副官サマ二人4
「見せてくれないんですか?」
政務区の休憩広間に続く廊下から、ルカ様の声が聞こえてきて、私は近くの角に向かって早足で歩いて顔を覗かせた。
白を基調とした魔導師隊の制服。後ろ姿だが、ルカ様だとすぐにわかる。
声をかけようと角を曲がりきって進むが、途中でルカ様の向こう側にルーイ様の姿を見つけて足を止めた。
話し声は今は聞こえてこない。
お互い沈黙している様子だ。
先ほど角まで聞こえてきたルカ様の声は、さほど大きな声ではなかった。きっと、普通に歩いているだけでは聞こえてこなかったと思う。そう、きっと、ルカ様を探して歩いていたからこそ、聞こえたのだ。
午前中にソレーユさんから聞いたルーイ様の話。それがどうにも気になって、仕事を一通り片付けたあと、セオドール様に断りを入れてルカ様を探しに出たのだ。
一番最初に執務室を訪ねたが、そこにはアレス皇子しかおらず、どこかと尋ねたら「ルーイを探しに出かけたよ」と教えられた。
場所は殿下もわからない様子だったが、「広間を覗いてみても良いかもね」と助言をいただき、この廊下へと足を運ぶことになった。そうして、ルカ様を見つけたのだが、なんだかこれは、声をかけてはいけない状況のようだ。
私はその場に足を止め、気配をできるかぎり消し、二人の様子を伺う。
「仕掛けって、なんだ?」
長い沈黙の後、ルーイ様がルカ様へ尋ねた。
「ちょっとした呪いです。盗難防止——— ですかね?」
「盗難防止?」
ルーイ様の声は緊張で張り詰めている。何をそんなに警戒しているのかと思うほど、その表情も硬い。
いったい何についてお話なのだろう?
「そうです。だから、その手袋の下を見せてもらえませんか?」
「……」
ルーイ様が再び沈黙すると、ルカ様が左手を横に広げて、その手に錫杖を取り出した。
その行動に、ルーイ様の眉根がグッと中央に寄る。
「確認させて頂きたいので、自分でやらないのなら実力行使でいきますが?」
「……そうまでする理由はなんだ?」
「言ったでしょう? 盗難防止だって。それを施すということは、僕にとって重要な物だということです。それに触れたかどうかを僕が知りたいというのは、正当な理由でしょう?」
反論しようとルーイ様が口を開いたが、言葉は出てこなかった。
「実力行使で良いということですね?」
カツン と、錫杖の杖尻が床に強く叩きつけられたが、そのあとに魔法は続かなかった。おそらく威嚇しただけなのだろう。
「……取らない、という答えで、満足じゃないか?」
寄せた眉を元に戻し、ルーイ様が先ほどよりも鋭い目つきでルカ様を捕らえた。
その目には殺気がこもっている。
ルーイ様も、いつ杖を取り出してもおかしくない様子だ。
廊下には私たち以外に誰も居ないが、魔法の応戦になったら、きっと近くの部屋で執務中の政務官たちがこぞって廊下へ飛び出してくるだろう。衛兵だって飛んでくるはずだ。
声を、かけるべきだろうか?
迷っていると、ルーイ様の視線が私へ向いた。
その目に込められている殺気が、ルカ様から私に向かう先を変えて飛んできて、背筋が震えた。
「おまえは、メイドを雇ってからずいぶんと豪胆になったな」
「雇う以前からも僕はそれに近かったと思いますが?」
「少なくとも、自分でそんなことを言うようなことはなかったと思うが?」
「そうですか? でも別に悪いことじゃあないでしょう?」
「最後の最後まで石橋を叩いて渡るのが、おまえらしいのに?」
「おや、今もそれは変わりませんよ? ただ、状況が状況なのでね……」
シャラリ と、錫杖の飾りが揺れて音が響いた。
チリチリと、頬に魔力を感じ始め、体が緊張を帯びる。
「戴冠式はもう間近です。憂いは払わなくては……わかるでしょう? ルーイ?」
ルカ様の言葉には、だいぶ含みがあった。
その言い方では、まるでルーイ様が何かを企んでいるように聞こえる。
そう思って、まさか! と口元を手で覆った。
そんな私の様子を見たルーイ様が、眉を寄せて舌打ちをした。
「謀反やら何やらの話は、オレだって無くしておきたい。カルークの隊商の件は、たまたま別件で追っていた事案が同じ方向へ行き着いただけだ。おまえが疑うようなことはない」
「本当に?」
