副官サマの城下視察1
レティシアを雇い入れてから早二週間。僕はガタガタと鳴る執務室の窓を横目に、胃痛にさいなまれていた。
「じゃあそういうわけで、西区の視察をヨロシクね。ルカくん」
なんで今日なのだろう。そんな疑問でいっぱいのジト目でアレス皇子を見返すと、何やら意味ありげに口の端をもたげて両手を軽く広げて見せてきた。
あれだ。全部を言わなくてもわかるでしょ? っていう、いつものあれだ。
僕はやる気なく窓の外に目を向ける。
強風とまではいかないが風は強く、気温も高くて蒸し暑い。この分だと夕方からは雷雨だろう。そんな日に、わざわざ視察に赴かせるなんて酷くはないか? しかし、断ったところでどうせゴリ押しされて行く羽目になるのだから、承諾する他はない。
僕は眉間を指先で強く擦ってから深く息をはいて、「わかりました」とうなずいた。
夏至祭。およそ一ヶ月後にあるこの祭りを、アレス皇子はとても気にかけている。
西の大陸のほぼ全土で古くから行われてきたこの祭りは、主には豊穣祈願の儀式を民と共に行うのが慣わしだ。儀式といっても厳かなものではなく、その年の占いで定められた場所に飾り付けした柱を建て、その周りをみんなで囲って踊るだけだ。
たいていは夏至の前夜と当日の二日に渡って行うのだが、アストラル帝国の夏至祭は期間が五日と長く、貴族の住まう地区を含めた城下の五地区に柱を建てて行う。地区によって住まう人々が違うため、柱飾りや出店などに特色があり、それが面白いと近年では観光目当てで訪問する者が多い。
アレス皇子は特にその辺りを危惧している様子だ。
昨年も一昨年も、期間中に何件もの騒ぎがあった。些細な喧嘩に商店と客との金銭問題、観光客に国家転覆罪だのとあらぬ容疑をかけて大混乱を招いた役人もいた。人が増えれば揉め事も然り。致し方ないことだが、当日になって後手に回るのは得策とは言えない。可能な限りは事前策を施すべきだ。
特に視察に行けと言われた西区は、最近流行りの店が増え、店主や店員に新しい顔も多いと聞く。それに補修の終わっていない古い道路や橋も多くある。貴族や中流階級の人間が行く中央区などに比べると、問題点が多い。
何か準備に差し障りがないか、問題は起こっていないか、またこれから起こりそうな問題はどうか、それを見てこいと言うのだろう。
本当は皇子が直接見に行きたいのだろうが、ここ数日は会談・会食続きだから僕に話を振ってきたのだ。なんでルーイじゃないのだろうかという疑問はあるが、承諾してしまった手前、今更それを尋ねても時間の無駄だ。
「でねぇ、ルカくん。申し訳ないんだけどさ、護衛官が今ちょーっと忙しくてさ……」
「お忍びで行けってことですか?」
護衛官が居たら物々しくなるし、城下で要らぬお供がついてくるだろう。そうなると自分が見たいように見て回るのは難しい。だから身軽で行って欲しい——— そうアレス皇子は言いたいのだろうが、さてどうしたものか。
「でもルカくんを一人で行かせるのはさすがに心配だから、誰か適当な部下を連れてって欲しいんだけど?」
「適当な部下と言われましても……」
僕一人で行かせると何が心配なのか皆目見当がつかないが、僕もできることなら一人では行きたくない。荒事に巻き込まれでもしたら厄介だ。
「執事にでも頼めば良いんじゃないか? あの怖い目の」
今まで沈黙していたルーイが書類片手に言葉を投げてきた。
確かに、セオドールに頼めば二つ返事で着いて来てくれるだろうが、いかんせん彼はお忍びの行動には向かない。目立つからな。アレス皇子も同じ考えのようで、嫌そうな顔をして首を横に振っている。それを横目で見ていたルーイが、書類を下ろして顔を僕に向けた。
「なら、新しく雇ったメイドを連れてけば良いだろ?」
何故そうなる? と僕の胸中は疑問でいっぱいだ。
メイドをお供に城下へ視察に行くなど、ご婦人ならともかく、僕がそれをするのか? なんか変じゃないか?
