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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
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副官サマの執事とメイド 後編

 東屋(あずまや)で昼食を取るのは久しぶりのことだった。

 ここ最近はずっと執務室で仕事の合間に食べたり、大臣たちとの会食が続いていたり、忙しすぎて抜いてしまうことも多かった。

 僕は荒い紙に包まれたサンドイッチを広げてしげしげと眺める。

 白くやや厚切りに切ったパンに、葉野菜とシャキシャキする色野菜、炒めたベーコンにチーズ、それからほんの少し辛味の効いたバターと甘めのソース。

 微風に乗って香る胡椒の香りが食欲をそそった。

 パクリ と、思わず一口かぶりついて、野菜の間からこぼれてくるソースを舌で味わう。

 野菜とカリカリに焼かれたベーコンと、ふわふわのパンの食感。全部が合わさると早く次の一口をと頭の中から声がする。

 僕はごくりと飲み込みまたかぶりついた。

 レティシアを雇ってから今日で三日。今朝は初めて台所に立っていた。なんでも昨日、セオドールとパンについて話したそうで、そこからどのパンがどういうサンドイッチに合うかという議論になったらしい。

 レティシアの父はパン屋だから、きっと何か色々とこだわりがあったんだろう。

 僕はまぁ、そんな二人の会話のおこぼれを貰えたのだから、幸運だった。

 紙にくるんだ二切れ中の一切れを、あっという間に食べ終わると、心地よい満足感がお腹の底から湧き上がってきて肩に入っていた力が抜けた。

 僕は傍に置いてある小さな布袋に視線を落とす。

 サンドイッチを取り出すときに、メモが入っていたことを思い出したのだ。

 セオドールからの言付けか何かだろうか?

 そう思いながら手探りでメモを取り出し、折り畳まれたそれを開く。

 

『ルカ様 お疲れさまでございます。お昼はどうでしたでしょうか? 先日、私のことをお知りになりたいとおっしゃられて——— 』

 

 途中まで読んで、セオドールからではないと分かった。セオドールに筆跡は似ているが、話の流れからしてこれはレティシアからだ。

 三日前に宮廷を案内し、温室で僕がレティシアに言ったこと。

 

—— あなたについて色々と知りたいのですが……教えていただけますか?

 

 彼女はどうやら覚えていたらしい。

 なんだか妙に胸がざわざわする。

 いやいや、そんなつもりで聞いたわけじゃあないんだ。殿下や僕らの側で働くにあたって、理想や想像で浮ついていないかどうかということだ。

 

「ルカ様は私のことは調査済みかと存じますので、何をお教えしたらいいのか戸惑っております。私のことで教えられるのは、やはり身の回りの、家族のことしか思いつきません」

「い、イリア様?」

 

 黙読の速度とあまりに同じ音読に、思わず反応が遅れてしまった。

 慌ててメモを伏せて背後を振り返る。

 

「こんにちはルカ」

 

 頭にいくらか葉っぱをのせた綺麗な銀髪の姫君。北の皇国(こうこく)からアレス皇子にお嫁入りされる、皇女(こうじょ)イリア様だ。

 いつもうすぼんやりと浮かべている口元の笑みは、今日はどこか楽しそうに見える。

 

「イリア様、ご昼食のお時間では? どうしてこのようなところへ?」

 

 驚いて早打つ鼓動を必死に押さえながら、僕はイリア様に尋ねた。

 イリア様は僕の胸元に伏せられているメモが気になるのか、じっとそこを見ながら答えた。

 

「アレスに会食へ誘われたのですが、あまり気乗りしませんでしたので、遠慮させていただいたのです。だってとても良い天気なのですから、外で食べたじゃありませんか」

 

 そう言ったイリア様は、やっと僕のメモから視線を外し、手に持っていた小さなバスケットを掲げて見せた。

 

「この東屋は涼しくていいですね。ルカ、ご一緒しても?」

 

