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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
9/50

副官サマの城下視察3

「えぇと……あなたは?」

 

 困惑した声が部屋の外まで聞こえ、私は慌てて半開きのドアを開け放った。

 見ればベッドに寝ているルカ様を、父が真上から見下ろしている。

 髭面の屈強な男。目が覚めて、そんな男に覗き込まれていたら大抵の人は困惑するだろう。

 私は慌ててベッドに駆け寄り父の肩を掴んだ。

 父がベッドからのいて振り返る。手には先ほどまでルカ様の額の上にあった手拭いが握られていた。

 

「おうん? なんだ、居たのか。目が覚めたみたいだぜ? ちっと温かいもんでも飲ますか」

 

 まるで近所の子供の看病でもしているかのような口調で言って、父は立ち上がって部屋を出て行った。

 私はルカ様の横に膝を折り、様子を伺う。

 

「ここはどこです?」

 

 ルカ様はうつろげな目でぼんやりと天井を見上げて尋ねた。その顔は真っ青で血の気がない。思わず額に手を伸ばすと、ヒヤリ と氷に触れたような感覚がした。

 先ほどまであった高熱が嘘のようだ。こんなに急激に体温が下がって良いものだろうか。

 

「レティシア、ここはどこですか?」

 

 ルカ様が私の手を額から払い、強い口調で再び尋ねた。

 私はのけられた手を自分の膝上に置き、静かに答える。

 

「西区にある私の実家でございます」

 

 西橋の柱に魔法を施して倒れたルカ様を、あの場にいた数人でここまで運んできたのは四時間ほど前のことだ。

 突然のことに父はかなり驚いていたが、ルカ様の状態を見ると特に事情を聞かずに家へと招き入れた。

 

「ご気分はいかがですか?」

「うん?」

 

 尋ねるとルカ様は少しばかり考え込んで自分の腕をさすった。

 やはり寒いのだろうか。

 

「ちょっと寒いですが、他は特に……。それよりも、僕は西橋で倒れたんでしたか?」

 

 記憶をたぐるように喋るルカ様に、私は頷きながら、棚からもう一枚毛布を取り出した。

 

「そうでございます。魔法をお使いになった後にお倒れに。ここに運んでから先ほどまでは熱が高うございましたので、セオドール様にご連絡をと思ったのですが、近所のお医者様が魔力を急激に消費したせいだから安静にしていれば大丈夫だとおっしゃって……ですので、今までご様子を見てございました」

 

 毛布をふんわりとルカ様の足から腹部へとかけると、ルカ様は小さく「魔力か」と呟いて自分の右手のひらをじっと見つめた。

 

「おう、レティシア。ミルクだぞ」

 

 ギッと部屋の戸が鳴って父が現れ、ルカ様の視線が父へと向かった。私も振り返り、父を見上げる。

 父の手にある少し大きめのカップからはたくさん湯気が上っている。

 私は冷めないうちにとカップを受けとり、ゆっくりとルカ様に手渡した。

 ルカ様は渡されたカップの暖かさを感じたいのか両手でしっかりと包み込み、しばらくじっとしていた。

 紫色になりかかっていたルカ様の指先にほんの少し血の気が戻った頃、ルカ様は再び戸口の父を見上げ、首を傾げた。

 

「えーと……あなたは?」

「レティシアの父親だ」

 

 腕を組んで戸口の柱に背を預けて答える父に、ルカ様の頬がにわかに引きつった。

 

「初めまして、お世話をかけます」

「大したことはしてないぜ、気にすんな。視察してたって話はちょっとだけ娘から聞いた。まぁほら、冷めちまうからとりあえずそれ飲めや。ブランデーとシシリ液を滴らしたからあったまるぜ」

 

 父がルカ様の持つカップを指差した。

 ルカ様はカップに少し鼻を寄せ、香りを確かめてから一口すすった。

 

「さっきまで高熱だったって顔色じゃあねぇな。本当に大丈夫なのか?」

 

 父の疑問に私も同感だと頷く。

 するとルカ様がハハハと力なく笑って言った。

 

「魔力を急激に失うとこういった反応が出るんですよ。無理をしなければ問題ありません。もう徐々に魔力も戻ってきていますから、明日の朝には歩いて帰れるでしょう。ちょっと無茶をしましたね」

「何を他人事のように申されるのですかルカ様!」

 

 私は思わずルカ様に詰め寄った。そんなことをされるとは思っていなかったルカ様は、わずかにのけぞって驚いて目を見開いた。

 私は構わず続ける。

 

「運が良かったから良いものの、下手をすれば落ちて死んでございましたよ!」

 

 声を荒げずにはいられない。自分でもびっくりするくらい怒りが込み上げてくる。

 あの時、欄干の向こう側で柱に魔法をかけ終え倒れたルカ様は、そのまま橋の下へと姿を消した。

 その瞬間はもう頭が真っ白だった。

 瞬きも忘れてルカ様の立っていた欄干まで走り、周りが止めるのも聞かずに下を覗き込んだ。

 橋桁の装飾にプラプラ引っかかっているルカ様を見つけた時の安堵感は、生まれて初めて味わったものだ。

 膝から力が抜ける感覚を、今でも覚えている。でもそんな感覚をあの場でじっくり味わうなんてことはできなかった。

 何せ、橋桁に引っかかっているルカ様を引き上げなければならなかったのだから。

 ルカ様は申し訳なさそうな顔で眉を下げ、持っているカップに視線を落として言った。

 