顔に疑問が出ていたのか、ルーイは続けて質問を投げてきた。
「なら、おまえの直属の部下で連れていけそうな奴がいるのか?」
ルーイに言われて僕は首を横に振るしかない。
ルーイは持っている羽ぺんをくるくると回しながら言う。
「じゃあそうする他ないだろ。そのメイドだって、おまえに雇われたんだからこういうことだって慣れるべきだし? なぁ?」
珍しく的を射たことを言うじゃないか。
確かにレティシアにはこういう事にも慣れてもらわねばならないか。また僕も、レティシアを連れて歩くことに慣れるべきかもしれない。
「まぁメイドでもなんでも、ルカくんが信用していて西区に詳しくて、そこそこ常識があれば誰でも良いよ、僕はさ」
アレス皇子はなんとも投げやりな言い方で背もたれにしなだれた。どうやらこの件の会話に飽きてきたようだ。
「わかりました。そうします」
* * *
昼過ぎ。パラパラと降り始めた雨の中を、僕は微妙な気持ちで歩いていた。
「ルカ様、足元が悪いのでお気をつけ下さいませ」
「うん……」
アストラル城から馬車で中央広場まで行き、そこから徒歩でかれこれ三十分弱。僕とレティシアは西区への境界を跨いだところだ。
僕は雨除けのフードを軽く直しながら、背後のレティシアの様子を伺う。
彼女は必要最低限の言動のみでひっそりと後ろを着いてきている。お供としては申し分ない——— が、彼女の纏う緊張感はどうにかしたい。
周囲を警戒して幾分鋭くなっている目つきに、ピリピリと張り詰めた空気。それが伝わってくる度に、僕の心臓がざわざわする。
暗殺予告でも出されている気分だ。
たしなめるべきか、それともどうしてそんなに緊張しているのかと尋ねるべきか。そんなことを考えていると、急に真横の店から体格の良い男が出てきて僕にぶつかってきた。
「おっと! 悪いな兄さん」
体格差で軽く弾かれた僕はよろつき、背後のレティシアに支えられる。レティシアが僕に大丈夫かと尋ねようとしたが、僕はそれを遮って首を横に振り、態勢を立て直した。そうしてから、ぶつかった男を見上げて〝気にしていない〟と左手を上げて見せた。男は少しだけ会釈をすると愛想笑いとともに追って出てきた連れと合流しどこかへ歩いて行く。
僕は気を取り直して再び歩き出す。
レティシアの緊張感のことは少し脇に置いておくとしよう。
夏至祭の飾りはもうすでにあちこちの建物にほどこされている。準備は着々と進んでいるようだ。しかし、どこにあらぬ問題があるかわからない。道行く人たちや店の店員などの言動にも注目するべきだろう。何か揉め事の原因になるような会話が聞こえてくる可能性もある。
僕はしばらく街のあちこちに意識を向けて歩いた。すると、すぐ背後から話し声が聞こえてきた。
「そういや聞いたか? 愛玩メイドの話」
ちらと背後を伺うと、先ほどぶつかった男とその連れの姿が見えた。どうやらどこかに寄った後にまた戻ってきたらしい。進行方向が同じのようで、追い越しもせずに程よい距離を保って着いてきている。
「愛玩メイド? なんだそれ?」
「おぉ、副官様とアストラル城のメイドの話だよ。俺は聞いた時たまげたぜ。まさか副官様にそんなご趣味があったとは……大人しそうな顔してんのによ」
「そんなご趣味ってなんだよ? それに副官って誰のだよ?」
いや、待て、これは嫌な予感がする。
僕は周囲を見渡して男たちを先に行かせられないかと通りの隙をうかがった。しかし雨脚の強くなりつつある商店街はわりと人手が多く、皆それぞれ足早に色々な方向へと向かっていて立ち止まる場が見当たらない。
そうこうしている間に男たちの会話はどんどん続く。
「副官様って言ったらそりゃあアレス様の副官だよ」
「ちょ……おいおい。アレス様の副官の話なんてここでして良いのかよ?」
「良いだろよ? 噂話くらいで首は飛ばねぇって!」