 可愛らしく首をかしげられ、断るのもしのびない。

 僕がうなずくと、イリア様は東屋の小階段を登り、僕の隣に少し距離を置いて座った。

 

「ルカもサンドイッチですか。私もそうなんですよ」

 

 バスケットのふたを開けて、イリア様は小さな包み箱を取り出した。布をはらい、箱のふたを開ける。中には午後の茶会に出るような、長方形に切りそろえられたサンドイッチが並んでいた。

 

「ハムとチーズと、こっちはベリーのジャムです」

 

 にこにこと楽しげに説明したイリア様は、僕の残りのサンドイッチに視線を投げてきた。

 

「まだ手をつけていませんので、良ければ召し上がりますか?」

「良いのですか?」

 

 試しに聞いてみたら良い食いつきだった。

 イリア様は代わりに好きなサンドイッチをとってくれと箱を突き出し、僕はベリーのジャムをもらうことにした。

 今の季節に採れる青紫のベリーは、酸味よりも甘味が強く、どちらかというとデザート感覚に近い。

 

「あら、美味しい」

 

 僕のサンドイッチを頬張ったイリア様が、目を見開いて口に手を当てた。

 

「セオドールが作ったのですか?」

「いいえ、新しく雇ったメイドが作りました」

「まぁ、ルカがメイドを? じゃあそのお手紙はその方からね」

 

 モゴモゴしながらイリア様がメモを凝視した。

 僕は懐にメモをしまいながら、コホンと小さく咳払いをする。

 

「パン屋のお嬢さん……よね? どこで知り合ったのです?」

 

 イリア様はいったいどの部分までメモを読み進めたのだろう。僕が読んでいないところまで見ている気がする。

 

「イリア様のお耳にはまだ届いておりませんか? 宮廷のメイドだったのを最近引き抜いたんですよ。あの……このメモの内容はアレス皇子たちには内緒にしてくださいよ?」

 

 どうして? という目をされたが、お願いしますと念を押すように付け加えたら、「いいわ」と肩をすくめられた。

 

「でも、内緒にする代わりに教えてくれるのよね? ルカ?」

 

 あぁ、とんでもない人に会ってしまった。アレス皇子たちよりも、イリア様の方が手ごわいじゃないか。

 女性だし、お姫様だし、断りづらい。

 

「何をお知りになりたいのですか?」

 

 何を聞かれるのやら。心臓がまた鼓動を早めた。

 

「そうね……どうして気に入ったの?」

 

 単刀直入に聞かれ、僕は困ってしまった。そういえば、先日ルーイにも似たようなことを尋ねられたか……。僕が人を雇うとそんなにも気になるのだろうか。

 

「真面目であまり浮ついていないところですかね?」


 当たり障りのない返答を伝えると、イリア様は他にもないのかと顔を覗き込んできた。


「顔とか声とか、髪の長さとか体型とかはどうなのです?」

「……何をお聞きになりたいのですか?」

 

 明らかに質問の意図が違う方向へ行っている気がする。まぁ、イリア様が言うように、その辺りもどちらかというと好みだから雇った理由の一つには当たるのだけれど……。

 僕はぼんやりと頭の中にレティシアの姿を思い浮かべた。

 令嬢ほどの艶やかさはないにしろ、黒い髪は清潔感があるし近づくといい匂いがするし……体型にしても——— 。

 

「イリア様、そのお手は何をなさろうと?」

 

 レティシアの体型を思い浮かべていると、僕の胸元にイリア様の手が伸びていた。メモを取ろうとして伸ばしたのだとバレバレだ。

 イリア様は見つかってしまったかと心底残念そうな顔をして、残りのサンドイッチを頬張った。

 

「ルカは、そのメイドと〝どうのこうの〟はないのですか?」

「…… ありませんが」

 

 僕の返事にイリア様は興味を失ったようにハァとため息をついた。

 

「まぁ、いいです。でもきっと、あなたがなんとも思っていなくとも、噂にはなるのでしょうね。メイドさんには言っておくといいですね。長く側に置くつもりなら」

 

 イリア様はそう言って、空になったバスケットを持ち上げて立ち上がった。

 僕はイリア様が何故そんなことを言ったのか理解ができなかった。だいたい、どんな噂が立つというのか? 