「本当だ」
ルーイ様は視線をルカ様へ戻し、真剣な声音で返事をしている。
けれど、ルカ様は魔力を操るのを止めようとしない。
「では、積荷の行方は知らないと?」
「知らない」
ルカ様の質問に被せるように、ルーイ様は答えた。
「僕の部屋で何をしていたかは?」
「言うつもりはない」
「へぇ……」
ふっと魔力が散り、錫杖もルカ様の手から消えた。
思わぬところで戦意を失くしたルカ様に、ルーイ様が戸惑った顔を向ける。
「まぁ、良いですよ。信じましょう」
「…………そうか」
ルカ様の言葉にわずかに頬の緊張を緩めるルーイ様。そんなルーイ様に、ルカ様は続けて言う。
「けど、もしも、僕の調べているカルークの一件と、あなたが調査している事案の目的が同じなら、全ての処理はあなたにしてもらいたいですね」
緩みかかっていたルーイ様の頬に再び緊張が走り、表情にぎこちなさが浮かんだ。
ルカ様からの言葉は、ルーイ様にとって思わぬ申し出だったのだろう。
ルーイ様はわずかばかり考えを巡らせ、それから一度閉口し、小さく息をはいてから伏し目がちに答えを返した。
「わかった。そうしよう」
短い答えのあと、ルーイ様は去り際の挨拶もせず、ルカ様の横を足速に通り抜けていく。
それをルカ様は呼び止めない。
カツカツ と、靴の踵が廊下に響きわたる。
瞬きを数回するうちに、ルーイ様は私の立ち止まっている場所まで歩いてきて、横を通る時に横目でじろりと見下ろしてきた。
壁際に寄ったまま頭を下げると、その頭上に舌打ちが降ってくる。
「おまえみたいな余計なのが来るから、色々と面倒なんだ」
ボソリと奥歯を噛み締めながら吐き出された言葉には、敵意なんて表現で片付けられないほど複雑な感情が込められていたように感じた。
その理由を探りたくて頭を上げるが、ルーイ様は視線を逸らして廊下の曲がり角を曲がって行ってしまった。
コツ、コツ と、ゆっくりした靴音が近づいてくる。
それがルカ様だとわかっている私は、振り向いて礼を取る。
「どうしてここへ?」
近くまで来て立ち止まったルカ様の顔には、これといった表情は浮かんでいない。
「ルカ様を探しにまいりました」
「僕を? 何かありましたか?」
私は午前中にソレーユさんから聞いたことをルカ様に話してみる。するとルカ様は、頷きながらルーイ様が去った廊下の角に視線を向けた。
「あぁ……そうでしたか。ちょうど今しがた、ルーイとそれについて話をしていたところですよ」
「左様でございましたか……」
言い終わってもまだ廊下の角を見ているルカ様の、その表情はあまり変わらないが、どことなく物悲しい雰囲気が全身から滲み出ている気がする。
それがどうしてかはわからないが、なんとなく心配になり尋ねてみる。
「大丈夫でございますか?」
「え? あぁ……大丈夫です。心配することはありませんよ」
ルカ様は少しだけ笑ってみせて、角から視線を離した。
角から離れた視線は、そうするのが自然のように私へ真っ直ぐと向かう。
「ただ、そろそろあなたには、もう少し詳しくこの件について話したほうが良さそうですね。特にルーイについて……」
小さくため息をついて、ルカ様が「着いて来て下さい」と私を促した。
* * *
ルカ様について向かった先は、上階にある未使用の小さな会議室だった。
部屋に対して程よい大きさの会議机は艶があり、傷一つない。そうしてそれに合わせてあつらえられた六脚の椅子も、美しく磨き上げられて窓からの光で輝いている。
ルカ様は窓側にあるその椅子の一つをさっと引き出し、私に座るように促した。
私は躊躇いがちに椅子へと寄って、腰掛ける。
会議用の椅子とは思えないほど、クッションがふかふかで座り心地がとても良い。
「それで、ルーイについてなんですけどね……」
ルカ様は窓際の壁に背中を預けて、少し小さめの声で話始めた。
「隊商が襲われた時にその場に居たということですが、アレは偶然ではないと僕は考えています」
「それは、ナギさんもおっしゃっておられましたね。計画性があったと……」
「えぇ。その〝計画〟なんですが、僕はルーイが立てたことなんじゃないかと思っています」
ルーイ様が、どうして積荷を奪うような計画を立てる必要があるのだろう?
