副官サマと秘密の倉庫 後編
「それでですね、レティシア。ここの日程なんですが、私は——— 」
夜の仕事が終わったあと、セオドール様の執務机で週末と来週の予定を話し合っているのだが、今日はどうにも集中できない。
集中しようとすればするとほど、なぜかナギさんの言ったことが頭に過ぎるのだ。
『まぁ、余計なお世話かも知れませんけど、どうするかは、お二人でじっくり決めて下さいね』
ナギさんのあの言い方では、まるで私が倉庫を調べるか調べないかに今後の全てがかかっているとしか受け取れない。
去り際のナギさんの顔つきも、私が行くべきなのだと言っているようだった。
でも、今回はさすがに安易に頷けない。
ただでさえ、娼館というあまり良い気分のしない場所なのに、そこに侵入して中を探索するなんて……それも、帝国を陥れるような陰謀に関わっている積荷を調べる仕事だなんて、なんてたいそうなことだろう。
そんな大仕事を素人の私が成し得るのかという不安は八割以上だ。
聞いた感じでは娼館の中でもずいぶんと特殊な所のようだし、きっと警備だっているはずだ。
運よく侵入できたとしても、素人がドギマギしながらうろついていたら、絶対に怪しまれるに決まっている。
そんなことを考え込んでいると、目の前に白い手袋をはめた手のひらが、ひらひらと動いた。
「聞いているんですか?」
「あ、はい!」
慌てて返事をするも、セオドール様の顔はすでに呆れ顔だ。
「ここ数日、ずっと上の空ですね、あなた。体調でも悪いとか?」
「いいえ! そうではございません……」
体調はすこぶる良い。ただ、娼館の積荷のことを考えてしまうだけだ。
また考え始めた私に、セオドール様がため息混じりに手にしていた予定表を机の上に置いた。
「まぁここ最近は、なんだか物騒な話題が多いですからね。あなたもルカ様のお仕事にお付き合いしていましたし? そのことで何か気がかりがあるのですかね?」
ズバリ尋ねられて、頷かずにはいられず、つい二度、大きく首を縦に振ってしまう。
その時の私の表情が何かを物語ったのか、セオドール様が珍しく綺麗な眉間に皺を寄せて言った。
「レティシア。あなたがルカ様と一緒に行動をしている、その内容までは深くは存じませんけどね。べつにやりたくないのならば、無理せず、断っても良いのですよ?」
それは確かにそうだ。
本当に嫌ならばきちんと断れば良いだけの話だ。けれど、わかっていてそれをしないのには、きっと理由があるのだろう。
その理由が、自分でもわからない。
理由は、いったいなんだろうか?
そう自問すると、セオドール様が続けて言った。
「断ったところで解雇されることなんてありませんし、そもそも、あなたはうちのメイドなんですからね? こっちの仕事を疎かにされたらたまりません」
セオドール様のその言葉に、つい不安になって尋ねる。
「疎かになっておりますでしょうか……?」
外のことを色々としていて、どこか行き届かなかったところがあっただろうか?
ざっと日々の流れを思い出してみる。私にはこれといって思い当たらない。しかし、セオドール様から見たら、疎かになっていると思うところがあるのかもしれない。
答えを急いでセオドール様の方へとわずかに身を乗り出す私に、セオドール様がぎこちなく身を引いて首を横に振った。
「いいえ、なっていませんよ」
「そうですか……」
返答を聞いて安堵し、元の位置まで身を引いて胸を撫で下ろす。それから少しの間、静かに呼吸をして落ち着いてから、セオドール様へと顔を向けた。
私が今後どうすれば良いか、セオドール様に相談してみようと思ったのだ。
「あの……、セオドール様なら、もし国の大事に関わるような仕事があったとして、その仕事を引き受けた方がうまく収まるとしたら、自信がなくとも引き受けますか?」
うまく伝わったかどうかわかないが、セオドール様は私の質問にわずかばかり長い間を置いた。けど、その先に返答が返って来ることはなかった。
セオドール様は私に向けていた視線を卓上の古びた時計に向けた。
時計の針は、もう夜中の一時を過ぎようとしている。
「ルカ様に、いつ戻るか伺ってきて下さい」
返答の代わりにご用を仰せつかってしまった。
私は椅子から立ち上がり、スカートとエプロンの皺を伸ばしてセオドール様に頭を下げ、
「伺ってまいります」
と、扉に向かって踵を返した。
振り返ると、紙の擦れる小さな音が耳に届いた。
きっと、セオドール様が先ほどの予定表を触ったのだろう。
細かな細工のあるドアノブを軽く下へ下げ、扉を開けて廊下へと踏み出す。
ルカ様に会いに行くのがなんとなく億劫だ。
娼館の件がそうさせているだろう。
私はルカ様がおられる書記官室までの道のりを、ずっと娼館の件について考えながら歩いた。
* * *
ルカ様が普段お使いの書記官室の近くまで来ると、廊下にわずかな喧騒が響いていることに気づいて足を止めた。
自分の靴音が止み、廊下に静寂が降りる。そうすると、籠った音だが確かに、物が何かに当たる音が何度も聞こえてくる。
硬い木が、壁に当たっている音だろうか?