 気になって尋ねようとした時には、イリア様はすでに東屋から出ていて、さっさと建物に歩いて行くところだった。呼び止めるのも気が引けて、僕は小さく息を吐いた。

 

 

 

   *  *  *  

 

 

 

 午前零時を過ぎた頃、私はその日の仕事を終えて部屋へ戻ってきた。

 ルカ様に雇われて三日ほど経ったが、まだ慣れないせいかとても疲れてしまう。宮廷と仕事内容はそう変わらないが、以前よりもすごく神経を使っている気がする。

 雇われた経緯のこともあり、どこかで失敗できないという思いがあるのだろう。

 私は疲労感の残る手足をさすりながら、開かない窓の外を眺めた。

 庭をうすぼんやり照らす明かりの他は真っ暗で、木の輪郭も夜空に溶けている。星や月は見えない。おそらく空は雲で覆われているのだろう。

 

「明日は雨かしら?」

 

 部屋へ戻る前に外の風の具合を見ておけばよかった。明日はクッション類を日干しする予定だったのに、この様子ではできそうにない。明朝セオドール様と予定を組み直さねばならない。

 私はため息をついてからメドキャップとエプロンを脱ぎにかかった。

 クロゼットの近くの壁についている外套掛にエプロンをひっかけて、メイドキャップをその近くの小さな机に置く。

 今日は初夏にもかかわらずだいぶ日差しが強かったせいで、汗ばんでどうにも気持ち悪い。

 私はクロゼットから下着や寝間着を取り出し、備え付けのシャワー室へ向かった。

 使用人の部屋に浴槽はなく、シャワーのみだ。セオドール様が言うには、ルカ様のお許しがあればルカ様の部屋の浴槽を使って良いとのことだ。しかし私は雇われてまだ三日。さすがにそんなお許しをいただくような会話にはならないし、こちらからも恐れ多くてできない。

 私は衣服を脱いで近くの籠に入れ、引き戸をカラカラと開けてシャワーのコックをひねった。

 心地よい温度のお湯が体の汗を流していく。

 初日にルカ様とセオドール様がコックを二つに増やしてくれたのはとても嬉しかったし助かった。お湯の温度は自分で水のコックを調整するのだが、元々のお湯がさほど熱くないのでサッと浴びる分にはそのままでちょうどいい。

 それにしても、簡単な建築魔法とはいえそれまで出来るのにはさすがに驚いた。ルカ様はどこまで非凡なのだろう。

 政務官よりも魔導師としての知名度が高いルカ様は、最年少で宮廷魔導師になり最短で魔導師長にも抜擢された。おそらくこの西の大陸の魔導師でルカ様を知らぬ者はいないだろう。それに、生家であるフレデリカ家は代々皇帝に仕えている一族。こちらも宮廷の内外で有名だ。

 魔導師としての名が馳せていなければ、親の七光と呼ばれそうなものを、悠々とそれを超える才能を発揮しているあたりがルカ様らしいというのだろうか。それは、同僚のルーイ・アルバハーム様も同じだ。

 アルバハームもフレデリカと並ぶ名家。ルーイ様は現当主の養子とはいえ、それを他者に言及させないほどの魔法の才能と才知を持っている。それに、ルカ様とはまた違った魅力がある。なんというか、こう……知り合いになったら色々と話を聞いてくれそうな、相談して頼れそうな雰囲気がある。

 ご婦人方に人気があるというのも頷ける話だ。

 