そう疑問に思い眉を寄せると、ルカ様はすぐに疑問の答えをくれた。
「さっき、ルーイを少しだけ問い詰めたんですが、彼が言うには、彼の追っていた事案がカルークの隊商に繋がったと」
「偶然……ですか?」
「彼が言うには偶然ですね。実際のところどうかはわかりませんが、カルークの隊商について小細工を仕掛ける計画を立てたのは、ルーイでしょう。あくまで僕の考えですが、さっきルーイと話をした感じでは、当たっていると思いますよ」
窓の外から溢れる光が揺れ、ルカ様が慎重に外に視線を向けた。
窓ガラスには光が強く反射していて、角度が合わないと外がよく見えない。
少しだけ頭を動かして外を見ると、何羽かの鳥が羽ばたいて見えた。
光が揺れたように見えたのは、きっとあの鳥の影が落ちたからだろう。
私はルカ様へ視線を戻し、ルーイ様の話を続ける。
「では、積荷を盗んだのもルーイ様が?」
「そうだと思いますよ。カルークの企みを阻止するために、賊の仕業と見せかけて奪ったんだと思います。ただ——— 」
「ただ?」
「ただ、最初に奪われた荷は、ルーイの仕業ではないんじゃないかと……」
そういえば、ルーイ様が駆けつけた時にはすでに、積荷の一部が運び出されたあとだったとナギさんが言っていた。残りの積荷はその後に強奪されたのだと。
ルカ様は、最初の積荷を別の人間が、残りはルーイ様が盗ったとお考えなのか。
「誰が盗ったとお考えなのですか?」
「そこは、わかりません。ルーイではないとすると、現在僕が調べている中では、鉄や鋼を強奪しようなんて人間は浮かびません……」
でも、企みに利用するための鉄や鋼を奪ったということは、それに無関係の人間ではないだろう。
カルーク様かルーイ様か、どちらかに関わりがある人物で、その企みを知っていなければ横取りなんて成立しない。それこそ、たまたま居合わせた手練れの盗賊が猫ババしたなんてことはありえないだろうし……。
目に見えぬ第三者。それが敵なのか味方なのか、ルカ様もまだ判断がつかないのだろう。
「短剣と鉄と鋼。集めていたカルーク。その企みは、間違いなく謀反だと思います。ナギから受け取ったリストの高官の人数を見ても、それなりの規模です。どういった計画かは知りませんが、先ほどのカルークの様子からして、その計画の実行日は近かったのだと思います」
謀反という言葉が、妙に現実味を帯びて聞こえてくるのは、それについて話しているのがルカ様だからだろうか。
これから帝国を担うアレス皇子の副官。そんな人が危機を感じるほどの事件が、今実際、身近で起こっている。
不安が寒気を呼んだのか、腕に冷気を感じ、そっと手でさする。
短剣の用途などは私にはわからないが、謀反を起こすためのその計画は、着々と進行していたのだ。そのことに別件をお調べだったルーイ様が気づき、積荷を奪うことで、計画の進行を阻止した。
「まぁ、ことを大ごとにしたくなかったから、賊の仕業に見せかけて襲撃した——— ということも考えられますが、きっと違うでしょうね」
床に視線を落としたルカ様が、呟くようにボソリと続けた。
「邪魔だったんだろうな。ルーイにとって……」
その呟きは、まるでルーイ様も謀反を企てているみたいに聞こえた。
そのことについて尋ねようと口を開くと、ルカ様が床から視線を上げて私が言葉を発する前に話し始めた。
「ただ、気になるのは先に奪われた物資ですね」
「それも、謀反のような企みに使われると?」
「今のところなんとも言えませんが、良いことに使われるようなことはないと思いますね」
「そうですか……」
ふと、ルカ様の傍にある窓ガラスが、コツコツと音を立てた。
明らかに意図して立てられたその音に、体が警戒して緊張する。
なんの音だろうと窓をよく観察すると、反射したガラスの向こうに小さな鳥の姿が見えた。
「あぁ、ナギのカラスですね」
ルカ様が鳥——— カラスを見て壁から背を離し、窓の施錠を外してカラスを中へ誘う。
中へ入ってきたカラスは窓辺にちょこんと立ち、ルカ様へくちばしを向けると片足を上げて見せた。その足には小さな筒がついている。
ルカ様は慣れた手つきでカラスの足から小さな筒を外し、その筒から手紙を取り出す。
ナギさんのカラスということは、ナギさんからの連絡なのだろう。
どういった連絡だろうかと、内容が気になりルカ様の手元を見ていると、ルカ様が手紙に視線を這わせながら言った。
「ナギが、執務室へ戻るようにと」