それ以外にも、金属が落ちた時に響く不快な音や、ガラスが割れる音も聞こえる。
耳を澄ませてどの部屋から聞こえてくるのか探すと、今から向かう部屋の方向から聞こえてくることに気づいてゾッとした。
——まさか、また刺客が⁉︎
そう思うや否や、足が勝手に走り出した。
目当ての書記官室まで脇目も振らずに駆けて、ノックもせずにドアノブへ手を伸ばす。すると、ドアを開く直前に、雷の音に似た轟音が響き渡った。
掴んでいるドアノブごと、ガタガタと揺れる扉。
とても強い衝撃だ。
扉が外枠と当たるくらい振動している。
大きな衝撃が抜けきると、振動はわずかに収まったが、それでもまだカタタカと微かに扉が揺れている。
強い力が中で暴れているようだ。
私はドアノブを力いっぱい回し、勢いよく部屋の中へと入った。
まず目に飛び込んできたのは悲惨な状態の家具たちだ。
床の至る所に椅子がひっくり返り、その下にはバラバラになった書類がくしゃくしゃになっている。よく見ると、ペンやインク壺なんかも散らばっていて、中身がこぼれている物もある。
バタバタと布がはためく音がする。いいや、この音は開けた時からずっと聞こえているのだ。
厚手のカーテンが内側のレースのカーテンごと大きく捲れ上がっている。
そんなカーテンの近くにルカ様の姿を見つけ、足が一歩前に出た。でも、それ以上進むことを体が拒み、その場に縫い付けられたように留まる。
——今出て行っては危険だ!
そう本能が警告してくる。
ルカ様の方へと光の球が向い、また酷い轟音が鳴った。
その威力は先ほどと同等くらいだろうか。
振動こそ感じないが、熱量とそこから吹き付けてくる風はとても強い。
スカートの裾がエプロンごと後方へ持って行かれる。
確実に相手に大きな怪我を負わせることのできる攻撃魔法。
ルカ様は表情一つ変えずに防いでいるが、その周囲の惨状は酷い。
防がれて散った魔法が卓上の小物や書類を弾く。
衝撃で傷つく天板。椅子だって、よく見たら傷だらけだ。
近くの壁には中位の亀裂も見える。
あれが人の体に当たったらと思うと、威力は一目瞭然だ。
足を止めていなければ、巻き込まれて怪我をしていたところだ。
そんな攻撃性の高い魔法を放ったのは一体誰かと、無意識に探す。
視線が行き着いた先は、ドアから少し離れた、ルカ様とは対角線上にある壁際に立っているルーイ様だった。
魔法はそこから放たれている。
一撃一撃、前の攻撃よりも間隔を狭く、確実にルカ様を捉えて飛んでいく攻撃魔法。その種類は全て同じではない。
炎の魔法を中心に、雷の魔法が混じっている。
魔法陣の展開はないが、ボソボソとルイ様の口元は呪文を唱え続けている。
次第に強さと勢いを増す攻撃魔法に不安が過ぎる。
——止めないと!
と、そう思うが、一体どうやって止めれば良いのだろう?