がはは! と笑う男に、連れの男も「そりゃそうだな!」と笑い始めた。
こういった噂話くらいでさすがに首は飛ばさないが、僕は何も面白くない。
アレス様の副官と言ったら、僕かルーイじゃないか。
「で? その副官様がどうしたって?」
いやいや、聞きたくない。
僕の足が自然と早くなる。しかし背後の男二人の声はかなり大きく、少し距離が離れても非常に良く耳に届いた。
「いやそれがさ——」
「あ、待て待て、副官ってどっちだ?」
「白魔導師の方だよ、鉄仮面の」
うっかり足を止めそうになった僕の背に、レティシアがほんの少しつんのめった。
僕の話じゃないか。
動揺でクラついた目の前をなんとか立て直し、僕は何事もなかったように歩きの流れに戻る。
「あぁ凍てついた目の白魔導師様か。フレデリカの」
「は? 凍てついた目? なんだよそれ。俺それ知らねぇわ。白魔導師なのに凍てついた目なんて言われてんの?」
「おーそうだよ! 目が合うと身が凍るらしいぜ」
「ハハハ! 治癒術専門の魔導師が凍えさせてどうするんだよ!」
「笑うなよ! フレデリカの天才魔導師だぜ? 治癒術以外にも長けてるだろうからよ……本当に怖いからそう言う異名が付いたんだろうし……ほら、もともとあそこの魔導師は、破壊魔法が得意って言うだろ? 呪いだってお手の物だろうよ……」
へぇ、僕への認識ってそんな感じなんですね。なんて、普段ならぼんやり聞き流しているだろうが、今日の僕は流せない。
何せ男たちが話しているのは僕についてでしかも、そこに出てくるメイドが後ろにいるのだ。気にならない方が無理だろう。
「んで? それで? その愛玩メイドってなんだよ?」
「おぉ! そうそう。愛玩メイドな!」
絶対これは聞いたらダメなやつだ。
出来ることなら僕とレティシア、二人の耳を塞いでしまいたい。
「なんでもよ、鉄仮面様、今まで全部執事に任せっきりだったのに、最近メイドを雇い入れたそうでな」
「別に問題ないだろ?」
「噂じゃコレ目当てだって言うぜ?」
思わず背後に視線を向けると、そう言った行為を指すお決まりの指印が見えた。
いったいどこからそんな噂が出てきたのやら、驚きだ。
僕はレティシアの様子をうかがう。
レティシアは特に気にする様子もなく、黙々と僕の後に着いてきている。その身に纏う緊張感は未だ半端ないが、それ以外は特に変化がないように思える。男たちの会話に興味がないみたいだ。
本人の貞操云々の話だが、気にならないのだろうか?
「今まで女の噂なんてこれっぽっちもなかったけどよ、実はそういう趣味だって言うんだから、そらぁ隠しときたいわなぁ」
「そういう趣味ってなんだよ?」
「あ? だからな——— 」
「おーい! おまえら! 休憩済んだなら柱立てるの手伝えよ! 親方が雷が来る前にやっちまおうってよ!」
「おー! わかった!」
ちょっと! そういう趣味って何ですか⁉︎
気になるところで背後の男たちは僕の前方を駆けて行ってしまった。
「ルカ様、我々も雨が酷くなる前に西橋へ向かったほうがよろしいかと」
「うん……」
生返事を返した僕は、ふとレティシアの言葉が気になった。
〝我々も〟とレティシアは言った。なら男たちの話を聞いていたわけだ。でもやっぱり気にしている様子はない。
自分のことだとは思わなかったとか?
まぁ、噂に振り回される使用人の方が迷惑だから、気にならないのならそれで良いが、それはそれでモヤっとする。
まったく僕に興味がないと言われたみたいな気がしないか?
ちらちらとレティシアを振り返りながら悩んでいる僕に、レティシアが不審そうに首を傾げた。
僕は慌てて正面を向き直り、小さくため息をつく。
いや、止めよう。視察に集中すべきだ。
舗装された石畳が雨に濡れて黒く変わっていく。
雨脚はじわじわと強くなっている。
僕は背後のレティシアから意識を街中に向け直し、少しばかり歩調を早くした。