「なんか、心配かけたようで? すみません……」


 危うく帝国の重鎮を一人失うところだったという状況を、ルカ様は理解していないらしい。そのことが、私の怒りをことさら膨らませてくれた。それに気づいた父が、私の肩に手を置いて顔を覗き込んできた。

 

「まぁまぁレティシア。アレス皇子の副官なんだから、橋から落ちたくらいで死にゃあしないって! なぁ?」

「父さんは黙っていて下さい!」

「イテっ!」

 

 ガツン と脛を蹴ると、父は涙目でうずくまった。

 橋から落ちて死なないなんて保証はどこにもない。それがどんなに優秀な騎士でも魔導師でもだ。

 

「私、ルカ様はもっとお考えがある方かと思っておりました! 一人でなさらずに、他の者を呼べば良かったのです!」

「あぁ……」

 

 ルカ様は何やら思い当たるところがあったようで、罰が悪そうにしゅんとうなだれてしまった。

 

「まぁまぁ、レティシア。そのくらいで勘弁してやれや。ほら見ろ、ルカ様の顔がもっと青くなっちまったぜ?」

 

 うずくまったまま顔を上げて言う父に、私は憤った息を「ふん!」と吐いてから腰に当てていた両手を下ろした。

 

「で、どうせ帰るのは明日なんだろう? 夕食はどうだ? 食えそうか?」

 

 私が落ち着きを取り戻したのを確認しながら、父がルカ様に尋ねた。

 ルカ様は少し考えてから「えぇ」と頷いてミルクを一口飲み込んだ。

 父が脛をさすりながら立ち上がる。 


「ならもうちっとゆっくりしてろ。俺らもまだ食ってねぇからな、簡単に用意するぜ」

「なら私が……」


 さすがに夕食まで父に用意させるのは悪いと思ったが、父は特に気に留めていない様子で普段通りニカッと笑ってパタパタと右手を振って見せた。


「いいって、副官様についててやんな」

 

 ギシギシと床を鳴らして台所へと歩いていく父の背を見てから、私はすぐ側の小棚に用意しておいた着替えに手を伸ばした。

 

「ルカ様、お着替えを」

「着替え? そういえば、僕の服は?」

 

 私に言われて自分の着ているものを見下ろしたルカ様は、首を傾げた。私は着替えを差し出しながら答える。

 

「ルカ様のお洋服はかなり濡れてしまいましたので、こちらに運んだ時に変えさせていただきました。今は乾かしてございます」

「じゃあこれは?」

「兄の物でございます。こちらも兄の物なのですが、先ほどだいぶ汗をおかきになっていらしたので、変えたほうが良いかと」

「そうですか」

 

 ルカ様はしげしげと着ているシャツをつまんで眺めると、普段よりもかなりゆっくりした動作で半身を起こした。そうしてベッドから足を下ろして立ち上がろうとしたが、途中でふらついてしまった。私は慌てて腰を支える。

 密着しても体温を感じられず、不安が胸に過ぎる。まるで氷を抱いているようだ。

 

「もう大丈夫です。着替えを下さい」

 

 やんわりと両手で肩を押し返され、私は手にしている着替えを差し出した。

 受け取るルカ様の指先は青く、これではうまく指が動かないのではないかと思う。私は手伝うべきだろうとルカ様のシャツのボタンに手を伸ばしたが、すぐにルカ様の手に阻まれた。

 

「自分で出来ます。ちょっと向こうで後ろを向いててください」

 

 どこかふてくされたように言われて、私は大丈夫かと気になりつつも壁側を向いて静かに立った。

 

「ところで、レティシアは湯に浸かったんですか? なんだか冷えているように感じましたが?」

 

 支えた時にそう思ったのだろうか。着替え始めたルカ様の問いに、私は静かに答える。

 

「おそれながら、私はルカ様が寝ている間に」

「それなら良いです。僕の服がそんな状態なら、あなたもだいぶ濡れていたでしょうからね」

 

 するすると布が擦れる音と、時おり床が軋む音がする。

 何をどう着替えているのかとついつい頭で想像してしまいたくなるが、着替えにさほど時間はかからなかったため想像する暇はなかった。


「もうこちらを向いても大丈夫ですよ」

 

 振り向くと、ぶかぶかの袖を巻いているところだった。

 体格の良い兄の服はやはりルカ様には大きい。それでも不格好に見えないのは、元の容姿が整っているからだろうか。

 なんとも羨ましい。


「なんだか懐かしいですね」

「?」

 

 袖をまくり終わったルカ様が自分の着た服をマジマジと見下ろして呟いた。

 懐かしいとはどういうことだろう? そう思い、私が尋ねようとすると、戸口にひょっこりと父が顔を覗かせた。

 