以前の二人のやり合いとは魔法の威力は桁違いだ。
安易に中に入って止められるものではない。
何か、二人の注意を一瞬でも逸らさねば無理だろう。
そう思って部屋の中を見渡してみる。
転がった椅子に書類、目につくものは先ほどと変わらない。
仕方ない。
私は一つ呼吸をしてから、近くの床に転がった椅子を見つめ、グッと掴んで持ち上げた。
そうして、ルカ様とルーイ様が放つ魔法の軌道上を目がけ、思い切り椅子を投げつける。
椅子は想像通りの軌跡を描いて飛んでいき、魔法が互いにぶつかるタイミングでぶち当たった。
激しい音と光が部屋中に飛ぶ。
椅子は見事に粉砕され、木屑となって四方へ散っていく。
その木屑を、ルカ様もルーイ様も驚いた顔をして目で追った。そうして、すぐに、椅子を投げたのが誰かを探し始める。
視線がこちらへ飛んでくる。
魔法の交戦が途切れた。
私は今だ! とばかりに、ルカ様の方へと駆けた。
ルカ様の前に立ち、ルーイ様を振り向く。
「またお前か!」
ルーイ様が私を睨みつけて怒鳴りつけた。
次いでルカ様からも怒声が飛んでくる。
「あなたはまた——— 下がりなさいレティシア!」
ルカ様が私の前に出ようとして錫杖を動かそうとしたので、私はそれを掴んで進行を阻む。
ルカ様のお顔に苛立ち浮かんだ。
それでも私は錫杖を掴んだままじっと動かない。
「お止め下さいませ」
はっきりと、だけれどなるべく静かな口調で二人へ言う。
「邪魔するな! お前には関係ない!」
ルーイ様が威嚇のための魔法を私の足元に向けて投げつけた。
足元で散るのは細い無数の稲妻だ。
絨毯の上の方がチリチリと焦げている。
私は焦げた絨毯から静かに視線をルーイ様へと戻し、無言で見据える。
「退きなさいレティシア。ルーイの言った通り、あなたが出てくる幕じゃあない」
ルカ様が空いた手で私の肩を掴んできたが、気にせず天井を見上げて叫ぶ。
「ナギさん! そこにいらっしゃるならば、もっと早くお止め下さい!」
天井裏にナギさんがいることは少し前から気がついていた。
声をかけられると思っていなかったのか、天井裏からゴトリ と、何かを落とした音が響いてくる。
天井を見上げた私に、ルーイ様が話を戻そうとまた怒鳴りつけてくる。
「ルカの言いなりにしか動けない女が出しゃばるな!」
「なっ——— 」
——なんて酷いことをおっしゃるのですか!
と、そう続けようとして、言葉が途中で詰まった。
ルーイ様のお言葉が、私にとってあまりにも衝撃が大きすぎたのだ。
アレス皇子のもう一人の副官であるルーイ様に、そう思われていたなんて、なんて悲しいことだろうか。
帝国のためにと今まで働いてきたのに!
確かにルカ様のお手伝いは、はたから見ればそう見えなくもない。
けれど、私はルカ様に無理強いされたことは一度だってない。結局は自分の意思でやると決めてきた。
言いなりになんて酷い。
一帝国民として、帝国のためにと。そんな気持ちが強くあったからこそやってきたのに!
そう思ったら、私の中で何かが吹っ切れた。
「ルカ様、件のご用、お引き受けいたします! それで全てがうまくいくのならば!」
勢いにまかせてルカ様に振り返り言い放つ。
ルカ様はポカンと口を半開きにしたが、何も言わなかった。
私はそのままルカ様にセオドールからの伝言を伝えて踵を返し、歩きながら天井へ再び叫んだ。
「ナギさん! あとはよろしくお願いいたします!」
「え? あ、ハイ……」
頼りない返事が天井から降ってくると同時に、ドアまで歩いて部屋を出る。
バタン と、背後で勢いよく扉が閉まるが、すぐ後にまた、ガチャリ とドアノブが回る音が聞こえた。
けれども私は振り向かずに廊下を歩き続ける。
カツカツと靴の踵が早く鳴り響く。
「レティシア! 待って! 待ちなさい!」
慌てた声で私の名を叫びながら、後を追ってきたのはルカ様だった。
しばらく無視して歩き続けたが、廊下の途中で捕まり、無理矢理に振り向かされた。
「ちょっと! 引き受けるって、本当に良いんですか?」
尋ねられるが、私の答えは変わらない。
ルカ様がため息をついた。
「ルカ様はまだルーイ様とご用がおありでしょう? どうぞお戻りくださいませ」
私はまた踵を返しながら、もう一つだけルカ様へ言って、廊下を後にした。
「手筈が整いましたらお教え下さいませ!」
今回で記念すべき50話!
そうしてそろそろ投稿し始めて一周です。
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