相当な食わせ物かもしれないし、侍はもしかすると君すらも騙して利用しているのかもしれないけれど……私は、あなたの味方だから」

「……浜風」


 夕花姫の胸中が掻き乱される。

 父様は、夕花姫を騙していたのか。暁は、この屋敷の秘密のために彼女に嘘を吹き込んでいたのか。浜風は、実は夕花姫が騙されているのを見かねて、女房たちに甘い言葉を重ねて話を聞き出しただけではないのか。

 何度も何度も暁にされた警告は、実は嘘だったのか。

 彼女にはもう、わからなくなってしまっていたが、浜風の夕花姫の肩を抱く手が強くなる……甘い匂いが強くなる。


「おいたわしい姫君……もし私が羽衣を見つけ出し、記憶を取り戻したそのときは、あなたを都にお連れしてもよろしいか?」


 夕花姫は目を見開いた。

 ……彼に書いた返歌と、大分展開が変わり過ぎてしまって、夕花姫の思考が全く追いついていない。

 ただ、自分は屋敷の皆に騙されて、なにかを隠されていた……羽衣伝説にこの屋敷が関与していたことすら、夕花姫は浜風が独自で調べ出すまで知らなかったのだから。


「……羽衣の、目星はもう付いているの?」


 夕花姫が震える声で尋ねると、浜風は「じゃあ」と声をかける。


「私、本当にこの国しか知らない世間知らずよ? 都の姫君のようなことなんてできないし、それのせいでいつも叱られてばっかりだわ。それでもいいの?」

「……私は、姫君が姫君のままでいてくれたら、それでかまわないのです」


 浜風に抱き締められ、夕花姫はそれにもたれかかる。


「羽衣は、蔵にあるそうです」

「蔵? この間楽器を取りに行ったところ? でもあんなところ別に……」

「ひとつ隠し戸があり、そこは侍しか触れないそうです」

「そう……いいわ。あげる」


 夕花姫は笑った。

 叶わないと思っていた恋が、まさか叶うなんて思ってもいなかった。

 前の返歌は、捨ててしまおうと心に決めた。

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