「スープができたぜ。夕食にしようや? ルカ様はこっちに持ってこようか?」

「いいえ、お邪魔でなければそちらの食卓で」

「おう。邪魔じゃねぇよ」

 

 部屋を出てすぐ目の前にある、パン屋と兼用で使っている台所。その一角にひっそりと寄せている食卓テーブルにルカ様を招き、父自らが椅子を引く。

 

「さてさて、ルカ様の口に合うかどうかわかないが……」

 

 そう良いながら父は木の器にお決まりの野菜スープをたっぷりついでルカ様の目の前に置いた。

 湯気に混じる野菜の香りはとても良い。

 

「パンは余り物だから種類はバラバラだけど、好きなのをとってくれ」

 

 テーブル中央に置かれているパンの盛られたバスケットをあごで指すと、ルカ様は早速マジマジと見て、一つを手にとってちぎった。

 

「薬草ですか?」

 

 ちぎったパンに混じる細かな繊維を見つけ、ルカ様が顔を上げた。

 

「おう、よくわかるな。七葉草(しちようそう)だよ」

「七葉草? 苦いのに?」


 眉を寄せるルカ様に父が笑う。


「まぁ、試してみろ」

 

 ルカ様はわずかばかり躊躇ったが、ぽん と指先のかけらを口に放り込んだ。

 もぐもぐと口を動かしてしばらく、「うん」と満足げにうなずく。

 

「美味しいですね。苦味もえぐみもまったくない。ほのかな甘みだけ残っている。良いですね。これ、どうやって?」

「おいおい副官様よ、それを聞くのか?」

 

 父に返され、ルカ様はちょっとだけ首を傾げたが、すぐに「あぁ」と首を縦に振って「失礼しました」と囁くように言った。

 父にしてみれば売れ筋商品の企業秘密だ。そう易々と教えたくないだろう。

 七葉草は手に入りやすく風邪予防にもなる。だからこのパンは庶民にかなり人気で出せばすぐに売れてしまう。今日は珍しく一つだけ余ったらしい。

 

「さ、スープも飲んでくれ」

 

 父が席に着いたので、私もルカ様の近くに座った。

 木のスプーンを手に持ち、スープをすくうルカ様をじっと見つめる。

 

「どうだ?」

 

 口に入れるのを見て父が尋ねるが、先ほどのパンとはだいぶ反応が違い、ルカ様の眉根が中央へ寄った。

 私は思わずルカ様に言う。

 

「ルカ様、ご無理なさらないで下さい」

「いえ、美味しいですよ」

 

 とても美味しい物を食べている顔ではない。そう思って私も眉を寄せると、父がガハガハと笑った。

 

「お世辞にもいうめぇとは言えねぇよな! 俺はパンを焼く以外はあまり上手くねぇんだ。口に合わなかったら無理しなくて良いんだぜ?」

「いいえ、大丈夫です」

 

 ルカ様はパンとスープを黙々と食べていく。

 体調が悪いところに美味しくないスープを飲んで、余計に悪化しないか不安だったが、どうやら大丈夫そうだ。

 

「ところでよ、なんでおまえルカ様のお供についてんだ?」

  

 私のスプーンを掴もうとした手がぎこちなく止まる。そうしてうっかり息を飲んでしまい、妙な間が生まれた。

 なんて答えれば良いのだろう。そう言えばまだ、家族の誰にも雇用先が変わったことを伝えていない。

 引き抜かれたと伝えれば良いのか?

 いや、そこからきっと、どうしてそうなったのかと聞かれるに違いない。そうしたらあの夜のことを説明しなければいけなくなる。いやいや、それはダメだろう。正直に言ったら絶対ダメ話だ。

 私が思わずルカ様を見ると、ルカ様はスープを飲む手を止めて私の代わりに返答した。

 

「つい先頃に引き抜いたんです。ちょうどメイドを探していて、うちの執事が彼女のことを気に入ったので」

 

 さらりとつかえることなく言って、ルカ様はスプーンから手を離してコップの水を飲んだ。

 父が私からルカ様に視線を変えて質問を続ける。

 

「へぇ。じゃあこいつの給料は良くなったのか?」

「宮廷よりは良くしていますよ」

「ハハ! じゃあ休みももうちょっとくれないかね?」

「今後の働き次第ですね」

「そりゃ楽しみだ。うちの娘は真面目だけが取り柄だからな。働き次第っていうんだなら、休みはたんまりもらえるな!」


 ちらと見てくる父に、私はため息をついた。どうやら引き抜いた経緯については特に追及するつもりはないらしい。

 執事が気に入ったから。そんな一言で全て丸く収まるのか。

 私は深く考えすぎなのかもしれない。ルカ様に雇われた経緯についてとなると、どうしてもあの夜の出来事に目を向けてしまう。だってかなり衝撃的なことだったから。

 ルカ様にか()()()()()と知った今、特に怒りや何か良くない感情を抱いたりはしていないが、笑い話として語るにはまだ何をどう噛み砕いて良いのかわからない。

 時間が解決してくれる問題ということだろうか。

 私は野菜スープに視線を落とし、溶けかけたじゃがいもをスプーンの先でつついた。


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