「でも、相談したら付け入られそうな気もする……」


 ルカ様もそうだが、ルーイ様も絶対に一筋縄ではいかない人だと思う。

 相談は聞いてくれても、その後に何かありそうじゃないか? 見返りとか色々と……。

 私はちょっとだけ想像しかけたが、ぶんぶんと頭を振って脳裏の絵を振り払った。

 雇われた日にルカ様は言ったじゃないか、空想や噂に自分の使用人が振り回されるのは好ましくないと。

 私はきゅっとコックをひねってシャワーを止め、中型のタオルでサッと体を拭いて手早く着替えた。そうして用意しておいた部屋ばきに履き替えて、ブーツをベッド脇に持って行って小棚の一番下に置いてある靴磨きを取り出す。

 一日の終わりに靴を磨くのが子供の頃からの習慣だ。誰に教えてもらったわけではないが、家の人間が皆そうするので覚えてしまった。

 ブーツは簡単に布拭きするくらいで汚れが取れて、綺麗になった。きっと今日は庭に降りることがなかったからだろう。

 私は道具を元に戻してベット脇にブーツを並べると、ベッドにどっかりと腰を下ろした。

 まだ見慣れない部屋の景観。でもあと一週間ほどすれば、きっと目に馴染んでくるだろう。そうしてここでのやり方にも慣れるはずだ。そうしたら、台所でセオドール様のお手伝いをもっとしてもいいかもしれない。

 とろとろと降りてくる瞼に、そろそろ横になろうと足をベッドに持ち上げる。

 頭皮をワシワシとほぐし、ベッド脇の壁についているスイッチで部屋の大きな明かりを落とす。そうして枕元のランプをつけると、柔らかい黄味がかった光が淡く辺りに広がった。

 上半身を倒してゆっくり横になると、マットレスが柔らかく体を押し返した。

 宮廷の使用人部屋で使っていたベッドより格段に物がいい。

 家具事態は質素だが、シーツやタオル、マットレスはとても使用人にあてがわれるような品物ではない。

 なんだか不思議だ。

 ルカ様の方針なのかセオドール様のご配慮なのか、気になってくる。

 私はとろとろしている瞼でランプの下をちらりと見やった。

 黒い表紙の小ぶりの本が、その存在を主張している。

 ルカ様の日記帳の一部であるこの黒い本は、初日に温室で渡された物だ。

 ルカ様いわく、

 

『アレス皇子やルーイ、僕について理解をするには、これを読むのが手っ取り早いと思いまして』

 

だそうだ。そうしてこうも言っていた。

 

『あと、あなたがそうであるとは思いませんが、空想や噂に自分の使用人が振り回されるのは好ましくありません。僕らの良いところも悪いところもその日記には書いてあります。僕の主観は多少入っていますが、僕らの性格描写はそんなに間違いはないと思います。ちなみに問題がありそうな内容は抜いてありますから、どこを読んでいただいても構いません。時間がある時にでも、読んでくれると嬉しいですね』

 

 確かにルカ様やアレス皇子たちにまつわる噂はとても多い。私だって実際はよく知らないのに、噂から得た情報で憧れに似た敬愛を持っている。それ自体が悪いとは言えないが、(かたわら)で仕えるのであれば確かに、今まで通り噂を鵜呑みにしてしまうのは良くないだろう。

 それにしても、ここに雇われることになったきっかけの物を手渡されるとは、なんとも数奇な運命だ。この日記帳を読んだことで、私はルカ様に魔法で詰問され、死すらも身近に感じたのに……。でも、そんな恐ろしい思いをしたのに、許しが出たらこうしてまた手が伸びてしまうのは、やはり内容が面白いせいなのか。人の欲というのは怖いものだ。

 

「ちょっとだけ……」

 

 自分に言い聞かせるように呟いて、私は黒い表紙を開いて頁をめくる。

 昨日は確か、東の帝国の地下遺跡で彷徨(さまよ)う羽目になったところまで読んだはず。

 ぺらぺらと私は日記をめくる。

 そうしてまた、ちょっとだけが三十分、一時間と過ぎていくのだ。


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